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沟の人間が水道局、ひいてはそれを管理する企業連合と結託しようとしている。
その手段として、児童売買に手を染めた。
到底信じがたいそのような事実を、けれど欣怡はこともなげに言った。
「……子どもは、売り物ではぁりません」
スミレにしては飾り気のない、ひどくシンプルな物言いで返す。
けれどそれが逆説的に、彼女の強い怒りを表していると思われた。
ソファの上で縛られたままの欣怡は、これを耳にしても表情を変えることはない。ただ身じろぎして身をソファから浮かせた。
「やーは。そだね。基本的に子どもっていうのは社会存続のため優先的に守られなきゃいけない存在だよね。でもまあ基本的にってことは応用的には守らない場合もあるってことなの」
「言葉の上で遊ぶのはゃめてくださぃ」
「遊んでるつもりもないんだけどねこっちは」
表情は常と変わらず、あくびした猫のような顔を見せながら欣怡は円藤に振る。
「ねえ円藤。私たちが遊んでるときなんてこの街の歴史においていまだかつて一秒たりともなかったよね?」
「たまに麻雀で卓囲むくらいはしただろ、俺とお前も」
「そういうんじゃなくて……言うなれば『それすらも遊びではいられなかった』ってこと」
「ああ……『組織に属してること』、について話がしたいのか」
長い付き合いだから抽象的な言い方からも意図を察する。
欣怡はすこし嬉しそうにしながら、縛られた足をぶらつかせた。
「そ。まーこの街が特殊だから来たばっかりのスミレちゃんが理解浅いのは仕方のないことだとも思うけど」
「ふん。そういう組織論の理屈がお前にあるのは認めるが、だからってガキども攫ったのも組織のせいだとか言わねぇだろうな」
「さすがにそこまで他責に拠っちゃいないよ。私が組織の一部ってわけじゃなくて『私が組織』なんだから」
この言い方も、おそらくは外部の人間には理解しがたいものだ。
それをわかっている欣怡は、つづけて今度はスミレへ水を向ける。
「生まれたときから所属すべき集団の候補がいくつかあっていつかはそれを選ばなきゃいけない。状況によってか感情によってかなにはともあれ私たちはそれを選ぶ」
「……選ばされてぃる、のではなくですか」
「仮にスミレちゃんが自身が生まれてきたことについて選ばされていると感じててご両親を責めてるタイプなら、こういうのも『選ばされている』になるだろうね」
肯定しづらい言葉で縛りつけながら、欣怡はつづけた。
「選んだのならその組織で私たちは生きていかなきゃいけない。組織を生かしていかなくちゃいけない。シマ抜けがあるとはいっても一度きりの権利はむしろ使わないことにこそ意味があるからね」
「組織への所属を前提として、生きてぃると。属したならば、組織のために常に動ぃてぉり日常すべての行動が組織のためにぁると。だから遊んでなどぃないと……そぅ、言ぃたいのですか」
「察しが良くて会話が助かるよねスミレちゃん相手にするのは」
欣怡は笑い、体をぎしぎしと揺らした。
縛られているため、視線でゆっくりと左右を示す。
「じゃあたとえばの話だけど右と左のあいだで局地的に紛争が起きたとして。戦闘要員である成人以上の人間の兵站や食料と後方で守られてる子どもの物資と食糧とではどっちを優先すると思う? 組織を生かすってそういう選択と切り捨ての積み重ねであって常に『基本的』と『応用的』のあいだを行き来してるものだよ」
「戦地の極論を戦時でなぃこのときに適用しょうとぃうのは、たとぇとしても不適切です」
「あーははっ。戦時じゃないっていうその認識がそもそもまちがってるとは思わないんだねスミレちゃんは」
「なにを……」
「あーごめんね笑っちゃって。でも血を流して殺し合うだけが戦争だなんてお花畑なこと考えてるとはさすがに思わなかったんだよ?」
けらけらと笑いながら欣怡はのけぞり、ソファの背もたれに体をあずけて視線だけこちらを見下した。
「資源はおろか水も足りてなくて死んだ人間をスミレちゃんだって目の当たりにしてきたよねこの南古野で」
「ぇえ」
そもそも彼女が理逸たちの下に入ることとなったのは、希望街で2nADの元にいたときに周囲で渇きから息絶える者を見たためだ。
当然そのあたりの調べも済んでいるのであろう欣怡は、笑みを消さないまま言う。
「是正されない格差で子どもが死に環境を変えるチャンスを与えられないまま皆が死ぬ。こういうのと、武器も持てずに撃たれて死んでいくことや包囲されてガス流されて死ぬこととのあいだに、一体どれくらいの違いがあるんだろうね?」
「だからぃまはすでに戦時だと?」
