第77話 [姫6]白い嘘
ろくな事にならないのなんて、分かりきっていた筈だ。
クラスメイトの遠巻きの視線が痛い。
声に出さない声が聞こえる。
気持ち悪いと。
いや、それすら自分の被害妄想ではないかと考え、自分が余計に気持ち悪くなった。
「はい、では俺たちのクラスは文化祭で劇をやるってことでいいね?」
僕のクラスの文化祭実行委員の工藤君のその声に誰も反対の声は上がらなかった。
「演目、何にする?」
「ロミジュリ?」
「ベタじゃね?」
「いや、奇を狙っても滑るだけだから」
「えー、でもなー」
「ベタいいじゃん」
クラスメイトたちが口々に演目について話し合い始めた。
しばらくして、演目は白雪姫に決まった。
結局のところ高校生とは、もう大人の一歩手前まで来ている。
無茶な冒険は犯すべきでないと体に染みつき始めているのだ。
「じゃあ、配役決めよっか!」
クラスの中心である灰村さんがそう切り出した。
当然の流れである。
しかし、この配役で少し問題が起きた。
「男女逆でやってみる?」
「おぉ、それ名案」
「斬新じゃね?」
大して斬新でも目新しくもないが、この辺がまた無難で尚且つ受けも狙いたい高校生の浅はかさなのだろう。
「あっ、じゃあ、白雪姫は柳瀬がよくね?」
その言葉をクラスのお調子者の二宮君が発した時、少し空気が変わった。
柳瀬と言うのは僕の名前だ。
ざわざわと小さな話し声がさざ波のように耳に入る。
「おい、それは不味いだろ」「あいつ、本当に空気読めないよね」「考えなし過ぎでしょ。柳瀬くん、可哀想」「二宮、謝れよ」「ないわ~」
二宮は大きな失態を犯したと自覚するように、顔が青ざめる。
あまりにも二宮が不憫で僕は弱々しい声でフォローした。
「いや、二宮君、気にしないでよ。実際、僕も一度はドレスとか着てみたかったしね」
「おっ、おう、ごめんな柳瀬、考えなしだったよ」
二宮君は少し顔色を持ち直し、僕に謝罪をした。
僕の発言に、今度はクラスの態度は一変し、その流れは僕を白雪姫の配役にするまで一分もいらなかった。
「あー、なるほどね」「確かにドレス憧れるよね」「わかる、わかる」「柳瀬くんがやりたかったなら、問題ないよ」「うん、柳瀬で決まりだな」
僕の配役が決まるのを皮切りに、次々と他の役も決まっていく。
残すところ王子だけとなった。
「どうする?」「男女逆転してんだから、王子は女子だろ?」「誰かいないのか?」「お前、やれよ」「……いや、私はちょっと」「灰村、演劇部じゃなかったっけ?」「あー、でも私、演劇部の方でも主演だし、二つもはセリフ量的に無理だよ」
この王子がなかなか決まらない。
理由は簡単だ。
僕が白雪姫だからだ。
十分ほど、無為に時間が流れた時、意外な人物が立候補した。
「私がやりましょう」
クラスメイトは一斉にそちらに注目する。
その人はクラスで一番目立っていて、顔立ちも良く、勉強も出来て、誰にでも優しい、みんなの憧れの転校生だった。
灰村さんが、困惑の声を上げる。
「えっ、でも王子は女子で、北条くん男子だし」
「でも、このままでは決まりそうにありませんし、いっそのこと男子同士と言うのも話題性があって、面白いのでは?」
灰村さんは何か言いたげだ。
でも、クラスの女子は彼に反対する意見など出すはずもないし、助かったぐらいの思いだろう。
男子もこのままでは帰れない空気だったので、反対はしない。
だから、みんなが僕を見る。
クラスを代表して灰村さんが僕に尋ねる。
「えっと、柳瀬くんはそれでいいかな? 嫌だったら、遠慮なく言ってね?」
僕はクラス中の視線に耐えかねて、顔を俯せた。
でも、このままでは僕のせいでクラスに迷惑がかかるので、頭だけを縦に振り肯定する。
その様子にクラスの空気が弛緩したのを感じた。
工藤君がそれを見て声を上げた。
「よし、じゃあ、明日からそれで準備していこう」
その決定が出たことで、クラスメイトたちは口々に「お疲れー」と言いあい、教室から一人また一人と出ていった。
僕はまだ椅子から立てない。
『北条くん可哀想』『柳瀬も遠慮しろよ』『柳瀬が辞退したら、私が白雪姫やったのにー』『あー、助かったー』『マジ、気持ち悪い』
誰も言ってない。
でも、僕には聞こえてくるのだ。
しばらく、呆然としていると肩を優しく叩かれた。
「大丈夫ですか?」
「……北条くん」
よく見れば、クラスには僕らだけだった。
そうか、北条くんは転校生だから、彼だけは知らないのか。
言うべきか?
