70.蓋をしていた後悔
「……?」
馬車から降りて、カナタは庶民街をキョロキョロと見回す。
田舎の村から出てきた子供のようだが、その心中にあるのは期待ではなく困惑だ。
広場の噴水に大通りに出ている数々の露店、遊んで走る子供。
カナタも傭兵団時代にはいくつかの町に行った事がある。豊かな貴族が治めている町ではありふれているような光景なはずなのに、何故か既視感がある。
(いや、こういう町は、大きさはともかくいくつか見たことある……だからか……)
傭兵団時代に行った町と重なって見えてしまっているのかもしれない。
であれば、胸中を掻きまわすようなものは懐かしさというやつなのだろうか。
ただ、懐かしさにしては……少し、妙な感覚だった。
「おお、庶民街のみすぼらしい屋台にしてはうまいな!」
「味までみすぼらしくなっちゃおしまいですからね!」
「違いない! 気に入った、今焼いてあるものを全部寄越せ。広場にいるガキ共にもやろうじゃないか」
「ありがとうございますお貴族様!」
「ロノスティコ様、あれ配るの多分俺ですよね……?」
「頑張って……エイダンさん……」
カナタの心拍数が上がっているのをよそに、広場ではセルドラが屋台や店の食べ物を広場にいる子供達に振舞っている。
こうする事で町民の支配階級に対する心証を良くし、上で金を溜め込まずに民にも行き渡らせるのだと馬車の中で説明されていたが……カナタは先程までと違って、貴族の行いを勉強しようという気持ちがどこかへ浮いてしまったかのようだった。
「どうしましたカナタ様」
「あ……コーレナさん……」
「お顔の色が優れませんね……馬車酔いでしょうか……?」
カナタが広場でただ立ち尽くしている様子がよほどだったのか、ルミナとコーレナが心配してくれている。
ルミナはセルドラが買った串焼きを手に持っていたが、急いで子供に配ってカナタの顔を覗き込んだ。
「気持ち悪かったりしますか? 私も馬車酔いをした事はありますから心配しないでください」
「いえ、その……大丈夫です」
馬車酔いではないが、まるで視界が二重になったかのような感覚だった。
自分の視点が少し低くなって、自分は誰かと手を繋いでいる。
その誰かは自分に笑い掛けてくれて、自分はそれが嬉しかった。
これは幻か。いや記憶か。
曖昧だった記憶を無理矢理掘り返されているかのよう。
まるで思い出したくないと叫んでいるかのように。
自分と手を繋いでくれている誰かがもしも自分の思っている人であったなら……それは幸福な記憶のはずなのに。
何で自分は恐がっているのだろう。
村で育てられる前の記憶だとしたら、いい記憶しかないはずじゃないのか――?
「セルドラ様は……まだ何か買ってますね……」
「気を遣わなくても大丈夫ですよ、しばらくはこの広場で町民の方々と交流なさるでしょうから」
「ルミナ様のお近くにいれば側近候補としての動きは問題ない事になるでしょう」
「すいません……」
カナタは深呼吸をして、セルドラ達が子供達と屋台の食べ物を食べている光景を眺めていた。
その光景すら、容赦無く自分の記憶を再生するきっかけとなる。
口元をべたべたにしながら串焼きを食べた記憶があった。
これを家でも作って、と誰かに頼んだ記憶までも。
"うーん……! 頑張……る! すぐは無理よ! いつかね!"
頭の中で再生されたこの声が誰のものなのかすぐにわかった。
何故自分が喜べないのかがわからなかった。
「狩猟大会の時の怪我でしょうか……?」
「先程見覚えがあると言っていたのと関係があるやもしれません……」
「あの、大丈夫です。少し疲れただけですから」
鼓動が少し落ち着き始めて、自分を心配するルミナとコーレナがカナタの目に入ってきた。
疲れるほど疲労がたまっていなかったが、これ以上心配させないようにそうする事にした。
「ルミナ、様は……大丈夫ですか?」
「え……? は、はい。みんなと一緒に来ているからか今は全然……ふふ、こんな時まで私を心配してくれるなんてカナタは優しいですね」
違う。本当に心配だったから出た言葉では無かった。
ただ自分の今を紛らわせたかっただけだった。
思い出したように言ってみただけで優しさなんかじゃない。
「コーレナ、少し手を繋いでくれますか?」
「はい、どうぞ……利き腕は預けられませんが」
「ふふ、わかっています。カナタも少し来てくれますか?」
「……? はい」
言われるままルミナについていく。ルミナの手は少し震えていた。
コーレナは強いくらいルミナの手を掴んでいた。まるで覚悟が必要かのように。
連れられたのは広場からほんの少し離れた道の、店も無い路地の前だった。
薄暗くて放置されているかのように荒れている。
「カナタは私が男の人……戦いの心得がある男性が苦手な理由は知っているでしょう?」
「はい、コーレナさんに説明して貰いました……確か傭兵団崩れの何者かに襲われたのが理由だとか」
「それがこの先なんです。アンドレイス領は豊かなほうですが貧困に悩める層を完全になくすことはできず……庶民街の中にスラムと呼ばれる区画があります。幼少の頃の自分はここを通ってしまって向こうの区画に行ってしまったんですよ」
スラムについてはカナタも傭兵団時代に聞かされた事があった。
仕方なくそこにいる者もいれば、都合がいいからそこにいる者もいる。そして戦場で正気をやられてしまった者もそこに流れ着くことが多いのだと。
「今はこんなに憶病ですけど、昔の私はおてんばで……コーレナの目を盗んで走ったんです。そして運悪く、貴族をよく思っていない人に出会ってしまって」
「その時に襲われたんですか?」
「はい……自分は傭兵だと言って折れた剣を持っていました。それを私に振り下ろしてきたんです」
「逃げられたんですか?」
カナタが聞くとルミナは首を横に振る。
何故か、カナタの鼓動が早まった。
「私に向かって……走って助けに来てくれた人がいたんです。名前も知らないですし、知り合いでもありません。スラムに走って行ってしまった私を追い掛けてきてくれた女性の方が庇ってくれたんです」
ルミナは感謝と尊敬の眼差しを路地に向けた。
カナタはゆっくりと、隣で語るルミナに視線をやった。
心臓の鼓動が耳にまで届いている。
「その人は私を庇って……目の前で、亡くなってしまいました。苦い思い出ではありますが、その人の姿はまるで輝いているようで……忘れもしません」
自分は、忘れていた。
「あの人のおかげで私は、今ここに生きているんです」
ルミナの笑顔でカナタは時が止まったように路地を見つめた。
二重になっていた視界は記憶が完全に再生されてようやく焦点が合う。
"さ、カナタ! 今日は奮発しちゃうわよー!"
