両手に歯形
「お兄ちゃんすごいじゃん。こんなことまで調べたの?」
家に帰った彗は、宵が持ち帰ったレポートを見ながら感心しながら声をあげた。
「ああ。あの探偵、やっぱり実力は本物だぞ。まさかフェイクの判定の他に場所まで特定してくれるとは」
「うーん。次回のドロップキックは優しくしてあげようかなぁ?」
「いや人に優しくする気持ちが少しでもあるなら、ドロップキックなんてしないはずなんだよ」
彗は宵の言葉を聞き流し、宵に迫った。
「で、行くでしょ?関西。ここってすごい有名な歓楽街だよね?楽しみ〜!ね、早く行こ!いつ出発する?」
「……」
「え、なに?」
宵の妙な間を感じた彗は、眉間に皺を寄せながら兄の方を見た。
「……電車で行くより、軽自動車で高速道路に乗って行く方が安いんだ。二人なら」
「……?うん。それなら早く車で行こうよ……あっ!!もしかして、またお金ないの!?」
彗は悲しそうな顔を浮かべながら、宵の肩を掴んで揺らした。
「ねぇ、なんでうちはこんなに貧乏なの!?劇団のときはツッコまなかったけどさぁ、『怪盗するぞ』ってなって最初に始めるのが『アルバイト』だった怪盗、たぶん世界で私たちだけだよ!?」
彗は声をあげて騒ぎながら続ける。
「もう嫌だよ私!!そこはなぁなぁでいいじゃん!?どこで買ったかわかんないおしゃれな衣装を着て、誰が作ったかわかんないような眠くなる煙プシュー、何故か無警戒な警察官が全員バタッ!とかでサッと獲物を盗む怪盗でいいじゃん!?なんで私だけアルバイトしたり、全身黒タイツで侵入したり、軽自動車で移動してるの!?」
彗は大きく息を吸い、叫んだ。
「もっとスタイリッシュに行こうよぉ!!怪盗なんだからさぁ!!」
彗は感情が収まらないのか、地団駄を踏んで怒りを爆発させていた。
「彗、何度も言ってるだろ。そんなのはフィクションだけなんだって!あとあんまり騒ぐな!お前がこの部屋に来てから、定期的に『うるさい』って書かれた紙がうちのポストに入れられてんだよ!!」
宵は彗の口を手で塞ぐようにして妹を黙らせようとした。
「ガルルルッ!!」
「いだぁ!!」
しかし凶暴化した妹は野獣のようで、宵は手を噛まれて歯形を付けられてしまった。
宵は先ほど反対の手を小型犬に噛まれて歯形を付けられたので、宵は妹と犬の歯形がそれぞれ両手に残ってしまった。
「彗、落ち着けって。金がないわけじゃないんだ!今回は足りるから!車中泊になるけど……」
「じゃあなんなのさ!変な理由だったら蹴り飛ばすからね!」
宵は彗の方を見て、「ふぅ」と大きく息を吐いてから口を開いた。
「……長距離の高速道路の運転に、自信がないんだよ!!!軽自動車だと追い越しのトラックの風でめっちゃ揺れるん……ゲフウッ!!!」
その瞬間、宵の腹に彗の両足が叩き込まれ、宵は少し宙を舞ったあとにベッドの上にドサリと落ちた。
「早く、行くよっ!!!」
──────────────────
「ん……もっと、上」
「はい……」
とある屋敷とも言えるほど大きな豪邸の一室で一人の男が、ベッドに寝転んだ女の腰を揉んでいた。
部屋の隅には、一本の刀が鞘にしまった状態で置かれており、鞘には三日月のマークが付けられている。
「そうそう……そこそこ。しっかり揉みなさい」
一糸纏わぬ女の体はうなじから足首まで、余す所なく刺青が彫られている。
その刺青は般若と彼岸花を組み合わせた一枚の絵のようになっており、男が女の腰を揉んでいると般若がこちらを見て嘲笑っているような気分になり、男は不快だった。
「ほら、もっと強く。まったく使えないんだから」
「申し訳ございません……夏波様」
女の名前は、豪月夏波。
旧姓は月詠だが、結婚してからは今の姓を名乗っていた。
「あんたが生きてられるのは、私のおかげでしょ?もっと感謝の心を込めながら尽くしなさい。鬼坊」
「……はい。ありがとう……ございます」
鬼坊は思ってもいないことを口にしながら、夏波の背中あたりに手を添えてマッサージを続けた。
夏波の下僕である鬼坊は、この時間が最も嫌いだった。