でも、また同じ失敗になるだけではないのか?
ここで告白し、自分だけがスッキリして劇に支障をきたしたらどうする。
「うん、僕は大丈夫だよ」
そう言って、僕は荷物をまとめ、教室を後にした。
文化祭の劇の準備は着々と進んでいた。
北条くんは俳優さん張りの名演技で周りから浮くほどうまかった。
そして、リハーサルも大分進んできて、ラストシーンの練習に入るところだった。
「あぁ、白雪姫! 美しく、私の愛す白雪姫! 今、私の口づけでその呪いを解いて見せましょう!」
周りのクラスメイトからは「フリでいいからねー」と声がかかる。
僕はリハーサルなので、実際に横になったりせず、目を瞑ったまま立っている。
北条くんの端正な顔が僕の前に近付いてくる。
薄く開いた目の中に彼の整った唇が――
「ごっ、ごめん! やっぱり気持ち悪いよね! 僕辞退するよ!」
自分でも信じられないぐらい大きな声を発し、顔は上気し、それを隠すために教室から飛び出してしまった。
『うわっ、リアクションキモ過ぎ』『やっぱガチな人は違うね』『発情すんなよ』
また、そんな空耳を聞いた。
「探しましたよ」
「……よくここが分かったね」
「探偵術の心得が少々ありまして」
「……なにそれ」
北条くんは謎の特技を持っていた。
僕は今は使われていない空き教室の隅で蹲っていた。
この辺は使われていない教室が多いが、ここだけは鍵が壊れていて、僕はこっそりここで落ち込むことがある。
「私に何か不手際があったのならおっしゃってください」
「そんなものないよ。僕が悪いのさ」
「といいますと?」
僕はここまで迷惑を掛けた北条くんに隠しておくのも悪いと思い、覚悟を決めた。
それにこんなことをした理由を遅かれ早かれクラスメイトの口から聞くことになるだろう。
「……僕、LGBTなんだ。つまり男が好きなんだよ」
「そうでしたか」
北条くんの様子は打ち明ける前となんら変わらない。
『気色悪いですね』
北条くんはそんなことは言ってない。
でも、またそんな声が僕には聞こえたんだ。
「クラスメイトはみんな知ってるよ。担任と相談してみんなに打ち明けたんだ」
誰にも話せない事。
それを胸に抱えて生きるのは、世界中に嘘をついている気分なんだ。
僕はその重みを少しでも軽くしたくって話そうと決めた。
分かってたはずだ。
理解されたいんじゃない。みんなに嘘をついていたくないだけだったんだ。
「みんな、優しかったよ。僕がそれを打ち明けても、イジメないでくれた。差別なんてされなかった」
北条くんは静かに聞いていた。
「これで重荷が取れると思ったんだ。みんなに嘘をつかなくていいって、正直に生きられるって――」
「――でもそんなことはなかった」
どんな時も、何を話し合うにも、僕を尊重する。
誰かの小さな冗談も僕の方をちらりと見て糾弾する。
過剰な理解。
正確には過剰に理解に努める。
それは何よりも辛いものだった。
「差別ではなく。区別。特別扱い。もう、みんなの心の中に僕は普通じゃない人として一線引かれてしまったんだよ」
我儘だ。
じゃあ、どうしろと言うのか、普通じゃない人間を普通に扱えなんて無茶を言っている。
甘い幻想を抱いていたのだろう。
僕が打ち明けたら、みんな笑って、気にするなって、俺たち友達だろって、今まで通りに暮らせるってそんな甘い事を考えていた自分が許せない。
「僕はね。君に発情したんだ」
「……私の事が好きなのですか?」
「君みたいな人間、女の心を持っている子だったら、好きになるなって方が無理だよ。でも、僕は君だけじゃない。他の男子との何気ない会話やボディタッチでもドキドキしてしまう。自分が許せない。みんなが優しく、気にしないよう努めさせているのに、僕は何のブレーキも掛けられずドキドキしてしまう――」
