第44話 嫌な予感はよく当たる
「じゃあ――今日はこれで失礼しますね、野内くん」
レティと握手を交わしたことによって、俺があっという間に恋に落ちてしまった後、少しだけお茶をして時間を過ごした。
その間、俺は何を話していただろうか。
緊張しすぎてまともに話せていたかどうかも怪しい。
いや、本当に怪しい。かなり怪しい。
だって、話の内容すらほとんど覚えていないのだ。
「あ、あぁ……じ、じゃあ、またな……レティ」
去っていくレティの後ろ姿にたどたどしく返事をすると、糸が切れた操り人形かのようにソファへともたれかかった。
全身の力が一気に抜けていく。
「はぁーーーー……付き合いたいなー、レティと」
誰もいない放課後の部室という環境からか、心の声がそのまま口から出ていく。
ダダ漏れだ。完全にダダ漏れである。
でも、止められない。
……声が綺麗、落ち着く、ずっと聞いていたい。
……外見が綺麗、タイプ、ずっと見ていたい。
それが最初の印象だ。
しかし、まさか握手しただけで恋に落ちてしまうとは思っていなかった。
触れた瞬間に走った、あの衝撃。
まるで電流が全身を駆け巡ったかのような、あの感覚。
あれは一体何だったのだろうか。
いや、その正体は分かっている。
これがいわゆる、一目惚れというやつなのだろう。
藍の時も見た目にこそ惹かれはしていたが、そんなものとは比較にならない。
明確に、好きを自覚してしまった。
さらに言えば、今しがたお茶をしてみて何となく感じ取れたことなのだが……
レティはとにかく……性格が良い。
何というか、こう……根っこの部分から綺麗だと感じる。
人に対する気遣いが自然で、言葉の選び方も丁寧で、それでいて堅苦しくない。
まるで澄んだ湖のように、透明感のある人柄なのだ。
そういう人間性が、ふとした仕草や言葉の端々から滲み出ている。
「くそっ……でもそうなると……藍のことがかなり厄介だな……」
今までだって相当な厄介者だったわけだが、レティと出会ってしまった今、藍の存在は厄災と化している。
今後レティに全力アプローチをかけていくにしても、まずは藍との関係を清算しないことには何も始められない。
「相談部は全然ダメだったしな……何か、別の方法を考えないと……」
……まぁもっとも、全力で考えたうえでの解決策が相談部設立だったのだ。
それ以上のアイデアを俺が絞り出せるかと言えば、そんなわけもなく。
「……ダ、ダメだ。何も……思いつかない……」
およそ二十分くらいだろうか。
しばらくの間、新たな解決策を考え込んでいたのだが、まるで作戦が思い浮かんでこない。
頭を抱えて唸ってみても、天井を見上げてみても、深呼吸をしてみても――何も出てこない。
「ていうか……俺の作戦って……全然上手くいってないような……」
そこでふと、ここ最近で実行してきた積極的な問題解決策を思い返してみる。
まずは相談部設立だ。
これはもちろん、どこからどう見ても失敗。
藍を遠ざけるどころか、むしろ逆方向に進展させてしまった。
そして次は、この前のバカ宣言。
間違いなく二つの問題に対して効果的だと思われたこの宣言だが、文音による宣伝と相談部設立の相乗効果で先行きが怪しくなっている。
少なくともハッキリと言えるのは、今日の会話からも藍問題の解決は出来ていないだろうということだ。
ただ相談部を始めただけだったならまだ分からなかったかもしれないが、何せあの鬼バズは俺が主導でやったように見られてしまっている。
バカ宣言の効果まで打ち消しかねない、まさに最悪の投稿だ。
否定しようにも俺は現に相談部の部長であり、そしてSNSの更新に対して実際に許可を出している。
――要するに、だ。
ただでさえ相談部に関心のある藍は、あの鬼バズによって俺のバカ宣言を無視し始めていて。
それと同時に、周囲の人間も俺を疑い始めているんだろうな、という壊滅的に失敗してしまっている状況だ。
これっぽっちも、問題が解決されていない。
それに、前に問題解決に向かって大声で叫んだこともあったような気がするが、あれなんて誰からも指摘されたことが無い。
失敗どころか、そもそも認識されていないというのが実に俺らしい。
「はぁーーーー……まぁ、こんな作戦で上手くいくなら困ってないかー」
ソファに深く沈み込みながら、自嘲気味に呟く。
どれだけバカが策を練ろうとも、所詮はバカの案。
常識はずれな突飛な発想を出す点が一緒だからという理由で、「バカと天才は紙一重」なんて言葉があるけど、俺から言わせたらその突飛な発想が出来る時点で天才だ。
本物のバカは、俺みたいに何もできないくせに、それなりにウダウダと色々考えていたりするものなんだ。
――と。
現在進行形でウダウダと考え事をしていると、ふと新しい疑問が頭をちらついた。
「あれ?……そーいえば、なんか……サク遅くない?」
レティの訪問により全く気にしていなかったのだが、サクが部室を飛び出して行ってから結構な時間が経っていることに今気が付く。
「何時くらいに出て行ったっけか……しゃーない、電話してみるかー……」
面倒くさいことに巻き込まれてませんようにと願いながら通話アプリを開き、サクに電話をかける。
すると、携帯に最初から入っている電話とは違う、通話アプリ専用の独特な呼び出し音が鳴り始めた。
