【閲覧注意】ヒナがマコトを殺した日/ヒナがマコトに殺された日
私が行方不明だったマコトを発見し、心の赴くままに鉛玉を浴びせてから三日。
私は、彼女と戦っていた。……三日ぶりに会って戦っている訳では無い。三日三晩、飲まず食わずで一睡もせずに戦い続けているだけだ。
正直な話、本気でやればマコトぐらい瞬殺できたはずだった。しかし、できなかった。勿体なくて。マコトとの闘いを、ずっとずっと楽しみたくて。
だから、嬲るように手加減しながら彼女を追い詰め続けた。追い詰めれば追い詰めるほど、マコトの目は以前のような暗い輝きを取り戻していった。それを感じて、恍惚とした。
最初はただ撃ち返してくるだけだったマコトは、戦い続ける内にどんどん本来の"やり方"に立ち戻り、あらゆる策略謀略で対抗してくるようになった。
距離を取り、罠を張り、無関係の人間も巻き込んで、抵抗し続ける。それが嬉しくて嬉しくて、ひたすらに嬲り続けた。
本来、マコトが私に勝つのなら、事前に気が遠くなるほどの準備と用意を重ね、私に実力を発揮させないよう立ち回りながら、必勝の罠を幾重にも張り巡らせた上で幸運に恵まれなければならない。
それでさえ、勝率は万に一つと言って良いだろう。それを掴んだのが、あの日のマコトだった。
しかし、今の彼女は何の準備もしていない。それはそうだ、私の奇襲から始まった戦いなのだから。
にもかかわらず、マコトは善戦している。それは私が彼女をできるだけ長く嬲る為に手加減しているから、だと思っていた。実際、最初はそうだったはずだ。
――そうでは無くなりつつある事に気が付いたのは、いつ頃だったか。
(……っ、血……?)
……受けても大丈夫だと判断した弾丸が、私の肌を貫き肉を抉った。
一旦マコトから離れ身を隠し、傷口を確認すれば相応の痛手。常通りの私なら何の傷も負わなかったはずなのに。
相手が何か特別な弾を使っている様子は無い。……これは私の体の不調、疲弊が原因だと気付く。
(……マコトが居なくなってから、睡眠時間も休息時間も削って方々を探し回ってたから……純粋に体の限界が来たのね)
考えてみれば、さっきの銃撃も普段の私なら受ける以前に避けられていたはずだった。
だが判断力の鈍りで対応が遅れ、咄嗟に動くこともできず受けるしか無かった。
マコト捜索の為に体力の限界を考えずに働き続けた影響が、三日三晩の連続戦闘で遂に表出したようだった。
……彼女も、私の不調には気付いているはずだ。例え気付いていなかったとしても、先の一撃で察したはずだ。だからと言って、手を緩める様な女では無い。
寧ろ、相手のやり方は時と共に激しさを増している。つい先程も、即席で即死級のブービートラップを張り巡らせた屋内に私を誘い込み、突破されると見るや否や躊躇いなく建物ごと爆破し圧殺しようとした。
今の、肉体的に脆弱化した私のまま、マコトの悪辣な策略に晒され続ければ――私のヘイローは、保たないかもしれない。そんな想像が頭を過った。
(……私のヘイローが、破壊される? ……マコトに? マコトの手で? 終わるの? 私の生命が、マコトに――)
それを想った瞬間。私の背筋をゾクゾクとした甘く仄暗い快楽が駆け巡り、疲れ切った脳を沸騰させた。
(私の最期の瞬間を、マコトが、マコトだけが看取ってくれる。私の最期の瞬間に、私を殺したマコトの雄姿を瞳に映し焼き付けて逝ける――)
脳が甘く深く暗く蕩けていくのを感じる。堕落の誘惑、二度と後戻りできない破滅の背徳に心が惹かれていくのを感じる。
その時、マコトの姿を見失っていた私の耳に爆音が届いた。
振り向けば、通りの向こうの雑居ビルが炎上している。……これは『誘い』だ。彼女が私を、呼んでいる。
逃げ惑う人の流れに逆らって、ビルの入り口に立つと、燃え盛る室内の睨みつける。
――感じる。確かにあの女が待っている。このビルの奥で、私を殺す罠を携えて、私に最期の一撃を叩き込む為に待ち構えている。
