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戦国恋うる君の唄 - 再び合流へ!生への覚悟、ちらつくビダルの不吉な影は…?
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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.9 ~生き別れ、我がまま姉妹、二人の決断
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再び合流へ!生への覚悟、ちらつくビダルの不吉な影は…?

波止場まで、これ以上ないほど長い時間が掛かった気がした。

あと少し、あと一歩でも早く。この瞬間ほど、自分の足が想いほどに進まないのを、もどかしく思ったことはない。

「見えたぞ」

虎千代が言った。舟だ。そこに綾御前の手勢が控えていた。先回りした王蝉たちが手勢を遣わしたのか、銃を持った外国人兵士たちと揉み合いになっている。

「のけえっ」

その最中に躊躇なく飛び込んだ虎千代は、さすがだった。小豆長光が一閃するたびに、狙い誤たず斬られた男たちがこぼれ落ちるように岸から落ちた。僕たちが通る頃には、そこには誰も邪魔する者はいなかった。

「危ないっ」

そのとき、岩場で足を取られた真菜瀬さんが転びそうになった。とっさに僕はその身体にしがみつくようにして、それを支えてやった。

「あ、ありがと、真人くん」

「大丈夫、もう少しだ」

僕がすかさず返すと、ふふふっ、と真菜瀬さんがその場にそぐわない笑い声を洩らした。

「どうしたの!?」

こんな非常事態だってのに。

「ごめん。可笑しくて。今の言い方、煉介にそっくりだったから」

僕は一気に、顔が熱くなった。

「なっ、なな何言ってるんですかっ!?こんなときに!」

「だってしょうがないじゃん、そう思っちゃったんだから」

思わず怒ってしまったが、真菜瀬さんの方はくすくす笑っている。そうだ、この驚くべき緊張感のなさ。真菜瀬さんって、こう言う人だったのだ。

「やっぱり男の子だよねー、あ、でも真人くん変わったよ。最初に会った時は全然まともに話してくれないし。冗談通じないし笑わないし、変なこと考えてるし」

あまりな言われようだ。

「わたし、この子、いつもどんなこと考えて生きてるんだろーなって思ってたんだよ?」

僕は、はっとした。

「あなたの考えていることが、判らない」

なぜだか、この世界に来る直前に言われたことを思い出したからだ。確かに僕はいつもそう言うやつだった。でも僕は、ここで、この世界でみんなと出会って、何かが変わったのだろうか。

