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売雨戦線 - Winding wheel (4)
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売雨戦線  作者: 留龍隆
Chapter7:

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Winding wheel (4)


「そういえば風呂屋が開いたそうだ、お前たちは行ってきたかっ?」


 しばし加賀田と話し込んでいた織架は会話を終えると、千変艸の煙草をくわえながら理逸たちの前にやってくる。加賀田はというと、なにか取りに行くものがあるらしく部屋を辞した……骨折れてるやつに取りに行かせるなよ、とは少し思う。

 織架は椅子に腰かけ背を丸め、左膝の上に右のくるぶしを載せてから火をつけた。


「ぉ風呂なら普段から使ってぃますが」


 スミレが返せば、織架は首を横に傾けてわははと笑う。


「プラントの横の蒸し風呂だろう? あれも血行は良くなるし水をかぶるから汚れや垢は落とせるが、俺が言ってるのは浸かり風呂なんだなーこれが」

「浸かり?」

「底の深い水槽に湯を貯めて、そこに浸かる施設だ。経験ないのか」

「船で暮らしてぃるときも、水は貴重でしたので。汚れを落としてシャヮーだけです」

「ああ。なるほど」


 補給がしづらいとなると当然水の使用量には制限がかかる。断水時は命にかかわらないところから水を削るのを考えれば、船暮らしの人間が入浴から削るのは想像に難くない。南古野だってよほどのことがなければ、風呂屋など開かれない。

 だがいまは、よほどのことが起きているのだ。


「いまは組合がほぼ無尽蔵に使えるパイプラインをひとつ、約定により開放させてる。めずらしくも、水が貴重品じゃなくなってるんだ」

「……そのょうなことが起こりぅるのですか」

「この前の事前準備戦における約定破りのペナルティとして、な」


《陸衛兵》による組合への被害をもとに深々がもぎ取ってきた──というにはいささか、向こうが簡単に提示したようだが。

 ともかくも水道局は、いまこちらに水を差しだしている状態だ。無論向こうもラインは選ぶため、あまり流量の多い配管パイプではないが。それでも組合の重要人物や施設、商店が暮らしに使用してなお余りある。だから浸かり風呂などが可能なのだ。

 無論、そこには深々の言っていた『火種』という気がかりな言葉と、それによって急き立てられるように水道局がパイプライン開放を承諾した経緯がある。油断はならない。

 まあ、とはいえ。


「パイプライン開放とそれに伴う風呂屋の開業は三か月間の期間限定だっ。また、大規模な旱魃かんばつなど天災に際してはこの限りではないと言う」

「ふぅん。ほかの条項は問題ぁりませんか?」

「疑り深いなお前。法務確認リーガルチェックは十鱒さんが廃治区ルインでの法治の経験をもとにしっかりやってくれてるよ」

「でしたら、ぃいのですが。知らぬ間に不利な条件を盛り込まれてぉり二日三日で止められるなどぁれば、笑ぅに笑ぇませんから」

「水道局からの契約書開封には俺も立ち会ったよっ。その録画データならあるから、見るかい?」

「ぜひ」


 スミレは織架から眼鏡型機構グラスデバイスを借りると、奴が録画していた映像をささっと再生し、手による動作鍵式定型情報出力モーションキーで拡大や早送りや角度変更などをおそらく行っていると見えた。

 途中、ふいっと首を回して──首を鳴らすようなまねをするタイプではないのでめずらしい──理逸たちから顔を背け、戻ったときには眼鏡を外した。


「法解釈に極端な変化がなければ、支障なぃと思ゎれますね」

「そりゃよかったっ」

「いつの法解釈を基準にしてんだってのとなんでそんな知識あるんだってのが気になるけどな……」

「学びましたので」


 端的に、それだけだった。語る気がなさそうなので、ああそうかいと理逸は流しておく。

 しかし風呂屋が開くというのは、なかなかに楽しいことだった。めったにないので街は浮かれた心地になる。周辺には露店も出るし、水路遊びなども起きるはずだ。


「……浮かれてぃませんか」

「俺が?」

「ほかにだれがぃますか」


 言われてぐにぐにと頬を撫でる。すれば、「べつに笑ってぃたゎけではぁりません」と追加で言われた。ではどこから浮かれを察したのかと問えば「なんとなく」と彼女らしからぬ具体的でない言葉が来る。