止められないんだ。
「――僕はどうしたらいいんだよ‼」
「それは人間の本能です。抑えられるものではありません」
「同性愛なんて本能に一番逆らってる僕が?」
「あなたは自分に引け目を感じているんですね」
「当たり前だろ。普通じゃないんだ。それともこんな僕でもいつか普通に接してもらえる時代が来るのか!」
僕は誰に当たってるんだよ。彼には何の関係もないだろ。
「恐らく、そんな世の中はやってきません」
彼の言葉は僕の心の深いところに重く響いた。
「少数派をスタンダードとして扱うのは同性愛だけではなく、根本的に無理な話なのです」
その通りだ。そんなこと分かっていただろう。
「でも、だからと言って少数派がびくびく暮らす必要はありません。世界は、周りは、あなたの生き方によって変化するのです。本来、世界は厳しくも優しくもありません……あなた次第ですよ」
彼はカッコいい。
それは外面的な部分だけの話ではないのだろう。
本当に惚れてしまいそうだ。
「図々しく生きなさい。あなたが引け目を感じて生きれば、周りはそれを敏感に感じ取ります。それはあなたの嫌いな特別扱いに繋がります」
「『……まず、自分を特別扱いするのをやめなさい』」
僕の空耳が消えた、いや現実の言葉と重なった。
彼の言葉がそれだけ真摯だったのだろう。
僕の目からは静かに、涙が零れた。
そうか、僕は僕を特別扱いしていたのか。
僕は涙を拭い立ち上がった。
「ありがとう、愛している」
僕は彼に心の底から、惚れた。
もう、そこにやましさはない。
あの後、クラスに戻り、勝手を謝った。
そこからはとにかく必死で与えられた役をこなした。
本番の舞台は体育館で行われ、僕たちの一つ前が演劇部と言うこともあり、かなりお客さんが入っていた。
僕は舞台袖で待機しながら、緊張し、北条くんに話し掛けた。
「凄い数のお客さんだね。ってか、演劇部の後って、僕たちの劇じゃ物足りないかもね」
「そんなことはありませんよ。あれだけ必死にやったでしょ」
「うーん、でもなー」
「まぁ、確かに演劇部を超えるには、もう一つまみのインパクトが必要かもですね」
「え? なにそれ?」
北条くんは結局答えずに僕たちのクラスの劇が始まった。
特に失敗もなく、無難ともいえる舞台も直ぐにクライマックスを迎えた。
お客さんの反応はぼちぼちだ。
やはり、前が演劇部だったのが痛い。
北条くんがあの時の言葉を流暢に愛に満ち溢れながら言葉にする。
「あぁ、白雪姫! 美しく、私の愛す白雪姫! 今、私の口づけでその呪いを解いて見せましょう!」
白雪姫をやってよかった。
嘘でも、彼のその言葉が僕に向けられたのだから。
彼の顔が僕の顔との距離を詰める。
上半身を抱きかかえられ、顎を持ち上げられる。
そして、唇に感触があった。
期せずして、僕は迫真演技張りに目を見開いた。
あれ? ここはフリのはずじゃ?
客席から黄色い歓声が上がる。
校内一の美形のキスシーンだ、盛り上がるものも少なくないだろう。
その歓声から、今まで、ぼーっと見ていたものまで劇に引き込まれていく。
彼は口の見えない角度を調整し、僕の耳元で声が僕にだけ届く音量で口を動かす。
「盛り上げるための演技です」
その言葉に正気を取り戻し、僕はなんとか目覚めのシーンでもセリフを飛ばさずに口にした。
彼はその言葉に応じる。
「もしよろしければ、私と結婚してもらえませんか?」
ありがとう。
君が僕の事を好きなんてことはないだろう。
そんなことはわかっている。
でも、嘘でも、演技でも、こんなに心に染みる優しさは初めてだ。
ありがとう。
今、この瞬間の嘘の世界は現実より心地よい。
当たり前だ。
でも、もう終わりにしよう。
僕は大きな拍手が起きることを信じて最後のセリフを口にする。
「はい、喜んで」