グループで歌ってる曲はパートごとに声を変えてしまう9
天井がとても高いゾウの厩舎を出て、ルルさんの馬がいるという厩舎へと向かう。
「なんかいい匂いするね?」
「そうですか?」
「うん……あの……イチゴ……の香料みたいな……? お菓子のニオイ」
「菓子の匂いですか。私には感じられませんが、厨房から香っているのかもしれませんね」
ふわーんと甘い匂いが辺りに漂っていたけれど、ルルさんはイマイチぴんと来ていないようだ。ここに来て私の異世界的才能が開花したというのだろうか。ルルさんよりもお菓子を嗅ぎ分ける能力。使いどころあるかな。
白っぽい石が多く使われている神殿とは違い、厩舎は木造だ。地面は土で、その上に濃い茶色や緑色の木材で小屋が建てられている。壁が分厚いのか、入り口のところで見える断面が層になっていた。
近付いた厩舎のそこを眺めていると、ルルさんが立ち止まってそれをなぞる。
「内側が黒に近い茶色で、外側が青みがかっているのがわかりますか? これは内側が元あった小屋で、徐々に厚みを強くしていったからです。この木は若いうちは色が付いていて、年数を経るとだんだんと暗くなっていきます」
「へえー」
「この辺りは穏やかな気候なので、元は厩舎も風通しの良いものでした。災いの影響で寒暖差が激しくなったので、長い年月を掛けて少しずつ補強したのです」
「へえー!」
「随分穏やかになりましたから、ここも建て替えが始まりそうですね」
ルルさんは厩舎の中を眺めながらそう言った。
皮膚や服で温度調節しやすい人間でさえ大変な暮らしだったのだから、生き物はもっと大変だっただろう。特にさっきのゾウのような大きな生き物であれば世話はもっと大変そうだ。食糧を確保するのも一苦労だっただろうなあと思うと、私が毎日カラオケしている効果が表れていてよかったなと思う。飼育係の人と鼻で戯れているゾウも心なしか楽しそうだった気がするし。
ルルさんの厩舎を見る目や表情が優しい。馬たちの暮らしも良くなると思うと嬉しいのだろう。ニャニにも優しいし、生き物が好きなのかもしれない。
「どうぞ中へ。私の馬は奥の2頭ですよ」
「2頭もいるんだ。ん?」
厩舎の中に踏み込むと、甘ーい匂いがしてぐっと濃くなった。
だれかここでイチゴ味のお菓子でも製造しているのかと思うくらいの濃さの中を歩いていく。
厩舎の中は何頭も入れられるように区切られていて、端には奥まで人が入れるように廊下のような場所が長く続いていた。動物が入る場所と廊下は、横に渡された細めの丸太で区切られている。丸太は上下2本で、下は私の脛くらい、上は私の胸くらいの高さに渡されていた。その向こうを覗きながら歩いていると、中にいる生き物がひょこっと顔を出した。
「うわっ……えっ……か、かわいい!」
私たちを見てムヒヒンと控えめに鳴いたのは馬だ。私の知っている馬面に鳴き声。
ただし、そこにいる馬は綺麗なレモン色をしていた。
「えっえっかわいい!!」
「お気に召しましたか? どうぞ、奥へ」
「うわー! いろんな色がいる!! みんなパステル! かわいい!!」
私が声を出したからか、なんだなんだと言わんばかりにいくつか顔を出した馬は、他にオレンジ、グリーン、薄いブルー。どれも淡い色をしていてめちゃくちゃ可愛い。
「リオ、気性の荒い馬もいますからどうぞ進んでください。そこの赤と紫のやつですよ」
「……ピンクとムラサキー!!」
ルルさんの声に反応したのか、1番奥の区切りに入っていたピンク色の馬が顔を見せて、ブルルルと鼻を鳴らした。そこへ近付くと、馬も私をじっと見ている。
