91話 社員1号
金が入ってくることが確実になったので、法人化をした。
ついでに金もあるので、電話を引くことに。
徐々に装備が揃い、この時代での生活基盤が盤石になっていく。
ここまで来るのに、なかなか苦労したぜ。
未来の知識というインチキがなけりゃ、こんなことは不可能だよな。
インチキだけではない、時代に埋もれてしまっていた優れた人材が俺を支えてくれたからだ。
皆に感謝しなければならない。
そのために多少の金を使っても、痛くも痒くもない。
盤石になりつつあるが、まだまだ足りないものがある。
本拠地と資産がなけりゃ、株式やら先物などの投資もできないのがこの時代。
まだまだ稼がなきゃな。
――ウチのアパートに電話が入った夜、俺の部屋にお客様がやって来た。
「篠原さ~ん」
八重樫君の声だ。
「はいよ~開いてるぞ」
「出ましたよ!」
入ってくると彼が開口一番、叫んだ。
その後ろには高坂さんと相原さん。
彼の手には、ムサシの単行本が握られていた。
「ついに出るのか~」
「はい」
本を手に持っている彼が、涙ぐんでいる。
「ははは、なにを泣いているんだ」
「そりゃ、泣きますよ! ここを目指して、漫画を描き始めたんです」
「やったなぁ」
彼が突然、畳に本を置くと土下座した。
「すべて篠原さんのお陰です! ありがとうございました」
「おいおいおい、先生~。まだ単行本が出ただけだよ。これからプロとして、なん十年も食っていかにゃならん」
「そ、そうですけど……」
彼が顔を上げた。
「このあと、いきなり人気が急落して打ち切り――なんてことも普通にあるのが、漫画の世界だしなぁ。ねぇ、相原さん」
「ええ、ありますねぇ」
編集の彼女は、そういう事例も見ているだろう。
「30年ぐらい第一線で活躍してな、文化勲章もらうぐらいになったら礼を言ってくれ、ははは」
「漫画で勲章ですか?」
先生は半信半疑だが、未来ではそうなっているからな。
「漫画が子どもだけのものじゃなくて、大人の間にも広がって認められるようになれば、ありえると思うよ」
「僕の漫画もそうなりますかねぇ」
「ムサシは大人でも楽しめる話になっていると思うよ。そのまま劇場版を作って映画館で流しても大丈夫だろう。キャラはちょっと大人っぽくする必要はあると思うが」
「映画ですかぁ。すごいですねぇ」
「その前に、TV漫画化だとは思うが」
「先生、単行本が売れて、今度出るレコードも売れれば、スポンサーはつくと思いますよ」
相原さんの言葉に、レコードの発売を思い出した。
「相原さん、レコードの発売日って決まったんですかね?」
「年末商戦に出すようですよ」
「ほう……こりゃ、また話題になるな……帝塚大先生が泣いて悔しがるに違いない。ボクチャンワクワクしてきた」
「プッ……」
俺のおふざけに、相原さんが噴き出した。
「帝塚先生ですか? どうですかねぇ?」
「悔しがるよ。だってシートレコードの付録を見ても、悔しがってたんだろ?」
「はい、それはもう」
相原さんが苦笑いをしている。
「それじゃ、主題歌のレコードが売れて、ドラマ編みたいなことになったら、もっと悔しがるだろうなぁ」
「帝塚先生は、日本初のカラーTV漫画まで作っている凄い方なのに……」
「いやぁ、なんでも一番じゃないと気が済まない人っているからねぇ。作品にもそういうのがにじみ出ているだろ?」
「あ~、それは解りますよ。なにがなんでも、他の人が描いたことがないものを描いてみたい――そんな感じですよね」
「そのせいで、子どもには難解だったり、とっつきにくかったり……素直に流行っているものを描けばいいのだろうけどなぁ」
「けど、流行り物を追っている帝塚先生って想像できませんし……」
「ははは、そうだな」
ムサシに感化されたのか、帝塚先生が連載を始めた「銀河旅団」という漫画は打ち切りになってしまった。
個人的な感想だと、やっぱりエンターテイメント性が薄かったのが、敗因だと思う。
偉い先生だと、そういうのを指摘するのも難しいのかもしれないが、俺としては未来に読んだことがなかった神様の新作を読めたので、眼福だったが。
「……」
俺の隣にやってきたコノミが、八重樫君の単行本をじ~っと見ている。
「あれは、先生の本だから駄目だよ」
「あ、コノミちゃん! コノミちゃんにも持ってきたから!」
相原さんが大きなカバンから、ムサシの単行本を取り出すとコノミに渡してくれた。
「ありがとうございます!」
パッと明るい表情になった彼女が、本を受けると俺の後ろで早速読み始めた。
「それは今まで雑誌に載っていた漫画を一冊にまとめたものだよ」
「最初から?」
「そう、最初から載ってる」
「へ~」
コノミが1ページ目から読み始めた。
そういえば、直しとか入っているのだろうか?