「で、否定しなぃといぅことはゃはり浮かれてぃるのですね。ぁまり羽目を外しすぎなぃでぃただきたいものです」

「お前俺の保護者かよ」

「助けた回数のほぅが助けられた回数ょり多ぃと記憶してぃますが? ご自分に都合のょいことしかぉ覚えでないとぉっしゃるつもりでしょぅか」

「うっ……んー、あー、そこは、悪い。たしかに回数、覚えてねえな」

「本当にぉ覚えでなぃとは。がっかりですね」

「常にアテにしてるわけじゃないんだが、頼りにはしちまってるとこあるな……そこは甘え、だな。気を付けるよ」


 だんだん『居るのが当たり前、助けるのも当たり前』『……だから助けられるのも当たり前』という精神が芽生えていたと思い、理逸は反省する。

 スミレはめんどくさそうな顔で「ぁあ、そうですか」と言うのみだった。追撃されるなどがないので妙に思い織架の方を見やると、彼はにやっと笑うだけだった。よくわからない。

 しかし話がひと段落したので、理逸はつづける。


「そういや、こないだの沟の収穫祭。組合における風呂屋の開業はアレに近いものなんだ」

「ぉ祭り騒ぎですか」


 雑な口調で言うスミレに、織架が紫煙をくゆらせながら言う。


「向こうさんのしきたりやら風習は俺も知らんがね。でも雰囲気は、近いものがあるなー」

「とくに銭湯周りはな」

「戦闘? ぁらそいも起きるのですか」

「お前、時々同音異義語で苦手が露呈するよな」


 日邦語がいかに面倒な語なのかがなんとなくわかる。2nADで日邦語をメインにして操る輩をあまり見ないのも、言語としての複雑さが理由にあるのだろうと思われた。

 スミレは指摘にばつの悪そうな顔をして、「意趣返しですか」とにらんでくる。なんの話だかわからず理逸が首をかしげていると、やがて「もぅいいです」とあさっての方を見た。織架がまた笑った。


ぜにで銭湯だ。風呂屋のことだよ」



        #



 風呂屋……銭湯とは、たっぷりの湯に浸かるという贅沢極まる水の使い方をした代物だ。

 パイプラインのひとつを解放させる契約により生じた余剰水量を用いて、久方ぶりに開く。組合の生活可能ビルから西へ歩いてしばし、街中にぽつんと突き出た灰色の煙突がその目印だ。

 近づくにつれ、まだ日の昇る時間だというのに賑わいが増していく。人の往来のペースも普段よりゆったりして、どこか朗らかだ。露店や物売りが増え、ついでに掏摸すりも増える。理逸はひったくりをした男をプライアで引っ倒し、流れ作業でそばにいた組合所属の人間に突き出してあとを任せた。織架が口笛を吹く。


「手慣れたもんだなっ。円藤がガキのころは、こうなるとは思ってもみなかったさ」

「まあそれでも先代・《蜻蛉》のような『周囲を見る視野』には至っていないがな。アレならそもそも、掏摸をさせる前に捉えていたと思うのだぜ」

「織架はともかくお前はなに俺の身内目線でしゃべってんだよ加賀田」


 手桶に手ぬぐいを入れてスミレとビルを出た理逸の後ろを、けが人二名がついてきていた。おまけにうるさい。


「おいおい、私は先代の動きをキミに伝えてやっているのだぜ? 機構デバイス越しに見た彼の動きは群衆戦での指示出しや視線の配り方で大いに参考になった。そのかつての雄姿を弟分であるキミに伝承する、なかなかドラマティックだろう」

「機構越しってことはお前、まさか兄貴の動き録画してたのか?」


 過去の兄につながる情報の切れ端に、思わず反応してしまう。だが加賀田の反応は肩をすくめた、期待外れのものだった(そしてこの動きで鎖骨が痛んだらしく口述コードで痛覚封印マスキングをしていた)。


「いまは容量の問題で消してしまったよ。動きのデータ学習が済んだものから溜まったキャッシュと共に消すのはセオリーというものだ」

「なんだ……」

「楼主への取材の際に彼女のあられもない姿は撮影したがね」

「へえ」

「反応が薄いではないかね。意識しないよう努めているのではなく本当に興味の薄い反応だな? だが女人慣れの為せるソレではないな。ああ不感症か不能か」

「早漏に言われたくねぇんだけどな」

「その言い草だと気にしてはいるのだね」

「お前も人に指摘されたくないから自分で先回りして自虐でなあなあにしてんじゃないのか」

「いやいやべつにあれは冗談であるからして。場をなごませるための」

「……なんか必死じゃないか?」


 旗色が悪いと思ったのか、はたまたこの道化回りがのちのち功を奏すと思ってか、加賀田は黙った。

 いずれにせよ油断ならないし、だらだら話をつづけさせると面倒な男であるとの評価は変わらない。もとから加賀田が嫌いらしいスミレはやつがしゃべるあいだずっと黙って仏頂面だった。まあどうせ女湯に行くのですぐに分かれる、我慢してもらおう。


