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先輩と後輩シリーズ - 第90話 乞い願う
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第90話 乞い願う

「先輩」

「先輩? それは僕の事か?」


 彼女は僕の事を先輩と呼んだ。


「あなた以外に誰がいるんですか?」

「それもそうだね、でも何故先輩なんだ?」

「あなたは私より早くここにいたし、私はあなたの名前を知らないからです」

「単純明快だね」


 僕は彼女の声に耳を傾けながら、冷たい床を撫でる。


「そっちは寒くないかい?」

「寒いです、でもそっちも変わらないでしょ」

「あぁ、ここは寒い。早く出られるといいね」

「冗談でしょ、ここから出れば温度の事なんて考える暇もないぐらいの地獄が待ってますよ」

「……そうかもね、でもわからないだろ、夢ぐらい見させてくれ」

「すいません」


 僕は隣にいる彼女の顔を想像しながら、僕らの体温なんて根こそぎ奪ってしまいそうな鉄格子を見つめた。


 彼女は昨日、隣の牢に入れられた。

 抵抗する声から女の子だと分かった。


「先輩はどのくらいここにいるんですか?」

「さぁ、細かい数字は分からないけど、一ヶ月ぐらいじゃないかな」

「売れ残り商品ってやつですか?」

「だろうね、そろそろ値下げシールを貼られそうだ」


 現に、この部屋には一本の通路を挟んで左右に四つ、計八つの牢があり、初めに僕が来た時には半分が埋まっていたが、もうみんないなくなった。


「君はここに来る前の事を覚えているか?」

「覚えていたくもありません。私はここに来る前も別の施設の牢にいました。その前も、その前もです。ただ一つ覚えていたかった私を一人で育ててくれていた母の顔はもう靄がかかって思い出せません」

「そうか、君も大変だったね」

「先輩は憶えてますか?」

「うん、僕はね。七歳の時だったかな、父と母が、このトラックに乗りなさいって優しい顔で言って、僕は父と母のそんな顔を見るのは久し振りだったから、喜んで従ったんだ。そしたら、後は君と同じ感じだよ」

「酷いお父さんとお母さんですね」

「仕方がないよ、兄弟姉妹がたくさんいたしね」


 僕は僕を慕ってくれていた弟や妹、頼りになった姉や兄を懐かしむ。


「ここのご飯不味いですよね」

「そうだね、でも出るだけマシだろ」

「はい」

「僕たちは地獄の中でも恵まれている方だよ。ここはね、容姿がそこそこ整っている玩具が入る場所さ。だから、見た目を貧相にしない為に最低限の飯はでる」

「私から言わせれば、不幸中の不幸です。只の肉体労働、小間使いの奴隷の方がマシです。あれらは身体の苦痛だけで済みますが、私達は心まで壊されますよ」

「……君は色々よく知ってるね」

「もう、処女じゃないですからね」

「僕もだよ」


 彼女と喋っていれば悲壮な気分も幾分和らぐかと思ったが、彼女はリアリストだった。

 かえって、現実を思い出して憂鬱になる。


 しかし、彼女も女の子で、乙女だった。


「ねぇ、先輩、私達恋人になりませんか?」

「僕は君の顔さえ知らないよ」

「どうしても気になるなら、口頭で説明してあげますよ」

「いや、大丈夫」

「……こんな地獄です。恋人ぐらいいないと馬鹿になります」

「いっそ、馬鹿になった方が楽かもしれないけどね」

「女の子の言うことにいちいち反論する人はモテませんよ」

「もう僕には君と言う恋人がいるからモテる必要がないよ」

「そうでした」


 それは鳥かごの中の遊戯だった。

 気をしっかり保つための、ごっこ遊び。


 でも、僕らは真剣にそれをした。


 恋人になって一日目は、初デートはどこがいいだろうかと話をした。

 僕は山間部の生まれで、彼女は港町の生まれだったので、二人とも行ったことのない都心の街を歩いて回りたいという結論に達した。

 彼女はウインドウショッピングに憧れているらしい。


 二日目は、初キスのシチュエーションについてだ。

 僕がベッドの中でと言うと、彼女は破廉恥だと突っぱねた。

「初めてのデートの日にね、先輩が私の家まで送ってくれるの、それで先輩が『またね、おやすみ』って別れようしたら、私がお駄賃代わりに先輩にキスをするんです……それが初キスがいいです」

「……異論なし」

 彼女は意外にロマンチストだった。


 三日目は、二人でどこで暮らしたいかの話をした。

 僕は特にこだわりがあったわけではなかったが、彼女の住んでいたような港町に住みたいと言った。

 彼女は特に反対もせずに「いいですね」と言って、家の中の内装や家具について話した。

 彼女は白が好きらしい。


 四日目は、子供について話した。

 これが一番白熱した。何人欲しいのか、名前は、男の子、女の子、どんな子に育ってほしいか。

 互いに譲れないラインがあり、二人して笑った。

 彼女は教育熱心な方だった。


 僕たちは、その何一つが叶わぬことを知っていて、それでも楽しい四日間を過ごした。


 五日目、いつもの飯を運ぶ男とは違うスーツの男が彼女の方に立ち、後ろに連れた男たちに何やら命令をしていた。

 彼女は叫んだ。

 そして、耳障りな乾いた音がした。彼女がぶたれたのだろう。

 僕も叫んだ。

『やめろ、連れていくなら僕にしろ』と。

 しかし、そんな言葉は彼らの笑い種になる程度で、何の意味もなさなかった。

 僕は牢から出られないし、ただ情けなく吠えることしか出来ない。

 鉄格子を掴み、どれだけ押してもそれはびくともしない。


 最後に抵抗しなくなった彼女の顔が牢から出る際に、微かに見えた。

 想像していた百倍綺麗な彼女は、最後に僕に何の言葉も残さずにただにこりと笑って消えていった。


 僕が大地主のババァに売られたのは、その三日後だった。




「今年で二十歳なんだ」

「ババァも僕がずっと従順なんで、大分気を許したみたいだ。今ではたまになら外出も出来るんだ、凄いだろ?」

「あのババァ、金だけは余ってるからね、いくらかくすねても全く気が付きやしない。呑気なやつだよ」


 僕は彼女に都心で一番人気の花屋で買った花束を渡し『またね』とキスをした。

 彼女の真っ白な墓石で作ったお墓は、海の綺麗な港町のはずれの丘に作った。


 立場は同じでも、僕は男で彼女は女だった。

 ともに精神的にどれだけ辱められても耐えることの出来る精神力は持っていたと思う。

 でも、女である彼女の肉体は持たなかったのだろう。

 僕が昔売られた店の顧客名簿から彼女の行き先を手に入れ、そこにたどり着いた時にはもう彼女はいなかった。

 それとなく、彼女の屋敷の主に話をすれば『もう死んだ』と、まるで大して愛着のない玩具が壊れたようにあっさりと喋った。


 その場で、その男を殺してやろうという思考に覆われたが、それには何も残らない事に気が付いて矛を収めた。


 それよりも、僕は彼女の恋人だ。

 彼女の思いを一つでもいいから叶えよう。


 そうして、僕は一つずつ叶えていった。

 

「……最後は、子供か」


 こればかりは骨が折れそうだ。

 僕は、もう一度だけ墓石にキスをして、潮風を浴びてその場を後にした。



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