11.冷遇令嬢は包まれる
Ψ Ψ Ψ
水兵たちの掛け声が大きく響き、何本もの綱が引かれて、滑車のきしむ音がする。
太い腕の筋肉が怒張し、一斉に綱を手繰り寄せる。
「ふわぁ~、壮観ねぇ……」
と、隣に立つカリスに呟くと、カリスの目も屈強な水兵たちに釘付けになっていた。
遊覧船に転用する軍船をメンテナンスし改修するための、ドックへの引き上げを見学させてもらっている。
「おら! 皆の衆! 姫様にご覧いただいてるんだ! 気合入れて引っ張れぇ!」
と、満面の笑みを浮かべた老水兵が、若い水兵たちに発破をかけた。
「クールな侍女様にいいとこ見せたいヤツもいるんじゃねぇか!?」
と、老水兵が笑うと、
「まっ!?」
と、カリスが、はにかんだ。
晩秋の寒空の下、若い水兵たちの汗が秋晴れの陽光に照らされ爽やかに輝いていた。
こんな景色は、お母様から教わってない。
想像の外にあった〈初めて〉に、わたしの目も輝き、つぶさに見届けたいと身を乗り出してしまう。
傷だらけの船体が、傾斜路を伝い、陸にあがってくる。船底には川貝や川藻がびっしりと張り付いていて、ながい戦歴を感じさせられた。
「この船は、よくやってくれました」
と、冷淡な表情のクラウス伯爵が言った。
ただ、この表情は、冷淡なのではなく、冷静沈着とか、泰然自若とでも呼ぶべきものであることが、なんとなく分かってきた。
よく観察すると、クラウス伯爵の感情は実に色彩豊かだった。
それに気が付いたのは、ある問題で、わたしと押し問答になったときだ。
「……い、いや、それはぁ~」
「いえ。運航する遊覧船の名は〈コルネリア号〉であるべきです。コルネリア様のご発案で始まった事業なのですから」
「で、でも……、事業計画を作ったのは、クラウス伯爵でしょう? わたしは、ただ思い付きを口にしただけで……」
「事業計画に関しては、そういうことにしておいても良いですが……、総督代理はコルネリア様。ここは〈コルネリア号〉で」
と、クラウス伯爵が、頑として譲ってくれないのだ。
そんな……、船に自分の名前を付けさせたみたいな、賢しらなこと……、困る。
「オレは、戦場で手柄を横取りするような輩が、大嫌いでした」
というクラウス伯爵の瞳から、ようやく憤りのような色を判別できた。
クラウス伯爵は戦場に立たれていたのだ。
感情の抑揚を表に出さない性情は、過酷な戦地で養われたのかもしれない。
ただ、いつの間にかご自分のことを〈オレ〉と仰られるようになっていて、すこし距離が近付いたような気もする。
「で、では、こうしましょう。総督はエイナル様なのですから、エイナル様のお名前を頂戴して……」
「しかし、それではコルネリア様の功績が……」
「わ、わたしの功績だなんて……」
と、押し問答になって、じっくり話し込むうちに、なんとなくクラウス伯爵の感情の動きが見て取れるようになったのだ。
結局、遊覧船の名前は、
――エイナル&コルネリア号、
に、決まった。
「なんだか、ラブラブな名前ねぇ」
と、カリスに笑われた。
わたしは人差し指を立て、イシシッと笑うカリスから目を逸らす。
「ど、どう? カリス。バ、バカっぽいでしょ?」
「そうねぇ……、そう思う人もいるかもだけど」
「……けど?」
「国境の街を遊覧する船に、両国和平の象徴として相応しい名前……、って考える人もいるんじゃない?」
「それ、採用で」
立てた人差し指で、カリスのすまし顔を指さした。
そして、遊覧船『エイナル&コルネリア号』へと衣替えする軍船が完全に陸に上がり、早速、改修作業が始まった。
働き場を得た水兵たちの、活き活きとした顔を見られるのが、とても嬉しい。
Ψ
エイナル様にいただいた総督代理のお役目として、わたしは毎日、街を視察する。
果物屋のおかみさんは気風が良くて、わたしを見付けると、いつもリンゴやオレンジを渡してくれる。
「姫様方がお嫁に来てくれて、ようやく戦争が終わろうとしてるんだ。せめて、このくらいはさせておくれよ」