1コール。2コール。3コール。
俺しかいない相談部室に、スピーカーモードにした携帯からの音が響き渡る。
しかし、鳴れども鳴れどもサクが電話を取る気配が無い。
少しすると呼び出しが終わってしまい、不在着信のメッセージが自動送信されてしまった。
「あいつ、何やってるんだ? まぁいいや、じゃあ次は文音にかけてみるか」
サクが電話を取らなかったので、次は文音に同じように電話をかける。
だが――こちらも、まったく応答がない。
「えぇ? ほんと、何してんだよ二人とも……って、待てよ?」
別に電話に出れないことなんて珍しくもないかもしれないが、この二人に関してだけはそうではない。
ハッキリ言って、超珍しいのだ。
特に、二人とも俺からの連絡に対しては秒で既読が付くことだらけだし、電話だって寝てても飛び起きて対応してくれたりする。
それがどういうことか、今は二人して不在着信通知に既読すらつかない。
「これは……」
想像したくはないけれど、経験からかどうしても想像がついてしまう。
「面倒ごとの臭いがするな……」
明らかな異変から、危険を素早く察知する。
この感覚は、今までの不幸な経験から培われたものだ。
今、何か良くないことが起きている。
そして……それに二人ともが、巻き込まれている!、と。
「よし……帰ろう、今すぐに」
そこからの俺の行動は、自分から見てもかなり迅速なものである。
サクから絶対にここを離れるなと言われてはいたが、そんなことはこの際無視させてもらう。
ここにいたら、必ずサクが問題を運んできてしまうと考えたからだ。
ならば、逃げるしかない。
「まずいまずいまずい、何で今まで気が付かなかったんだ、俺!」
恐らくサクが出て行ってから……一時間くらいといったところだろうか。
どう考えても遅すぎるのに、まるで気にも留めていなかった自分を責め立てる。
「急げ急げ……サクが……文音が……この棟に帰ってくる前に外へ出ろ、俺」
勢いよく扉を開け部室を飛び出し、全速力で階段目掛け廊下を駆け抜けていく。
勝負はシンプル。
サクたちに鉢合わず、この旧部室棟を出られるか否か。
ここは三階だが、幸い、足には自信がある。
順調にいけば、ものの数十秒で外へは出られるだろう。
俺は突き当りにある階段へと到着すると、足裏への衝撃を無視して三段ずつ飛び降りるように躊躇いなく走り出す。
その足運びは、俺の焦燥感そのものを表していた。
踊り場で一瞬だけバランスを崩しそうになったが、手すりを掴んで体勢を立て直す。
二階などあっという間に過ぎ去り、俺は一階へと足を踏み入れる。
あとは、廊下の中腹にある正面玄関にて靴を履き替え、寮へと走り抜けるだけだ。
「いけるっ!!」
勝利はもうすぐそこだ。
全速力だが、足音は殆どしていない。
ただただ、自分の息遣いだけが耳に返ってくる。
あと少し――
あと少しで、下駄箱だ。
最後まで足を回し続け、ようやく閉塞的だった廊下で視界が右に開けると同時に、勝利を確信する――
「よっしゃ着いた! あとは靴を履き替え……」
――はずだった。
(なっ!?!?)
目に入って来たその光景に対し、思わず出てしまいそうになった声を慌てて両手で抑える。
一瞬露出してしまっただろう身体も、ご自慢の反射神経により一瞬で後ろへ翻して見せた。
そして、バレないようにこっそりと覗いてみれば、正面玄関のところで何人かが集まっているのが見える。
その中には、サク、文音の姿もある。
(ど、どういう状況なんだこれは!?)
しかし、驚くべきところはそこではない。
その中に、藍とつぼみんの姿もあったのだ。
さらに、知らない人が二人。
そして――
(あ……)
先程まで眠りこけ、その直後に恋に落ち、サクに連絡がつかないことからすっかり気が動転してしまっていた俺だ。
――だからだろうか。
彼女たち、双子の姉妹の存在を忘れていたのは。
(し、しまったーー!! 忘れてたーー!!)
あの場にしっかりと居合わせているのを目撃したことで、自分の浅はかさを痛感する。
蕨姉妹が向かった寮とサクが向かった教室棟は反対方向だ。
ここは寮にかなり近いこともあって、寮に向かった蕨姉妹はゆっくりと歩いて移動していただろうし、反対にサクは急いで走って移動していたはずだ。
つまり、たまたまトラブルの場に同時に居合わせてしまったってパターンも十分にあり得たのだ。
その二組がどちらとも帰ってきていないのだから、その点にも気が付くべきだった。
(ま、まぁでも、こっちには気づいてないみたいだし、このままやり過ごせばいいだけか……)
勢いのままここまで下りてきてしまったことはものすごくまずかったし反省なのだが、それでもまだ見つかっていないのなら引き返せば良い。
何やら言い争っているようにも見えるし、厄介事に巻き込まれたくはない。
ただでさえ、持っている悩みの種がデカすぎるのだ。
これ以上、精神的負荷を増やされるわけにはいかない。
(よーし……万が一のことも考えて、足音を抑えつつ急いで部室に戻ろう……)
そう考えた俺は、なるべく早く、でも丁寧に、脚を後ろへ勢いよく引いたのだが――
「ガシャン!!!!」
俺の右足が、廊下に置いてあるロッカーの扉を思い切り蹴ってしまった。
蓮「……何やってるんだ、俺の右足!」