理屈ではなく、ただそう感じた。――同時に、ここが最後の分岐点だという事も感じられた。
恐らく……この炎上するビルに入ったが最後、私は生きては帰れないだろう。
何の理由も無い直感。第六感。私の生存本能が、入るな逃げろと騒いでいる。進めば死ぬぞ、と。
だから私は、愉悦と歓喜に震えながら……上がる口端、にやつく表情を隠そうともせず、逸る気持ちを抑えて迷いなくビルに入っていった。
「……見ぃつけた」
「キキキッ……来たか」
ビルの最上階の一室にマコトの姿はあった。
ここまで来るのにも、相応に苦労させられた。即席で準備したとは思えないトラップの数々。その一つ一つに、私の体力は削られた。
元より炎上する閉鎖空間、熱さと煙によってじわじわと苦しめられるというのもあるが、何よりトラップの精度が問題だ。
私の性格を、空崎ヒナという人間を知り尽くさなければ成立しない、私専用の罠。私なら絶対にそう動く、と信頼した上で直撃するよう計算された殺意。
まるでマコトが私に「私はこんなにもお前の事を知っている、お前の事を想っているんだぞ」と全力で伝えてきているようで。私の心に、正体不明の感情が湧き上がった。
マコトの仕掛けたブービートラップで、私の肉体が抉られる度に興奮した。私の右眼が潰された時は歓喜で心が躍ったし。私の左肩に風穴が空いた時は軽く絶頂した。
それでも、そんなトラップなんかで死んでやるつもりは無かった。私を終わらせるのは、マコト自身の銃が良かった。マコトの手で殺されたかった。だから私は、不屈の意志で最上階に辿り着き、遂にマコトと対峙した。
私達は一瞬だけお互いに見つめ合った後、銃撃戦を始めた。
私は既に満身創痍、対してマコトは十全に準備を整えた上で私を待ち伏せていた。状況として有利なのはマコトだった。
しかし私は空崎ヒナ。自分で言う事でも無いが、ゲヘナ最強の女。ここまでやって尚、というかここまでやったからこそ、戦闘は互角だった。
私とマコト、どちらが勝ってもおかしくは無かった。私も限界だが、彼女も限界だった。元々、体の強度で言うなら私より彼女の方が圧倒的に下なのだ。
事ここに至って、私の中にムクムクともう一つの欲望が芽生え始めた。
(――殺したい。マコトのヘイローを、私の手で壊したい)
マコトが最期の瞬間に見つめるものが私であって欲しい。マコトの最期を、私だけが看取りたい。
そんな欲求が私の中で膨らみ、気分が高揚していく。疲弊も苦痛も麻痺し、感じなくなっていく。ただマコトとの殺し合いだけを感じる。
マコトを殺したい。マコトに殺されたい。二つの相反する気持ちが混然とし、融け合って、ただこの一時の悦楽へと昇華されていく。
もはや、勝利も敗北も、殺す事も殺される事も全ては同じ意味となっていた。マコトを撃ち、マコトに撃たれ、マコトと戦うこの一瞬の為に産まれて来たのだと悟った。
撃ち合う中で、一瞬だけマコトと目が合った。
その瞳から感じたのは、憎悪すら超越した執着。あの頃のマコトと変わらぬ目。その上に、私と殺し合う歓喜や退廃的な殺意の欲求、今の私と全く同じ感情が乗っている。
嗚呼――私とマコトは、今同じ想いを共有している。心が一つになっている。或いはそれは、セックスよりも激しい快楽。脳の許容量を超えた幸福。
次の瞬間、遮蔽物から同時に飛び出た私達の放った弾丸は、お互いの腹部を貫いた。
「キキ、キ……相打ち、だな……」
「そう、みたいね……」
ごうごうと燃え盛る部屋の中、手を伸ばせば触れられる距離で互いに膝を付いた私達は事実を確認し合う。
最後のダメージを受けて、私の体はもう戦闘続行が不可能な状態だった。そしてそれは、マコトも同じだ。
私達の戦いは終わった。結果は引き分け。互いに弾切れとなった銃を取り落とし、荒い息を吐いている。……煙が気管に入り、頭が朦朧とする。
……さて。私達の戦いは終わった。戦える体では無く、満身創痍だが、それでも"致命傷では無い"事は分かった。