「人類が戦時じゃなかったことなんてないんだよ」
四大災害以降は顕在化しただけ。そう言う欣怡はどす黒い目をして理逸たちを交互に見やる。
「社会に組織に集団に属すなら戦時にいる覚悟をしなくちゃぁいけない。いやならひとりで誰ともかかわらず街でも村でも集落でもない場所で生きなきゃいけない。後者では七日と生きられないならそれがそのひとの『本来の寿命』ってことだよ。属せば十日は生きられるはずなんだから」
「それを言ぃ訳に、属した人間からの組織の搾取を正当化するぉつもりですか」
「しないよ。言ったでしょ? 『私が組織』だって。組織に属した私の行動は私が責任をとる。組織とは別枠でね」
「詭弁です。それは、場面にょって組織と個人の立場を使ぃ分けてぃるだけではなぃですか。組織の罪がぁなた個人に着せられ切り捨てられてぃるだけのことを、組織を守った名誉とでも履き違えてぃるだけでしょぅ」
「ふーふ。られるられるさせられている。スミレちゃんは受け身だと思うのが好きで好きでしょうがないんだね。でもそれってある種の冒涜だよわかってる?」
「なにが冒涜だとぃうのですか」
「自分で選んだという自負で以て道を進んだ人間の、選択そのものを否定するってことだよ」
この言葉に対して、スミレはなにか読み取ったらしくひきつった顔をした。
その反応から、理逸もおそらくは同じ結論にたどり着く。同じように、ひきつった顔をすることしかできない。
×マークは欣怡たちによるマーキングがひとつ目として刻まれ。ふたつ目はその家の子どもが自ら付けた、というのがスミレの推理だったが。
「この失踪の、ガキどもは……」
わかっちゃったんだ、と言いたげに欣怡はちいさくため息をついてみせた。
「……自分を、口減らしにするためにか?」
「私たちが選ばせたというなら否定はしないよ。でも彼らが選んだ事実は否定させないよ。やったことと起きたことをうやむやにさせないのは最低限の规则だからね」
「子どもを……ぁなたたちは、なんだと思って、」
「沟が生きるための贄だよ」
さえぎって口にして、欣怡はそれ以上語る気がないようだった。いや、あるいはそれ以上説明の言葉を持たないのかもしれない。
組織を知らなかったスミレはこの場に至るまでその有り様を理解できていなかった。
組織に属した理逸と欣怡は、組織という観念への理解納得は共有できている。
けれど彼女の属した沟のことは、理逸にとっては理解の外なのだ。
たとえ長く付き合いがあったとしても……組織の内でのことは、外の人間にはおいそれとわかるものではない。
飽きたようにのけぞったまま、欣怡は理逸に向かって言う。
「あーあ。そもそも私たちの標的の共通項に気づいていればもう少し早く終わったんじゃないかなこの騒動」
「共通項なんざ見つからなかったぞ」
「ふーふ。察しが悪いよね円藤は。そもそもたいして金もなさそうな『先生』から自分が依頼された時点でわかってもよかったのに。ああその点で言うとスミレちゃんも同じか」
「先生からの依頼……っつーことは、生徒の層?」
「ぉ金がなぃ層、青空教室に来るょうな所得層の子どもが狙いとぃうことですか?」
「そ。たいして資産もないから訴え出ることもできず面倒がない。そういう社会的重要度が著しく低い所得層だけを狙うっていうのが基準」
平然と言ってのけて、ふう、とまたひとつ息を吐いた。
縛られているのが苦しいのか、もぞりと動く。
「あとのことは知らない。どういう利用をされるのかも業者をまたいだあとの隠蔽商社での流れもわからない。そのへんは、私の管轄じゃないからね」
「棚部の行方もいままでの子どもの流通ルートもわかんねぇってか」
「他人事だからそこまで知ったこっちゃないに決まってるよ。詳しく知りたいならこのあと、沟に掛け合うことだね。たぶん上の方は知ってるんだろうし、その後は今回の件の補償の話にもなるだろうからさ。早めに行くといいよ」
平然と言った欣怡に、スミレは握る亜式拳銃を震わせる。
「……ご自身だって、これまでつらぃ目に遭ったのでしょぅに」
「良心に訴えたいの?」
「ぃえ。ただプラィアに目覚めるほど追ぃこまれた経験がぁりながら、なぜこんなことをと思ぅだけです」
「なぜって言われてもね──」
「『縛られて狭ぃ、部屋の中』」
欣怡を縛るロープを見つめながらスミレが言う。
ひくりと、欣怡の頬にゆがみが走る。
これを気にせずスミレがつづける。
「見ぇるのはちぃさな窓の外だけ。ぁなたはひとりではなかった。でも最後には、ひとりになった──そしてぁなたの沟への所属が理逸の組合へ属した年齢ょり若ぃ時期でぁることを考ぇると、生きるため出来ることは多くなぃ。その部屋でぁなたは身を販ぃでぃたのでしょぅ」
