Deprecated: The each() function is deprecated. This message will be suppressed on further calls in /home/zhenxiangba/zhenxiangba.com/public_html/phproxy-improved-master/index.php on line 456
PicoN! | クリエイティブ情報サイト
[go: Go Back, main page]

心躍る「発見」と「ひらめき」をスマホから気軽に。PicoN!アプリ 今すぐダウンロード!

  • App Storeからダウンロード
  • Google Playで手に入れよう

最新記事

最新記事一覧

現代アニメ批評 #6『葬送のフリーレン』

「現代アニメ批評」では、幅広いアニメ作品の中から話題の(もしくはちょっとマニアックな)作品を取り上げ、アニメ鑑賞をより深く楽しむための批評を連載していきます。 「終わりから始まる」独創的な設定 『葬送のフリーレン』第一話を初めて観たとき、王道でありながら同時に風変わりでもある設定に大いに戸惑った。物語は、魔王を倒した勇者一行が王都に帰還するシーンで幕を開ける。一見、勇者・魔王モノのよくあるファンタジー作品だが、一点だけ既存の作品にはない独自の設定がある。それは物語開始時点ですでに魔王討伐の旅が終わってしまっているということだ。 それ以外の設定の多くは、ファンタジーの“あるある”をそのまま持ってきたものに過ぎない。もちろん、これが“あえて”であることは言うまでもないだろう。ベタな設定をそのまま使うことで、魔王討伐後の世界を描くというオリジナリティが逆説的に光る作品になっている。 第一話を観たときの衝撃はいまだに覚えている。第一話のAパートで魔王討伐の旅が終わる。これから語られる物語は、すでに終わった一度目の旅の記憶を辿る、二周目の旅なのだ。 すでに終わっている第一の旅の記憶を振り返ることで、その旅を観ていない視聴者を感動させる、という離れ業が演じられる。第一話の段階で、すでに2クールを費やした魔王討伐の物語を見た後であるかのような雰囲気を醸し出している。見てもいない第一の旅が素晴らしいものだったと視聴者を納得させるのは、むろん“物語”ではなく画や芝居、音楽といったアニメの力である。語られない物語に感動させるという、この離れ業を成立させるマッドハウスの手腕はさすがとしか言い様がない。原作はもう少し淡泊で軽快な印象だが、後に言及する魔法戦の描写も含め、アニメはよりドラマチックで重厚な印象を与える作品に仕上がっている。 https://www.youtube.com/watch?v=QoGM9hCxr4k 千年以上生きるエルフの視点から描かれる、喪失の物語 千年以上も生きているエルフのフリーレンにとって、十年にわたる魔王討伐の旅はほんの一瞬の出来事でしかなかった。魔王討伐後は一人で魔法収集の旅をし、五十年後に半ば気まぐれのように王都に帰還する。一緒に旅したパーティの面々は皆年老いており、勇者ヒンメルはフリーレンとの再開後間もなく亡くなることになる。彼の死後、フリーレンは初めて深い後悔と喪失感を抱く。なぜ彼が生きているうちに彼のことをもっとよく知ろうとしなかったのか、と。 フリーレンはその後、紆余曲折を経て、かつての仲間だったハイターが引き取った戦災孤児のフェルン、同じくかつての旅の仲間アイゼンの弟子シュタルクとともに旅をすることになる。他者を知り、そのことによってかつての仲間たちのことを知るために。 後悔を残してしまった一度目の旅がある。すでに終わってしまったその旅を、ひいては無限とも感じられる長い長い年月の中で希釈されていく自らの生を、生き直すかのように二度目の旅を生きる。この発想が、まずはこの作品が数多の勇者・魔王モノの中で一際輝くオリジナリティを有するゆえんである。 https://www.youtube.com/watch?v=ZLKPbfzgwDk そこかしこに香るが、描かれはしない「死」の気配 だがもちろん、前述のような作品構造の一発芸的な独創性だけがこの作品の特徴というわけではない。 世界は、魔王討伐後の平和の時代である。〈平和の時代における魔法戦〉という逆説的なテーマが作品の根底にある。 もちろん、魔王が討ち取られた後の平和な時代とはいえ、死の気配はそこかしこに感じられる。フリーレンと旅をするフェルンとシュタルクは、ともに戦災孤児であった。北部では魔王軍の残党が暴れており、血なまぐさい戦場はまだ至る所に存在するようだ。 だが、視聴者にとって重要なことは、感情移入するべき主要キャラが戦闘で死亡するシーンが想像できない、ということである。 死は、語られるが、直接見えはしない。モブキャラはたくさん死ぬが、主要キャラはほとんど死なない。死んでいる人間は描かれるが、生々しい死の瞬間の描写はベールに包まれる。フリーレンたちの旅路は、どんな困難に見舞われようと、その困難の突破もすでに予定調和的に予期されているような、死の緊迫感からはほど遠いものである。 フリーレンやフェルン、シュタルクといった主要キャラの死は、誰もイメージできない。 イメージできないことは実現できない。それこそが、この作品における「魔法」の根源的なルールでもあった。魔法は万能ではない。いかに強大な魔力を持った魔法使いでも、自身が完璧にイメージできることしか魔法では実現できない。 イメージできないことは実現できない。それは、魔法に限らず、この現実世界でも同じなのではないか。 生々しさを回避、 “エンタメ” に専心した戦闘シーン この作品で描かれる魔法戦では、生々しい死が周到に回避され、エンタメとしての純度が極限まで高められている。平和な時代における魔法戦は、血なまぐさく泥臭い殺し合いよりも、魔法の技能と知恵を戦わせる “競技” に限りなく近づいてゆく。一級魔法使い試験の一次試験で、魔力切れになった老練の魔法使いデンケンが、全てのプライドをかなぐり捨てて素手の殴り合いを挑むシーンがまるまる飛ばされていることが象徴的だ。あのシーンは、“泥臭い男の闘い”を持ち味にするような作品であれば、視聴者が熱狂する見せ場になったはずだ。 逆に二次試験におけるダンジョン戦闘は、まさしく競技的に魔法戦闘の面白さを描く優れた仕掛けだった。ダンジョンに侵入した者の記憶を読み取り、実力や性格まで完全に再現した「複製体」を生み出す神話の時代の魔物、シュピーゲル。この魔物が生み出す受験者の複製体との戦いによって、主要キャラを一人も殺すことなく、卓越した魔法使い同士の殺し合いを描いてみせた。 ダンジョン内での魔法戦とあり、どの戦いも見せ場は多いが、白眉となるのはやはりフリーレン対複製体フリーレンの頂上対決だろう。「破滅の雷を放つ魔法」「地獄の業火を出す魔法」など、美しく神々しくさえある魔法が次々と放たれる、荘厳な魔法戦。そこでは魔法による殺し合いが、神々の演武にまで昇華されている。 平和の時代=スター無き “民主化” の時代を生きる、魔法使いの哀愁 上述の通り、この作品には魔法使い同士の力比べ・知恵比べを、“安全に”楽しむための数々の仕掛けがある。 だが、そのような表面的な仕掛けの背後にあるねじれたテーマには、『葬送のフリーレン』という作品そのものを脅かすような批評性も感じられる。言うまでもなくそれは、〈平和の時代の魔法使い〉という、この作品の独自性に関わるテーマに関してだ。 