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ロバート・ベルデラとは - わかりやすく解説 Weblio辞書
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ロバート・ベルデラとは? わかりやすく解説

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ロバート・ベルデラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/12/16 00:20 UTC 版)

ロバート・ベルデラ
ロバート・ベルデラは1986年12月、ボブのバザール・ビザールと呼ばれる彼のウェストポート店で写真を撮った。
個人情報
本名 ロバート・アンドリュー・ベルデラ・ジュニア
生誕 (1949-01-31) 1949年1月31日
アメリカ合衆国オハイオ州カヤホガフォールズ
死没 1992年10月8日(1992-10-08)(43歳没)
アメリカ合衆国ミズーリ州ジェファーソンシティ
死因 心筋梗塞
殺人
犠牲者数 6 人
アメリカ合衆国
逮捕日 1988年4月28日
司法上処分
刑罰 終身刑(仮釈放を要求する権利なし)
有罪判決
判決 終身刑(仮釈放を要求する権利なし)
テンプレートを表示

ロバート・アンドリュー・ベルデラ・ジュニア英語: Robert Andrew Berdella Jr., 1949年1月31日 - 1992年10月8日)は「カンザスシティの屠殺人」として知られるアメリカの連続殺人犯。1984年から1987年までのミズーリ州カンザスシティで、少なくとも6人の男性を監禁、 強姦拷問殺害し、[1]有罪判決を受けた。

犯行中、ポラロイドカメラで被害者の写真を撮影し、「トロフィー」あるいは「記録」として保存していた。

「私の最も暗いファンタジーが現実になった」と自身の殺人事件を説明して [2] 有罪を認め、仮釈放の可能性なしの無期懲役を言い渡される。

ベルデラの一連の犯行の犠牲者となった男性の多くは、程度の差はあるものの売春行為を行っていたとされる。ベルデラは、こうした若い男性に対して金銭的支援や生活面での援助を提供する一方、対価として性的関係を求めることもあった。しかし、彼らの生活態度や非行への不満、あるいは自身の性的欲求が満たされないことへの不満が重なったことが、犯行に至る動機の一部を構成したとされている [2]

生い立ち・少年期

1949年1月31日、ベルデラはオハイオ州フォード・モーター社の金型工として働いていたロバート・アンドリュー・ベルデラ・シニアとメアリー・ルーイズ・ベルデラの息子として生まれた。 ベルデラの父親はイタリア系の敬虔ローマカトリック教徒で、母親の両親はドイツ系とイギリス系だった。家族は定期的にミサに出席し、ベルデラとその弟は定期的に宗教教育コースに出席した。

子供の頃のベルデラは賢かったものの、家の外で遊ぶことは滅多になく、また運動が苦手だっため1人でいることが多かった。そのため、家に友人が来ることなどは滅多になかった。また、彼は言語障害があり、強度の近視だったので5歳の頃から分厚い眼鏡をかけていた。7歳年下の弟のダニエルは他の人とすぐに仲良くなれ、運動神経も高く、ベルデラとは全く違うタイプだった。ベルデラの父親はスポーツを重んじていたため、運動が苦手なベルデラを「出来の悪い子供」と考えるようになり、暴力をふるうこともあった。ベルデラは学業は優秀だったものの、言語障害や人見知りや運動ができないことなどを理由にいじめをうけていた。

青年期

ベルデラは1967年から1969年までカンザスシティ・アートインスティテュートという美術学校に在籍していた [2]

19歳のとき、ベルデラは覆面捜査官にメタンフェタミンという薬物を売ろうとしたとして現行犯逮捕され、3,000ドルの保釈金(2025年時点で約27,100ドルに相当)を支払って釈放された。 彼は5年の執行猶予付きの判決を受けた。 この最初の逮捕から1か月後、ベルデラと他の2人の学生はジョンソン郡でマリファナとLSDの所持で逮捕された。 このとき、ベルデラは保釈金を支払うことができず、5日間刑務所に収監されたが、彼と他の学生の1人に対する告訴は証拠不十分で取り下げられた。

その後、ベルデラはカンザスシティ周辺の様々なレストランで調理師として働き始めた。 そのすぐ後の1969年、ベルデラはシャーロット・ストリート4315番地に、後に一連の犯行現場となる家を購入した。 また、アフリカ、アジア、南米、環太平洋諸国の人々と文通をして築いた人脈を通じて収集した美術品や骨董品も販売し始め、副収入を得るようになった。 当初、彼はこの副業を自宅で営んでいた。

