マニラから南に飛行機で2時間のシャルガオ島。日本ではあまり耳馴染みのない島だが、横浜市と同じくらいの大きさで、数年前までは静かな漁村だった。ところが、太平洋に面しており、サーフィンに最適な大きなロール状の波ができることから、サーフスポットとして人気が高まり、2019年には旅行雑誌『Condé Nast Traveller』の読者投票で世界のベスト・アイランドに選ばれるなど、一躍注目のリゾートとなっている。
大規模な開発などはまだ行われておらず、今ものどかな雰囲気が残るが、主要な産業は観光業。人口12万人という小さな島だけにコミュニティの絆がとても強い。2021年12月に、30年に一度の規模という大きな台風が近隣を襲った際には、互助精神でいち早く復興を遂げたという。
セントラル出身の若者たちが描いた夢のレストラン
その中で、Roots(ルーツ)のメンバーが目指すのは、セントラルで学んだことをベースに独自の方法論を打ち立て、この島にサステナブルな文化を生み出し、そしてフィリピンの食を世界へ発信すること。セントラルは世界No.1レストランとなることで、ペルーの食に世界の注目を集めただけではなく、地域のコミュニティと連携し、有機栽培の推進や独自品種を守ること、ハンドクラフトにアートやデザインの価値を与えペルーの文化自体の価値を上げることにも貢献してきた。
この島に適した方法でそれらを実現すべく、2023年4月にこの島に移住したメンバーは、島の方言であるシャルガオ語を学び、今では市場の人々とのでコミュニケーションはシャルガオ語で行っているという。
また、島で有機栽培の農園兼教育施設「トロピカル・アカデミー」を主催する女性、アナ・リン・ドゥルピーナと協働。ドゥルピーナは女性を中心とした農業従事者のべ1500人に、フェアトレードや有機栽培についての指導を行うだけでなく、川での採集活動などを通して、ルーツのチームに島の食文化や独自食材について教えている。ドゥルピーナはこのルーツとの活動に着想を得て、川で採集活動を行うツアーを一般の旅行客向けにも催行するようになり、自然に親しむガストロノミーツーリズムとして、島内外に徐々に知られるようになってきているなど、良い循環を生み出している。
通常、レストランのオープンには投資家が入るものだが、このルーツがユニークなのは、オープン当時まで20代だった元セントラルのスタッフと、まだ30代のセントラルのCEOとその従兄弟を合わせた6人が、イコールパートナーとして貯金を出し合ってスタートしていることだ。その顔ぶれは、セントラルの元ジュニアスーシェフ、フィリポ・トゥリニ、フィリポのガールフレンドでマテル・イニシアティバで厨房との橋渡し役だったイネス・カスタニエッラ、イネスの妹でマテル・イニシアティバのデザインとリサーチ担当だったマリーナ、考古学者として働いていたダン・オーバーハー、セントラルのCEO、ディオゴ・ミランダ、そしてその従兄弟のリカルド・ミランダ・ソーサの6人。厨房はフィリポとイネス、ダンが、サービスはマリーナが、バックオフィスはリカルドが、全体の戦略などのアドバイスはディオゴとざっくりと役割は決まっているものの、意思決定には全員が平等に関わっている。
「セントラル」時代に共同生活を送っていたメンバーたちが、2018年頃から、仕事終わりに「いつか自分たちの理想とするレストランを生み出したい」と語り合い、世界各地でバラバラになってしまったコロナ禍期間中も、週に一度のオンラインミーティングを欠かさず、晴れてその夢が結実したのが「ルーツ」だ。フィリピンを選んだ理由は、サーフィンを愛し、フィリピン人の妻を持つリカルドがシャルガオ島に10年ほど前から度々通い、その豊かな自然とコミュニティに惚れ込み、ほかのメンバーに勧めたのがきっかけ。「全く知らない場所で、新たな食文化を生み出していきたい」と考えていた全員が、この挑戦に賛同した。
移住からオープンまでは5カ月ほどながら、コロナ前から何年もかけて全員で話し合ってきただけに、お互いの強みを出しながら、セントラルのDNAやサステナブルなアプローチを、至るところで感じることができる。
シャルガオ島の伝統文化の発信
まずは、伝統文化の発信。もともとフィリピンの伝統建築を表現したレストランだったものの、2021年の台風で建物が大きく壊れ、レストラン継続を諦めたオーナーから建物を借り受け、自分たちで修復やデザインに関わることで、コストを削減。それぞれの得意分野を活かして、テーブルは自分たちでデザインし、シャルガオ島の木工所に依頼して、木工所で見つけた廃材と、再生プラスティックで作成し、スタイリッシュなテーブルに仕上げた。
ペルーでは人里離れたアンデスやアマゾンに眠る独自文化にスポットライトを当ててきたが、フィリピンで注目したのはプラスティック。フィリピンではプラスティックの不法投棄が問題になっているからこそ、捨てるのではなく、デザインの価値を加えれば再利用できるということを広く知らしめようと、ペットボトルキャップなどの、硬質プラスティックをデザイナーのマリーナがリサイクルして、テーブルにデザインとして埋め込んだり、カトラリーレストや皿などに再利用している。この時に削られた木片も、肉などをスモークする時に使うウッドチップとして活用している。
