作家・橘玲(たちばなあきら)の公式サイトです。はじめての方は、最初にこちらの「ABOUT THIS SITE」と橘玲からの「ご挨拶」をご覧ください。また、自己紹介を兼ねた「橘玲 6つのQ&A」はこちらをどうぞ。
新しい日本のリーダーに望むこと(週刊プレイボーイ連載660)
高市早苗氏が初の女性首相に選出されたのを機に、新しい日本のリーダーへの期待を書いてみたいと思います。
石破前首相は著書で、日米安保条約は「世界で唯一の非対称双務条約」で、日本から見れば、米軍人の犯罪を捜査する権限や基地の管理権などの「主権」を譲り渡し、アメリカから見れば、実際に戦闘行為に参加するのが米軍だけという不満の温床になっていると指摘しました。
トランプ大統領も日米安保条約を「不公平」と批判しており、その認識は石破氏と一致しています。しかし石破氏は、関税交渉の材料にされることを警戒したのか、在任中にこの問題でトランプ氏と話し合うことはありませんでした。新首相にはぜひ、米国大統領と堂々と渡り合い、非対称な日米関係を対等な同盟関係へと正常化してほしいと思います。
これは政治学の常識ですが、近代国家は暴力を独占するかわりに、それを法の支配の下に置いています。そのなかでも軍は最大の「暴力装置」ですから、世界のどの国も軍刑法や軍法会議(軍事裁判所)の規則を定めています。
ところが日本だけは、自衛隊という重武装の軍隊をもちながらも、それを統制する法がありません。自衛隊の戦闘によって民間人が死傷した場合、検察官が自衛隊員を被疑者として刑法199条の殺人罪で起訴したり、民事裁判で戦闘で生じた被害の損害賠償を請求するしかないという、異常な状況が放置されているのです。
こうした事態を解消するには、憲法9条を改正して自衛隊を軍として認めたうえで、その「暴力」を民主的な法の統制の下に置かなくてはなりません。保守派の高市氏を当然、このことを熟知しているでしょうから、在任中にぜひとも実現してほしいと思います。
経済面での喫緊の課題は、金銭解雇のルールを導入して、労働市場に流動性をもたせることです。日本経済は空前の人手不足ですが、じつは企業は膨大な数の「不活性人材」を抱えています。会社にしがみつくしかない社員は、仕事への満足度も、会社への忠誠心も低く、その結果、あらゆる国際調査で日本の労働者のエンゲージメント率(仕事のやる気)は最低です。
企業が公正なルールにのっとって社員を労働市場に戻すことができるようになれば、社内に活気が生まれるとともに、人手不足も緩和できるでしょう。
それ以外では、安楽死法案をぜひ国会で議論してほしいと思います。欧米を見れば明らかなように、いまや死の自己決定権はリベラルな社会の前提で、新聞社などが行なった世論調査でも日本人の7割以上が安楽死の法制化に賛成しています。
安倍元総理は、「国際標準では私がやっていることはリベラル」と述べていました。「支持率下げてやる」騒動でわかったように、マスメディアは政治も政治家もバカにしながら、自分たちに都合のいい「報道」ばかりしてますが、「まっとうな保守こそがリベラルである」ことを示せば、似非リベラルたちを黙らせることができるでしょう。
註:コラム掲載時点では首相が決まっていませんでしたが、高市氏の選出を受けて一部加筆しました。
『週刊プレイボーイ』2025年10月20日発売号 禁・無断転載
フーリガンを率いて残虐行為を行なった「アルカン」と呼ばれた男
ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2015年10月公開の記事です。(一部改変)

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これまで3回にわたって、東欧史・比較ジェノサイド研究の佐原徹哉氏の労作『ボスニア内戦 グローバリゼーションとカオスの民族化』(ちくま学芸文庫)に依拠しながら、1990年代に旧ユーゴスラヴィアで起きた凄惨な殺し合いの歴史的背景を見てきた。
個人でも集団でも、異常者でもないかぎり、正当な(合理的な)理由がなければひとを殺すことなどできるはずはない。ジェノサイドの本質が「歴史の修正」であるのはこのためで、「自分たちは本質的に犠牲者で、悪の脅威によって自分や家族の生命を危うくされており、自衛のための暴力はやむをえない正義の行使だ」という物語が民族のあいだで共有されてはじめて、ごくふつうの市民が、かつての隣人を平然と殺すことができるようになるのだ。
