恐ろしき闇の魔法
「色々魔法の練習をしたいんだよね。お兄ちゃん付き合ってくれる?」
新月刀を奪い返してから訪れた最初の土曜日、彗はアパートで昼食を食べたあとに宵に言った。
「ああ、分かった」
宵はすぐに彗の言葉に応じた。
新しい神器を手に入れたということは、使える魔法が増えたということ。
特に新月刀の「身体能力強化」が強力な魔法だということは、夏波と戦った二人は思い知っている。
「早く使いこなしたいじゃん?」
「それはそうだな」
いつか「三日月ノ玉」を持つ春華と決着を付ける日が来る。そのときに備えて、手持ちの神器は100%使いこなせるようになっておきたい。
そう考える妹の気持ちはとても自然なことであり、宵としても協力を惜しむつもりは無かった。
「じゃあまずさ、新月刀で私の体を強化した状態でお兄ちゃんにドロップキックするから、以前と比べてどのくらい強くなったか教えてね」
「待て、彗」
宵は静かに目を瞑って小さく首を振ったあとに、静かに目を開いて彗の目を見つめた。
彼の主張はたったの二文字。
「死ぬ」
ドロップキックは何度か受けたことがあるが、もしあの威力に魔法が乗れば、自分が最期に見る光景は腹にめり込む妹の足になるだろう。
そう確信した宵は、彗の申し出を断った。
「えー、じゃあ試せないじゃん」
「……いや、逆にしよう」
宵は少し考えたあと、閃いた。
「え?」
「俺を魔法で強化してくれ。その状態で、そうだな……俺と彗で腕相撲をしよう。普段通りなら俺は瞬殺だが、魔法が乗れば変わるかもしれない」
「ああー、なるほどね」
彗は納得した。
いつもなら勝負ならない兄妹の腕相撲で、魔法の効果を確かめるということ。
彗は部屋の隅に立てかけてある新月刀を左手に持って月光色の魔力を込め、宵に魔法をかけた。
魔法をかけられた宵はみるみるうちに背筋が伸び、目が見開かれていった。
「す、すごい!力が漲ってくる!今なら何でも出来そうだ!!」
宵は体が軽く、そして強くなったことを感じ、テーブルに肘を付けて構えた。
「よし!やろう!腕相撲!ほら!」
宵は早く試したくて仕方がない、といった様子だった。
彗はなんとなく兄のそのテンションに苛ついたが、とりあえず宵の手を握ってテーブルに肘を付いた。
「じゃあいくぞ!レディ、ゴー!」
宵の合図で、二人の腕相撲が始まった。
「えっ……嘘!お兄ちゃん、めっちゃ強くなってる!」
いつもなら赤子の手を捻るが如く一瞬で終わる兄との腕相撲だが、今日は倒せない。
「はっはっは、どうした?彗。いつもの怪力は出さないのか?ん?」
「んぐぐぐぐぐ……!!」
宵は初めて妹の力に耐えられることを嬉しく思い、柄にもなく調子に乗っていた。
しかし30秒程度組み合ったところで彗は完全に頭に血を登らせて「んぎいー!!」と叫び、魔法に対する意識が完全に途絶えた。
その瞬間───
バゴンッ!!ドゴォ!!
──魔法が途切れた宵は、全力の彗に勢いよく腕を捻られ、そのまま手を机に叩きつけられたあと、グルグルと回転しながら部屋の中を飛び、体を壁に叩きつけられた。
魔法で彗の怪力に「耐えてしまった」宵は、いつもよりも勢いがついてしまい、激しく吹き飛ばされることになったのだ。
壁に叩きつけられた宵は、壁から怒鳴り声が聞こえた。
──オイ、うるせぇぞ馬鹿兄妹!!マジでいい加減にしろよこの野郎!!