「絢奈ちゃんじゃないけど、真人くん、大きくなったのかもね。今はわたしから見てもすっごく頼りがいあるもん」

その手を、真菜瀬さんは何の躊躇もなく握ってにんまりと微笑む。

「嬉しかったよ。真人くんが、ちゃんと助けに来てくれるって思ってたから」

「真菜瀬さん…」

と、言葉にならない想いを口にしかけた僕の背中を何か固いもので誰かがどんと突く。

「ぐずぐずするなっ、さっさと行くぞ」

虎千代だ。今のは、硬い金具がついた刀のこじりで僕の背中を叩いたのだ。

「なっ、何するんだよっ、痛いじゃないか!」

「うるさいっ、最近のお前はわたしの気持ちも知らず、わたしが目を離せば他の女子といちゃいちゃいちゃいちゃと」

うっ、ラウラと夜二人きりで話してたこと、まだ根に持ってるな。

「今のは真菜瀬さんだろっ」

「真菜瀬も女子ではないかっ、お前が変な気を起こさぬとどうして言えるっ」

ぷくっと頬を膨らませながら、虎千代は真菜瀬さんとの間に割って入り、僕の手をとって身体を強引に寄せてくる。

「大体お前は、見境なく女子と手を取りあうのが好きじゃからな。そっ、そんなに女子の手が好きなれば、わたしの手を握っていればよかろうっ」

「僕から握ったんじゃないよ。今のも、ラウラのときも違うんだってば」

「そ、そんな言い訳が、通用すると思うかっ」

そんな僕たちの様子を真菜瀬さんは、なぜか楽しそうに眺めている。

「ふふふ、で、虎ちゃんはすっかり女の子になったねえ」

「そっ、そんなことっ、今言うことではなかろうっ!?」

虎千代は顔を真っ赤にしてから、さらにぎゅーっと僕の手を握りしめる。

「いたっ、痛いって!真菜瀬さんっ、わっ、笑ってみてないで助けて下さいよ」

「あはははっ、うんうん、やっぱり。虎ちゃんと真人くんはいつもこうでなきゃねー」

真菜瀬さんはついに涙目になって笑っている。

「あーっ、笑った。すっごく久し振り!二人の顔みて笑ったら、すっきりしたよ。後はみんなでちゃんとお家に帰るだけだねー」

そこで僕たちは、はっと息を呑んで動きを止めた。

真菜瀬さんはいつものように、にっこり笑ってこちらを見ていた。

そのとき思った。

あの、いつも通りだと思っていた真菜瀬さんの笑顔を。

僕たちは無事に、取り戻すことが出来たんだ。

「絢奈ちゃんと、待ってるから。ご飯作って」

綾御前が雇った水夫に手を引かれて真菜瀬さんはぽんと、舟に飛び乗った。

「だからみんなで帰って来なきゃだめだよ。真人くんも、虎ちゃんも、黒姫さんも、鬼小島さんも…ラウラちゃんもね?」

「任せて」

「ああ、必ずだ」

虎千代と僕は頷いた。

行こう。

帰る場所を取り戻した僕たちは一人残らず、欠けないで帰らなきゃならないのだ。


そのとき、ひと際大きな爆発音が大地を揺るがした。ビダルの砦がある岩壁の向こう側から、不穏な黒煙がたなびいているのが見える。自分の遥か頭上を見て僕は、はっと息を呑んだ。今や島全体を、触れれば切れるような不気味な緊張感が包みこんでいるのが分かった。

その黒煙を目撃したとき、僕はある不吉な予感に、気持ちが囚われるのを禁じ得なかった。言うまでもなく、ビダルのことだ。僕たちを追った敵の中に、あの男の姿はついに見えなかった。この混沌とした戦場のどこに、あいつはいるのだろう。あの悪魔は、いつも思わぬところから僕たちを狙ってきたのだ。

同じ予感があったのか、虎千代もまた、不穏さを増してきた島の上空を見つめ、思わず立ち止まっている。今から再びあの男を止めなくてはならないのだ。僕たちは、無言で視線を交わし合った。ビダルの名を、あの人道を踏み外した悪魔のことを今さら語る必要はなかった。それよりも、僕たちは一刻も早く救うべき仲間たちの元へ駆けつけねばならなかったのだ。

鬱蒼とした山林の中には、こんなときでもうららかな秋の陽溜りが落ちている。木立ちの隙間から落ちる斑な光の粒を浴びて二人の剣士が、そこで命を乗せた刃を戦わせていた。

ラウラとミケルだ。

この兄妹の剣士が、お互いの研ぎ澄まされた刃の前に、たった一つしかない命を晒すのは何度目のことになるだろう。

レイピアを利き腕にかけたラウラは、いつも通り身体をかすかに開いて斜に相手を視る。胸筋の張力を効かせると同時にリズムを司る反対側の手は、せわしなく上下し、それとは異なるリズムで切っ先をさ迷わせると、足を使って立ち回り、あらゆる角度から急所を狙う。まるで巣を探しに縄張りに入った熊を狙うスズメバチのようだ。

相対するミケルも猫足立ちの軽いステップを踏み続け、独特のリズムを刻む。雲の上を渡り歩いているかのような不思議なフットワークは荒波に揺れる甲板上で鍛え上げられた足腰の賜物だが、傾斜の利いた柔らかい山の腐葉土の上でもその利点は全く喪われてはいない。

二人が二人とも、一瞬たりとも視線を外さなかった。僕たちの接近に気づいてはいたのかも知れないが、こちらへはまるで注意を払う素振りも見せない。時間も場所も忘れて、命のやり取りに興じているようだった。

しかし中でも、異風を放っているのがラウラだ。無理もない。彼女はついに目の前で実兄のミケルが罪もない人を虫けらのように殺すのを目撃してしまったのだから。ラウラの紙のように白い顔からは表情と言ったものが喪われ、吊り上がって張りつめた瞳だけが刺すように実の荷を見つめていた。あの屈託のない朗らかないつものラウラとは、全くの別人だ。