夢見るような淡いピンク色の毛皮をまとった馬は、素晴らしく長い睫毛の下に紫色の優しい瞳を持っていた。タテガミはつやつやで体毛より少し濃いピンクをしていて、少し長く垂れている。ずんぐりとした体型で、四肢の先の毛も長くベルボトムを履いているようだった。ゆらゆらと揺らしている尻尾も長い。
横長の瞳孔がじっと私を見て、そっと瞬きをした。
「かわいい……さわってもいい?」
「どうぞ。叩いたり引っ張ったりしなければ嫌がりませんから」
ルルさんがお手本を見せるように腕を伸ばすと、ピンクの馬がそこに鼻先を寄せ、唇でそそっと触ったあと鼻筋を撫でて欲しそうに擦り付けた。ルルさんがごしごし撫でると、気持ちよさそうに目を細めている。
見た目だけでなく動きも可愛い。
「手を持ち上げてみてください」
「う、うん」
ゾウほどではないけれど、間近で見ると馬もしっかり大きい。ルルさんに促されてそっと手を出してみると馬が鼻先を近付けた。指の先の匂いを嗅いでいるように鼻息がかかって、それからそっと鼻筋が寄ってくる。
私の手を鼻筋に乗せるように触れた馬は、そのまま動かずにじっと私を待ってくれた。
「かわいい……かしこい……」
撫でてみると、毛並みが意外にしっかりしている。鼻筋を上に撫でていくとごわごわと逆らう感触がして、下に撫でるとすべすべと気持ちよかった。手を動かすとじっと私を見ていた紫色の目がゆっくり細められた。
「すっごくかわいいね……」
「お気に召したようで何よりです。そちらが親で、こちらが子なのですが……こら、起きてリオに挨拶して」
ルルさんがしゃがんで声を掛けた、奥から2番目の区切りのところでは、パープルの毛皮をした馬が干し草の敷かれた上で横になって寝ていた。
「かわいい! 寝てる!」
「すみません、昼寝の好きな奴で……ホラ立って」
ルルさんが上体を乗り出してぐーぐー寝ている鼻面を手で軽く叩くと、フガフガと寝息が乱れて目が開いた。パステル調の毛皮と合うレモン色の瞳である。
ムラサキの馬はルルさんがいるのに気がつくと、ウヒヒヒンと鳴いて立ち上がり、撫でて欲しそうに顔をルルさんに擦り寄せている。前足も嬉しそうに動かしていた。
「こら。すみませんリオ、まだ子供の気分でいる馬ですが、噛み付いたりはしませんよ。どうぞ撫でてやってください」
「う、うん」
ルルさんが私の背中をそっと押すと、ムラサキの馬が私をじっと見た。尻尾を揺らしている。
そっと腕を伸ばすと、伸びてきた鼻先がその手にタッチした。かと思うと、口元が私の腕を手首から肘まで唇で挟むようにそそそそそっとなぞった。
「おおおおお?!」
「リオ、大丈夫ですか?」
「なんか……なんかモヒモヒってされた! モヒモヒって!」
「甘えているようです。すみません、唾液が」
モヒモヒしてきた張本人は、上機嫌そうにブヒヒンと鳴いてぐいぐいと私に顔を近付けてくる。何度も腕に鼻筋を擦っているのは、撫でろーと催促しているようだ。
「押しが強い! そんでかわいい!」
「すみません、噛みはしないのですが、たまに舐め回すことが」
「わーまたモヒモヒしてる!」
ものすごく柔軟に動いている唇はかなり柔らかく、そそそそっと細かく触れられるとくすぐったくてちょっと気持ちいい。手の甲をベローンと舐められると、舌がザラザラしているのがわかった。
ヒヒヒヒと笑うように鳴いたムラサキの馬のせいで、私の左手はいまやベッタベタだ。
「洗いに行きましょう、とりあえずこれでお拭きください」
「ありがとう……うっ?」
ルルさんが手渡してくれた布で拭いて気付いた。
「え……このイチゴっぽい匂い……馬の匂い……?」
まじでか。
異世界の馬、メルヘン。
ムラサキの馬を見つめると、心なしか得意げにムヒンと鳴かれた。