決着
「あ……?」
突然普段使っている偽名で呼ばれた彗が振り向くと、その声の主は鬼面の男だった。
「やめろと言っているんだ。中村水」
怪盗Witch Phantomの変身魔法が切れたとき、鬼坊は気付いていた。
この少女は、8月に観に行ったインターハイで自分が見惚れた少女剣士だと。
あの才能溢れて天真爛漫な剣士が、夏波と似たような黒い魔法を使い、心を闇に染めて刀を鈍器のように振り回す。
そんな姿を絶対に認めたくなかった。
「君の剣は、そんなことをする為にあるのか?」
赤鬼面の男は、満月鏡の闇の魔法で何も見えないはず。何も聞こえないはず。
それなのに、彗は彼がしっかりと自分の目を見据えて話しているように感じた。
「うる……さいっ!!」
「む……」
鬼坊は少し驚いた。無明無音の空間にいたが、彼女の声が聞こえたからだ。
どうやら、彼女が相手に届けたいと考える声は相手に届くらしい。
「この女は、私のお母さんを、家族を殺した……っ!!ここで報いを受けるべきだっ!!」
「それがどうしたぁ!!!」
鬼坊が腹の底から出した声は、彗の体の芯まで響くような大きさと低さだった。
「どれほどに憎い相手であろうと、君の心を汚していい理由にはならない!!」
鬼坊は、とにかく哀しかった。
あんなに純粋な心と素晴らしい才能を持ち、優しい兄がいる少女が、心を闇に食われた事が。
夏波と同じ、汚れた魔女に堕ちてしまったことが。
「君の10年間は、絶望しかなかったのか!?苦しいことしかなかったのか!?全てが、闇だったのか!?」
鬼坊は「そうだとすれば!!」と続ける。
「何故、君の剣はそんなに美しいのか!!何故、君の笑顔はあんなに眩しかったのか!!その美しい剣も、あの眩しい笑顔も、闇の魔女のものだったというのか!?」
鬼坊は目から涙を零しながら、「違う!!」と叫んだ。
「本物の闇の魔女は、下卑た笑いを浮かべ、他人に戦わせ、人を傷つける事を悦びとする悪魔だ!!君はそんな穢らわしいものとは、違うだろう!!」
彼は本物の闇の魔女に10年間飼われ、戦わされてきた。
だからこそあの明るい少女剣士が、夏波と同じだとは絶対に思いたくなかったのだ。
「……じゃあ、私の恨みは!?この怒りは!?どうすればいいの!?どこに向ければ……」
彗は勝手なことを言うな、と言わんばかりに反論した。
この胸に溜まった闇は、絶望は確かにある。
それを消すことなんてできない。
彗の反論に対し、鬼坊は大きく息を吸ってから答えた。
「──そんなものは、踏みつけて進めぇ!!」
彼の息吹は、彗の心に響いた。
「山頂を目指して山を登る登山家が、途中で躓いた石ころに腹を立てていつまでも石を殴っていたら、滑稽だろう!そんな石は踏みつけて進めと思うだろう!それと同じこと!大きな目標を目指しているのなら、そんな感情は踏みつけて進むのだ!!」
「ッ……!」
彗は、ようやく正気に近いものを取り戻し始めた。
『彗……頼む……聞いてくれ。それ以上は、やめてくれ……』
少し頭が冷えると、宵が泣き啜る声がイヤホンから聞こえてきた。
宵は妹の尋常じゃない様子に異常を感じ、ずっと声をかけ続けていたのだ。
彼は妹のあの綺麗な月光色の魔力光が、自分が大好きなあの光が、真っ黒に染まってしまったことを誰よりも悲しく思っていた。
何よりあのヘドロのような黒い魔力は、春華や夏波が出していたものと同じ。
また母や祖母が出していたような美しい月光色の魔力を取り戻してほしい、と強く願っていた。
「中村水……いや、怪盗Witch Phantom。君の目的は何だった?その女を殴り殺すことか?いや、違う」
鬼坊は右手に掴んだ新月刀を前に突き出した。
「新月刀を盗むことだろう。そして、その為に私を倒すことだろう」
「………!」
兄の涙と彼の言葉で、ようやく彗は深い闇から目を覚ました。
(そうだった。私は……)
満月鏡は黒い魔力の供給が止まったことで闇の魔法が終わり、道場の中に再び光が満ち始めた。
明るくなった道場の中には、新月刀を手に立っている鬼坊と、血がついた「斬れない刀」を持った彗、体中を腫らして血を流しながら泣いている夏波がいた。
「ひ、ヒイィ!」
夏波は慌てて鬼坊の方に向かって走り、その背後に隠れた。
しかしそんな夏波の様子に二人は目をくれることもなく、彗と鬼坊は顔同士を糸を繋がれて引かれ合うように見つめあっている。
「……ありがとう赤鬼さん。目が覚めたよ」
彗は「あと……」と続ける。
「私、本当は『中村水』って名前じゃなくて『月詠彗』って言うの。スイは水じゃなくて彗星の彗」
『…………』
妹が敵に本名をバラすという暴挙に出たが、宵は何も言わなかった。
真剣勝負の前に相手に本名を名乗りたかったという彗の心を理解したからだ。
彼女の真の名を聞いた鬼坊は、「美しい名だ」と鬼面の下で優しく微笑んだ。
「構えろ……月詠彗。最後の勝負だ」
「──うん」
二人は構えた。
────────────────
「………………」
「………………」