「怖いな」

ミケルもそれを感じ取っているのか、怒りに満ちたラウラの攻撃をいなしながら、しきりに挑発する。

「こんなお前は見たことがないぜ。何かあったのか?」

応える代わりに、ラウラはミケルの顔面を突いた。

「おっと。危ないだろ、話しかけてるんだから答えたらどうだ?」

「ミケル・アリスタ」

と、ラウラはその言葉自体を刺すように突き返すと、また急所を狙ってせわしなく突きを繰り返した。

「アナタには、心底失望しました。アナタは、もはやワタシたちレディムプティオが認めた神の下僕(しもべ)などでもなく、同じ人ですらない。アナタに与える神の慈悲はもはや尽きました。せめてワタシがアナタの命、奪います」

「神の意志の名の下に、か。それなら血の繋がった自分の兄を殺すのも、赦されるものか?」

「アナタなんか、兄でも何でもないっ」

悪魔、と刃を振るいながら、ラウラはミケルを面罵した。

「アナタはワタシの大切な人たち、皆傷つけた!だけじゃない、あんなにも罪のない人を殺した…たくさん…たくさんっ!」

ラウラが突き出した刃が、ミケルの右の瞼を傷つけた。血しぶきがラウラの頬にかかる。

「これも、人の血だ。傷つけるなと言いながら、お前だって人を傷つけている」

「黙れっ」

すかさず踏み込んだラウラは手首を返して、三発、ほぼ同時に急所を撃つ。狙いは両眼、そして止めは心臓だ。右目に傷を負い、遠近感を喪いつつあるミケルだ。左手の鋼鉄製の籠手を駆使してラウラの剣をいなしたが、全弾防ぎ切れはしない。

「くっ」

苦し紛れに突き出したエスパーダを持った手の甲を、ラウラのレイピアがすれちがいざま、抉り抜く。横一閃、ミケルの袖が破れ、赤く深い直線がそこに刻まれた。

しとどに血で濡れた切っ先をラウラは音を立てて振りかざす。細いレイピアの刀身は鋭く風を切って(しな)り、びしゃりと飛沫が強く地面に降りかかる。甘い鮮血の香りがここまでした。ラウラはミケルを睨みつけると空いた手の親指を立て、自分の喉元を叩いてみせた。次は、そこを狙うと言っているのだ。

「はははっ、もう兄とは、思わないか」

唇を歪め、ミケルは手の甲の血を自分で啜った。

「お前もついに目が覚めたようだな。分かるだろ、おれと同じ道さ。どんな理由を楯にしようと、人は人を殺さずにはいられない。愛より、血と鉄を。これこそが、普遍の真理だ」

「うるさいっ」

ラウラは肩で息をしていた。しかしそれは疲れのためではない。身震いするほどの肉親への怒りのためだ。

見れば見るほど、凄まじい修羅場だった。しかし、ラウラが圧している。これは間違いない。以前の手合わせとはまるで違う。ラウラはついに、その心に残った最後の躊躇を投げ打ったのだ。ミケルがどれほどまでにビダルに毒されようと、ラウラには必ず、兄を救ってやりたいと言う気持ちがあったはずだ。しかしあの非道な人体実験を前に、ラウラの兄への怒りはその気持ちを振り切ってしまったのだろう。皮肉なことだが、それでラウラの剣に、覚悟が宿ったのだ。切ない話だが、そうに違いない。虎千代が助言したように、ラウラの剣には実の兄ですら、刺し止めようと言う気迫が(みなぎ)っている。

それが、及ぶはずのないミケルの技量を僅かに圧倒し始めているのだ。

矢継ぎ早にラウラは剣を繰り出し続ける。我を忘れる怒りとは裏腹に、その剣は冴え、精確さを増していた。変幻自在の攻防を展開するミケルのエスパーダも、さすがにその手数を封じ込められている。