参考:旧ユーゴスラビアの民族紛争はいかにして始まったか(前編)
旧ユーゴスラビアの民族紛争はいかにして始まったか(後編)
安倍総理による「戦後70年談話」でも述べられているように、第一次世界大戦は近代兵器を使った人類初の総力戦で、そのあまりの被害の大きさに震撼した欧州では帝国主義・植民地主義からの脱却が模索されるようになった。だが遅れて近代世界に参入した日本はその潮流に気づかず、さらなる侵略に突き進んで国土は焦土と化した。
アウシュヴィッツとヒロシマに象徴される第二次世界大戦のグロテスクな現実を前に、大国同士の総力戦は封印され冷戦が始まった。それは同時に、国民国家の主権を尊重し、内政不干渉の原則の下に、国家の内部でどのような理不尽なことが起きてもそれは国民の「自己責任」で他国は無関心、という暗黙のルールの支配でもあった。
だが1990年代の旧ユーゴ内戦によって、この内政不干渉の原則は大きく修正されることになる。国際社会が傍観しているうちに、ヨーロッパの一部(裏庭)で凄惨な民族浄化の悲劇が起きたからだ(これに対しては、ドイツが一方的にクロアチアの独立を支持したことがユーゴの解体と内戦を招いた、との批判もある)。
欧州社会での民衆の批判に押され、米国とEUはベオグラードなどの空爆に踏み切り、軍隊を展開してボスニアとコソボの紛争を収束させた。国際社会から一方的に「加害者」の烙印を押されたセルビアには大きな不満があるだろうが、この「内政干渉」の成功が「国家の主権よりも人権が優先する」という新たなルールを生んだ。
この人権志向は国境を越える「積極的平和主義」としてイラク戦争やリビア、シリアの内戦への介入につながっただけでなく、歴史を遡っても適用される。1990年代から従軍慰安婦問題が欧米社会で取り上げられるようになったのは、ボスニア内戦での女性への性的虐待が背景にある。だが日本はここでも、元慰安婦の訴えが「女性の人権問題」であることに気づかず、韓国による「反日」宣伝に矮小化して対応を誤った――これはもちろん、韓国社会が慰安婦問題を「反日ナショナリズム」に利用したことと表裏一体だ。
日本人にとって第一次世界大戦は、漁夫の利よろしく中国におけるドイツの権益を獲得できた「よい戦争」だったが、国際社会のパラダイム転換を理解できなかったことがその後の破滅を招いた。同様に大半の日本人にとって冷戦崩壊や東欧の民主化、旧ユーゴ内戦は他人事だろうが、EUにおける「人権」理念の中核にある現代史の体験を見逃すと、いまの「世界」を理解することはできない。その意味でユーゴ内戦は、わたしたちにとってもきわめて重要なのだ。 続きを読む →
小説『HACK』:究極の自由を求めて「ドラッグのAmazon」と呼ばれた闇サイトをつくったリバタリアンの若者(3)
小説『HACK(ハック)』発売に合わせて、ビットコインとダークウェブを組み合わせた闇サイト「シルクロード」をつくった20代のリバタリアン、ロス・ウルブリヒトの物語をアップします(全3回の3回)。
ほんとうは小説のなかに入れたかったのですが、うまくいかずに断念しました。とても興味深い話なので、『HACK』の背景としてお読みください。
小説『HACK』:究極の自由を求めて「ドラッグのAmazon」と呼ばれた闇サイトをつくったリバタリアンの若者(1)
小説『HACK』:究極の自由を求めて「ドラッグのAmazon」と呼ばれた闇サイトをつくったリバタリアンの若者(2)
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「ドラッグのAmazon」と呼ばれた闇サイト「シルクロード」が有名になるにつれて、アメリカの司法当局は全力をあげて「ドレッド・パイレート・ロバーツ(DPR)」と名乗る首謀者を特定し、逮捕しようと躍起になった。今回はNick Bilton “American Kingpin: The Epic Hunt for the Criminal Mastermind Behind the Silk Road”から、彼らがどのようにロス・ウルブリヒトを追い詰めていったのかを見てみよう。