魔王が討伐された平和の時代においては、魔族はかつての力を失い、魔物も弱くなり、ほとんどのダンジョンが攻略され、それゆえに魔法使いにもかつてほどの力量を持つ者はほとんどいなくなった。平和な時代とは、実践で競い合って技術を磨く機会が奪われ、偉大な魔法使いが生まれない時代でもある。魔法を描くファンタジー作品にとって重い足枷になりかねないこの設定が、逆にこの作品に独特の深みをもたらしている。 このねじれを深みに変えるのは、詳細に作り込まれた魔法の設定である。 「人を殺す魔法」ことゾルトラークが発明されて以降、魔法戦においては強力な防御魔法にリソースを取られるようになり、攻撃魔法は自然物を利用するものが多くなった。無から物質を作り出すよりも、その場にある物質を操ったり変化させたりする方が魔力の消費が少ないからだ。かつては卓越した技術こそが魔法使いの優劣を計る物差しであったが、現代魔法戦において重要なのは、防御の上から素早く相手をねじ伏せられる物量と手数なのである。それはまさしく質から量への転換と言って良いだろう。 また、このような現代魔法の進歩は、人間による体系的な魔法の研究が基礎になっている。もともとは魔族の技術だった魔法を人類に広めるための礎を築いたのは、大魔法使いフランメである。 魔法は魔族の技術であるとして表立った研究が禁じられていた時代、フリーレンの師匠でもあるフランメは、大陸最大の国である統一帝国にはたらきかけ、皇帝に国を挙げた魔法研究の認可を下ろさせた。これによって、人類の誰もが自由に魔法を使える世界の礎を築いたのだ。 長大な人生を孤独な魔法の探究に捧げる魔族やエルフに対し、寿命の短い人間はいかに彼らに対抗できるのか。鍵になるのは、共同での魔法の研究と技術継承という、共同体としての新陳代謝である。 腐敗の堅牢クヴァールが開発した「人を殺す魔法」ことゾルトラークは、わずか十数年の間に研究・解析されて人類の魔法体系に組み込まれた。有効な防御術式も開発され、「人を殺せない魔法」となったゾルトラークは、現在「一般攻撃魔法」と呼ばれている。 長大な時間を生きる魔法使いが生み出す独創的な魔法も、わずか十数年の時間で完全に解析され、一般の魔法使いでも使える汎用的な技術に転用される。大魔法使いフランメの功績とはつまり、魔法の民主化と科学化であった。 かつて、魔法とは限られた一握りの人間しか使えないものだった。長い時を経て、魔法は多くの者が使い、研究するものに変わった。その大きな流れの中で、魔法戦において重視されることも、職人芸的な技能から、魔力の量に裏打ちされた攻撃の物量と手数へと変わってゆく。 魔法の民主化・科学化と、魔法戦における物量の重視。ここに描かれているのは、つまりは魔法の近代化という問題系である。 「平和への想像力」は次世代の魔法か 魔法が近代化された平和の時代。卓越した魔法使い同士の命がけの戦いを通して魔法の高みへと上り詰めることが不可能になった時代。それはまさに魔法使いにとっては受難の時代でもある。 しかし、そのことに対する葛藤は、フリーレンやその弟子であるフェルンからは全くと言って良いほど感じられない。彼女たちは時代の流れを受け入れ、肯定的に生きようとしている。 むしろ、平和な時代に衰退する魔法の困難や葛藤を一手に引き受けるゼーリエというキャラクターに、この作品の逆説が集約されているように思える。 ゼーリエは、魔法使いを束ねる組織「大陸魔法教会」の創始者であるエルフの魔法使いだ。大魔法使いフランメの師匠に当たる、「神話の時代の魔法使い」とも呼ばれる存在である。 魔法は特別なものであり、才ある者だけに授けられるべきものだと考えるゼーリエにとって、魔法を人類に広めようとしたフランメの行動は許しがたいものであった。 魔法使いとしての高みに至るには燃え滾るような野心が必要なのであり、その意味で、平和の時代とは、偉大な魔法使いを生み出さない時代でもある。ゼーリエは弟子のレルネンに対して、「魔王軍との戦火の時代に生まれていれば、名だたる英雄たちと共に歴史にその名を残したであろう」と言う。彼が戦火の時代に生まれていれば、さらなる高みへと上れたはずなのに、と。 ゼーリエは、大魔法使いと呼ばれるフランメのことさえも「失敗作」と断じている。フランメはあれほどの才を持ちながら、自分ほどの高みへとたどり着けなかった。彼女の最も好きな魔法が「花畑を出す魔法」であることを「くだらない」と切り捨てた。 フランメが初めてフリーレンを連れてきた際も、「やはりだめだこの子は。野心が足りん。燃え滾るような野心が。」と一蹴した。魔法を探究する喜びを生きる糧とするようなフリーレンの生き方は、やはりゼーリエの望むものではなかった。 だが、それほどの高みにいるゼーリエは、魔王を倒すことができない。フランメは言う。「戦いを追い求めるあなたには、魔王を殺せない」、「だってさ、師匠(せんせい)、平和な時代に生きる自分の姿が想像できないだろ」と。 〈平和の時代の魔法戦〉という逆説は、フリーレンという希有なキャラクターを輝かせる、エキセントリックな仕掛けだった。生まれ育った村を魔族に滅ぼされ、燃えさかる憎しみを心の内に宿しながらも、魔法への知的好奇心を行動原理とするようなキャラクターは、確かに戦いの主人公にふさわしくない。しかし、煮え滾るような憎しみに溺れず、常に飄々と修練や探究を積み重ねるフリーレンの強さを、ゼーリエは見誤っていたのではないか。フランメの予言は告げている。強さとは“力”ではなく“イメージ”なのだ、と。 最も強大な敵に打ち勝つことができるのは、平和をイメージできる者だ。平和な時代の自分をイメージできる者しか、世界に平和をもたらすことはできない。この想像力こそが、ゼーリエやフランメを凌ぐ、フリーレンの強さだった。 『葬送のフリーレン』という作品が抱える葛藤と逆説は、「力による平和」という考え方が世界を蹂躙しつつある現代社会に対して、鋭いアンチテーゼとして突き刺さっているのではないか。   #フリーレン アニメ2期OPテーマ Mrs. GREEN APPLE 「lulu.」 × 『葬送のフリーレン』 SPECIAL MUSIC VIDEO 公開中🪄 ▶https://t.co/fdLorfPjmr#frieren#MrsGREENAPPLE #lulu pic.twitter.com/ECTe0eUan9 — 『葬送のフリーレン』アニメ公式 (@Anime_Frieren) March 23, 2026   文: 冨田涼介 批評家。1990年山形県上山市生まれ。2018年に「多様に異なる愚かさのために――「2.5次元」論」で第1回すばるクリティーク賞佳作。寄稿論文に「叫びと呻きの不協和音 『峰不二子という女』論」(『ユリイカ』総特集♪岡田麿里)、「まつろわぬ被差別民 『もののけ姫』は神殺しをいかに描いたか」(『対抗言論』3号)など。 関連記事 [clink url="https://picon.fun/anime/20250616/"] [clink url="https://picon.fun/anime/0727/"] [clink url="https://picon.fun/anime/20250916/"] [clink url="https://picon.fun/anime/20251111_02/"] [clink url="https://picon.fun/anime/20260124/"]   ↓PicoN!アプリインストールはこちら

