エール・アフリック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/03/28 04:23 UTC 版)
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| 設立 | 1961年3月28日 | |||
|---|---|---|---|---|
| 運航停止 | 2002年1月 | |||
| ハブ空港 | フェリックス・ウフェ=ボワニ国際空港 | |||
| 焦点空港 | レオポール・セダール・サンゴール国際空港(ダカール) | |||
| 航空連合 | 未加盟 | |||
| 就航地 | 22(運航停止時) | |||
| 本拠地 | |
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エール・アフリック(フランス語:Air Afrique)は、コートジボワールのアビジャンを本拠地としていた、かつて存在した多国籍航空会社[1]である。主に旧フランス領の西アフリカ及び中部アフリカ諸国によって設立され、エール・フランス等のフランスの航空会社とも関係が深かった。
この地域の旧フランス領諸国の多くが自国の国営航空会社を設立・維持する能力を十分に持っていなかったため[2]、フランス語圏の西アフリカおよび中央アフリカの公式な多国籍航空会社として設立されたもので、本社はコートジボワールのアビジャンに置かれていた[3]。国際航空運送協会(IATA)の加盟航空会社であると同時に、フランス連合航空会社連盟のATAFにも加盟していた[4]。
エール・アフリックは1980年代初頭から着実に衰退し始めたが、その後かなり年月が経っても、なお西アフリカで最も評価の高い航空会社と見なされて[5]おり、さらにアフリカでもトップ5に入る航空会社の一つとさえ考えられていた。しかし、経営の失敗、汚職、そして2001年9月11日の同時多発テロ後の航空業界の低迷が同社を危機に追い込み、その結果、2002年初頭に清算に至った。その後、新会社の設立によって航空会社を再建しようとする計画もあったが[6][7][8]、その取り組みは実現していない。
歴史
1960年2月にエールフランスとUAT(連合航空海洋運輸会社、Union Aéromaritime de Transport、後のUTA、その後エールフランスに吸収合併)の合弁会社が地域の航空事業運営を獲得し[9]、同年9月にアフリカ航空運輸会社(Société de Transports Aériens en Afrique、エール・アフリック)として登記[10]:933。
1961年3月28日にカメルーンの首都ヤウンデで、ダホメ共和国(現ベナン)、オートボルタ(ブルキナファソ)、中央アフリカ共和国、チャド共和国、コンゴ共和国、コートジボワール、カメルーン、ガボン、モーリタニア、ニジェール、セネガルという西・中部アフリカ11カ国間で、加盟国間の航空運輸の権利を扱う条約であるヤウンデ条約が調印された。この際にアフリカ航空運輸会社をベースに合弁航空会社を設立することに合意、その名称をアフリカ航空運輸開発会社(Société pour le Développement du Transport Aérien en Afrique、略称:SODETRAF、エール・アフリック)とした。
| Country | From | To |
|---|---|---|
| 1961 | 2002 | |
| 1961 | 2002 | |
| 1961 | 1971[11]:39 | |
| 1961 | 2002 | |
| 1961 | 2002 | |
| 1961 | 2002 | |
| 1961 | 1976[11]:39[nb 1] | |
| 1992 | 2002 | |
| 1961 | 2002 | |
| 1961 | 2002 | |
| 1961 | 2002 | |
| 1961 | 2002 | |
| 1978[14] | 1979 | |
| 1965[15] | 2002 |
加盟国の変遷は以下の通りである。
- 1968年:トーゴが加盟。
- 1971年:カメルーンが脱退し、カメルーン航空を設立。
- 1976年:ガボンが脱退し、エールガボンを設立。
- 1978年:シエラレオネが加盟した。しかし、翌年に脱退。
- 1992年:マリ共和国が加盟した。
長年、コートジボワールを中心に西アフリカ地域と世界各地を結んできたが1990年代に入り経営が悪化した。
- エール・アフリックの支払停止が確認されたため、リース会社よりリースしていた旅客機2機を1月14日付でリース会社に返還。
経営破綻後
- エール・アフリックの破産後に、エールフランス、アフリカの公的金融機関(西アフリカ諸国中央銀行、中部アフリカ諸国銀行など)、加盟11カ国(上記参照)、従業員の出資の下で、新エールアフリックが設立される予定である。しかし、2002年9月に、コートジボワールの運輸大臣がモーリタニアなどの加盟国歴訪を始めた直後に、コートジボワールで内戦が勃発し、新エール・アフリック設立は実現しなかった。
- エール・アフリック精算後、2002年よりアフリナット国際航空がガンビア・バンジュール国際空港発着で西アフリカからアメリカ・ニューヨーク・JFK空港への航路を引き継いだが、2004年に営業を停止した。
- 2025年、ナイキがエール・アフリックのレガシーを生かしたデザインのスニーカー「エア マックス RK61」を発表
[16]。
機材
- アントノフ An-12
- ボーイング707-320
- ボーイング707-320C
- ボーイング727-200
- ボーイング737-200
- ボーイング737-200C
- ボーイング747-100
- ボーイング747-200
- ボーイング747-200F
- ボーイング767-300ER
- カラベル10R
- カラベル11R
- コンベア990
- ダグラス DC-3
- ダグラス DC-4
- ダグラス DC-6
- ダグラス DC-8-30
- ダグラス DC-8-50
- ダグラス DC-8-50F
- ダグラス DC-8-63CF
- ホーカー・シドレー HS748
- ロッキード コンステレーション
- ロッキード L-1649 スターライナー
- ロッキード L-1011 トライスター
- マクドネル・ダグラス MD-11
- マクドネル・ダグラス MD-81
- NAMC YS-11
- ダグラス DC-10-30 3機
- エアバスA300-B4 3機(最後まで残った自社購入機、1機はダカール空港での事故で廃棄処分にされた。)