ベルデラの料理人としてのキャリアと骨董品ビジネスは共に順調に進み、1970年代半ばにはカンザスシティの有名レストラン数軒で主任料理人として働き始めた。 地元のシェフ協会に加入し、地元のコミュニティカレッジでシェフ志望者向けのトレーニングプログラムの設立にも尽力した。 近所の人々に料理を振る舞うこともあった。

同時に、ベルデラは自身の骨董品ビジネスにも力を入れ、1981年までに、骨董品ビジネスのために国内外の複数の業者と契約を結んだ。

ベルデラは骨董品ビジネスを本業にして、シェフとしての仕事を辞めた。

1982年、ベルデラはウェストポート・フリーマーケットで自分のブースを借り始めた。 この店はボブズ・バザール・ビザール(ボブの奇妙な市場)と名付けられ、主に古い民族美術品、宝石、骨董品を売買していた。 時折、かなりの利益を得ることもあったが、この商売からの収入は生活費を賄うには不十分だった。 そのため、ベルデラは店で盗品や拾い物を売ることもあった。 また、副収入を得るために、若い男性を中心に下宿人を受け入れることもあった[2]

犬のブリーダー業も行うようになり、 自宅で数匹のチャウチャウを飼育し始めた。

ベルデラは自分の店の隣に店を構えていたポール・ハウエルという商人と知り合いになった。 間もなく、ベルデラは彼の息子であるジェリー・ハウエルとも知り合いになった。 ベルデラと知り合った当時、ジェリーは14歳ほどだった[2]

殺人

一人目の殺人

ベルデラが最初に殺害したとされるのは、当時19歳になっていたジェリー・ハウエルである。[2]

ジェリーとその家族は事件の約5年ほど前からベルデラの近所に住んでおり、最初ジェリーはベルデラが同性愛者であることをからかっていた。しかし彼は後にベルデラに対し「ゲイ向けの売春をするようになった」と打ち明けていた。ベルデラはそれを聞いてすぐにジェリーの父親に報告し、ジェリーは父親に酷く叱られている。ベルデラはしばらくの間ジェリーに対し売春を辞めるように勧めたが、結局ジェリーの売春行為を受け入れ、自身もジェリーから性的なサービスを受けながら金銭や薬物を与えたりするようになった[2]

1984年7月5日、ベルデラはジェリーをカンザス州メリアムで行われるダンスコンテストを観るために車で送ると約束していた[3]

ベルデラの証言によると、彼はジェリーに車内および自宅で酒、ジアゼパム、アセプロマジンを与えて意識を失わせ、その後、強力な鎮静剤を注射してベッドに縛りつけた[4]

ジェリーは約28時間にわたりベルデラのベッドに拘束され、その間、繰り返し薬物を投与され、拷問、レイプ、異物による性的虐待を受けた[3]。途中、ベルデラはジェリーとの金銭トラブルへの怒りをぶつけるように、金属製の定規でジェリーの臀部を打ちつけた。拷問やレイプの最中、ジェリーは「どうしてこんなことをするんだ」と問いただし、やめてくれと懇願したが、ベルデラは一切取り合わなかった。後のベルデラの証言によれば、ジェリーは「自身の嘔吐物で窒息したか、猿ぐつわと薬の組み合わせが原因で呼吸ができなくなり、事故的に亡くなった」とされる[3]

ベルデラは、死亡後に短時間心肺蘇生を試みた。ジェリーの死亡を確信すると、その遺体を地下室へ運び、料理人として培った精肉処理の技能を応用し、遺体の解体を始めた。 まず大鍋の上に逆さに吊るして血抜きを行い、翌日、チェーンソーと解体ナイフで遺体を切断し、ドッグフードの袋や新聞紙などに包んだ後にゴミ袋に入れ、ゴミ収集の日に自宅の前に置き、清掃業者が回収するように仕向けた[5][2]

ジェリーの捜索が行われ、警察に尋問された際は、ベルデラは約束通りメリアムに送りセブンイレブンの前で車から降ろしたと主張し、それ以降会っていないと嘘をついた[6]

彼はこの殺人について、メモやポラロイド写真により詳細な記録を残していた。これ以降、すべての犠牲者に対しても、同様に性的・身体的虐待を詳細に記録していた[7]

