ノリノリで歌いたいのにドア窓が気になってしまう12
私の悪夢は大体パターンが決まっている。
まず、遅刻する夢。職場とか学校とか、時には空港や新幹線に間に合わないというのもあった。もうすでにアウトだと理解しているのに、間に合うかもしれないと一縷の望みを持って急いでいる。
次に多いのが、怒鳴られる夢だ。大体上司のせいである。この手の悪夢は就職してから見るようになったので、現実で色々と怒鳴られすぎたせいで夢にまで影響するようになったらしい。怒鳴られながら、どこがミスなのかを必死に探している。見つからないとまた怒鳴られる口実が増えるからだ。
家の隅で正座している光景もある。これは、物心ついた頃に暮らしていた小さいアパートがそのまま夢に出てくることが多かった。小学校低学年のころ、テストの点数が悪くて正座させられている。夕食を食べる家族を眺めながら足の痺れと戦った経験は実際にはそう多くはないだろうけれど、なんかトラウマになっているらしい。
最後が、何か大きいものを見ないふりしている夢だ。
これは、色んなパターンで見ている気がする。職場とか、夢の中で職場と思っているけど実際には見たこともないような場所とか、高校の職員室とかである。
私は何か作業をしていて、その側にすごく大きなものが存在している。立っているとか、こっちを覗き込んでいるとかそんな雰囲気がするけれど、それが人間かどうかは分からなかった。大体シルエットは黒くて、丸っぽくて、すごく大きいいびつな形をしている何か。それ以上ハッキリしないのは、直視するのが怖いからである。それの気配を感じながら、私は必死に作業に集中し過ぎて気付かないふりをしている。逃げても無駄なのだ。それは私よりも圧倒的に強く、速く、恐ろしいものだとわかっているから。
悪夢を見るのはいつもより短い時間で寝る場合に多くて、そして大体アラームをセットした時間より短い時間で飛び起きることになる。そこからの二度寝は難しく、結局起きて何かする羽目になっていた。
というのがいつもの流れだ。二度寝を試みて二度悪夢を見るのはやったことがあるけれど、一度に色んな悪夢を見るというのはこれが初めてである。
しかも、悪夢を片っ端から小動物が食べているという謎な展開付きで。
「……えーっと、ヌーちゃん?」
目の間に現れた巨大な目覚まし時計が遅刻を表している。騒がしく鳴るそれに、神獣バクが短い手足で歩いて行って小さい口でかぶりついた。小さくとんがった鼻筋に皺を寄せてバクが引っ張ると、目覚まし時計はみるみる歪み、そしてありえない速さでバクの口の中へと吸い込まれてしまう。
ガブガブとアラームの音さえも食べてしまったヌーちゃんらしきバクは、しっかりと飲み込んでから小刻みな手足の動きで私の近くへと来てくりっとした目で見上げる。ててててと私の周りを2周ほどしてから、おもむろに近くの机にかぶりついた。私が入社してからずっと使ってきた、古びた事務机である。取れない汚れも勝手に置いていかれる書類も、全部そのままでヌーちゃんは食べていた。
ふと気付くと、私の腕の中にもう1匹バクがいる。金持ちマダムが小型犬を抱いているあの要領で、片手に抱えられ、もう片方の手で背中を撫でられながら大人しくしていた。頭の方から丸みのあるお尻の方まで撫でると、ふわふわな毛とつんつん生えた羽のすべすべな触感がきもちいい。撫でるのをやめると、少し毛を逆立てるように丸く膨らみながらバクは目を開けて私を見上げた。
その鼻先の向こう、少し離れたところではまた他のバクがベリベリとフローリングを派手に引っ張ってはガブガブ食べていた。薄くボロボロになった座布団の両端をバク2匹が咥えたときにはキーと鳴いたりしていたけれど、あとは概ねそれぞれが好きなように食べている。