アニメ

【写真学校教師のひとりごと】vol.33 渡邊遊可について

わたし菊池東太は写真家であると同時に、写真学校の教員でもあった。 そのわたしの目の前を通り過ぎていった若手写真家のタマゴやヒナたちをとりあげて、ここで紹介してみたい。その人たちはわたしの担当するゼミの所属であったり、別のゼミであったり、また学校も別の学校であったりとさまざまである。 これを読んでいる写真を学ぶ学生も作品制作に励んでいるだろうが、時代は違えど彼らの作品や制作に向かう姿が少しでも参考になれば幸いだ。 普通のコースを修了し、研究生としてわたしの前に現れた。 勘がいい。この勘というヤツは訓練によって発生するものではない。持って生まれてくるものだ。そしてこの勘をまったく持ちあわせていないものは、わたしの考えでは写真を撮るということにあまり向いていないと思う。この勘と感性の感、つまり感受性を身につけているならば、それらを磨くことだ。 あとは知性だ。数多くの本を読み、幅広くいろいろな人と付き合い、様々な経験をつんで自分をより豊かにすることだと思う。いろいろな人の生き様を見て知ることが一番。渡辺遊可はそのようになる可能性を備えた一人だ。しかも自分というものをちゃんと保持しておきながら、ひとの世界に入っていける人だし。 いまは結婚し、親の出身地である宮城県仙台でスタジオを持ち、相方と一緒に物撮りや様々な家族の記念写真を撮りながら、子育てをし生計を営んでいる。相方も同じ学校の卒業生だ、写真家である。 かの女は研究生を終える直前にニコン・サロンで初の個展、「朝陽を知らない」(2012年2月) その後も同じニコン・サロンで「Utopie」(2017年)をやっている。次の発表とその内容がかの女にとって、それなりに重要なポイントになるだろう。 今までは写真家としての序章だ。これからが本番だ。人間として、写真家として人生のまっただ中にいる。 理解が難しい部分もあるが、かの女にはなかなか面白いと思われる部分がある。もっともっと撮ることだ。なかなか自分の思うこと、感じたことを他人に正確に理解してもらうということは至難の業である。沢山撮ることによって、なん度もなん度もいろいろな方法でやってみることで、自分でもわかってくるはずだ。 理解が難しいと言ったが、数多く幅広く撮ることによって、出来上がった写真もわかりやすくなってくると思う。つまり他人から見ても。こんな言い方をするのは、かの女の考え方、迷い方が非常に好感のもてるものだし、写真が可能性にみちあふれているように思えるからだ。 これからもっともっと面白くなる可能性がある。どんどん撮りまくって、発表して欲しい。最近かの女、渡邊遊可に、「写真で表したいことって、なんだろう」って聞いたことがある。 すると、「うーん……言葉にすると生き方、とかなのかなあ」、という返事がかえってきた。写真を撮る者に相応しい、実にピッタリくる答えだ。 自分というもの、自分の考えかたを映像化しよう、と巷の写真家予備軍たちは日夜苦闘しているのではないだろうか。撮るものは人間、自然、すべてだ。また、自分の思うことに一生懸命になって、必死にそれに取り組んでいるのを見せるのも、なにものにもかえがたい教育になるんじゃないのかな。愛する子供にとって。 菊池東太 1943年生まれ。出版社勤務の後、フリー。 著作 ヤタヘェ~ナバホインディアン保留地から(佼成出版社) ジェロニモ追跡(草思社) 大地とともに(小峰書店) パウワウ アメリカインディアンの世界(新潮社) 二千日回峰行(佼成出版社) ほか 個展 1981年 砂漠の人びと (ミノルタフォトスペース) 1987年 二千日回峰行 (そごうデパート) 1994年 木造モルタル二階建て (コニカプラザ) 1995年 アメリカンウエスト~ミシシッピの西 (コニカプラザ) 1997年 ヤタヘェ 北米最大の先住民、ナバホの20年 (コニカプラザ) 2004年 足尾 (ニコンサロン) 2004年 DESERTSCAPE (コニカミノルタ) 2006年 WATERSCAPE (コニカミノルタ) 2009年 白亜紀の海 (ニコンサロン) 2013年 DESERTSCAPE-2 (コニカミノルタ) 2013年 白亜紀の海2 (ニコンサロン) 2015年 日系アメリカ人強制収容所 (ニコンサロン) ほか ↓PicoN!アプリインストールはこちら

