※本稿は、松村邦洋『松村邦洋とにかく「豊臣兄弟!」を語る』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
3年ぶりの「戦がある」大河ドラマ
さあ、いよいよ始まりますね、NHKの大河ドラマ「豊臣兄弟!」。源平合戦、幕末と並ぶ大河3大定番の戦国・安土桃山時代。「どうする家康」(2023年)以来、3年ぶりに“戦のある”大河がやってくるわけです。
大河のパターン的には、平安時代の終わりから鎌倉時代にかけての源平合戦、戦国から織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の安土桃山、それに幕末をローテーションでやれば数字が取れる、みたいなのがあると思います。特に信長、秀吉、家康の三英傑はみんな知ってて見てるほうも安心できますし、またその都度ちょっと角度を変えてくるのがまたいいんですよ。
ボクは子どもの頃からNHKの大河ドラマが大好きで、小学校3年の時に見た「風と雲と虹と」(1976年)でドはまりしました。もう好き過ぎて好き過ぎて(笑)大人になってからもずっと、放映分はほぼすべてを見ています。
YouTubeの「松村邦洋のタメにならないチャンネル」とNHK第一ラジオ「DJ日本史」で、ずーっとしゃべり続けていられるのは、大河ドラマの映像とストーリーで日本史を頭に入れているおかげなんです。
秀長が長生きしてたら、秀吉は狂わなかった
今回の大河の主人公は豊臣秀吉の実の弟、秀長。サクセスの階段を駆け上がっていく秀吉の伴走者ですね。昔、主演の佐久間良子さんが秀吉の奥さんの寧々を、西田敏行さんが秀吉を演じた「おんな太閤記」(1981年)がありましたけど、言ってみれば今回のは「おとうと太閤記」ですね。
秀長は世の中ではそんなに知られてる人じゃありません。秀吉の放つ光がまばゆい分、その陰に隠れてました。作家の堺屋太一さんが書いた小説『豊臣秀長~ある補佐役の生涯』(1985年)がきっかけでやっと知られるようになったんだと思います。
でも、秀長はものすごく仕事のできるナンバー2なんです。秀長がいなければ、秀吉は天下なんて取れなかったし、もっと長生きしていれば、秀吉はあんなに狂った晩年を過ごすことはなかったとも言われてます。秀吉が天下を取った後ですけど、秀吉への相談事で大坂城に来た豊後国の大友宗麟に、秀長本人が「公儀のことは私、秀長に、内々のことは(千)利休にご相談ください」と伝えた、というのはよく知られてます。政治とか軍事とか公のことは秀長、デリケートな話は茶の巨人・千利休にってことですね。秀長は全国の大名たちにとって、秀吉に通じる2大相談窓口の片っ方だったんです。