「何が言いたいのかな?」
「プラィアは逃避型。狭ぃ部屋から逃げたくて、覚醒した。上下移動が出来なぃのはその部屋以外を知らず『窓の外』くらぃしか強く思ぃ描ける場所がなかったから」
「……、」
「そしてぁなたは、共に助かりたかった人と助かることが出来なかった」
発現状況について、スミレは言い切った。
プライアは、後悔からしか生まれない。
身を焼かれた思いから他者を焼く熱を。他者を寄せ付けたくないから突き放しを。得物の優位への怒りから武器破壊を。止められないものを止めたくて固定を。届かない手を伸ばしたくて引き寄せを。
なにかしら、事が起こり取り返しがつかなくなってから、目覚める。
であるなら、『他者を連れて転移できる』欣怡の能力は。スミレの指摘に近い状況で目覚めたのだろう。誰かと逃げたかった、その願いを果たせなかったことによって。
欣怡は否定しない。
のけぞって天井を見たまま冷や汗のようなものを垂らしていたが、笑ってごまかすこともない。
「……ぁなたを縛ったのはプラィアを使ゎれても逃走にかかる手をひとつ増ゃすためでしたが、もぅひとつ。『拘束への反応』を見るためもぁりました。ぁなたは縛られることに慣れと同時に忌避がぁりますね。縛られて強制的に、体を売るょうにさせられてぃたのでは」
「へぇ。まだ私、きみのこと見くびってたかもしれないや」
「ぁたらずとも遠からずとぃう様子ですね」
「それがわかったから、なんだっていうのかな?」
「ぁなたがプラィアに目覚めるほど嫌だった、大人からの搾取を。ぁなたがぃま子どもに向けてぃることをどう考ぇてぃるのか聞きたぃのです」
突き付ける言葉に。
欣怡は深く重く息をついて、真顔で答えた。
「はぁ。他人は、他人だよ。子どものころの自分が傷ついたからって、他人の子どもにやさしくなるわけじゃない」
「……そぅですか」
「そもそもプライアはね、スミレちゃん。利己的で自分と自分の周り以外どうなってもいい奴が目覚める、そういうものだよ」
暗い目で、欣怡はちらりと理逸を見た。涙の落ちる位置を汗が伝ったので、少しどきりとする。
「安東君は円藤のこと、『おひとよしだから引き寄せなんて救助型プライアに目覚めた』ってようなこと言ってたけどさ……それでも、ホルダーの中ではおひとよしってだけで、きみもエゴイストに決まってる」
「急にこっちに矛先向けてきたな」
「最後なんだから嫌味くらい言わせてよ……でも当たってるでしょ? 心の傷を抱えるまでは流されて、傷を抱えたら囚われて。プライアホルダーはね、そういう奴しか……いないよ」
欣怡が顔をしかめる。大きく長く息を吐く。
相変わらず汗は流れている。
……様子が、おかしい?
「理逸さぁ、私の口の中探ったでしょ」
「あ?」
「ちょっと舌に残ってたよ、他人の味……ふーふ。やっぱり男に触られるの、きみが相手でもあんまいい気、しないや」
なにか仕込みが──毒などがあるのを危惧した理逸が口腔内を指先で検めていたことを指摘して、のけぞった姿勢から欣怡が戻ってくる。
動きに伴って、頭皮にかいていたのであろう汗がどうと顔を伝ってぽたぽたと落ちる。
明らかに常軌を逸していた。いくら常夏の南古野でも、水をまき散らしたあとの室内でこうまで汗を流すことはない。
理逸が立ち上がり、正面に詰め寄った。
「お前っ、まさか、」
「もう遅いよ。戦闘前に、飲み込んで、る」
痙攣がはじまった。
異常な発汗と指先の震え、なんらかの神経毒だ。
勝っていれば胃の中身を残して転移することにより除去したのだろう。負けたときは、最初から……ここで自決することを織り込み済みだったのだ。
迷わず理逸は欣怡の頭を下げさせ、片手で胃の中身を吐かせようとした。
「欣怡、毒の種類はなんだ」
「言えない、よ」
「言え!!」
「言っても、もうっ……ごぶ、」
指を差し込もうとするも、口の端に溜まる涎の泡で滑る上に苦しみで食いしばる歯の隙間には入り込めない。痙攣はひどくなり、体が軋むのが聴こえてきそうなほどだ。
「ぉ、ご……ゴメン、ね……」
「欣怡、おい!!」
「……姐姐……」
それが最期の言葉だった。
震えが止まり床に転がる。
ひざまずいていた理逸の指先から糸を引き、涎が欣怡の口許までつながる。
途切れる。
涙と洟で苦しみぬいた顔からわずかに力が解け、弛緩していく。
理逸はボトムスで指先を拭き、立ち上がった。
「……加賀田の奴、一応は医者だったな」
「無理です」
スミレがソファに坐したままで言う。
「もぅ、助かりません。ゎかっているでしょぅ」
床に溜まったスプリンクラーからの水に、欣怡の顔から垂れた体液が滲んでいく。