- エアバスA310-300 4機(自社購入機の4機を1998年6月に、クレディ・リヨネなどの債権者に差し押さえを受けた。その後2機をリースで導入)
- エアバスA300-600R 2機(ILFCよりリース)
- ボーイング737-300 3機(ILFCよりリース)
- エアバスA330-200 2機(ILFCよりリース)
脚注
- ^ “Air Afrique loses half its fleet”. BBC News. (2001年10月15日). オリジナルの2016年3月6日時点におけるアーカイブ。 2013年1月17日閲覧。
- ^ “Air Afrique finally goes bust”. BBC News. (2002年2月7日). オリジナルの2012年11月20日時点におけるアーカイブ。 2013年1月17日閲覧。
- ^ “Airline with 11 owners”. Flight International. Flightglobal. (2001年6月19日). オリジナルの2013年1月23日時点におけるアーカイブ。 2013年1月17日閲覧。
- ^ “Air Afrique Timetable September/October 1969 – Frontcover and Backcover”. Airline Timetable Images. 2012年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年1月17日閲覧。
- ^ French, Howard W. (1995年12月17日). “In Africa, Many National Airlines Fly on a Wing and a Prayer”. The New York Times. オリジナルの2014年6月21日時点におけるアーカイブ。
- ^ Doyle, Mark (2002年1月11日). “Hopes rise for new Air Afrique”. BBC News. オリジナルの2016年3月6日時点におけるアーカイブ。 2013年1月19日閲覧。
- ^ “New airline for West Africa”. BBC News. (2002年9月6日). オリジナルの2016年3月6日時点におけるアーカイブ。 2013年1月19日閲覧。
- ^ Bamford, David (2001年8月15日). “Air Afrique wound up”. BBC News. オリジナルの2016年3月6日時点におけるアーカイブ。 2013年1月19日閲覧。
- ^ “World airline survey... – Air Afrique”. Flight International 83 (2822): 508. (11 April 1963). オリジナルの4 November 2012時点におけるアーカイブ。.
- ^
- Davies, R. E. G. (2 June 1966). “Airline Profile – Air France”. Flight International: 932–935. オリジナルの30 December 2012時点におけるアーカイブ。 2012年12月30日閲覧。.
- “Airline Profile – Air France (page 933)”. Flight International. オリジナルの30 December 2012時点におけるアーカイブ。 2012年12月30日閲覧。.
- “Airline Profile – Air France (page 934)”. Flight International. オリジナルの30 December 2012時点におけるアーカイブ。 2012年12月30日閲覧。.
- “Airline Profile – Air France (page 935)”. Flight International. オリジナルの30 December 2012時点におけるアーカイブ。 2012年12月30日閲覧。.
- ^ a b
- “United we fall, divided we fall (page 38)”. Flight International 128 (3976). (7 September 1985). ISSN 0015-3710. オリジナルの3 January 2013時点におけるアーカイブ。.
- “United we fall, divided we fall (page 39)”. Flight International. オリジナルの3 January 2013時点におけるアーカイブ。.
- “United we fall, divided we fall (page 40)”. Flight International. オリジナルの3 January 2013時点におけるアーカイブ。.
- ^ “World airline directory – Air Afrique (Société Aérienne Africaine Multionationale)”. Flight International 113 (3605): 1125. (22 April 1978). オリジナルの29 October 2013時点におけるアーカイブ。.
- ^ Guttery (1998), p. 84.
- ^ “World airline directory – Air Afrique (Société Aeriénne Africaine Multinationale)”. Flight International 115 (3658): 1331. (28 April 1979). オリジナルの4 January 2014時点におけるアーカイブ。.
- ^ “World Airline Survey – Air Afrique (Société Aérienne Africaine Multinationale)”. Flight International 95 (3135): 553. (10 April 1969). オリジナルの5 November 2012時点におけるアーカイブ。.
- ^ Megan Tomos (2025年9月23日). “エール アフリック×ナイキ「エア マックス RK61」はアフリカのヘリテージを継ぐファーストクラスの一足──GQ新着スニーカー”. GQ Japan. Condé Nast. 2026年3月28日閲覧。
注釈
- エール・アフリックのページへのリンク