二人目の殺人

1985年4月10日、近隣の町で時折売春行為を行っていた[2]20歳のロバート・シェルドンが訪れた。彼は以前にもベルデラの家に宿泊しており、再び宿泊しようとしていた[8]

ベルデラは彼を「酒癖が良くないという点以外、彼自身に対する怒りはあまりないが、日常生活におけるさまざまなストレスをぶつけられる相手である」と見なした。4月12日、泥酔状態のシェルドンを薬物で無力化し、拘束し、加虐行為の被害者にすることにした。

シェルドンは3日間拘束され、強姦され、排水溝クリーナーの目への塗布[9]、爪の下への針の挿入[9]、ピアノ線で手首を縛ることによる神経損傷、耳にパテを詰めるといった拷問を受けた[10]。後に、ベルデラがシェルドンの監禁中に記録していたメモを見た毒物学の専門家は、メモの内容から判断して、シェルドンが監禁中に投与されたクロルプロマジンの合計量は致死量レベルに達していた可能性が高いと述べた。


4月15日、ベルデラの家に屋根を修理する作業員が来訪する予定だったため、ベルデラはシェルドンの頭に袋を被せて窒息死させた。

その後、遺体を3階の浴室で解体し、頭部のみを自宅の裏庭に埋めた。遺体の他の部位はゴミ袋に詰めてゴミ回収業者に回収させた。

後に、シェルドンの白骨化した頭部は掘り出されて洗浄され、2階のクローゼットに保管された。ベルデラはこの場所を「ギャラリーエリア」と称していた。また、シェルドンの頭蓋骨からほとんど全ての歯を抜き取り、封筒に詰めて保管していた。

三人目の殺人

同年6月の深夜、ベルデラ宅の庭仕事を担当していたマーク・ウォレスが、突然降ってきた雨から逃れるために庭の物置小屋に避難してきた。小屋に向かって飼い犬が吠えているのに気づき、小屋の中を覗いたベルデラは、寒さで震えているウォレスを発見した。ベルデラは彼を家に招き、鬱病を患い、生活への不安から気分が激しく落ち込んでいたウォレスを、「落ち着かせる」と称してクロルプロマジンを注射し、拘束した[9]

ウォレスは強姦され、乳首にワニ口クリップを付られ電流を流される、体のさまざまな部位に針を刺されるなどの拷問を受けた。監禁の途中、ウォレスが拘束を解いて逃げようとした。その際ベルデラは彼に鎮静剤を投与し石鹸水浣腸をした後、フィスト・ファックを試みた。しかし拳を挿入することができず失敗した。監禁から約24時間後、ウォレスは過剰な薬物の投与、猿ぐつわによる酸素不足などの要因で死亡した。死亡時間は1985年6月23日午後7時と記録された[9]

遺体は解体され、ゴミ袋に詰められ、ゴミ回収業者に回収された。

四人目の殺人

1985年9月26日、妊娠中の妻がいる知人のジェームズ・フェリスが四番目の被害者となった。彼は一時宿泊を希望し、ベルデラは誘拐目的で承諾した[11]。フェリスは食事のチリに薬物を混入され、拘束された上で約27時間にわたり拷問を受け、強姦された。フェリスは7700ボルトの電気ショックを何度も加えられ、針による首や性器への刺入をされた[11]

フェリスに投与された薬物の中には、恐怖を伴う幻覚を引き起こすものもあり、その作用が彼の精神をより混乱させた。

また、拷問の最中、フェリスはベルデラに「なぜこんなことをするんだ」と問いかけているが、ベルデラはそれを無視している。

ベルデラはフェリスの身体状態が悪化した後、死亡を確認し、監禁中のフェリスの様子をまとめたメモに「86」と記録した。「86」とは英語圏の料理人・バーテンダー業界の隠語で、「売り切れ、品切れ、出禁の客」などの意味がある。転じて「追い返す、追い出す、隠す、消す、殺す」などの意味で使われることもある。[11][12]