腕を捻られ、壁に叩きつけられ、隣人から激しく罵倒された宵は、壁に向かって「すみません!」と叫んだあとにゆっくりと体を起こした。
「……かなり、強力な魔法だな」
「そ、そうみたい……だね。なんかごめんね?」
「いいんだ。俺が彗と同様の身体能力を得る、という実験結果も得られたしな」
そう答える宵の目には小さな涙が浮かんでいた。
それは吹っ飛ばされた痛みのせいなのか、魔法があってようやく妹に追いつくという自分の貧弱さへの涙なのか、本人にも分からなかった。
─────────────────
「あのさ、実は闇の魔法を練習したの」
「え!?」
彗は少し言いづらそうにしばらくモジモジとしていたが、意を決して兄に打ち明けた。
夏波が使っていた新月刀の闇の魔法。
彗が夏波への殺意で使ってしまった満月鏡の闇の魔法。
どちらも強力なものであったが、宵はそれをこれからも妹が使うということは少し心配であった。
「そ、その……体に影響とかないのか?心にも……」
「う、うん。心は知らないけど、夏波も体には影響なさそうだったし大丈夫かな……って」
彗は兄に心配されることを予想していた。
だから一人で練習して問題ないことを確認してから、こうして報告したのだ。
「そ、そうか……でも、それは……なんというか……」
宵は、彗の月光色の魔力光が美しくて好きだった。
母親や祖母のものも好きだったが、彗の光は一点の曇りもなく、そして一番強く周囲を照らしている。
だからそこに黒い魔力が混ざるということに小さな抵抗があったが、魔法を使うわけではない自分がそれを言うのもおかしいと考えて言い淀んだ。
「お兄ちゃん。もう、綺麗事じゃ勝てないよ」
「ッ……!」
兄の気持ちを見破ることに関してだけは、彗は異様に鋭かった。
宵の気持ちを見透かしたように「私だって悩んだんだよ?」と言って、言葉を続けた。
「でも私は夏波の闇の魔法に、手も足も出なかった。多分春華も使ってくる。だから、私も魔女としてやれることは全部やらないと」
そう言った彗の目は真っ直ぐ宵を見据え、目の奥には深い覚悟が座っている。
(そうか、俺は何を見てきたんだ)
夏波と大西椿との死闘で、彗は何度も死にかけながら必死に戦った。
そのときに彗が感じたのは、無力感。
大西椿には剣で負け、夏波には魔法で負けた。
強くなりたいと願った妹は、抵抗を感じながらも闇の魔法を使うことを決意したのだ。
それなのに、同じく無力感と危機感を覚えなければいけない自分が何を考えていたのだ、と宵は深く反省した。
「すまない、彗。お前の言う通りだ」
宵は彗に頭を下げて謝り、顔をあげた。
「お前が練習した闇の魔法。俺にも見せてくれるか?」
「……うん。覚悟してね」
彗はニヤリと笑い、満月鏡を手に持った。
「まずは、心を負の感情で満たして黒い魔力を出すよ」
「お、おう」
宵はゴクリと唾を飲んだ。
彗の性格は純粋、能天気、脳筋、さまざまな言葉で形容されるが、基本的に暗い感情は持たない性格だ。
そして以前彗が強く殺意を覚えた夏波は、もう死んでいる。
そんな彗が「心を負の感情で満たす」のはいったいどうやるのだろうか。
「お兄ちゃん……実家にいるときに私のプリン勝手に食べた……許せない……!!」
「10年以上前の話!?あとしょぼっ!!」
彗が宵に対して「恨み」の感情を抱くと、彗の胸の辺りから黒い糸のようなものがニョロリと出た。
「これが私の黒い魔力だよ」
「細っ!!」
魔力の大きさは魔女の感情の強さに左右される。
彗が宵に持つ「恨み」の大きさは一本の糸ほどの大きさなのだ。
「で、これを満月鏡に入れる」
彗がそう言うと、黒い糸のような魔力は満月鏡に吸い込まれていった。
すると満月鏡から、液体とも気体とも言えないような黒い雲のようなものがドロリと放出された。
それは断続的に4度放出され、手のひらに乗りそうな大きさの黒い雲のようなものが4つ、彗の掌の上でふわふわと浮いている。
「これが満月鏡の闇の魔法。『暗雲』を吐き出すんだよ。この中では何も見えないし何も聞こえない」
「なんか、小さいな。前に夏波と戦ったときは道場の中を全部、暗雲が覆ってなかったか?」
「まあ注いだ黒い魔力が少ないからね。でもこれにはすごい使い道があるんだよ」
「使い道……?」
宵は、ゴクリと唾を飲んだ。
彗が作り出した4つの「暗雲」の使い道とは、いったいどのようなものなのか。
4つという数にも、意味はあるのだろうか。
「まず布団に横になります」
「え?」
彗は特に迷いなく、スッと布団に倒れた。
宵は驚いたが、どうやらふざけているわけではないらしい。
「そして、4つの暗雲を両目と両耳に付けます」
彗がそう言うと、近くでふわふわと浮いていた「暗雲」は移動して彼女の目と耳を覆った。
どうやら、この暗雲は魔女が思うように動かせるらしい。
そして4つだった理由は、彗がそれらを両目と両耳につけるためだったと判明した。
「…………」
彗は、何も言わなくなった。
宵が「おい、どうしたんだ?」と聞いても無反応で、宵は何が起きたのか分からなくなった。
(目と耳に暗雲を……?何か意味があるのか?いや、闇の魔法というぐらいだ。何かとんでもない魔法が……)
宵がしばらく考えていると、彗の目と耳を覆っていた暗雲は消え、彗の目と耳が露わになった。
一見、魔法が終わったように見える。
しかし彗は目を瞑ったまま、動かない。
(なんだ……いったい何が始まるんだ……?)
さらにしばらくすると、彗の口が開いた。
そして唇の端から涎が垂れ始めた。
(なんだ……このバカそうな顔は……!?)