薬物依存症の麻薬捜査官
カール・フォースはメリーランド州ボルティモアのDEA(アメリカ麻薬取締局:Drug Enforcement Administration)に勤務する捜査員で、仲間からは「solar agent(ソーラー・エージェント)」と呼ばれていた。太陽が出ているときしか働かないことで、午後3時になると、カールはオフィスを抜け出して妻と20歳の娘のいる自宅に帰った。
カールが1999年に麻薬捜査官になったときは、毎日がわくわくするような緊張感にあふれていた。午前4時に起き、防弾チョッキを身につけ、銃の弾倉を確認し、麻薬組織のアジトを急襲する。そんな日々は、これ以上望めないほどエキサイティングだった。
だが幸福な時期はとうに終わり、カールはすべてにうんざりしていた。どれほどドラッグディーラーを逮捕しても、すぐに縄張りを継ぐ者が現われた。若手の捜査官たちは、カールのやり方を時代遅れと見なすようになった。そのうえ彼は薬物依存症になり、飲酒運転で逮捕され、うつ病と診断された。仕事も家庭もすべて失いそうになったとき、デスクワークでの復職を許されたのだ。
2012年1月、カールは上司のニックから呼び出された。ニックは相当な変わり者で、オフィスの自分の部屋のブラインドをすべて下ろし、壁じゅうにアイアン・メイデンとメタリカのポスターを貼り、ドアを閉めて大音量でヘヴィメタルをかけていた。
ニックはその部屋で、ネットで薬物を売っている違法サイトの捜査に加わる気はないかとカールに訊ねた。司法省を中心にシルクロードの捜査体制を強化することになり、「マルコポーロ・タスクフォース」と名づけられた捜査本部にDEAからもスタッフを出さなくてはならなくなったのだ。
カールはコンピュータ犯罪についてなにも知らなかったが、シルクロードにアクセスして、ドラッグ取引の未来を変える恐るべき可能性を知って驚愕した。しかしその当時、FBIやNSA(アメリカ国家安全保障局:National Security Agency)はドラッグ犯罪になんの関心もなく、インターネットの闇サイトが西部開拓時代に匹敵するフロンティアであることに気づいていなかった。人生に希望をなくしていたカールは、シルクロードに「生まれ変わる(Born Again)」チャンスを見出したのだ。
ベテランの麻薬捜査官であるカールは、潜入捜査こそがドレッド・パイレート・ロバーツに迫る最短距離だと考えた。しかし同時に、これまでの経験から、捜査を徹底的に秘匿しないと、すべてが台無しになることも学んでいた。
カールはシルクロードで、「毎年2500万ドルのコカインとヘロインをアメリカ国内で売りさばいているドミニカ共和国の大物ドラッグディーラー、エラデォ・ガズマン」という架空のキャラクターを演じることにした。だがネット上では、誰も本名を名乗らず、特徴のあるハンドル名を使っている。そこで、聖書に出てくる町の名前からとった「Nob(ノブ)」をガズマンに名乗らせることにした。カールは娘の部屋に行くと、フーディー(パーカー)をかぶり、アイパッチで顔を隠した写真を撮らせ、それをアイコンにしてシルクロードのアカウントにログインした。
Nobことカールは、シルクロードの買収を提案してロスの関心を惹くことに成功すると、捜査当局の手口について豊富な知識を提供した。ロスはこれを、Nobが大物ディーラーの証拠だと考えたが、現役の麻薬捜査官なのだから当たり前だった。こうしてロスの信用を獲得したことで、カールはマルコポーロ・タスクフォースのなかで、ドレッド・パイレート・ロバーツに接触できる唯一の人間になった。
カール(Nob)はロス(ドレッド・パイレート・ロバーツ)と毎日、長時間のチャットをするうちに、仮面の背後にいるのが孤独な若者であることに気づいた。そのうち2人は、ドラッグビジネスについてだけでなく、音楽やダイエットなど私的なことも話すようになった。カールはロスに、「Hello my friend」と呼びかけた。
友人のように親身に振る舞うのは潜入捜査官の手口だが、カールは実際にロスのことが好きになっていった。「捜査の手が伸びているぞ」と注意するとき、それが逮捕を目的として親しさを装う演技なのか、それとも本心からロスの身の安全を心配しているのか、わからなくなっていった。 続きを読む →