写真

【連載】時代を写した写真家100人の肖像 No.48 海の王者シャチの家族をめぐって 水口博也『オルカアゲイン』 鳥原学

巨大な海洋生物を目の当たりにしてみたい。そんな少年時代の夢を、水口博也は写真家として叶えた。しかもそこには新たな表現への模索があった。科学的な知識と観察をもとに“海のギャング”として恐れられたシャチの家族の物語を、鮮やかに描き出したのである。   シャチが教えてくれたこと 人間の自然観は時代の変化に応じて更新されてきたし、またそうあるべきものだ。その変化を促すのは、常に科学的な観察の結果を、人の心に訴える物語に昇華できる表現者であった。写真家であり科学ジャーナリストでもある水口博也の著作を目にすると、その思いを強くする。 ことにライフワークであるクジラやシャチをテーマとした仕事は、彼らのイメージを大きく変えてきた。かつてクジラは戦後の日本人の食生活を支えた「食料資源」であり、シャチといえば肉食の凶暴な「海のギャング」と見なされてきた。水口はその存在をよりフレンドリーな存在として私たちの身近に引き寄せたのである。 ことにシャチに関しての仕事は印象的だ。最初の成果は、1988年に出版されたノンフィクション『オルカ海の王シャチと風の物語』だった。本書はカナダ西岸、バンクーバー島北部のジョンストン海峡に棲息するシャチの群れを、1982年から5年間にわたって観察した日々が綴られている。 60歳を超えるメスの 「ニコラ」とその家族の暮らしを軸に、シャチが地域の人々の生活や宗教文化に与えてきた影響にまで、記述は及んでいる。最も深い印象を与えるのは、巨体との直接的な触れ合いについての描写である。その感動的な場面の中で、 人類が辿らなかった、別の進化の可能性さえ水口は見ているからである。 3年後に出版された『オルカアゲイン』は、前著の出版から2年を経て撮影された、後日談に位置する写真集である。ここで水口は彼らの美しいフォルムと、驚くべき知性を私たちの視覚に見せつけている。緑深い森林をバックに、盛大に潮を噴き上げ、その巨体で海面高くジャンプするダイナミックさ。あるいは「ウインド・サーフィンと戯れるように」寄り添ったりするときの微笑ましさ。自然科学者としての正確な観察眼の中に、対象への愛おしさが溢れているのである。 ところがその一方で、本書には前著にはなかった暗い影が落ちている。2年の間に、多くのホエールウォッチャーたちがこの海峡に押し寄せ、シャチの生活が妨げられようとしていたのだ。時代が足早に変わったことを悟った水口は、自身を含めて「観察者の自制」が必要だと感じた。 その深刻さを明確にするため、あとがきに「(本書は) 9年間親しんできたシャチたちへの留別(りゅうべつ)の書になってしまった」と書いた。留別とは旅立つ者が、そこに残る人々に別れを告げることである。 実際、その後の事態は懸念どおりになった。あの当時、すでに水口は理性的に現状をつかみ、 自然環境に果たすべき人間の役割を見通していたのだ。その先見性は、どのような経験で培われたのだろうか。   自然観察に明け暮れた日々 水口は、2011年5月28日付の自身のプログに「写真を撮ること、撮らないこと」と題した記事をアップしている。そこで過去を振り返り、自分がクジラを撮影し始めたころはその生態写真が少なく、それゆえ「出版物に使うことで啓蒙あるいは教育的な意味をもたらしうる」と考えていたと明かしている。だが、いまや写真は溢れており、よほど新しい認識や表現でなければ写真を撮ることにもはや意味はないとし、これからは「明確な意図をもって撮影しない限り、ただの道楽でしかなくなってしまいます」と警鐘を鳴らした。 確かに、1953年生まれである水口の少年期には、クジラやシャチだけでなく、水中写真そのものがまだ珍しかった。そんな時代に、海の生物に関心を持ったのは、環境によるところが大きい。生まれ育ったのは大阪市内だが、両親の実家は太平洋に面した漁師町、いまも古い町並みが保存されている徳島県の日和佐町(現在は美波町日和佐地区)だった。毎夏、母の実家で夏を過ごすうちに海の生物に興味を持ったのだ。ことに早朝の大浜海岸で見たアカウミガメの産卵は、忘れられない記憶になっている。 理科の教師だった父の影響もある。書棚にあった科学百科でクジラへの興味が芽生えたのだ。ことに史上最大の哺乳動物、体長30メートルに達するシロナガスクジラの項目は強いインパクトを与えた。だが当時としてシロナガスクジラといえば、日本人が目にできたのは、捕鯨船上で撮られた自重でひしやげた姿ばかりである。水口は、あの巨体が海中をいきいきと泳ぐ様子を見たいと思った。 図鑑を眺める一方、父の顕微鏡での観察にも夢中になった。家の庭にあった小さな池の水をすくい、プランクトンやミジンコなど、小さな生命の活動に目を凝らした。それがあまりに楽しく、ついに幼稚園に行くのを止めてしまったほどだったという。 小学校に上がり、水中メガネでの観察を覚えると、長く水中に留まる方法を試した。息を止めるだけでなく、長いホースをくわえたり、空気で膨らませたビニールを抱えて潜ったりした。当然のように失敗したが、それらは命に関わる危険な行為だと知ったのはその後のことだった。 この当時、水口の自然観察の対象は、もっぱら干潮時に現れる潮だまりの小さな生物たちだった。写真を始めたのも、それを記録するためであった。最初は父が持っていた簡素なカメラを使っていたが、中学のときにミランダの一眼レフを手に入れた。 初の本格的なカメラだったが、接写用のマクロレンズなどはまだ一般的には手に入らない時代である。海中の小さな生物を写すには、かなりの工夫が必要だった。幸い、カメラマニアの叔父がカメラやレンズの原理、それに撮り方を理論的に教えてくれた。その助言をもとにボール紙で長い鏡筒を作って接写を可能にしたり、さらにハウジングなども自作したりして撮影に成功している。その楽しさも、さらに写真に取り組む力になったのに違いない。 テレビでアクアラングの開発者であり、水中撮影の第一人者、フランスのジャック=イヴ・クストーのドキュメンタリー番組を見たのはそんな時であった。 映像制作に熱心だったクストーは、1956年の『沈黙の世界』でアメリカのアカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門を受賞したことでも知られている。彼の映画は世界的な人気を獲得し、水中の世界に多くの若者を誘ったのである。 水口もその一人であった。ダイバーの脇を通り抜け、深みに消えていく巨大なクジラ。その優雅な動きを捉えた映像は、幼いころからの夢が実現可能だという事実を、はっきいと示していたのである。   研究と編集職を経て やがて水口は京都大学の理学部動物学科に入り、海洋生物学を専攻した。ただし、一般教養を履修する1、2年生のころはひたすら読書をしたという。なかでもその1冊、イギリスのチャールズ・エルトン『動物の生態学』からは強い影響を受けたと語る。 エルトンは、種の分類が中心だった博物学から、動物同士の捕食関係や環境との関連性を視野に入れる生態学へと進めた学者である。彼は、生態研究には幅広い能力と知識、そして自発的な工夫が必要だと説いていた。その文章に触れた水口は、子どものころから自分が挑んできた工夫に必然的な意味があったことを初めて理解したのだった。 やがて3年になり専攻課程に進むと、多くの時間を和歌山にある瀬戸臨海研究所で過ごすようになった。それはこれから研究者を目指す学生にとっては、まさに理想的な時間だったという。しかし水口は、その道を逸れてしまう。その年次が終わった1975年から、2年間の休学を申請したのは、帆船で世界を回る海洋冒険行を仲間と計画していたからだった。ところがこれは、準備不足であえなく潰れてしまった。その後には、2年という長い空白の時間だけが残された。 水口はそこを埋めるように、アメリカから返還されて間もない沖縄に向かうことに決めた。とくに明確なテーマはなかったが、サンゴ礁に棲む生物を見たいと思ったのである。そこで八重山列島の黒島に開設された八重山海中公園研究所(現・黒島研究所) の許可を得ると、1年半ほどを現地で過ごすことになった。 後に水口は、このモラトリアム期間を「最大の通過儀礼」だったと振り返っている。黒島の研究員たちと交わす雑談も楽しく、初めて自分の写真が雑誌に掲載されて喜んだりもした。だがあり余る時間の中では、「ただ考え、想像力を働かせてすごすだけの時間」のほうが遥かに長い。内省を促すこの時間こそが精神を研ぎ、大人へと成長させたのである。 そんな時間の中で、進むべき道も見えてきた。この年7月には沖縄国際海洋博覧会が開催され、海外の研究者やジャーナリストが島々を訪れており、なかには『ナショナルジオグラフィック』の編集者などもいたのである。彼らに触れた水口は、自然科学のジャーナリズムという世界に可能性を感じたのだった。 やがて2年遅れで卒業した水口は、講談社に入社する。希望していたのは科学新書「プルーバックス」の編集部だったが、幅広いジャンルを扱う「講談社現代新書」に配属されたのは幸いなことだった。ここで編集者として働いた6年半で、得意な科学だけではなく、なじみの薄かった社会科学や芸術、あるいは思想ものまでを担当したことで視野は飛躍的に広がったのである。そして、自分の関心が、動物そのものより、動物の生態を通じて自分自身を知ろうとする人間への好奇心だったことに気付くのである。 クジラとの関わりを深めたのもこの間だった。きっかけは編集者になった年の年末年始、 ハワイで初めてホエール・ウォッチングを体験したことである。沖縄ではフェリーからわずかに見かけたことはあったが、ここでは100メートルほど先で潮を噴き上げる姿があった。その姿が、少年時代に見た夢を蘇らせたのである。 以降、水口はできるだけ休暇をとり、北米でのクジラの撮影を始めた。海外の研究者の調査に参加するほか、単独でも観察を重ねた。1982年には早くもアラスカのジョンストン海峡を訪れている。ここでは、すでにシャチの観察が進み、個体の識別も完全に行なわれていた。そしてこの地で見出したのが、孫たちの面倒をよく見るニコラとその家族であり、それは「海のギャング」というイメージを変える物語の主人公にふさわしいと思えたのである。 そして1984年、水口は写真家として独立すると、観察と撮影に本腰を入れ、『オルカ』と『オルカアゲイン』を相次いで出版したのである。野生のシャチの家族物語は、狙い通り、広く共感を集めたのだった。 あれから数十年が経ち、21世紀も四半世紀以上が過ぎている。水口が見通したように、いまや自然環境も人間の生活環境も大きく変動した。デジタル化された撮影機材は高画素かつ超高感度であり、すぐれたコンピュータ・ヴィジョンを備えている。すべてが可視化されるこの時代のなかで、あの頃の水口のような新鋭写真家たちはどのような自然の物語を描き、人間とは何かを問うのだろうか。新たな自然の見方の登場を、私たちは待っている。   水口博也(みなくち・ひろや) 1953年大阪府生まれ。京都大学理学部動物学科卒業。講談社にて新書の編集に従事しながら、クジラやイルカなど海棲哺乳類の調査・撮影を行なう。1984年にフリーに。世界各地の海をフィールドに撮影を続けている。1991年『オルカ アゲイン』で講談社出版文化賞を受賞。主な写真集・著書に『Whale Odyssey巨鯨伝説』『ビッグブルー』『クジラ・イルカ大百科』『シャチ生態 ビジュアル百科』などがある。 参考文献 水口博也・文、しろ・絵『クジラと海とぼく』(アリス館 2010年) 水口博也『ぼくが写真家になった理由』(シータス 2011年) 『新・学生時代に何を学ぶべきか』(講談社 1998年) 関連記事 [clink url="https://picon.fun/photo/20260131-2/"] [clink url="https://picon.fun/photo/20260228/"] 文・写真評論家 鳥原学 NPI講師。1965年大阪府生まれ。近畿大学卒業。フリーの執筆者・写真評論家。写真雑誌や美術史に寄稿するほか、ワークショップや展示の企画などを手掛ける。2017年日本写真協会学芸賞受賞。著書に『時代を写した写真家100人の肖像』、『写真のなかの「わたし」:ポートレイトの歴史を読む』、『日本写真史』など多数。 鳥原学 時代を写した写真家100人の肖像 上・下巻(玄光社/定価2500円+税)より   ↓PicoN!アプリインストールはこちら