「八重樫君、単行本の直しとか入れた?」
「何箇所か直してありますよ。あと、連載していたときに広告が入っていた場所を埋めたりとか」
「あ~、なるほど」
この時代、物語の途中でも広告が入っていた。
コミックスになっても、突然そこだけ浮いていたりとか。
八重樫君と話していると、廊下をバタバタやって来る音が聞こえて、戸がノックされた。
「篠原さん! 篠原さん!」
「はい、開いてるよ~」
「また、私を仲間外れにしてますね!」
入ってきたのは、矢沢さんだ。
「してないっての。それより、ムサシの単行本だよ」
「あ~っ! いいなぁ!」
相原さんが、彼女にも単行本を差し出したのだが、本がほしいわけではあるまい。
「矢沢さんの単行本も出ることに決まったんだろう?」
「決まりましたけど、ムサシほどは刷ってもらえないです……」
「もともと、少女漫画ってのはパイが小さいからなぁ」
俺の言葉に八重樫君が反応した。
「パイ? パイってなんですか?」
「え? ああ、使わない言葉なのか。アメリカに丸い円盤型の食べ物があるんだよ。それに市場を例えて、『パイが小さい』とか『パイを奪い合う』とか……」
「はぁ~、なるほど」
彼がお尻のポケットから出した小さな手帳にメモを取っている。
漫画のネタに使うために、こうやって思いついたことをメモっているのだろう。
そうそう、メモるって言葉もこの時代だとどうなのだろうか。
普通に使ってしまっていたが。
「なんだ、ムサシのネタに使うのかい?」
「未来の日本だと使っているというのは面白そうです。そういう細かいネタが、世界観を作るんですよねぇ」
「なかなか言うようになったじゃないか」
「あはは」
ムサシの艦内では、スマホやタブレットに似た情報端末を使っている。
各種センサーアタッチメントで、色々と使えるようになる万能端末だ。
個人識別用のキーにもなっているので、それがないと艦内ではなにもできない。
航海中には給料も振り込まれていて、危険手当や遠洋航海手当もつく。
無事に地球に戻ることができれば、一財産になるだろう。
まぁ、そのときには地球がどうなっているかわからんけどな。
ハイパーインフレで、通貨の価値などなくなっているかもしれん。
そのため、地球に帰ってきたら地金で支払われる――というのも面白いかもしれん。
そのことも彼と話してみる。
「面白そうですね。そりゃ戦争中なのですから、通貨の価値が暴落してもおかしくないですし」
「未来だと金やダイヤも簡単に合成できるようになっているかもしれないがな、ははは」
「金って合成できるんですか?!」
黄金の話に矢沢さんが食いついてきた。
「金は元素だから化学合成はできないだろうが――周期表の中で金に近くて大量にある、鉛あたりの原子や電子をいじって変化させたりできるようになるかもな」
「そんなことができるんですか?」
八重樫君も興味ありげな顔をしている。
「まぁ、未来だしな」
「周期表って、水兵リーベ僕の船、七曲りシップスクラークか――ですよね」
矢沢さんが呪文を唱えた。
「はは、そうそう」
でも、彼女は中卒のはずだが、この時代は中学で周期表を習っていたのか。
「相原さんも当然知ってると」
「はい」
なにはともあれ、ムサシの単行本が発売になる。
初版は30万部も刷ったらしい。
実際、かなり注文が入っているらしいので、小中学館の上層部も、そのぐらいは売れると判断したのだろう。
矢沢さんの単行本はどうかなぁ。
今のところは、話題になっている感じではないが。
知る人ぞ知る漫画だ。
そもそも、創刊された少女誌が後発で、まだ固定客を掴んでいるか微妙なところだし。
初版、10万部ぐらいだろうか。
それでも、220万円ぐらいの印税が入ることになる。
新卒の年収が26万円ぐらいの時代だ。
贅沢をしなければ、5~6年はなんとかなるだろう。
その間に、プロとしての地盤を固められればいいのだが。
――ムサシの単行本をもらった次の日。
不動産屋に向かい、社宅の契約を正式に行う。
会社の登記が終わるまで、待ってもらっていたのだ。
モモのやつが入る予定の3畳の部屋だが、狭いとか言いだすかもしれん。
会社で家賃は出すんだ。
文句は言わせん。
「ほんじゃ、これで契約は終了ってことになるよ」
契約書を爺さんからもらう。
「連帯保証人が私でいいんですかね?」
「なにを言ってるんだ。お兄さん、社長さんなんだろ?」
「そうです」
不動産屋の爺さんが言うように、会社を登記するにはそれなりの金がいるから、それだけ社会的な地位が上がるということだろうな。
会社をやるぐらいなら、家賃の滞納ぐらいなんとかなるだろう――ということだ。
契約書をもらって、不動産屋から出てきた。
「そうだ、モモのやつを見にいってみるか」
ちゃんと引っ越しの準備しているんだろうな?