と、まだ焼け焦げた跡の残る店頭で、わたしの手に果物を握らせてくれる。
「り、立派なお嫁さんになりますから!」
と、わたしは、そんなことしか約束できない。
街の人たちが、人質をさし出し合うようにして嫁いでくるわたしに、同情と感謝の念を向けてくれていることを知って、胸が熱くなる。
わたしが漠然と抱いていた『政略結婚』という言葉の冷たい響きが、ゆっくりと温かいものに包まれていく。
母国にさし出された、敵国リレダル王国の貴族令嬢たちも、優しく大切に扱われているだろうか。
「どうして、傷を広げるの?」
「ああ。傷になってるところは、川の水に浸かって朽ちかけてますからな。こうして削ってから、大きな木材をハンマーで押し込んでやるんでさ」
と、遊覧船『エイナル&コルネリア号』を修復する職人さんが、汗をぬぐった。
船はドックに上げて修復する。
知識としては知っていても、職人さんの細やかな知恵までは教わってない。
わたしの目が輝く。
傷を木材で埋めた表面を磨く作業を、わたしもやらせてもらおうとしたら、カリスが作業服に着替えさせてくれた。
「せっかく、エイナル様にいただいた素敵なドレスを汚したらダメでしょ?」
「えへっ。ほんとだ」
エイナル様は、リレダル王国の王都ストルムセンに立ち寄ってから、こちらに向かわれる。
王国の重鎮、ソルダル大公の世子として、お忙しいお役目をいくつも兼ねておられるそうだ。
はやく、あのお優しい笑顔にお目にかかりたいなぁ……。と、思いながら、船体に塗料を塗る作業を手伝わせてもらう。
そして、白と水色に塗られた遊覧船『エイナル&コルネリア号』の改修が終わり、ふたたび大河の水上へと戻される。
「にぎやかで、めでたい色にお化粧されて、船も照れてるんじゃないですかね?」
と、老水兵だった、老ガイドが笑った。
軍属を離れ、接客を学び、知識と経験、それに明るい性格を買われた元老水兵は、遊覧船の乗客に風景を解説するガイド役に抜擢されたのだ。
「へっへ。喋るだけでお給金をいただける。ありがたい仕事に就けたのも、姫様のおかげでさぁね」
と、真新しい真っ白の制服姿で、照れ臭そうに鼻の頭を掻いた。
「わ、わたしのお陰なんかじゃないわよ? みんなが頑張ったからでしょ?」
「へっへ……。姫様は奥ゆかしいお方だ」
「わたしなんか、なんにも出来ないし……。も、物知らずだし……」
いい奥さんは、賢しらなことを言ったりしない。バカでないといけない。
わたしは、戦火を交えた両国に平和をもたらすために、いい奥さんにならなくてはならないのだ。
元水兵たちの接客の練習も兼ね、試験運行に出る『エイナル&コルネリア号』に、わたしも乗せてもらった。
大河沿いの街々は復興が進んで、景色には見応えがある。
「え~、あちらに見えますのが、ブロム大聖堂でしてぇ~」
と、老ガイドの張り切った声の先に目を向けた。
数百年の歴史を持つという大聖堂。清掃のための覆いが外れ、ゴシック様式の尖塔が青空を突き刺すようにそびえ立つ。
船が渓谷に至ると、断崖絶壁や古城、それに一面に広がるブドウ畑は見応えがある。
収穫を終えた広大なブドウ畑は、赤や黄色に染まった葉で埋め尽くされ、まるで色鮮やかなパッチワークを広げたかのように美しい。
深紅の葉は晩生品種なのだろう。陽光に照らされて燃えるように輝き、その赤と、灰色がかった大河、そして遠くに見える冬の始まりを告げる雪をかぶった山々のコントラストは、息を呑むほど雄大だった。
エルヴェンに赴く途中に目にした風景は、2度目に見ても目に新しい。
「ネルは、2回目も初めてだものね」
と、カリスが優しく微笑んでくれた。
ほんとうに、その通りだ。いつか見慣れてしまうのかもしれないけれど、ルートを折り返し戻ってきた3回目にも感動した。
すべての風景がわたしの胸に迫り、あの王都の屋敷から外の世界に脱出できたのだと、あらためて嬉しさがこみ上げてきた。
だけど、わたしはこの試験運行で、見たくはなかったものまで目にしてしまい、大いに悩まされることになってしまった。