写真

おすすめ記事

おすすめ記事一覧

展示ひとつに5~6年 ー美術品の「輸送」を支える壮絶なこだわりー

美術館や博物館では、国内外の有名な博物館・美術館・寺院などから出展された歴史的に有名な絵画や彫刻、仏像、工芸品など様々な美術品が企画に合わせて展示されています。この美術品たちはどうやって所蔵場所から運ばれたのでしょうか。美術品輸送の大手、日本通運株式会社の吉仲さんに取材させていただきました。 安全に運ぶこと。それ以上に“安心して任せてもらうこと”が大事。 ー美術品輸送とはどのような仕事ですか? 美術品輸送とは、絵画や彫刻、文化財などの繊細な作品を専門の知識と技術で運ぶ仕事です。専用の資材や機材を使い、梱包から輸送、そして展示設営までを担います。一般的な物流と大きく違うのは、扱うものが全て一点ものだということです。振動や湿度、温度などの影響を受けやすいため、作品ごとに最適な方法を考えながら作業を進めます。 依頼は主に美術館や博物館の学芸員、作家、コレクターなどから寄せられます。「作品を運んでほしい」という依頼から仕事が始まるケースが多いことが特徴です。安全に運ぶことはもちろん、主催者と所蔵者が“安心して任せてもらえる作業を心がけること”が我々、美術品輸送のメインだと考えます。 大きな展覧会では5~6年前から話が始まる ー展覧会の輸送準備はいつ頃から始まるのでしょうか? 展覧会の規模によって準備期間は大きく異なります。初出しの仏像などの文化財を扱う大型展では、5〜6年前から相談が始まることもあります。一方、一般的な企画展では半年前から1年前ほど、遅い場合には3か月前に依頼が来ることもあります。輸送準備の段階で、作品を所蔵する寺院や所蔵者、作家個人の理解を得ることが欠かせません。そのため、美術館の担当者と一緒に所蔵先を訪れ、梱包や輸送方法を説明することもあります。 作品を安全に運ぶ技術を示し、「安心して貸し出せる」と思ってもらうことも重要な役割です。海外輸送では航空機を使用するため、余裕を持ったスケジュールが組まれています。基本的に出展側が輸送スケジュールを決めますが、多少トラブルがあって遅れても展覧会に到着が間に合うようにスケジュール組むように輸送のプロとしてアドバイスをします。 「効率」<「無理をしないこと」。ひと手間かかっても確実な方法を選ぶ。 ー 梱包や輸送で特に重要なことは何ですか? 梱包で最も重要なのは、作品の素材を理解することです。絵画、彫刻、土器など素材はさまざまで、それぞれに適した資材を選ぶ必要があります。作品のサイズに合わせた箱をオーダーメイドで作り、内部には緩衝材を配置します。輸送には振動を抑えるサスペンション付きの専用車両を使うなど、細かな配慮が求められます。何よりも大切なのは「無理をしないこと」。効率よりも安全を優先し、一手間二手間かかっても確実な方法を選ぶことが基本です。 美術品輸送は輸送だけではなく展示作業にも関わっています。学芸員の指示をもとに、作品の高さや間隔を調整しながら展示を完成させていきます。大きな展覧会では、輸送・展示に関わる人数が延べ300人以上になることもあります。多くの人が関わりながら、一つの展覧会が形になっていきます。 10年で一人前と言われるような業界 ー美術品輸送の技術はどのように身につくのでしょうか? 社内では研修制度があり、熟練スタッフの指導を受けながら実践的に技術を身につけていきます。 現場では経験の浅いスタッフが一人で作品を扱うことはありません。必ず先輩とチームを組み、作業をしながら学びます。美術品の梱包自体は熟練スタッフが行い、若手のスタッフは資材や梱包材の用意など後方支援を行います。美術品輸送は「10年で一人前」と言われるような業界です。習練の職柄なので、コツコツ粘り強い方が向いている仕事です。長く経験を積んだスタッフでも「日々、学び続ける。」と感じながら仕事を続けています。 美術品は失敗が許されない仕事です。どの案件でも神経を使いますが、縄文土器や弥生土器、修復歴のある彫刻などの古い文化財や初めて運び出される作品などは、どこが弱く、どこに力をかけてはいけないのかを慎重に見極めなければなりません。作品は一つとして同じものがないため、経験と知識をもとに判断していく必要があります。 現代アートを運ぶ難しさ ー輸送が特に難しい美術品などはありますか? 現代アートの輸送には独特の難しさがあります。新しい素材や複雑な構造の作品も多く、強度が分かりにくい場合があるためです。特に個人作家の場合、「簡単に運べる」と思われている作品でも、実際には非常に壊れやすいことがあります。我々の経験や技術と作家の考え方の違いをどう埋めるかが難しく重要な点になります。「どんな作品でも運びます。」でも、壊れないとは言っていません。だからこそ作り手には、輸送も想定した「壊れにくい作品」を作って欲しいという思いがあります。 傾きや吊り方が気になる ー美術品輸送ならではの“職業病”はありますか? 出張でビジネスホテルに行った時に、壁にかかっている絵の傾きは気になってしまいます。どういう吊り具を使ってるのか気になって、壁と絵の間を見てしまいます。 私たちが目にする美術館・博物館の作品は、背後にはこうした見えないプロの仕事で支えらています。熟練の技術と経験、知識で美術品を安全に運んでいます。海外から日本に有名な作品が貸し出されるのは、こうした安全に運ばれる美術品輸送のみなさんの仕事が信用を積み重ねて繋がっています。展覧会を支えるもう一つの専門職――それが美術品輸送の世界です。ぜひ、展示を見る際には「この作品はどうやって運ばれたのだろう」と想像してみてください。展示を見る視点が増えることで、きっと充実した鑑賞になりますよ。 取材協力:日本通運株式会社 日本通運株式会社公式HP PicoN!編集部 文:武田 ↓PicoN!アプリインストールはこちら

アート

【展示レポ】“イメージの釣り人”ロベール・ドアノー 写真展『Robert Doisneau』東京・虎ノ門「art cruise gallery」で開催!