すでに、逃げてたりしてな。
まぁ、それならそれでもいいが。
借りた所は、八重樫君が雇っているアシスタントの仮眠部屋にしてもいいし。
俺は、秘密基地に寄ると郵便受けを覗いた。
1日1回はチェックしないとな。
「あ、そうだよ! 特許の名義変更もしないとな」
サントクとの特許料の契約や、乳酸飲料メーカーのとの契約も名義と振込先を変更してもらわないと。
ふぁ~面倒クセェが。
やらないと税金を取られるだけだし。
みんな、それが嫌だからやってるんだよなぁ。
いつもの路地を歩いて、古めかしい以前住んでいたアパートに到着した。
モモのやつが引っ越したら、もうここに来ることもないだろうな。
木造の建物の中に入ると、途端に温度が数度下がる。
勝手知ったるアパートの階段を上ると、モモの部屋の前に来た。
「お~い、いるか~。篠原だ」
「は、はい!」
中からバタバタと音がしたあと、戸が開いた。
真ん中分けの長い髪と、セーター――デニムを穿いた女が出てきた。
どうやら逃げてなかったようだ。
初めて出会ったときのようなふてぶてしさはなくなって、借りてきた猫みたいな顔をしている。
「ははは、逃げてなかったな」
「だ、だって、行く所がないしよぉ……」
部屋の中を見ると、ほとんどの荷物は荷造りが終わっているようだ。
もともと、着の身着のままでここに入ったので、荷物は多くない。
リアカー1回で終わる量だ。
「もう、引っ越しできるんじゃないのか?」
「最後の荷物をまとめれば終わりだよ」
「それじゃ、近々やるか」
「はい」
「その前に、部屋を見に行くか」
「……」
彼女は黙って部屋を出ると、鍵をかけた。
「狭いけど、家賃はタダなんだから文句は言うなよ。嫌なら早く稼いで自分で部屋を借りろ」
「部屋を借りるには保証人が必要だし」
「だから、こういう場所に入れているのに、お前はぁ~」
「ご、ごめんなさい」
まぁ、この度は相手の男も悪いが、そんなやつに引っかかるのもなぁ。
「あの男について、なにか聞いたか?」
「山奥の工事現場に行くとか――貸したお金も取り戻してくれるって」
それで迷惑料を稼げば警察には突き出さないからと、手打ちになったのか。
「ははは、山奥じゃ逃げるわけにはいかなくなるからなぁ」
強制的に働くしかなくなるわけだ。
あんなクズにはちょうどいいかもな。
――と、言いつつ、俺も白い家の奥さんに乗っているところを、旦那に踏み込まれたら同じことになってたわけだし。
あまり人のことは言えねぇな、ははは。
モモと2人で路地を歩いて、新しいアパートにやってきた。
中に入る。
「角部屋だ」
「うん」
契約は済んで鍵は俺が持っているので、開けた。
3畳なので相変わらず狭い。
「……」
「狭いだろうが、タダなんだから文句は言うな。押入れを開けて足を突っ込めば寝られる」
「はい」
もっと困惑するのかと思ったが、意外と平気なようだ。
まぁ、今の場所からすぐにでも出たいのかもしれないがな。
「ほい、鍵は渡しておく」
「はい」
「引っ越しはいつやる? 明日でもいいぞ? 多分、天気もいいし」
「それじゃ明日でもいい?」
「OK、OK、それじゃ、不動産屋の爺さんからリアカーを借りないとな」
ただし、リアカーが貸出中だったら、順延だ。
外に出ようとしたら、服を掴まれた。
「なんだ? 金がなくなったか?」
「フルフル」
彼女が首を振る。
「は~、お前がクソ生意気な女のままだったらよかったんだけどな。今はただの可哀想な女だしなぁ」
矢沢さんと一緒だ。
可哀想なのはヌケない。
「……」
彼女が俺の服を掴んだまま、泣き始めた。
「あ~あ、解った解った」
面倒クセェ! ――と、心の中で思っていても、口には出さねぇよ。
大人だからな。
涙を流している彼女と抱き合い、キスをしてみるが、タバコのにおいもしない。
禁煙も続けているようだ。
マジなニコチン中毒は、飯代削ってもタバコを吸うからな。