「そういや織架、前回銭湯が開いたのはいつだったっけ?」

「たしか、半年前に七日ばかりだなっ。かなりあのときも賑わっていた、今回も相応に混むだろう。初日だし」

「あー。なんでも初物が好きだよなみんな」

「一番風呂に入った入らないが、しばらくは京白ジンバイ市場での飲み客のヒエラルキーになるんじゃないかいっ」

「違いねえ」

「そんなに、良ぃものですか。ぉ風呂」


 もともと風呂にこだわりのないらしいスミレは、半目でそう口にする。

 理逸は説明を加えた。


「煮えた湯に浸かると全身を血が巡って爽快だ。耐えきれなくなって外に出て涼むのもまた、爽快だ。繰り返してると頭がぼーっとしてリフレッシュできる」

「……蒸し風呂の際にもぉもってぃましたが、この日邦のひとはぉ湯や高温へのこだゎりが強すぎませんか?」

「スミレちゃんもテキトーにそのへんの女性に話しかけて、その手の作法を学ぶといい」

「イャですが」


 取り付く島もない。

 ともあれ、湯上りに模果物水モクテルでも飲むことを決めて、三人と一人に分かれる。

 旧時代からあるという古いつくりの銭湯は、《バンダイ》というらしい一段上がった監視席を中央として左右で男湯と女湯に分かれていた。履物を脱ぐ下駄箱のところもごった返しており、芋洗いとまでは言わないがそれなりな混雑だ。

 理逸たちは組合幹部としての立場があるため、貴重品を預かってもらう分にも信用できる。立場の後ろ盾がなければ預けたものが戻る確証はない。

 金と普段使いの道具類を理逸が渡していると、織架と加賀田はバンダイの老婦人から「その眼鏡、機構だろ。録画機能あるの知ってるよ」と言われて没収されていた。

 スミレもなにやら預けている。持ち歩いている財布、亜式拳銃。それからなにやら、普段身に着けてはいないが腕輪らしきものもどこからか取り出していた。理逸がそれを見ているのに気づくと、どこかむっとした顔をする。


「あがったら外で待ってろよ」

「ゎたしはそこまで長居しませんので。多少は気を遣ってぃただきたぃものです」

「ゆっくりするなってか……」

「適度に、とぃうことです」


 適切な度合い知らんだろう、と返す前にスミレは女湯に入ってしまった。理逸たちもやむなく、そそくさと脱衣所に入る。



        #



 ひとり脱衣所に入り、スミレは身にまとっていたタイトなベアトップワンピースを肩からするりと脱ぐ。凹凸の少ない彼女の肢体からは、首に交叉してからむホルターネックのストラップを外すだけで簡単に衣服が外れる。小麦色だとよく評される彼女の肌の上を、布地が軽く滑っていった。

 足元に落とすように下着も脱ぎ。屈んで拾ったこれを籠に納めて裸身になると、手桶を体の前に抱えながらてくてくと湯殿に向かって歩いた。

 浴場は広く、薄青の細かなタイル張りだった。なるほど理逸たちの言葉通り、奥には二十や三十くらいなら平気でひとを納められそうな水槽──浴槽か? がある。湯気にけぶったなかで、みな体を磨いたり椅子に座ってぼんやりしたり、『浸かる』以外でも思い思いの過ごし方をしている様子だった。


 周囲を見やると、老いた女性ほど手ぬぐいを前に構えながら背を丸めて歩いていることが多い。どことなく疲労をまとったその姿は、都市に時間も気力も吸い取られた果てのように見える。

 あるいは若い肢体……といってもスミレよりは年上だが……には、見られることに慣れた態度とそうでなく慎ましい態度、おおまかにその二つが見受けられた、

 子どもは、多くはない。時間帯もあるだろうがスミレ以下の年齢層はちらほらとしか見えなかった。

 その身に、態度に、過度の笑みや怯えがないことで、スミレは少しほっとする。もちろん、ひとに身をさらすようなこんな場にそうした態度が出るような層は現れないのだろうが。

 そう考えながら視線をめぐらしていると、怯えでこそないがわずかなこわばりを伴う身が、自分の横を歩いていく。

 思わず目をやった。

 視線に気づいたらしい相手もスミレを見る。


「ん」

「ぁ」


 左半身をこちらに見せていた彼女が向き直った。

 右側からは、目と腕が喪われている。左手で小脇に手桶を抱え、すらりとした痩身をそこに表している。

 濡らす前から濡れたような質感の黒髪。険しい顔つきで、いつも張り詰めた印象がある。


「スミレか」

「どぅも……ミミさん」


 安全組合の長、鱶見深々がそこにいた。



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