妹は、やはりただ眠っているようにしか見えない。
だが、確かに彗は「闇の魔法の使い道を見せる」と言った。ただ眠るだけということはないだろう。
──お兄ちゃん。もう、綺麗事じゃ勝てないよ
(そうだ。すごくシリアスな顔であんなことを言っていたんだ。ただ寝ているだけなんてことはありえない)
「んん……むにゃむにゃ……お兄ちゃん……冷蔵庫のシュークリーム食べてごめんね……」
少し寝言を言っている。
そして10年前にプリンを食べられた記憶から闇の魔力を出したくせに、この間宵が買ってきたシュークリームを盗み食いした犯人はこいつだということが判明した。
(なんだ……?もしかして、攻撃対象に悪夢を見せる魔法とか?いや、だとしたら本人が眠る意味は……)
宵は妹の寝顔を見つめ続けた。
彗が寝言を言ったり、いびきをかいたり、寝返りを打つたびに彼は思考を深く働かせ、その現象について考察した。
結局、闇の魔法の正体は何も分からなかった。
「ふあぁ〜……」
3時間後、彗は目覚めた。
体を起こし、大きく伸びをする。
「どう?わかった?これが満月鏡の闇の魔法の使い道だよ」
彗は寝起きの蕩けた顔で宵の方を見ながら言った。
「……なにも、分からなかった……!」
宵はとても悔しかった。
自分は魔女の一族に生まれただけの「男」で、彗は魔女。
魔法が使えない自分と、魔女の妹。
魔法に関する理解の差は当然ある。
しかし実際に目の前で見せられても、3時間妹が寝ているのを観察していただけだったという余りにも不甲斐ない結果は、彼の自信を大きく奪った。
「え?分かんなかったの?だって、完全な暗闇と、完全な静寂だよ?それを目と耳に付けたの。つまり……」
彗はふふん、と小さな笑みを浮かべた。
「めっっっっっちゃ、よく眠れる!!」
そう言い放った彼女の顔は自信に満ち溢れており、自信を失った兄を得意げに見上げていた。
「……えせ」
「え?」
「3時間、返せ!!なんで俺がお前の寝顔を3時間見続けなきゃいけなかったんだよ!!」
「は!?可愛い妹の寝顔がたくさん見られたんだからむしろ感謝してよね!」
「あとシュークリームも返せ!!」
「えっ!?うそ!?なんで知ってるの!?満月鏡で透明になりながら食べたのに!!」
「そんなことに、魔法を使うなぁ!!あと闇の魔法の使い道がアイマスクと耳栓って、どういうことだよ!!」
「何言ってるの!人生の3分の1は寝ているんだから、確実に安眠できる魔法なんてものすごく価値があるんだよ!!」
「あー!?もう夕方じゃないか!!買い物も行ってないんだぞ!?夕飯どうするんだよ!」
「じゃあそんなの私がパッと行ってくるよ!うるさいなぁ!!」
彗は怒りながら玄関の方へ歩いて行き、ドアを開いた。
宵はその背中に、怒鳴るように声をかけた。
「シュークリームも買ってこいよ!!」
「わかってるよ!!もう!!」
闇の魔法を習得した彗だが、いつも通りの兄妹喧嘩と共に土曜日の午後は過ぎていった。
☽ あとがき ☾
ある土曜日。男は昼食に作ったラーメンを持って台所から居間へと歩いていた。
彼は30歳の男で、趣味は一人で小説を書いてネットに投稿すること。執筆は楽しく、それなりに人生が充実していると感じていた。
あとは人生初の彼女でもできれば完璧だと男は考えていた。
ドンッ!!
突然、部屋全体が揺れるような音と衝撃が隣の部屋から伝わってきた。男は驚いて、持っていたラーメンを落とし、一瞬にして畳がスープを全て吸い込んでしまった。
男は怒りに打ち震え、壁に怒鳴った。
「オイ、うるせぇぞ馬鹿兄妹!!マジでいい加減にしろよこの野郎!!」
壁から男の声で「すいません」と返ってきたが、男の怒りは収まらなかった。
正直、うるさいのは良い。
許せないのは、隣の大学生の男が「女子高生の妹」と二人暮らしをしているということなのだ。
男はハアハアと息を吐いて嫉妬と怒りを抑えこみながらラーメンを片付け、仕方なく買い置きのパンを食べてから、スマホで小説を書き始めた。
今書いているのは、狭いアパートで兄妹が楽しく二人で暮らす話で、兄の名前は自分と同じ名前にしてある。
「羨ましくない。羨ましくない。俺にはユイちゃんがいる……」
「ユイちゃん」とは小説に登場している架空の妹だ。高校生で、目がパッチリとして鼻筋が通っている美人という設定だ。名前から顔から、隣に住んでいるあの妹に似ている気がするがそれは気のせいだ。
── は!?可愛い妹の寝顔がたくさん見られたんだからむしろ感謝してよね!
また隣から兄妹喧嘩が聞こえてきた。
いつも思うが、特に妹の方の声量はやばい。肺活量はどうなっているのだろうか?
──シュークリームも買ってこいよ!!
──わかってるよ!!もう!!
「羨ましくない、羨ましくない……」
男の目から、一筋の涙が垂れた。