この状況で吸ってないということは、ずっと煙を止めるつもりなのだろう。
「はは、どうでもいいが――ここは角部屋だから、立ってやったら外から丸見えだな」
「……」
――というわけで、1回だけ相手をした。
モモは物足りなさそうだったが、どうも調子が狂う。
クソ生意気なガキが素直になったら、こっちがどうしていいのか戸惑う。
やっぱり可愛そうなのは、燃えないのだ。
「一緒に帰るか」
「うん」
彼女に2000円ほど渡し、鍵をかけてから一緒にアパートを出る。
2人して無言で路地を歩いていると、突然後ろから抱きつかれた。
「わぁ!」
「ショウイチ!」
誰かと思ったら、コノミと、そのお友だちだった。
「なんだコノミか。驚かすなよ」
「誰?」
彼女がモモの顔を見て、不思議そうな顔をしている。
「俺の会社で雇う、社員だよ」
俺の言葉に女の子たちが群がってきた。
「ショウイチの会社?!」「ショウイチって社長さん?!」
女の子たちの間でも、俺はショウイチなのだ。
コノミがそう呼んでいるからだろう。
子どもの言うことなので、「さん」をつけろよ、凸助野郎――とは言わない。
「そうそう、社長になったんだ」
「本当に?! やったぁ!」
俺の言葉に、野村さんが飛び跳ねた。
「野村さん、なにがやったなんだ?」
「それじゃ学校卒業したら、ショウイチに雇ってもらえばいいんだ」
この子は突然、なにを言い出すのやら。
「君は小学生なのに、そんなことでいいのか? 夢はないのか? 夢は?」
「ないよ! だって、高校だって行けそうにないし!」
「俺の知り合いの女の子だって、中卒なのに漫画家になって頑張ってるぞ」
いつも遊びに来ている彼女たちだが、隣に漫画家が住んでいるとは言ってない。
学校で噂になったりして知っているかもしれないが。
「私、絵とか描けないし……」
「いやいや、漫画家はたとえだよ。なにかやりたいことはないのかい?」
自分がなにができるのか、試すことすらできない時代。
情報がないから、世の中にはどんな商売や職業があるのかもわからない。
女は誰か男を見つけて、結婚して子を産み育てる――それしか選択肢がなかったのだろう。
「け、ケーキ屋さん……」
これは、子どもらしい夢だな。
単純に、ケーキ屋になれば甘いものがいつも食べられる――そう考えているに違いない。
「う~ん、ケーキやお菓子を作る人をパティシエっていうんだけど、みんな男性なんだよなぁ」
「なんでぇ?」
「それはなコノミ――お菓子を作るってのは、ものすごい力と体力が必要なんだよ」
「そうなんですか?!」
話を聞いていた鈴木さんが驚いている。
「生地をねったりこねたりするのに、すごい力がいるんだ」
「ショウイチは、なんでも知ってる」
コノミが両手を腰に当てて、フンスと得意気な顔をしている。
「はは、なんでもは知らないがな」
「それじゃ、やっぱりショウイチの会社に入る……」
「それまで俺の会社が潰れなければいいなぁ、ははは」
「コノミちゃんは、なにになりたい?」
鈴木さんの問に、コノミが答えた。
「ショウイチや、ヒカルコのような小説家!」
「コノミも本を出したいのかい?」
「うん、お話を沢山書きたい」
「はは、いいかもなぁ」
俺は彼女の頭をなでた。
まぁ、同年代でコノミぐらい本を読んでいる小学生もいないだろうし。
ヒカルコに書き方を教えてもらった読書感想文もできがよかった。
中々有望かもしれない。
女の子たちと話していると、いつのまにかモモがいなくなっていた。
「あれ? モモはどこに行った?」
「あの女の人? 歩いて行っちゃったよ」
「そうなのか。一言言えばいいだろうに……」
やっぱり、3畳の部屋が気に入らなかったのだろうか。
まぁ、逃げたら逃げたで、しゃーない。
コノミたちと別れると、俺はそのまま不動産屋に向かう。
「ちわ~」
「あれ、お兄さん。どうしたの? なんか忘れたのかい?」