生きて脱出するのは限りなく困難とはいえ、不可能ではないだろう。私と彼女で力を合わせれば、恐らくは生きて帰れる。
もちろん、生き延びる事ができたとしても後遺症は残るだろう。私の体は半分ほどがもう使い物にならないだろうし、彼女もそうだ。
それでも、生きる目はある。充分に。それを理解しているから、私達は。
「マコト。一緒に死にましょう」
「ヒナ、お前と一緒なら。喜んで」
マコトが、嘗て無い程穏やかな表情で微笑みかける。私も全く同じ微笑みを返す。
私達の欲求は、互いに互いを求めあう欲求は、もう止められなかった。止めたくなかった。私はマコトの、マコトは私の、最期の女でありたかったし、最期の女になりたかった。
理屈ではなく感情で、本能では無く欲望でそれを望んだ。だから、自分の命なんて"どうでもいいもの"は投げ捨てた。生きる事よりも、ここで死ぬ事の方が私達にとって重要で幸福だった。
既にお互いの肉体は限界、自分のヘイローもひび割れ明滅し、少しずつ崩れていくのを感じる。今なら、銃弾の一発で簡単に死ねるだろう。
互いに、相手が取り落とした銃を拾う。同じように床に零れていた予備の弾丸を拾って弾倉に込めてから、相手に差し出す。
愛銃を手渡された私達は、寄り添うように距離を調整し、互いの銃口を胸に押し当てる。……間違いなく自分の心臓を貫けるよう、位置を微調整してやる。
全ての準備を終えて、顔を向け合う。穏やかで幸せそうな微笑。その瞳は、愛憎に満ちた執着で暗く淀み、ただお互いの瞳だけを映し合い、瞳の中に無限に沈んでいくような錯覚を覚える。とても綺麗だった。今までの人生で見て来た物の中で、一番。
音を立てて燃え落ちゆくビル。黒い煙が立ち込める室内。炎の熱で肌が焼ける。煙の熱で呼吸器官が灼かれていく。
――何かきっかけがあった訳では無い。合図をした訳でも無い。
どちらからともなく、私達は自然と、全く同時に引き金を引いた。
命が流れ出ていく感覚。燃える部屋の只中だというのに、急速に失われていく体温。口から血が溢れ出るのを感じる。
それでもただ、マコトだけを見つめていた。喀血しながらも微塵も美麗さを失わない、マコトの顔を。私だけを見つめる、マコトの目を。ただ、見つめた。
お互い、血の気を失い青白くなっていく顔で、まるで恋人同士かのように笑い合った。穏やかで、幸せな笑顔。
気付けば、抱き合う様に倒れ込んでいた。銃を握っていなかった手は、いつの間にか恋人繋ぎで繋がれている。
こぽり、と口から血を吹き出すマコト。何かを言おうとしたようだが、もう声が出ていない。
それでも伝わった。だから、「私もよ」と伝える為に、こぽりと口から血を吹き出した。マコトの笑みが深まった。
ふと気付き目線を向ければ、マコトの心臓から流れ出た血液と、私の心臓から流れ出た血液が、床の上で混ざり合っているのが見えた。
私の赤とマコトの赤、私の生命とマコトの生命が、一つになっていく。存在が一体となるような不思議な充実感。
普通に生きていては到底味わえない悦楽。極限の中で感じる至福の快感。生涯最高の絶頂が去来する。
興奮冷めやらぬまま互いの顔に目を戻せば、喜悦に上気した表情。彼女も同じ物を見て同じ感覚を味わった事を理解し、笑い合う。
やがて、意識が暗転していく。視界が遠のいていく。それでも、私はマコトを、マコトは私を見失わない。最期の一瞬まで、私達はお互いだけを認識し続ける。
きっとこの後、私達の遺骸はビルの劫火で火葬され、亡骸も残らないだろう。
つまり、私達の最期の姿を知るのは、私達だけだ。
他の誰にも、この女の最期を分けてやるものか。
私の最期は、この女にだけ捧げる物だ。
この女は私だけのモノだ。私はこの女だけのモノだ。他の誰にも、立ち入る余地は与えない。
――嗚呼。これで貴女/貴様の瞳に私以外が映る事はない――
その確信に、これ以上ない安心と満足を覚えて。
私達は、キヴォトスで最も幸福にこの世を去った。最高のパートナーと連れ立って。