“イメージの釣り人”とも評される類まれな洞察力で日常の小さなドラマをとらえ、“ドアノー劇場”とでもいうべき独自の世界を生み出し写真史上に大きな足跡を残したフランスの国民的写真家ロベール・ドアノーの写真展が、東京・虎ノ門にある株式会社ベイクルーズが運営するアートギャラリー「art cruise gallery by Baycrew’s」にて、2026年1月30日(金)より開催されました。 フランスの国民的写真家 ロベール・ドアノー 写真を学んでいる者であれば、一度はロベール・ドアノーの作品を見た事があるのではないでしょうか。 有名な作品は、「パリ市庁舎前のキス」。東京都写真美術館の入口に続く通路の壁面に大きく張り出されているモノクロの3作品の内、1作品が本作です。(他、2点は、ロバート・キャパ「オマハ・ビーチ、コルヴィユ・シュル・メール付近、ノルマンディー海岸、1944年6月6日、Dディに上陸するアメリカ軍 」1944、植田正治「妻のいる砂丘風景(Ⅲ)」1950頃)   ロベール・ドアノー(Robert Doisneau)は、パリとそこで暮らす人々の日常をとらえた著名なフランスの写真家です。 パリの美術学校エコール・エスティエンヌで石版印刷を学び、広告会社で勤務したのち、写真家アンドレ・ヴィニョーの助手となります。その後、自動車メーカー・ルノー社でカメラマンとして勤務し、工場・労働員・完成品・試乗・コマーシャル写真を撮影。1939年よりフリーとして活動を開始。1949年から51年まで『ヴォーグ』誌の契約カメラマンとして、ファッション写真や社交界を撮影。パリを中心に庶⺠の日常をとらえた写真で高い評価を得、現在でも世界中で愛され続けています。 アートとファッションが交差する場。「art cruise gallery by Baycrew’s」 会場は、東京・虎ノ門駅から直通、虎ノ門ヒルズ ステーションタワー3階の〈art cruise gallery by Baycrew’s(アートクルーズギャラリー バイ ベイクルーズ)〉です。 JOURNAL STANDARD、IÉNA、 Deuxième Classeなどのセレクトショップを展開してきた株式会社ベイクルーズが、新業態として“ライフスタイルの中でいずれも必要不可欠である、アートとファッションが交差する場”として、2024年2月にオープンしました。オープンから、葛飾北斎、マーティン・パー、本城直季など、ジャンルレスな企画展を開催されています。本展が第11回目の企画となります。 ステーションタワー内の3階へ続くエスカレーターを上がると、ギャラリーの看板が迎えてくれます。矢印の方向に進むと、ギャラリーの入り口に辿り着きます。 アトリエ・ロベール・ドアノー全面協力、精選された約40点を展示。 本展はドアノーの遺族が創設したアトリエ・ロベール・ドアノーの全面協力のもと、その代名詞とも言えるパリを舞台にした作品はもとより、写真家の原点でもあるパリ郊外、時代を彩った芸術家たちの肖像、子どもたちなど、アトリエが所蔵するモダンプリントから精選された約40点が展示されています。 会場は、L字型の壁面で区切られており、ドアノーが撮影した作品が展示されていました。ドアノーの作品は「特別な何か」ではなく、フランスの日常の中にある風景、群衆の中にある小さな出来事を切り取ったもの。しかし、完全なるスナップではなく、いわゆる〝作り〟で必要に応じて演出も使っていたのは有名ですね。「パリ市庁舎前のキス」もその一つです。 本展のクリエイティブディレクターを務めたnano/nano graphics代表のおおうちおさむ氏に本展のこだわりを伺いました。 nano/nano graphics 代表取締役 おおうちおさむ Osamu Ouchi 1971年生まれ。多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科卒、東京在住。(故)田中一光に師事し、無印良品、資生堂、ISSEY MIYAKE、サルヴァトーレ・フェラガモ生誕100周年プロジェクトなどのポスター・グラフィック・空間デザインなどを手がけており、時代の象徴的になる制作を数多く生み出している。2003年に有限会社ナノナノグラフィックスを設立。グラフィックからスペースデザインまで幅広い活動を行う。長野県松本市にて自身で立ち上げた「マツモト建築芸術祭」の総合プロデューサーを務め、この先も毎年冬に開催予定。 <引用元:art cruise gallery by baycrew’s Director Page> ドアノーの生い立ちが壁面の配色のヒント ー壁面がゴールドとホワイトのバイカラーになっていますが、何故この配色にされたのですか? どこかで見れない良さを出したかったんです。作品を展示する背景の壁面の色って、作品の印象を大きく左右しますよね。あえてそれを積極的にやっています。今までも、ドアノーの作品を金色の壁面で展示した方はいないんじゃないかなと思います。 ドアノーってフランスの貧民街の出身なんですよ。パリは当時、厳格な身分制度が存在していました。街の中心には、華やかなお金持ちの生活があって、城壁を隔てて、その外は貧しい人たちが暮らしていると言う時代。ドアノーはどちらかというと、その城壁の外の出身。そこで石版を学び、一生懸命働きながらカメラを手に入れて、写真家になっていく。どんなに有名になっても、ドアノーの写真には、どこか貧しさが漂っている。彼の写真って、例えばピカソを撮影しても、少し貧しい感じがする。その貧しさに対して、ちょっとラグジュアリーの象徴として、コントラストで金を使っています。金色の前に、貧しさと逞しさが滲み出る写真が乗るっていうこの関係性がすごい良くて。 当時のフランスの光と影を表現した空間構成 ー空間デザインでこだわられた点を教えてください。 中央の通路だけを金の壁面にしたんです。これがですね、お金持ちが暮らす煌びやかな街という表現で、パリの市街の写真を配置しています。輝く華やかな通りを抜けると、白い壁面で、それが城壁の外という事で、郊外で撮影された作品を展示しています。 一区画はアーティストを撮影した作品のみを展示したスペースになっています。 これまで本展を含めて、11の展示を企画してきましたが、壁面は今回も使用しているL字型のものを5個のみで毎回展開しています。組み方、並べ方を変えて構成しています。それで教示張りを変えて色も丸ごと変えて少ない要素でどんだけ変化がつけられるかっていうチャレンジをしています。 古典にコンテンポリー的な向き合い方を ー今回の展示をロベール・ドアノーを選定した理由を教えてください。 本展は、このギャラリーの第11回の企画なんです。なぜドアノーにしたかというと、これまでの流れが関係しています。ドアノーの前の第10回が作家・村松英俊さんによるモノや道具など既製品の一部分を大理石などの石に置き換えた作品、第9回が、美術家・宇佐美雅浩さんの各地の人々や、その人物にまつわる文化や背景を仏教絵画の「曼荼羅」のように一枚の写真に収める「Manda-la」シリーズ。第8回が、アーティスト・シシヤマザキの身体性と哲学を通して生み出された、多様なメディウムによる作品群をまとめたもの。第7回が、2度目の葛飾北斎。第6回がアートユニットの米谷健 + ジュリアの代表作、ウランガラスを用いたシャンデリアのインスタレーション『クリスタルパレス: 万原子力発電国産業製作品大博覧会』の展示をしました。オモシロイのが、一点一点に原発保有国の名前がつけられており、作品のサイズは、その国の原発からつくり出される電力の総出力規模に比例しています。無害のウランガラスを使って、イデオロギーを伝えるためじゃなくて、ファクトとして作品にする人たち。その流れの中で、ウランガラスが来て、北斎が来て、写真が来て、大理石が来て、次に何を繋げようと思った時に、最適だと思ったのが、ドアノーだったんです。 古いものを石に戻す。その逆の発想を次に持ってきたいと思っていて、古いプリントを今の見え方に引き上げるというコンセプトにしました。 今の日本って“守る事”って“仕舞う事”になってしまっていますよね大事に大事に。本当に時代を超えて作品を残す為には、その時代時代に合わせたコンテンポラリーに引き上げとかなきゃいけないと思っています。だから、古いものを、今の現代アーティストと肩を並べるような向き合い方を、今の人にしてもらえるような場を作っていくっていうのはすごく面白くて。 ドアノーって写真で言えば、古典だと思っていて、古典にコンテンポリー的な向き合い方をしてもらいたいと思っています。ドアノー関連の仕事は過去にもたくさん機会をいただいているし、財団とのご縁もあり、今回、展示にご協力いただいている株式会社コンタクトの佐藤正子さんとも昔からのお付き合いがあったのも大きくて、そこで今回はドアノーにしようと決定しました。 株式会社コンタクトの佐藤正子氏に、プリントについて伺いました。 ープリントがとても綺麗ですが、今回のプリントは展示のために焼いたものですか?展示用に焼いたものでは、ありません。ただ、ドアノーは仕事で写真を撮っていたため、多くは印刷の見本用で、六つ切りくらいのプリントが多かったんですね。その後、アーティストとして展示する機会が増えたことで大きいプリントが増えていきました。ドアノーのプリンターがまだ存命なので、必要な場合はその方にお願いできています。 特に、昔の銀塩モノクロプリントは長い年月が経っても見栄えが劣化しにくく、古さを感じさせないことも影響しているかもしれませんね。 今回はこれまで写真集や展示にあまり出たことがない作品も展示していますので、今までにドアノーの展示を見られていらしゃる方にも楽しんでいただけると思います。   パリは時間の浪費がチケットの代わりになる劇場だ。 ー ロベール・ドアノー 今にも物語が始まりそうなドアノーの作品たちをぜひ観に行かれてはいかがでしょうか。 『ロベール・ドアノー「Robert Doisneau」』は4月12日(日)まで   《展覧会情報》 『ロベール・ドアノー「Robert Doisneau」』 会期:2026.1.30(金)-2026.4.12(日) 時間: 11:00-20:00(19:30Last entry) 会場:art cruise gallery by baycrew’s(アートクルーズギャラリー バイベイクルーズ) 料金:無料 公式ホームページ 取材協力:株式会社ベイクルーズ 取材/PicoN!編集部 市村 撮影/内山慎也   ↓PicoN!アプリインストールはこちら