「はは、そんなにおれを殺したいのか」

いぜん、ミケルは挑発を続けるが、この間の手合いほどの余裕はない。

「アナタを止める。そのためにワタシは、アナタの命をもらう」

ラウラの剣は前に前に出る。今度こそ彼女は本気で、ミケルを殺す気なのだ。

「いいだろう。そうか。じゃあ、おれを殺してみろ、出来るものならな」


「…まずいな」

「えっ?」

傍らにいた、虎千代がぽつりとつぶやいたのは、そのときだった。

「まずいって?」

どうして。僕は思わず、訊き返した。だってだ。このままいけば、ラウラは確実にミケルを倒せるはずだ。それとも虎千代は、今この場の怒りに任せてラウラが、自分で救いたいと言っていたはずのミケルを刺殺してしまうことを危惧しての発言だったのだろうか。

「ことはそれほど単純ではない」

ラウラがミケルを押しまくる現状を前に、虎千代は苦しげに断言した。

「あやつはミケルを倒せまい。…どころか」

「ラウラがやられる?」

仕方なくと言った体で、虎千代は頷いた。いや、どう見ても納得できるはずがない。なぜならだ。

一方的に増え続けるラウラの手数に比して、ミケルは先ほどから反撃に転じる有効な一手を刺せずにいる。どころか、ラウラの剣に追いまくられ、手数は封じられ、さっきから防戦一方にしか見えない。

「見ているといい」

しかし虎千代は断固として言いきった。

「ラウラは勝てぬ」

釈然としないまでもその言葉は、この勝負の行方について僕に一抹の不安を落とした。虎千代の観測はあくまで冷徹だ。その戦力の判断は、敵味方を問わない。そして何より、ラウラよりも上手の技量を持つはずのミケルに、勝負を打開する糸口を与えたのは、虎千代なのだ。その彼女が、今のラウラに危惧を覚えていると言っているのだ。

しかし僕から見ても、今にも勝負はついてしまいそうだ。

それでも達人にしか見えないものが、やはりそこにはあるのか。

それから間もなくだ。虎千代の危惧が現実のものとなったのを、僕は目の当たりにすることになる。


それは本当に最初は、微細な、かすかなノイズだったのだ。間断なく続くラウラの攻撃のリズムがミケルの僅かな反撃の一矢で心なしか、微妙に狂ったように見えてきた。ミケルはラウラの凄まじい連撃の後に、辛うじて距離を保つためにけん制の一撃を放つのだが、それが的確にラウラの動きを頓挫(とんざ)させるようになったのだ。

まるでぴたりと測ったかのように、ミケルの剣はラウラの動きを徐々に狭め、制御していたのだ。しかしそのノイズはラウラ本人も、気づかぬほどに小さなもののはずだった。リズムを乱されたラウラにしても、すぐに立ち直り、連撃を繰り返していたのだから、なんの問題もないはずだったのだ。

しかし異変は、すぐに明確に姿を現した。ラウラのものだったはずの攻撃のリズムが、いつしかミケルの反撃のリズムに織り込まれるようになってきたのだ。ミケルはそれに乗って徐々に手数を増やし、けん制のはずの一撃を追撃にし、やがてはラウラの手数を凌駕するようになっていった。

まるで魔法だ。聴きなれた楽曲がつなぎ目も判らずに、全く耳慣れない別の曲に取り込まれてしまったかのように、ラウラの攻勢はミケルのそれに転変した。

ラウラ自身、僕より早くそれに気づいていたはずなのだ。しかしそのときにはすでに時遅く、否応ない相手のペースのただ中に巻き込まれるしかなかったのだ。

今や確実に追い詰められているのは、むしろラウラの方だ。

着実に際どい手数を増やしてくるミケルに対し、ラウラは怒りに任せて反撃するのだが、見る間に剣を絡め取られ、切っ先で弄ばれ、やがては糸のもつれた操り人形のように、思う様蹂躙(じゅうりん)された。

何故だ。一体、目の前で何が起きているのだ。端で勝負を見守る僕よりも、実際その渦中に巻き込まれているラウラの方にパニックは顕著だ。降ってわいたミケルの逆転に浮足立ったラウラの顔には、はっきりとそれと判る混乱と恐怖がにじみ出ていた。