遺体は解体され、ゴミ袋に詰められ、ゴミ回収業者に回収された。

五人目の殺人

1986年6月、23歳のトッド・ストゥープスと偶然再会。彼はかつてベルデラの家に妻とともに短期間住んでいた薬物依存者で、売春やポン引きにより薬物代を稼いでいた。

ストゥープスは監禁事件の約2年前、妻とともにベルデラの自宅に短期間、2度にわたって居候していたことがある。 ベルデラの供述によれば、ベルデラはストゥープス夫妻に対し、定職に就くよう勧めていたが、夫妻はいずれも積極的ではなかったとされる。 ベルデラは後に、自身がストゥープスに性的関心を抱いており、性的関係を前提として夫妻の滞在を認めていたと述べている。 一方、ストゥープスは妻の意向を気にしてその関係を可能な限り避けていたという。 ベルデラは、こうした経緯による欲求不満が、後の監禁事件に至る要因の一つになったと説明している。[2]


ベルデラは監禁初日、彼に食事と薬物を与えることを約束し、自宅へ招いた[11]。ストゥープスは2週間にわたり拘束され、目への電気ショックや喉への薬剤注射などの拷問・強姦を受けた[11]

監禁から数日後、ベルデラは彼の肛門に手首まで拳を入れてフィストファックを成功させた。フィストファックによりストゥープスの肛門壁は破裂し、大量に出血し始めた。7月1日、ストゥープスはフィストファック等で引き起こされた敗血症ショックにより死亡した[13]

遺体は数日間家の中に置かれたあと、解体され、ゴミ袋に詰められ、ゴミ回収業者に回収された。

六人目の殺人

1987年春、20歳のラリー・ピアソンと親しくなり、バーデラの家に住むようになった。ピアソンは幼少期、母親が売春に従事していたことから、母親のもとを離れさせられ、親族間を転々とする生活を送ったとされる。成長後は宅配ピザ業者への強盗で逮捕され、矯正施設に送致された。この施設でピアソンは、カウンセラーに「母親の職業に負い目を感じている」と述べていた。後に彼は同施設から脱走し、その後、所持金がなかったことから、ベルデラの自宅からそう遠くない場所で売春に従事するようになった。[2]

最初は誘拐の意図はなかったとされるが、6月23日、彼を地下室に監禁し強姦を始めた。喉への薬剤注射、電流、鉄の棒による手の骨折などの拷問が加えられた[11]

彼は最も従順な犠牲者だったとされ、後半は2階で監禁されていたが、6週間後、精神的な限界を迎えたピアソンは口淫中にベルデラの陰茎に強く噛みついて抗議した。そのため、棍棒で殴られ失神させられたあと、頭に袋を被せられ、紐で窒息死させられた。[14]

その遺体は地下室で解体され、頭部以外の遺体の部位はゴミ袋に詰められゴミ回収業者に回収された。頭部は少しのあいだ冷凍庫に保管された後、「犯行の証拠となるものを家の中に置いておきたくない」という理由により裏庭に埋められた。 埋める際、以前埋められたシェルドンの頭部が掘り出され、その跡にピアソンの頭部が埋められることとなった。 逮捕後、ベルデラはピアソンの頭部についても、白骨化した後に回収する意図があったと供述している。

逮捕

最後の犠牲者であり、唯一の生存者だったクリス・ブライソンは、ベルデラ宅に入った後に監禁され、4日間にわたり強姦と拷問を受けた。22歳のブライソンには生まれたばかりの息子がいたため、それをベルデラに伝えて解放を懇願したが、聞き入れられることはなかった。

ブライソンは表面上は従順な態度をとり、ベルデラの信頼を徐々に勝ち取っていった。

彼はあるとき、ベルデラに「腕を頭上で縛られると性行中に血流が悪くなる」と説明し、腕を頭上ではなく体の前で縛るよう要求した。これは、より脱走しやすくするための策略だった。

監禁4日目、ブライソンはリモコンでテレビの音量を最大にしてベルデラの動きを探り、外出していることを確認すると、彼のそばに置き忘れられていたマッチ箱を使い、拘束具を焼き切った。そして家の2階から飛び降り、脱走に成功した[2]

全裸に犬用の首輪だけをつけた彼の姿を見た近隣住民は驚き、ブライソンは間もなく警察に保護された。彼がベルデラから受けた被害を証言したことで、ベルデラは逮捕されることになった[2]

ベルデラの逮捕後、ブライソンが売春に関与していたという噂が広まり、それを快く思わなかった友人たちから距離を置かれるなど、ブライソンは社会的な困難に直面したとされる。