そうだ、自分は乗合馬車でこの町に来た。
住んでいた村での生活で余裕ができて、母の提案で大きな町に行く事になった。
がたがたと揺れる馬車に、母親とぎゅうぎゅうになって乗った記憶がカナタの頭の中で再生される。
"これおいひー! ね、カナタ"
一緒に串焼きを食べて、美味しそうな食材を買って。
"転ばないようにね、カナタ"
広場の噴水で知らない子供達と遊んで。
"今度はあっちの店に行こうか、カナタ"
母と手を繋いで他の店に行こうと歩いていた。
"きゃあああ! 子供が!!"
路地のほうから悲鳴が聞こえた。
手を繋いだ母が、手を離した。
"カナタはここにいなさい!!"
嫌だった。母親を追い掛けた。
路地の中まで走っていって――
"来ちゃ駄目!! そこで待ってなさい!!"
聞いた事の無い母の大きな声で立ち止まった。
小さな女の子に向かって走る母親の背中を見つめていた。
そうして、母は斬り付けられた。
母はそのまま動かなくなった。
女の子の悲鳴が聞こえて、剣を腰に差した人が抱えていった。
正しく、正しく記憶がカナタの中で再生される。
「カナタ……?」
路地を見つめたまま動かなくなったカナタを心配するルミナの声。
現実の声が聞こえない。過去の映像が現実のカナタを縛る。
――母が死んだ時、自分はどこにいた?
「はっ……はっ……!」
目を逸らしていた記憶が突き付ける。
自分は路地にいて、路地の先にいる母に縋ろうと駆け寄る事すらしなかった。
そう、出来るはずがない。自分が二年前までずっと逃げていたんだから。
そこで待て、という母親の声を言い訳にしてただただ倒れている母を見つめる事しかしなかった。
自分はこうして生き残っている。何もしなかったから。ただそこで待っているだけ。
大人しくしていれば、生きていられるのだとその時に知ったから。
"……………………"
路地に母の声が届くはずもなく。
自分はただそこに立っていた。動かずに。
"何やってんだ坊主!! 駄目だ!!"
追い掛けてきてくれた町の誰かが自分を抱きかかえて路地から大通りのほうへと運ばれた。
自分は何も言わずにその場から遠ざけられた。何もせずに。
遠くなる母の姿に泣きじゃくるわけでもなく。
ぶつん、と途切れたような音がカナタの中に響いた。
そこからまた何もしようとしなかった。母と町でした事を辿るように歩いて、乗合馬車に乗ってどこまでも揺られていた。気付けば村にいて、カレジャス傭兵団が来るまでその村で過ごしていた。
「はっ……! はっ……!」
町に来たのをきっかけに容赦なく再生された自分の後悔。
母の最期に近くにいたのは自分じゃなくて――
「カナ……タ……?」
「ルミナ……様……」
――赤の他人の女の子。
カナタは記憶からその事実を突きつけられて、横で心配そうにしているルミナを見る。
「顔が、真っ青ですよ……?」
「だい、じょうぶ……」
自分がどれだけ愚かな子供だったのかを突き付けられる。
行かないでとも言わず、死ぬのが恐くて路地からも出ない。
自分がいるべきだった。母の最期に近くにいるべきは泣きじゃくっていたルミナではなく、自分であるべきだったのに。
なのに自分はあの日そうしない事を選んだのだと、カナタの目に涙が溜まる。
「おうえ……」
母の亡骸に駆け寄る事もしなかった後悔が胸の奥から押し寄せて、カナタはその場で嘔吐した。
母の言う事を言い訳に路地裏から出れなかった臆病者。
ふとウヴァルの言葉を思い出す。
"カナタ……もっとでけえ男になれ"
ルミナとコーレナが心配する声など今のカナタには届いていない。
(無理だよ、お頭……)
こんなに情けない人間だったのかとカナタは自分自身を責める。
自分を送り出してくれた傭兵団――ウヴァル達の表情を思い出して、カナタはただただ心の中で謝罪していた。