「甘いな。いつだってそうだ。そしてお前はそのために命を落とす」

長い間沈黙していたミケルが口を開いた瞬間だった。

きいん、と鋭い音が立って、ラウラの剣は激しく空に振られた。持ち手を叩き落とされ、華奢なレイピアは持ち主を離れてついに、宙に舞ったのだ。

「お前の迷いと混乱を、ここで終わらせてやる。死ね」

傷ついた妹に、心を失くした兄が傲然と言い放って刃を向けたときだ。なぜかぴたりとミケルがその動きを停めたのだ。

「なんのつもりだ」

ミケルの背後に、虎千代がいた。僕は驚きで言葉すら失った。信じられないことだが、虎千代はあの一瞬で音もなく彼我の間合いを潰し、その剣をミケルの背に突きつけてそこに佇んでいたのだ。二人が僕たちに一顧だにせず、真剣勝負に興じていたとは言え、その間合いの中に苦もなく入り込むとは、虎千代は達人と言う他ない。

「そこまでだ」

虎千代は底響きのする声で言うと、ミケルをけん制した。

「剣を退け。もはや余興は終わりだ」

「こいつはおれの命が欲しいと言った。死ぬまでやるのが、正しいあり方だ」

ミケルは虎千代を振り返ると、かすかに肩をすくめた。

(サムライ)が真剣勝負を邪魔するのか?」

ミケルの安い挑発にも、虎千代は表情を変えなかった。

「ああ邪魔をさせてもらう。そもそも、これは真剣勝負になく、ただのいくさゆえにな」

「じゃあ、あんたがおれを斬ろうって言うんだな?」

別にこのまま、今度はあんたを相手にしてもいいのだと、ミケルが図に乗ってみせたときだ。

そこにあるはずの何かを察し、ミケルの表情が停まった。

僕は見た。その刹那、ミケルと相対した虎千代が放ったそれに、この男がどう反応したのかを。

それは恐怖だった。野生動物が自分より強大な何かに相対したときに、もっとも迅速に命の危険を感知するための感覚の賜物だ。以前の虎千代にはなかったはずのものだ。だからこそ、ミケルも嵩にかかって喰ってかかったのだが、同じ剣を扱う者としてその差は歴然と感じたはずだ。

虎千代の中には、十万からの軍勢を意のままに従えるほどの途方もなく巨大な怪物が眠っている。それはこの戦国時代でも覇を唱えるに足る巨龍の感性だ。ミケルがたじろいだのも、無理はない。

ビダルとの苦闘は確かに際どかったが、その分、虎千代の中に眠っている覇龍(はりゅう)の感性を、またより強烈に目覚めさせたに違いなかった。そこにいるのは戦国最強の軍神、上杉謙信へと、また歩を進めた虎千代の姿だ。あたら常人が相対せるものではない。

「ここは、退け」

止めを刺すように、虎千代は言った。

「仕切り直してやる。お前たちのみでビダルめが姿を現さぬところを見ると、別手へ回っているからであろう。全面衝突なら改めて受けてやる。次はいくさ場でまみえようではないか」

「くっ」

ミケルは歯噛みをして抗おうとした。しかし、(ごう)も身じろぎが出来ない自分に気づき、愕然としたはずだ。虎千代の目が感情と言う色を失くし、どこか茫洋とした半眼に近い形になっている。虎千代が確実に相手を斬殺する意志を見せたとき、その瞳は底が見えないほどに深まってむしろ穏やかに澄むのだ。僕は何度もそれを見ている。これ以上抗えば、次の瞬間にはミケルはなすすべなく血まみれの骸になっただろう。

ミケルが方途を失くしていると、斜面を滑って何かが僕たちの目の前に飛び出て来た。

杖を構えたままの綾御前だ。

「ぬ、お虎、戻ったか」

「姉上、ご無事で何より」

ミケルから視線を外さずに、虎千代は応える。得体の知れない武器を持った王蝉と言う使い手を前に、さすがと言うところだが、まだ戦闘が終わっていないのか、綾御前は油断なく視線を巡らせる。

「ふんっ、身体が鈍ったわ。おのれが帰ってくる前にあやつを畳んでおくつもりだったのだがな」

そう言えば王蝉の姿がない。そう思ったときだ。

「ふふふっ、黙って聞いてりゃでっかいおクチ叩きますですにぇ。あーっ、そっかあ。皆さん帰って来ちゃったからですにぇ?」

反対側から王蝉が姿を現した。まだ、生きていたのか。

王蝉はやはり素手だ。綾御前の杖の長い間合いとどうやって渡り合ったのだろうか。激戦の形跡はあるものの、その身体には一見して、戦闘に支障のある傷はつけられていないのが不気味だった。