写真

映像表現の可能性をひらく。映像とアートの国際フェスティヴァル「恵比寿映像祭2026」【展示レポ】

映像文化とアートの現在を横断的に紹介する国際フェスティヴァル「恵比寿映像祭2026」が、2026年2月6日(金)からスタート!メディア向け内覧会にお邪魔し、その見どころをいち早くご紹介します。 『恵比寿映像祭2026 「あなたの音に|日花聲音|Polyphonic Voices Bathed in Sunlight」』展レポート 恵比寿映像祭は、2009年の第1回開催以来、年に一度恵比寿の地で、展示、上映、ライヴ・パフォーマンス、トーク・セッションなどを複合的に行ってきた映像とアートの国際フェスティヴァルです。映像分野における創造活動の活性化と、映像表現やメディアの発展をいかに育み、継承していくかという課題について広く共有する場となることを目指してきました。 恵比寿の街全体が映像祭一色になる16日間 メインの会場は、東京都写真美術館。 JR恵比寿駅東口から動く通路・恵比寿スカイウォークを進んでいくと、恵比寿ガーデンプレイスに到着します。風を受けて靡く恵比寿映像祭の中吊り広告が、徐々に映像祭の世界へと誘います。 今年のテーマは「あなたの音に|日花聲音| Polyphonic Voices Bathed in Sunlight 」 いま社会は多様性の尊重を重視しています。しかし、人、文化や言語などの間にはたとえ共通点があったとしても、誤解、誤読は生じます。そして、戦争は止まず、格差は埋まらず、さまざまな摩擦の終わりが見えません。私たちはアンバランスで複雑な社会状況に直面しています。 恵比寿映像祭2026の総合テーマは、メインキュレーター・邱于瑄(チィウ・ユーシュェン)氏による台湾語が起点です。 台湾語は口承で広がった言語で、19世紀に生まれた発音記号や、20世紀の漢字表記の展開を経て、多くの文献が編まれました(その中には1931年に出版された、台湾語–日本語の辞書『台日大辞典』なども含まれます)。日本語とも共通点が多く、いくつかの表記法が混在している言語です。 「日花聲音」と書いて、(ジッホエ・シアーイン)と読みます。さまざまな声や音が響く空間に、木々の間から洩れた光が差し込む様子を現されています。多様な文化、言語などが互いに影響し合うという意味が込められています。 一口に「映像祭」と言っても、受付でいただいた冊子によると、出展作品は、映像、写真、サウンド、立体アート、アプリなどのデバイスを活用した新しい表現方法、パフォーマンス、演劇など、その表現方法は多岐に渡ります。 各階をキュレーターの方に解説していきながら巡りました。東京都写真美術館の全フロアに展示があり、今回は、B1Fからスタートし、1F、2Fの順で進んで行きました。構成としても、この順で巡ってもらうのがオススメだと感じました。 「 重なり合う形と声:空間で触れる展示プログラム」 (会場:東京都写真美術館 B1F・1F・2F) 写真、映像、サウンド、パフォーマンスなど多様なメディアを横断し、人類学的な視点から「声」「環境」「記憶」「誤読」をテーマに展開する展示プログラム。長い歴史の中で交差してきた人や文化の往来を手がかりに、混ざり合う環境に潜む“聞こえにくい声”の広がりを可視化します。 B1Fでは“移動”を起点にしたサウンドスケープが広がります。 [caption id="attachment_28099" align="alignnone" width="750"] 撮影:新井孝明[/caption] B1Fの入り口を入ると、台湾原住民族のルーツを持つ張恩滿氏(チャン・エンマン)による船形のインスタレーション作品《蝸牛樂園三部曲—啟航或終章》が迎えてくれます。カタツムリをモチーフに異なる土地を渡り定着してきた生き物の記憶と、変化し続ける環境のなかで未来へと受け継がれる姿を表現しています。 視覚障害のある人々への聞き取りを通して先入観や誤解というズレを手がかりに、「見ること」を問い直す鶴巻育子氏によるプロジェクト《ALT》の3部作の内、2部作が展示されています。 作家さん自ら展示作品をご紹介いただきました。 《ALT》は、オルタナイトの略で、「他の可能性」や、「代替の」と言った意味のあるタイトルなのですが、3部作になっていて、内、セクション1と2を展示しています。 セクション1のモニターに投影されているのは、31人の視覚障害の方のポートレートです。私自身、取材を始める前までは誤解をしていたのですが、視覚障害のある方は、自由に外を歩いたり、好きなことができないのではないかと、思い込んでしまっていたのです。しかし実際は決してそんなことはなく、違う方法を工夫したり、人の力を借りながら、本当に自由に生活されていることを知りました。この31名の方々には、ご自身で好きな場所を選んでいただき、その場所でを撮影し、お話を伺っています。撮影場所はさまざまですが、この作品を通して問いかけているのは、「自分のすぐ近くにも、知らないうちに視覚障害のある方や、別の障害を持つ方、自分とは違う条件の人がいるのではないか」ということです。セクション1のタイトルは、「隣りにいる人」。その存在に目を向けてもらうためのタイトルです。 壁面に展示してあるセクション2は、「※写真はイメージです」よくパッケージなどに記載してある文言で見慣れた文字かと思います。 視覚障害の方に、見え方を伺いました。 視覚障害というと、=全盲のイメージですが、決してそうではなく、見えづらさも人様々で、それを聞いて、作品にしました。写真の横に記載している文章が、視覚障害の方から伺った見え方をそのまま記載しています。すごく複雑な見え方をしているので、言葉では正確にできないんですね。その時点で、私が聞いてもやっぱり本当にその方が見えている状態ってわからないんですよね。恐らく一生分からないと思うんです。なのでこれは、正解ではないというのが前提で作った作品になります。 ここでは、相手を分かったつもりになったり、理解し合うとか、そうゆう事を考えがちですが、やっぱり人と人って理解し合えそうで、なかなかできない。理解し合うの前に、自分と違う人がいるってことを知るって言うこと。そこが大事という思いをこの作品に込めています。   フロアの移動は、ついついエレベーターを利用しがちだが、オススメは階段移動。 次の展示室を目指して階段を上がっていくと、今回の映像祭で特別に取り付けたであろうスピーカーから、サウンド作品の音が流れ、移動の階段すらも、楽しめる仕掛けになっています。   2F展示室では、言語や社会のルールを再考しながら「ズレ」や「誤解」から生まれる表現の可能性を探ります。展示室内外に響く形なき音が、視覚と聴覚のポリフォニーを立ち上げ、異なる文化や言語、身体のあいだに生まれる共鳴を体感させます。 侯怡亭氏(ホウ・イーティン)《所有的小姐 Sóo-ū -ê sió-tsiá》では、日本文化の影響を受けた台湾語の歌詞を刺繍として表現し、言語の背景にある歴史や社会の記憶を浮かび上がらせる内容になっています。 [caption id="attachment_28106" align="aligncenter" width="750"] 撮影:新井孝明[/caption]   チョン・ソジョン氏の《シンコペ》は、音の新たな可能性を求めて長年活動してきたアジアの女性たちが国境を越えて移動する姿を追った作品。 本作に登場するデジタル植物をARで楽しめるアプリも、ステートメントに記載されているQRコードからダウンロードできるようになっています。 新しい才能と出会う「コミッション・プロジェクト」(会場:東京都写真美術館 3F展示室) 東京都写真美術館の継続事業として、2023年に始動した「コミッション・プロジェクト」。日本を拠点に活動するアーティストを選出し、制作委嘱した映像作品を“新たな恵比寿映像祭”の成果として発表します。 恵比寿映像祭2026では、第2回コミッション・プロジェクト特別賞受賞作家である小森はるかによる新作展示を、総合テーマと呼応させながら具現化。ドキュメンタリーの歴史を受け継ぎながら、見過ごされてしまう風景や人の営みに丁寧に目を向ける小森の、新作2作品を展示します。会期中には第3回コミッション・プロジェクトのファイナリスト4名を発表します。 東京都のコレクションを特別公開(会場:東京都写真美術館 3F展示室) 東京都コレクションから、総合テーマ「あなたの音に|日花聲音|Polyphonic Voices Bathed in Sunlight」を紐解く視点として、「現代と歴史」を切り口に作品をセレクト。東京都写真美術館をはじめ、東京都現代美術館、東京都庭園美術館、東京都江戸東京博物館が管理する収蔵品の中から、映像・写真・資料を展示し、漣(さざなみ)のように立ち上がる違和感をリレー形式であぶり出します。 東京都庭園美術館で撮影された、さわひらきによる映像作品《pilgrim》(2022)を、1933年竣工時の《朝香宮邸竣工写真》とともに展示。建築に重なる時間の層を浮かび上がらせます。 