事務机の前で、爺さんが茶を啜っていた。
「あの~――明日、リアカーってまた借りられますかね?」
「お、いいぞいいぞ」
「それじゃ、代金は酒1升でいいですか?」
「はは、よしきた!」
上酒が飲めると、爺さんは上機嫌だ。
俺が買ってくるのは上物だと知っているからだ。
「お兄さん、止めてくださいよ! この人ってば、いい酒が入ると全部飲んじまうんですから!」
「てやんでぇ! いい酒で、しかもタダ酒ときたら、飲まずにいられるかっての」
「全部飲むこたぁないだろ!」
「うるせぇ!」
ここの夫婦は、いつもこんな感じだ。
仲がいいんだか、悪いんだか。
――モモと3畳の部屋を見にいった次の日。
不動産屋の爺さんから、リアカーを借りて、前のアパートに向かった。
玄関にリアカーを置くと、彼女の部屋を訪ねる。
「お~い、起きてるか?」
バタバタと音がしているので、いるのだろう。
まぁ、逃げてはいないらしい。
「……」
戸が開いたが、むくれている。
なんなんだ。
「引っ越しの準備はできているか?」
「……うん」
中を見れば、最後の荷物もまとめているようだった。
これならすぐに終わるだろう。
大きな荷物はちゃぶ台ぐらいだ。
飯を食べるのに困るから買ったのだろう。
「大家さんには話したか?」
「うん」
2人で荷物を運び始めた。
人手があればすぐに終わる量だが、ヒカルコは手伝ってくれそうにないし、八重樫先生をこんなことに巻き込むのも悪い。
まぁ、荷物は少ないからな。
「……子どもいたんだ……」
荷物を運んでいると、彼女がボソリとつぶやいた。
ああ、コノミを見たから機嫌が悪いのか?
「一応、保護者だが、俺の子どもじゃないぞ」
「……そうなの?」
「遠い親戚でな。彼女の母親が突然失踪して、死にそうになっていたから保護した」
「そうなんだ……」
「一緒にいたのも、子どもの母親じゃねぇし。だいたい、あんなに若いわけがねぇだろ」
「そ、そうだけど……」
コノミが本当の子どもだったとしても、こいつには関係ねぇ。
それにしても、矢沢さんのアパートはみんな手伝ってくれたが、ここは相変わらずだな。
脛に傷を持つやつらばかりが集まっているのだから、仕方ねぇか。
荷物が積み終わり、リアカーを引っ張り新しいアパートに。
ちゃぶ台を運んでいると、アパートの若い連中が手伝ってくれた。
1人中年男性がいるのだが、このアパートの管理人らしい。
「じゃあ、あんたは片桐さんに雇われているのかい?」
「はい、そうです」
「さすがに、年寄に3つも4つもアパートの管理は無理だろうしなぁ」
「ええ」
「今日から入る、百田です。よろしくお願いします」
彼女がペコリと礼をした。
なんだ、普通に挨拶はできるんだな。
いつも女番長みたいな喋り方かと思ったが、もともとは躾などもしっかりと受けていたっぽい。
この時代に娘を大学に入れるぐらいなんだから、それなりの家なんだろうし。
こうやって見れば、少々顔のいい普通の女だ。
背も高いし、いい尻をしている。
早速、若い男どもが鼻の下を伸ばしているが、こいつらは、この女の本性を知らんからな。
モモはモモで、変な男に引っかかるし。
普通にお嬢様風な格好をして、公務員とか捕まえればいいじゃねぇか。
まぁ、接点がねぇだろうから、今更そんなこともできねぇか。
なにはともあれ、引っ越しは完了。
彼女は、毎日ここから、俺のアパートに通ってくる。
炊事場にある電話の番と、各種の雑用が仕事。
社員と言ったが、正社員ではなく、外注扱いだ。
漫画家の先生たちの手伝いをやらせたりしたら、時間が不規則になってしまうしな。
外注なので残業代もなし。
ぶっちゃけブラックだが、給料は月に2万出す。
通常の女性の給料は1万4000~1万5000円ぐらいらしい。
先生たちの手伝いをすれば、お手伝い代も払ってくれるだろう。
要は、彼女のやる気次第だ。