「達者な大口を利くのは、お前の方であろう」

綾御前は王蝉の前に立ちはだかると、杖を構えた。

「三分預かるぞ。お虎、もうしばしそやつと遊んでおれ」

「にぇはははっ、相変わらずそんなたーだの棒切れで、ワタシと戦って、どうにかなると思ってるんですかにぇ」

ゆっくりと王蝉は、臨戦態勢に戻る。しかしその構えこそ、異様だった。

身軽な猫足立ちにしているところまでは判る。不気味なのは、上体の姿勢だ。王蝉は二つの拳の甲をこちらに見せながら、まるで両脇にそれを仕舞い込むように、交差させたのだ。もっとも近いポーズは腕組みだが、拳をあんなに深く抱え込んでしまっては、上半身ではまともな攻撃も防御も出来ないに違いない。

ましてや綾御前が使うのは、刃物ではない。当たれば確実にダメージを与える杖なのだ。どんな拳法を使うにしろ、足技だけでは対応できようはずがない。

「ふんっ、性懲りもなく、その面妖な得物か」

綾御前が唇を噛んで苦々しげに吐き捨てる。

それで僕は、はっとしてその立ち姿を見直した。

綾御前の装束にところどころ、なんと斬撃の跡が残っているのだ。裾を割いた切り口や胴当てにかすかに刻まれているのは、紛れもない。無数の刃物傷だ。それも尾を引いて長い引っかき傷にも似た斬撃痕だ。

やはり、王蝉は刃物を使うのだ。

しかし見たところ、王蝉の手にも身体にも、そのような刃物を仕込んでいるようには見えない。もしナイフ程度のものなら、綾御前の杖がこれほど受け損なうはずはないし、何よりこんな斬撃の跡はつかない。その不気味な構えといい、王蝉はその両手に何か得体の知れない武器を隠していると言うのだろうか。

二人の間の緊張がひと際強く高まった。

「ぷっ」

だしぬけに息を抜いたのは、なんと王蝉だ。

「にぇははははははっ、にゃーんてね、とりあえずここはこんなもんにしましょうですにぇ。続きは戦場で。ここは虎千代サンのお言葉に甘えますにぇ」

こいつも、腹の読めないやつだ。なんと王蝉はあっさり構えを解き、一時撤退を宣言したのだ。

「詭弁を申せっ、ここはすでに戦場じゃっ!笑って済ませる問題と思うか」

「おっと」

殺気を見せる綾御前に、王蝉は油断なく身構えた。

「もちろんあんたとはここで決着をつけてもいいですにぇ。でも、早く合流しないと、皆さんが困るのではないですかにぇ。師にも色々とお考えがあるようですし」

王蝉の暗示は効果的だった。追手の中にビダルはいなかった。確かにそれは、僕たちの中で不吉な警鐘を鳴らし続けていたのだ。

王小姐(ウォンシャオジェ)!」

ミケルが虎千代に剣を突き付けられながらも、鋭く反駁した。

「まだだ。おれは納得してない。逃げる必要などあるか。おれとあんたでやれるはずだ」

宝々(バォバォ)(坊や、と言う意味)、あんたの強がりに付き合ってる暇はないですにぇ。それに逃げるわけじゃないですにぇ、一時撤退ですにぇ。忘れてますか。元々、ビダル師には時間になったら戻れと言われていましたにぇ」

王蝉はいきり立つミケルを冷たく(たしな)めると、虎千代の方へ視線を移した。

「虎千代サン、あんた、律儀だから好きですにぇ。せっかくだから、ご好意遠慮なく頂きますにぇ」

「好意などではないさ」

虎千代は人を斬る目のまま、王蝉を一瞥して言った。

「さっさと、ビダルを連れて来い。そして伝えておけ。わたしが必ずその命をもらうと」

「にぇはは、師も喜びますにぇ。ではではー、また戦場で」

王蝉はぺこりと一礼すると、ミケルを促して悠々と去って行った。


弾き飛ばされたラウラのレイピアは地面に突き立っていた。

「立てるか」

緊張状態が解け、がっくりと膝を突いたラウラを虎千代が助け起こしている。僕はその間にラウラのレイピアを拾ってくることにした。しかしなぜ、ラウラが負けたのか。僕はずっと考え続けていたが、答えは出なかった。端から見ても彼女は、慢心や戸惑いを棄てて全力を尽くし、現に技量に差があったミケルをあそこまで追い詰めたとは思う。そのラウラを相手にミケルは、どこで突破口を見つけたのか今にしてもそれが、いくら考えても判らないのだった。