ランプシェードは手漉き和紙、ソファのクッションも、地元の女性たちによる手作りで、現金を手にすることができなかった女性たちの自立支援にもつながっている。
料理の原材料は島でとれるものがほとんどで、90%がフィリピン産。野菜は多くが「トロピカル・アカデミー」から仕入れたもの。日本のぼかし農法(有機物を微生物によって発酵させて作る「ぼかし肥料」を用いた農法)を活用するなど、有機農法で栽培された野菜の価値を高めていきたいと考えている。週に2回はレストランで出た生ごみをコンポストとして「トロピカル・アカデミー」の農園へ運び込み、循環型農業へも、一役買っている。アルコール/ノンアルコールペアリングで使われる材料も、サステナブルな視点が生きたものだ。例えばレモンチェッロの製法で作られた「カラマンシーチェッロ」は、カクテルや料理に毎日5〜10キロ分のカラマンシーを使うが、果汁しか使えなかったため、余った皮を有効活用しようと生み出したものだ。
これまで、オーバーツーリズムによって、街がゴミであふれたり、過度な西洋化で独自の文化が薄れてしまっているほかの島々も見てきたというメンバー。立ち上げメンバー以外は全員がフィリピン人で、積極的に地元の若者を採用。地元のスタッフがサステナブルな知識を身につけることで、より良い島のあり方に向けた次世代を育成したいと考えている。さらに、島はサーフィンで有名だが、トップサーファーは世界を連戦するため、莫大な交通費や宿泊費を自腹で賄わなければならない。地元の才能をサポートするため、シャルガオ出身で世界大会に出場する実力をもつサーファー、マラマ・トコンのスポンサーになると決め、フィリピンというブランド自体を世界に広めるのみならず、サンゴが枯死する原因となる、サーフィン用ボートの錨を決まった場所におろすように呼びかけるなど、環境を守る取り組みも、地元の人とともに行っている。
ルーツが表現する料理とは
料理のスタイルは、島の食材を、メンバーの出身地や修業した各地で学んだ技術でおいしく調理すること。「ルーツ」という名前には、イタリア、スペイン、オランダ出身など、ヨーロッパ各地にルーツを持つメンバーが、この島で根をはって生きていくことで、この島の文化とそのルーツが混ざり合って生まれた新しい文化を、自分たちの「未来のルーツ」にしてゆこうという思いが込められている。
メンバーたちが出会ったペルーと、このフィリピンには、メキシコを経由した海のシルクロードで昔からつながりがあり、例えばセビーチェにそっくりの「キニラウ」という生魚の料理があるなど、食文化にも共通点がある。そんな文化の共通項も紹介しようと、ルーツでは、島で獲れた「オヨンオヨン(スズキの仲間)」を、ペルーで学んだセビーチェのタイガーミルクのレシピをキニラウ風にアレンジして提供。その上には、スペイン出身のメンバーが、ヒカマと呼ばれる根菜をおやつ代わりに食べていたことから、そのヒカマのスライスを乗せるなどして「私たちのセビーチェ」という料理名で提供したりしている。
また、ピピーナと呼ばれる、地元では食べられてこなかった小さな野生のきゅうりを魚のカルパッチョに使ったりと、地元の食材の魅力に光をあて、多様な食材がテーブルに乗ることで、生物多様性を守ることにもつながる食を提案している。
「ルーツ」が生み出す未来と、食文化の発信
ルーツは今年9月に2周年を迎えるが、早くも英国・アジア各国に展開するライフスタイル誌『Tatler』が主催するレストランのアワード「Tatler Best」にフィリピンを代表するレストランの一つとして選ばれるなど、フィリピンを発信源に、徐々に注目が集まりつつある。まだ地元客が中心で、7皿コースを約40ドルという破格値で提供しているが、メンバーが夢見ているのは、いつか「セントラル」のような、ラボを備えたファインダイニングの店としてこの土地の食材や食文化そのものを守り、世界に発信していくこと。
セントラルがペルー食材についてリサーチし、マテル・イニシアティバの一部をシードバンクとして、その研究結果を文章や写真で保存しているように、フィリピン食材を探求するラボも生み出そうとしている。その前身として、「レジデンシー」として、生物学者に長期滞在してもらい、食材をリサーチしてもらう取り組みもスタートした。
東京にも「セントラル」のヘッドシェフを務めたサンティアゴ・フェルナンデスの店「MAZ」がある。世界No.1レストラン「セントラル」のDNAである、食を通した地域文化とサステナブルで多様な生物多様性がある未来への発信は、今、次世代の若者たちの手によって、世界のそれぞれの土地らしさを取り込みながら、同時多発的に行われていると言えるだろう。未来の食の可能性を探求し、新たな時代の萌芽を感じる若者たちの活躍に、これからも期待したい。
Text: Kyoko Nakayama Editor: Yaka Matsumoto