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母と私
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母と私

作者: RE crown
掲載日:2026/02/12


母には苦労をかけた。


小学生時代、神童と呼ばれた。問題は解けるのが当たり前のことだと、何の疑問も挟んだことはない。学校の授業は好きだが、テストは暇だった。10分で解き、見直しを2度する。残り時間、何もすることがない。図書室に行っていいか聞いた時には、教師はたしか苦笑いしていた。大人になってから思うが、私のような子ども、私だったらいやだが、教師は人格者揃いだった。テストの裏面に大作の落書きを作り上げても怒られたことはない。


学力テストは全国上位だが、当たり前すぎて結果もチラ見したら捨てていた。どうせ今回も上位だし、次もそうだからだ。全国1位を取ったことも何度かあるがそれも何度か覚えていない。


しかし、塾の講師には嫌われた。ある日、手渡しで講師からテストの返却を受ける時、国語のヒステリックな女性講師と塾長が私のテストをばら撒き、拾えと言った。

私は拾わず、そのまま帰宅した。どうせテストは100点なので復習材料にもならない。プライドを捨てて紙ゴミを拾う気はなかった。子どもながらにこれが理不尽なことだと理解していた。早く帰宅した私は母に出来事を話した。学校の教師に塾は全く必要ないですと太鼓判を押されていたため、父は私の受験に塾は必要ないと判断していた。そのため、母が塾の費用を出してくれていたことを知っている。友達と一緒の塾がいいと通ったのも私の希望だ。申し訳なかった。母は、もう行かなくて良いよ、あんたは一人で勉強できるから、と言ってくれ、私は受験半年前に塾を辞めた。


父は典型的な昭和の男、無口型という感じだ。

塾への送り迎えの車内は歌謡曲が流れて会話はない。塾に通おうが辞めようが、寄るルートが変わるくらいにしか考えていなかったと思う。私が塾を辞めると言っても、うん、とだけ返ってきた。


そして、塾をやめたことは私の学力に何の影響ももたらさず、その県一番の進学校に進んだ。ちゃっかり塾は私を合格者として掲示した。あの頃にSNSがなかったことが悔やまれる。今なら晒してやるのにと暗い気持ちになるが、その塾は2、3年後に潰れた。


進学校にはマイペースな友人が多く、皆四六時中勉強していてた。見た目こそ清楚なお嬢様だが、その中身と集中力は、筋肉と対話し筋トレに励むゴリマッチョと何ら変わらない。好きな世界観がはっきりしており、ひたすら自分がやるべきことを追求し、人の努力を笑うことがない人達だった。このころ私の成績は普通に中くらいに落ちたが、友人に恵まれた6年間を過ごした。


ただ、私は大学受験でつまづいた。なりたいものがなかったのだ。潰しが効くという理由で理系にいた。よりにもよって、あ、これなら、と思った進路先は文系だった。さらに受験に必要な1科目は今からやらなくてはならなかった。受験3ヶ月前に進路変更をしたいと職員室で担任に伝えると、担任は壁のカレンダーを振り返って見て、今?と言った。


1年浪人し、希望通りの学部に行った。浪人中、追加で開始した科目の勉強だけやはり遅れていたために予備校を重複させたいと言った。父は1つすでに予備校に通っているのだからそこですますよう言った。至極当然である。母が、行きたいならと自分の貯金から出してくれ、私は2つの予備校を行き来した。私立に受かった時、入学金の納付日時が国立を受ける前だった。父は、この子なら国立受かるだろと楽観的だったが、母は体調だって何があるかわからない、と入学金を納めてくれた。当時、辞退による返還はない時だ。私は国立に通い、母は2つの大学に入学金を納めた。


大学では資格試験の勉強を始めた。自学自習で模索しながらだ。当時は最難関の資格試験。予備校費用が高く、模擬試験も高い。アルバイトで賄いきれない集中講義の費用を、母が自分の貯金から出してくれた。


幸い1度目の受験で受かった。当時は新聞に合格者が掲載されたため、仲良くもない親戚がハイテンションに電話してすごいすごいと騒ぎ、受話器越しにお祝いを述べてきた。私もお礼を伝えた。その親戚が母には「女の子なんだから、あんな試験なんて受けさせるのやめたら?叔父さんだって何回も受けて受からなかったし、人生無駄にするわよ」と言っていたのを知っている。母は私に何も言わず、黙って私の年金を支払ってくれていたし、私の人生も無駄にならなかった。


受かった先にいる世界の住民は、化け物だらけだった。経歴の大学や大学院は世界規模のランクに広がり、何ヶ国語も操り、1を聞かずに10を生み出せる人達ばかりだ。私は既にその中でもパッとしないレベルにいた。実務を積み、研修を受け、社会人大学院で研究し、なんとか底上げをして誤魔化しながら食らいついている。

自分で学費を払うようになり、母の脛を齧り尽くした身が怖くなった。母には何とか報いねばならぬ。


ところで、初給料で母には靴を買った。

黒い靴だ。シンプルなそれを母はずっと履く。

5年目には物持ちがいいな、と思っていたが、10年超えても履く母に、頼むから買い替えさせてくれと頼むようになった。しかし母は気に入っていると頑なに拒む。15年目の今も現役であることは、もはや企業に異例として伝えた方が良い気がする。ほぼ毎日履かれながら15年持つ靴も普通ではない。うまくいけば宇宙素材とかになるのではないだろうか。


それはさておき、物持ちが良すぎ、物欲もあまりない母に、家族カードを持たせた。様々なカード会社の招待の中から、災害時に提携ホテルがとりやすいという経験談を読み、決めたカードだ。最高利用可能額は自分でも怖くて使えない額である。え、それ私払えんの?と今も疑問に思っている。


しかし、母はカードを使わない。あまりに利用履歴がないため、やれ友人とのお茶会だ、やれ旅行だ遠出をする予定だと聞くたびに、カードを使え使えとせっせと言うようになっていた。


ある日、母から、今日友人とホテルのラウンジでお茶してね、デパート寄ったらイタリア展していてブローチが素敵だった、帰りには近くの店で夕飯の材料を買ったという内容の電話がきた。

なんと、本日、カードを使ったというではないか。私は素晴らしい報告を受けたかのように嬉しくなった。はじめてのおつかいの番組需要が分かった気がする。なに、何買ったの?ちゃんと使えた?と聞く私に、後でレシート送っておくわ、引き落としもあるだろうし、と言った。カード会社の履歴があるのだが、もはや反映を待てないくらい、そんなの、早く見たくて仕方がない。

電話を終えると、母からレシートの写真が送られてきた。レシートには、有名ホテルのアフターヌーンティーか、イタリアのブローチの文字が踊っている筈だった。

しかし、私の予想に反し、そこにはこう書かれていた。





だいこん(ハーフ) × 1 109円





母は、今も私の家族カードを持っている。







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― 新着の感想 ―
面白かったです。 けれど、私はお母様を笑えない。 なぜなら、私もクレジットカードを使えないからです。 後払い、怖いんです。 高速道路のETCの時と、ネットで買い物をするときだけ使いますが他はすべて…
こんにちは。 うちの夫がまったくカードを使わない人です。 バーコード決済もしない。 なので、我が身のように読ませていただきました。 最後のオチ、ズコーッとなりました。(笑) ほほえましい。 塾は酷い…
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