それはラウラ当人が一番痛感しているだろう。

「虎千代サン、ごめんなさい。ワタシ…」

皆まで言えずに、ラウラは口ごもってしまう。

「何を謝る。勝てなかったことか、それとも、真剣勝負に割って入られて助けられたことか?」

虎千代の口調は静かだったが、ラウラのためかあえての厳しさを伴っている。

「怒りは剣を単調にする。お前は拍子を盗まれたのだ。激昂するものの剣は凄まじいが、一歩退いてみれば、至極判りやすい剣。ミケルほどの巧者にとってはおのれを立て直し、お前の拍子を盗むに、それほどの手間は要るまい」

虎千代は遠慮会釈なく、ラウラの剣の敗因を指摘した。僕もラウラも今さらにそのことに気づいて、はっと息を呑んでいた。一見攻勢に見えたラウラに対して、虎千代が危惧していたのはまさにそこだったのだ。

「お前の怒りも判らぬではない。元々はその兄をお前は、救おうとしていたのだからな。怒りはまだ、未練が残っているからだ。お前はまだどこかで兄を救おうとしている。それが、お前の剣を濁らせたのだ」

虎千代の指摘に、ラウラは強くかぶりを振った。

「虎千代サン…判らない。ワタシが、まだミケルを…助けようとしている?ワタシがまだ、あの兄を…許そうと?」

「そうだ」

「ワタシ…ミケルに死んでほしくない、と…」

鋭く内面をえぐる虎千代の言葉に戸惑いを覚えながらも、ラウラはそれを反芻した。その言葉を口にした途端、ラウラの身体がぶるぶると震え、その瞳に涙がにじんだ。

「そのお前の気持ちは、今でも間違いはない。ただ、それではあの男にお前の気持ちは伝わるまい。相手を救おうと思っているということは、まだ余裕があると言うことだからな。お前はお前自身をまだ、ぶつけきれていないことに他なし」

僕は最前、虎千代がミケルを斬ろうとしたときの佇まいを今さらに思い出していた。彼女はその剣で相手を斬って捨てようとする時は極力、なまな感情を表に出さないようにしているのだ。それはラウラのように怒りに任せた剣では、生身の人は斬れない。そのことを虎千代が自然に体得しているからなのだ。

「わたしもかつて、この身に賭けて救おうと思った男を斬った。わたしはその男を殺したくはなかった。だが、そうせねばあの男の想いは受け止められなかったであろうし、わたしの想いすらも伝わらなかったであろう。そのことでわたしは、後悔はしていない」

虎千代が言っているのは、もちろん煉介さんのことだ。国盗りの野望に殉じた煉介さんの命を虎千代は最後まで救おうと思い、全力で行動した。それは全て煉介さんの想いを全力で受け止めようと考えた上での行動だったのだ。確かに虎千代は煉介さんを斬ったが、それは煉介さんの意志を気の済むまで遂げさせようと虎千代が最後まで受け入れようとした結果だったはずだ。

「お前は兄を救いたいと思っている。その意志を貫徹することに間違いはない。されど、お前のすべてをぶつける覚悟がなければ、もはやミケルは止められぬのだ。それをもう一度思い直せ」

ラウラは涙に濡れた顔を上げて虎千代を見た。

「いくさ場の(しょう)は、死なんとすれば生き、生きんとすれば死するもの。我が戦歴百番の実父、為景が遺してくれた中で、もっともわたしの心に刻まれた言だ。この意、おのが生ばかりに限らず。意味は分かるな?」