二人の剣士が、静寂に包まれた道場の中で向かい合って構えている。
赤鬼面をつけた男は、一般的な剣道の構えである中段に。
胴着袴に身を包んで髪を後ろで結んだ少女は、刀を振りかぶった体勢で構える上段に。
魔法なし。剣技のみの一本勝負。
まともにやればまず鬼坊には勝てないと考えた彗は、捨て身の戦術に出た。
刀を頭の上に振りかぶる上段構えは、間合いに入ってきた相手を一刀両断することに特化した構え。
攻撃に特化する代わりに、首から下は全て無防備となる。
昨日、東条刑事から教わった構えだ。
「……何あれ?」
夏波は、鬼坊の背後から首を出して彗の姿を見た。
振りかぶり、胴体を晒している。
あんなもの、鬼坊が首か胴を切ってしまえばそれで終わり。
剣道の素人の夏波には、いまの彗の構えはあまりにも無防備で滑稽なものに見えた。
「あんなの、さっさと殺して終わらせちゃいなさいよ」
夏波は「ふふん」と笑い、続けた。
「それにしてもでかしたわ鬼坊。あの闇の魔法を解除させるなんて。これが終わったらご褒美を……」
「黙れ」
饒舌に話し始めた夏波に向かって、鬼坊は静かに呟くように言った。
「貴様は口を挟むな。勝負が穢れる」
「ッ……!!」
夏波は反抗的な下僕に強い怒りが湧いたが、とりあえずこの勝負が終わるのは待とうと思った。
お仕置きは後でも出来るし、今は彗を仕留めさせるのが先だ。
「……………」
「……………」
二人は見つめ合ったまま動かない。
(私から、仕掛けるしかないのだな)
鬼坊は、彗の狙いを正確に理解した。
もう彼女は斬り込んでくる体力がない。
上段で待ち、相手が来たところを確実に仕留める。
そんな意図が見える。
それならばこちらから仕掛け、彼女が自分を斬るよりも早く……自分が彼女を斬る。
どちらが疾いか。
これはそういう勝負だ。
(しかし……)
鬼坊は簡単には斬り込めない。
途轍もない集中力を放ちながら待っている彼女は、まるで断頭台のように見える。
敵が自分の間合いに入った瞬間、目にも止まらぬ速さで刃を落とす。
迂闊に入り込めば、自分の頭は割られる。
彼はそう感じた。
彼女はただ静かにその一刀に魂を賭け、無防備な肉体を晒して待っている。
(──なんと……美しいことか)
彼は感嘆した。
自分の剣に命を賭けるその少女の姿は、彼が今まで見たどんな剣士よりも美しかった。
過去に彼女の弱点として見えていた集中力の満ち欠けは、今日は見られない。
ならばこちらが意を決して行くしかない。
出す技は──もう決めてある。
「でりゃあああああああああああああ!!!!」
鬼坊は大きく発声をしたあと、左足で床を強く蹴り、瞬時に間合いを詰めた。
そして、少女の右腹を斜めに斬り裂くように一閃──。
「なっ……!!」
鬼坊は驚いた。
なんと、自分の刀は空を斬った。
少女は大きく背後に退がり、鬼坊の「胴」を躱したのだ。
(だが、この技は二連撃!)
鬼坊の最も得意とする技、「十字胴」は相手の右腹を斬り裂いた後にそのまま高速で左腹を斬る技。
この技で剣道では数え切れないほどの「一本」を、人斬りとなってからは数え切れないほどの「命」を、相手から奪ってきた。
少女は大きく下がったことによって壁を背負った。
次の「逆胴」は、もう避けられない。
鬼坊は決着を確信して新月刀を振り抜いた。
「なっ……!?」
しかし、またもや空振り。
(どこに避けた!?)
鬼坊は一瞬彗を見失ってしまったが、すぐに見つけた。
上だ。
「その神器はあああああぁぁぁぁぁ……!!!」
彼女は大きく退がって一撃目の胴を躱したあと、大きく飛び上がって二撃目の逆胴を躱したのだ。
そして落下の重力に任せてこちらの頭を狙い、刀を振り下ろしてきている。
「私たちのものだああああああああああああああああああぁぁぁぁぁ!!!!!」
怪盗少女はあり得ないほどに大きな発声をしながら、力任せに、全体重をかけて刀を振り下ろしてきた。
(早く……防御をッ!!!)
鬼坊が慌てて刀を戻そうとしたそのとき、彼は落ちてくる少女の背後に多くの者の姿を見た。
あの老夫婦は彼女の祖父母だろうか。
あの男性は彼女の父だろうか。
あの女性は彼女の母だろうか。
そして彼女と共に剣を握っているように見える彼を──私は知っている。
この子の、兄だ。
この子の一撃は家族の……一族の思いを全て乗せた一撃。
一方、私を応援するのは下卑た魔女がただ一人。
(勝てる道理も無し。か……)
鬼坊の防御は間に合わず、彗の刀は鬼の面を叩き割った──
☽ あとがき ☾
彗の心に溜まった闇を払ってくれたのは、なんと敵である鬼坊でした。
彗は7歳のあの事件から大人を信用できなくなってしまっていたため、彼女の剣に師匠はおらず、我流のまま鍛え続けていました。
しかし彼の豊富な人生経験とその信念に裏打ちされた言葉は固く、太い芯のようなものが感じられて、彗は敵ながらも彼の言葉は不思議と信用できました。
もしもこんな出会いでなければ──、
彼は、彗の最高の師匠となってくれたことでしょう。