千房けん輔と赤岩やえによるアーティスト・デュオエキソニモの《Joiner》は、画面を指でなぞるだけで風景を切り取り、絵を描くような感覚でリアルタイムにコラージュ写真を生成できるカメラアプリとして制作された作品。角度や時間をずらしながら撮影したり、離れた場所を同一画面上に組み合わせたりすることで、工夫次第で多様な表情をもつコラージュ写真を制作・共有することができます。2012年に東京都写真美術館へiPhone 3GSの実機とともに収蔵されましたが、バッテリーの劣化により起動が困難な状態にありました。今回、エキソニモがプログラムと実機の再検証を行い、マイグレーションを実現しました。 街にひらかれるアート——オフサイト展示(会場:恵比寿ガーデンプレイス センター広場、恵比寿スカイウォーク) デジタルとアナログの境界を横断する実験的プロジェクトを展開。インターネット・アートの先駆者 エキソニモ、個人と集団のアイデンティティに着目したFAMEMEが、都市空間に新しい映像表現をインストールします。屋外でしか体験できない“偶発的な出会い”を生み出す作品群が、訪れる人すべてに開かれた鑑賞体験を提示します。 FAMEMEによるドリアンと香水の融合した新感覚の新作《Duri-grance by FAMEME》が、恵比寿スカイウォークをジャック!実は、東京都写真美術館に向かう途中にも、作品を楽しむ事ができます。手元の画面から目を離し、FAMEMEのハッピーな世界観を見つけてください。 [caption id="attachment_28100" align="alignnone" width="750"] 東京都写真美術館内:1F ロビー 撮影:新井孝明[/caption] 恵比寿ガーデンプレイス センター広場では、目を閉じた人々の顔が映る二つのモニターが重なり合い、キスを交わしているかのように見えるエキソニモ《Kiss, or Dual Monitors》が登場。 2026年の新ヴァージョンでは、約4mに及ぶ巨大LEDウォールとして進化。東京都写真美術館2Fには、来場者が参加できる撮影ブースも設置されます。筆者も挑戦してみました!会期中にも使用する旨が記載された同意書にサインし、撮影ブースへ。 ブースには、イスとカメラが設置してあり、頭をヘッドレストにつけるよう指示があり、カメラマンの指示で撮影していきます。勝手にスチール撮影だと思ってしまったのですが、実際は、10秒程度の動画撮影です。 撮影後、QR画面を撮影しておくよう指示があります。 万が一、撮影した動画の削除を依頼する際に、このQR情報で問い合わせることによって削除の依頼が可能になるとのこと。この手の体験型のものは撮影して完結なので、その後考えが変わった際のケアまで、とても考えられています。QRを読み込むと、LEDウォールに自分の映像が流れるまでのカウントダウンが表示されます。この表示時間から約5分間、重なり合うモニターに交互に表示され、その後、会期中は、ランダムに表示されるとの事。 表示されるまで、10分程度だった為、エキソニモ《Kiss, or Dual Monitors》が展示されている場所へ行くことに。ブースを出てから、1Fへ戻り、正面玄関を出たらすぐに右に曲がり、通路を直進します。センター広場へ続く階段を降りて行きます。 時間になり、投影されたので、ワクワクしながら、向かいのモニターを見ると、真っ黒でした。 一人でキスしていたようです。きっと、期間中にたくさんの方が参加していただく事で、色々な方が画面に出てくるようになるはずです。ぜひ皆さんも参加してみてくださいね。   映像を“視る&聴く”——上映プログラム(会場:東京都写真美術館 1Fホール) 恵比寿映像祭のために編まれた特別上映プログラムを連日開催。劇映画から、実験映画をはじめ、日本初公開作品を含め多彩な作品が集まります。 [caption id="attachment_28120" align="aligncenter" width="750"] 河合健《みんな、おしゃべり!》[/caption] 重なり合う声と身体——ライヴ・イヴェント(会場:東京都写真美術館 1Fホール、1Fスタジオ、展示室) すべての来場者にひらかれたフェスティヴァルを目指し、映像文化の理解を深めるとともに、来場者が自ら考え、対話するきっかけをつくります。展示プログラムの各作品を起点にしつつ、様々な表現方法のプログラムが重なり合い、総合テーマのさらなる拡張を試みます。出品作家であるキュンチョメ、鶴巻育子、アンジェリカ・メシティによるアーティスト・トークをはじめ、日本大学名誉教授の原直久による写真技術に関する講義を行います。また、原住民文化を深く知ることができる関連ワークショップや、視覚障害のある方と作家による「見え方」についての作品鑑賞ツアーを実施します。さらに、形のないパフォーマンスや、美術館での音楽作品の特別演奏も開催。加えて劇団ゴツプロ!による演劇プログラムを取り入れ、映像の領域の拡張に挑みます。 [caption id="attachment_28121" align="aligncenter" width="750"] ゴツプロ!×峸劇場 共同制作《敬啓者》(拝啓)[/caption]   文化が響き合う都市ネットワーク——地域連携プログラム(会場:地域連携各所) 恵比寿映像祭2026では、地域連携の範囲をこれまで以上に拡大し、恵比寿近隣の文化施設が多数新たに参加します。日仏会館、CCBTをはじめとする18施設が、それぞれ独自の展覧会やイベントを開催し、街全体でフェスティヴァルを盛り上げます。さらに今年は、恵比寿屈指のディープスポット「恵比寿 地下 味の飲食街」や、恵比寿エリアの複数のバーとも連携し、昼から夜まで恵比寿の街全体を巡りながら、多様な作品と出会うことができます。日本写真芸術専門学校の卒業生達の自主ギャラリー「Koma gallery」も連動プログラムの展示を開催中! 恵比寿映像祭2026 地域プログラム Koma gallery Photo Exhibition [前期]2026.2.6 (fri) - 2.14 (sat) フジヤマヨシヒサ×山中南実×ハギワラヒカル 「the sameday,elsewhere」 @miku.0x0  @minamiyamanaka  @jr0330h [後期]2026.2.15 (sun) - 2.23(mon) フジモリメグミ×鈴木隼斗×張鈺 「aroundscape ×material object×復照青苔上」 @fujimorimegumi  @suzuki_hayato_  @the_zy Koma gallery Instagram 〒153-0062 東京都目黒区三田1丁目12 金子ビル 201 OPEN 12:00-19:00 ※会期中無休     また、シールラリーも実施し、シールを集めると映写機から生まれたキャラクター 「ye(b)izoちゃん」オリジナルグッズを先着でプレゼント。取材の日も、春分を過ぎたからか、心地よい春の訪れを感じる気候でした。アートを通して街を歩き、地域文化を再発見する体験をしてみてはいかがでしょうか。 少し難しそうで行くのを迷っている方は、この左のフリーペーパーを片手にぜひ展示を見ていただきたいです。 「東京都写真美術館ニュース 別冊ニャイズ」 かなりゆるめの猫ちゃんたちが、恵比寿映像祭2026をとても分かりやすく解説している1冊。 様々な表現方法を、目で、音で、感じてみませんか?   『恵比寿映像祭2026 「あなたの音に|日花聲音|Polyphonic Voices Bathed in Sunlight」』は2月23日(月・祝)まで 《展覧会情報》 『恵比寿映像祭2026 「あなたの音に|日花聲音|Polyphonic Voices Bathed in Sunlight」』 会期:2026年2月6日(金)〜2月23日(月・祝)[16日間]※2月9日(月)および16日(月)は休館 ※3F展示室のみ3月22 日(日)まで 時間: 10:00–20:00(2月6日〜2月22日)※最終日(2月23日)は18:00まで※2月25日(水)から3月22 日(日)の3F展示室は10:00 から18:00 まで(木曜・金曜は20:00まで) 会場:東京都写真美術館、恵比寿ガーデンプレイス各所、地域連携各所ほか 料金:展示無料(上映と一部イベントのみ有料)主催  東京都/公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都写真美術館/日本経済新聞社 共催:サッポロ不動産開発株式会社/公益財団法人日仏会館 助成:ブリティッシュ・カウンシル 協力:在日オーストラリア大使館 後援:台北駐日経済文化代表処 台湾文化センター/J-WAVE 81.3FM 協賛:YEBISU BREWERY TOKYO/東京都写真美術館支援会員/ダイワロイネットホテル西新宿PREMIER HP:https://www.yebizo.com 取材協力:エイベックス・クリエイター・エージェンシー株式会社 取材・撮影/PicoN!編集部 市村   ↓PicoN!アプリインストールはこちら

アート