ラウラは自分の身体にそれを刻もうとするかのように、何度も頷いていた。

虎千代のその言葉は、自分の全存在を賭けて戦場に立ってきた大名職の心意気そのものだったのだ。絶対的な死を乗り越えたうえでの生がある。凄まじい経験知の蓄積から生まれたその言は洋の東西を問わず、武器を獲って戦うものの生への強烈な説得力があったに違いない。

「次はミケルに届かせよ。今度こそ、お前の想いを」

虎千代はラウラに再びレイピアを授けると、僕たちに言った。

「行くぞ。まだ、決着はついておらぬ」


こうして無事、ラウラと綾御前との合流を果たした僕たちだったが、さらに道を進んで今度は予想外の事態に愕然とさせられることになった。

「なんだ、ここは…」

焼け焦げた杉林が所構わずなぎ倒された辺り。戦闘機から絨毯爆撃を喰らったようなその一帯は、黒姫がゲゼルを喰い止めて戦っていた場所のはずだった。真っ白な灰煙がいまだ立ちこめ、生木が朽ちて爆ぜる音もするそこはまさに死の森と化していた。焦げた木の香りにつんと鼻をつく刺激臭。ゲゼルは、手製の爆弾を使ってこの惨状を作り上げたのだ。

しかし僕たちがたどり着いたとき、そこには誰もいない。黒姫の姿も、ゲゼルの影も、発見できなかった。ただただ、そこには燃え落ちた森の残骸が広がるばかりなのだ。

「黒姫、無事か。今、戻ったぞ」

虎千代が声を上げて何度も呼ばわったが、どこからも返事はない。

「あの獣女の姿も見えぬわえ」

「不気味です…」

いつ襲われてもいいように、綾御前とラウラは虎千代の横で武器を構えている。

「あれから、どうなったんだ…?」

ここでもまさか予想外の事態が起きたのか。僕たちは困惑させられるばかりだった。

「黒姫、返事をせぬか」

諦めずに張り上げる虎千代の声も、虚しくなり始めていた。目に沁みる煙に悩まされながら仕方なく、僕たちは先を進んだが、足場も視界も極端に悪い中で状況は容易に把握出来ない。ただこの惨状から推測するに、黒姫とゲゼルがここで化学兵器を使った熾烈な戦闘を繰り広げたことくらいしか、理解できなかった。

「あれは…?」

ラウラがふいに声を上げた。見ると互い違いに大木が倒れこんだ向こうに、何か大きなものが横たわっているのだ。少し近寄って見て、僕は肝をつぶした。

倒れているのは、なんと鬼小島だ。

「弥太っ」

血相を変えて虎千代が駆け寄る。鬼小島は血まみれのまま、棒のように身体を伸ばして横たわっている。僕と虎千代が手分けしてその傷ついた身体を抱き起こした。

「撃たれてる」

具足の腹に焼け焦げた弾痕を発見したのは僕だ。虎千代が目を剥いて傷と脈を検める。

「大丈夫だ、まだ息はある。姉上、気付薬を」

と、虎千代は血で固まった紐を必死に解きほぐし具足を脱がせると、傷口を確かめ、焼酎で洗うとそこに迅速な止血を施した。どうやら幸いにも弾丸は胴丸の丸みで身体の中へ入らず、脇腹の肉をえぐりとるだけで済んだようだ。間もなく、その巨体が大きく動き、苦しげに咳をし出した。それから腫れぼったい目を開けて僕たちに視線を巡らしている。意識もあるようだ。僕たちはほっと胸をなで下ろした。

「お嬢…すまねえ。しくじっちまいました」

鬼小島は軋るような声で、その言葉を口にした。

「お前が無事で何よりよ。それより、どうなったのだ?黒姫は?なぜお前がここにいる?」

虎千代は勢い込んで訊ねた。敵の姿はなく、さらに黒姫の代わりに鬼小島がいた。鬼小島は、ここからさらに行ったところでイェスパと死闘を繰り広げていたはずなのだ。

「あのイェスパって野郎は、おれがぶちのめしました。心配ねえです…それより」

鬼小島が悔しげに言い放った言葉は、僕たちに衝撃を与えた。

「ビダル…あの毛坊主が…腹黒をさらって、あの獣女と一緒にどこかへ…」

「黒姫が…!?」

ビダルに、再びさらわれた。

不吉な予感の的中に、僕たちは言葉も出なかった。


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