怒鳴る上司も、チケットが見つからないボストンバッグも、学校のバッグも、テーブルの上の食事も、全部満遍なく。
いやなんの夢だ、これ。
内容からするといつもの悪夢がエンドレスで出てきているだけなのだけれど、いかんせんビビる先からバクたちが食べていってしまうのでろくに怖がる隙がない。まあ1匹は腕の中でウトウトしているだけだけども。
バクはじっくり見ると、それなりに可愛かった。ツンとした鼻先はヒクヒクと呼吸で揺れていて、目を閉じていると柔らかそうな灰色の瞼が見える。毛皮に刺したような羽もバクから生えているようで、私が撫で付けるとぴったり体に沿うように倒れ、撫でるのをやめると毛皮と一緒に立ち上がっていた。手触りは高級な毛皮のようで、すべすべしていて何度でも撫でたくなるような感じだ。
撫でているうちに、私はその存在に気付いた。撫でているバクを私の右斜め後ろから何かが覗き込んでいる。大きくて怖い存在が、じっと私を見つめているのがわかる。気付いていることを気付かれないよう、私は一生懸命平静を装って撫でていた。
何かを思いついたフリをしてその場から立ち去ろうとするけれど、それはそのことに気付いていて影のように付いてくる。そして私の視界に入ろうと、その不定な体を曲げて覗き込んでくるのだ。
必死にさりげなさを装って直視を避けている私は、視界の端に映るその姿に見覚えがあることに気がついた。マントや刺繍のある上着、剣をつけているベルト。
ルルさんだ。怖いものの姿が、ルルさんになっている。
今までルルさんを怖いと思ったことはないはずなのに、それに気付いた途端に怖さが倍増した。必死で見ないように、私は自分の腕についたほんの小さな繊維を熱心に見つめるフリをしている。さりげなさを装って立ち位置を変えてみるけれど、その分だけ怖いものは私を覗き込むように姿を変えていた。もはや、私を上から覆うように歪んだ形をしている。それなのに、それがルルさんだとわかる。
怖さで震えた瞬間、腕の中のバクがキーィと鳴いた。そして私の腕の中で体を起こし、器用に袖や腕に小さな爪を引っ掛けて私の肩まで登ったかと思うと、そこからぴょんとジャンプするようにその怖いものに飛びかかった。
すると、大きな金属が軋むような、すごく嫌な音が響き渡った。
バクが怖いものに殺されてしまう。
そう思ったけど、怖くてそちらを見ることができなかった。ただ、背けている視界の端で他のバクが小走りで近付いていて、それぞれが怖いものに飛びつくようにして口を開けたのがわかった。
それがルルさんの声だったのかはわからない。けれどその悲鳴のような金属の不快な音のようなものは、段々と音を大きくしていって、それから急激に小さくなっていった。
途切れ途切れの弱々しいものになって初めて、それを直視してみようと思い付く。今まではそんなこと、考えもしなかったのに。
見てはいけないという怖さとしばらく戦って、私は「バクの様子を見る」という理由付けに後押しされて振り返った。
そこにはもはや、怖いものの姿形は欠片すらのこっていなかった。
「ヌーちゃん」
なんだか力が抜けて、私は座り込む。そこには何もなく、ただ黒い空間が残っているだけだった。椅子や床さえも全部バクが食べていってしまうからである。
名前を呼ぶと、その闇の中を器用に歩いてバクが私に近付いた。手を伸ばすと、自分から頭を擦り付けてくる。
「ヌーちゃん、ありがとう」
そう言うと、別の1匹がキッと小さく喉を鳴らした。椅子の足を咥えて振り回して食べていた他のバクも近寄ってきて、私の膝に登ろうとしている。
小さな神獣は、ふかふかで温かくて、とても心強い。
ただ、どれがヌーちゃんなのかは私の目では見分けがつかなかったけども。なんで呼ぶとどのバクも嬉しそうにするのか。