10年前にこの女の下僕にされてからというものの、さまざまな仕事をさせられている。
この女の旦那が取り仕切る極道組織、「月虎会」にとって邪魔な者を斬る仕事と、この女のボディガード。
そして「魔法は体が凝るから」と笑う女のマッサージを、ほぼ毎晩やらされている。
しかし彼は知っている。この女は体が凝っているのではない。
夏波という女は男を自分の支配下に置いたり、自分に尽くさせるのが好きという救いの無い趣味をしている。
だからこのマッサージや、その他に彼がやらされている奉仕も、この女の「趣味」なのだ。
力を背景に弱者をいたぶるのが趣味という、最低最悪の性格を持つこの女の犠牲者は多い。
利用価値がある自分はまだましな扱いを受けている方だということを、彼は知っていた。
以前自分達を撮影した動画を投稿した男は月虎会に捕えられた後、この女の「趣味」に付き合わされた挙句に殺され、死体は月虎会に処分された。
鬼坊はその様子を見ていたがその男の最期はあまりにも残酷で哀れなものであり、その際に夏波が浮かべていた笑顔はこの世で最も醜悪で、見るに耐えないほどに穢れたものであった。
「だからもっと強くって言ってるでしょ!ほんっと、グズね!」
夏波がそう言って「お仕置きね」と呟くと、部屋の隅に置いてあった刀がカタン、と音を立てて倒れた。
夏波が魔女として神器・新月刀へ魔力の放出を止めたのだ。
「あ、ああああ、あああああ!!!」
その瞬間、若かった男の体はみるみるうちに年老いていった。
手に皺が増えていき、体中に激痛が走り始めた。魔法の力を失い、元々患っていた病気が再び体を蝕み始めたのだ。
「ああああ!!!夏波様ぁ!!お許し下さい!!!お許し下さい!!!」
「だってぇ、あなた使えないんだもん。そのまま死んじゃったら?」
「も、申し訳ございません!!申し訳ございませんんんんん!!!」
男は痛む体を必死に動かしながら土下座をし、畳に額を擦り付けた。
夏波が魔力の放出を止めただけであれば、男の体は1日か2日かけてゆっくりと元に戻っていく。
だが、今の夏波は男の体にかけていた魔法を「解除」しようと魔力を働かせたので男の体はみるみるうちに、元の病床に伏せていた老人へと戻っていった。
「夏波さまぁ!お許しを……!魔法を、私に魔法をかけてくださいいぃ!!」
「え〜?どうしようかしら?あんた使えないし、そのまま死んじゃったらぁ?」
恐怖に怯えて狼狽し泣き叫んで許しを乞う男の様子を、夏波は口角を上げて醜悪な笑みを浮かべながら眺めていた。
そして5分ほど経っていよいよ男の体が完全な老人となり、病死寸前の末期患者といった風貌になったところで、男の変化が止まった。
「あ……あ……あ……!」
男は死の恐怖と激痛に泣き叫び震えたが、自分の手の皺が消えていき、徐々に若返っていくのを見た。
部屋の隅の新月刀を確認すると、刀は赤黒く汚れた血のような光を発しており、その光が自分の体に入ってきている。
「あ、ああ……!!夏波様、ありがとうございます……ありがとうございます……!」
鬼坊は若い男の姿に戻りながら、涙を流して夏波の足元に這いつくばりながら礼を言った。
彼は夏波から何度もこの脅しをされているが、何度やられても恐怖と痛みで頭がおかしくなりそうだった。
夏波の魔法で与えられている健康な体と若さを奪われて元の姿に戻され、生命のありがたさを強制的にわからせられる。
それはあまりにも残酷な脅迫であった。
「いい?あんたの命は私が思うがままなんだからね。死にたくないなら……死ぬ気で私に尽くしなさい。永遠にね♡」
夏波はそう言って高らかに笑い、足元で泣いている鬼坊の後頭部を踏み躙って遊んだ。
ガラガラッ……
夏波が鬼坊の頭を踏みつけたり蹴り飛ばして遊んでいると、二人がいる部屋の襖が開けられて一人の男が入ってきた。
☽ あとがき ☾
新月刀の魔法は「身体能力の強化」ですが、強めに使うとその強化した身体能力に耐えられるよう、魔法をかけられた人間の体は変化します。
だから子供や老人に使うと、18歳〜25歳程度の姿に、魔法の「副作用」として変化するわけですね。