逮捕後の捜査

ベルデラの自宅は物品や廃棄物が散乱し、鍋に腐敗した鶏肉が放置されているほか、犬の排泄物が室内に散乱しているなど、生活環境が劣悪な状態にあった。このため、逮捕直後の家宅捜索には相当の時間と労力が必要とされた。

事件捜査の過程で、ジェームズ・フェリスの妻は、ベルデラの自宅から押収された数枚のポラロイド写真を提示され、夫の身元を確認した。その中には、フェリスの死亡後に撮影された写真も含まれていた。また、ポール・ハウエルも、ベルデラの地下室で逆さ吊りにされている若い男性を撮影した写真の1枚を、息子ジェリーであると正式に認めた。

複数の写真には身元不明の若い男性も写っていたため、捜査官らは彼らの身元および生死の確認を進め、生存している可能性がある場合には写真の状況を調査した。

一部の写真には撮影者自身の体の一部が写り込んでいたことから、4月13日、ベルデラは証拠写真と同一の角度で全裸の姿勢を取らされ、比較のための撮影を命じられた。

被害者の遺体の捜索も行われたものの、6人の遺体はいずれも解体された上でゴミ袋に詰められ、広大な埋立地に廃棄されていたため、ベルデラの自宅内に保管されていたシェルドンの頭部と裏庭に埋められていたピアソンの頭部を除き、回収することができなかった。

監禁中の記録

ベルデラは、被害者の監禁記録のメモに残した略号の多くが、被害者に対して行った虐待の種類を示すものであったと供述した。また、その記述には拷問中の被害者の反応や、ベルデラが拘束部屋に入った際に目にした状況なども含まれていた。 「CP」は拘束目的で投与したクロルプロマジンを指し、「DC」は逃走防止や声を抑える目的で排水管洗浄剤を眼に塗ったり喉に注射した行為を示していた。

「EK」または「EKG」との記述は電気ショックによる拷問を、その他にも体の特定部位への虐待内容を示す項目が複数見られた。 たとえば「2 1/2 ケタミン + 肩」という記述は「首と肩に合計2.2ccのケタミンを投与した」ということを意味していた。また、「猿ぐつわが緩み、再拘束に抵抗なし」「呼吸が非常に遅く、いびきをかいていた」などの具体的な記録も残されていた。

被害者がすぐに死なないよう、監禁中に抗生物質や栄養剤を静脈に注射し、栄養失調や感染症の発生による死亡を防ごうとした記録も残されている。

投獄と死亡

1988年の有罪判決と投獄から数年間、ベルデラはミズーリ州を拠点とするテレビ局 KCPT のインタビューに応じるほか、多くの個人と文通を行った。関係者によれば、彼は自らを「敏感な市民」として描き、犯罪を犯したのは単なる「過ち」であり、メディアや警察によって不当に悪者扱いされたと印象づけようとしていた。ベルデラは、罪状認否や司法取引の過程で、「警察の捜査能力の低さにより、私は最初に殺人を犯した後も自由の身でいられた」と主張していた。

ベルデラは「自身の店舗で被害者の骨を販売していた」「料理に被害者の肉を混ぜて近隣住民に振る舞った」などの噂も強く否定していた。

また、ベルデラは刑務所内の状況について、刑務所職員にいくつかの苦情を申し立てている。彼は地元の牧師に手紙を書き、職員が彼の高血圧を把握していながら、処方されていた心臓病の治療薬を提供しなかったと訴えた。1992年、ベルデラは初めて投獄された際に面会したロジャー・コールマン牧師に連絡し、ミズーリ州刑務所の職員が心臓の薬を差し控えていることへの苦悩を伝えた。

同年10月8日午後2時、ベルデラは独房で激しい心臓の痛みを訴え、刑務所の診療所に運ばれた。医療スタッフは心臓の状態が不安定であると判断し、救急車を呼んだ。ベルデラは病院に搬送され、午後3時55分に心臓発作で死亡が確認された。享年43歳だった。

公表された報告書によると、ベルデラはうつ病性パーソナリティ障害、性的サディストと診断されていた。被害者が拷問により感じる屈辱や痛みにより極度の性的興奮を得る人物だった。

投獄中、ジャーナリストらに連絡して「自分は人々が思うようなモンスターではない」といった主張を述べていたものの、自身の行為に対する反省を表明することはほとんどなく、死の直前に行われたインタビューでは、被害者を「おもちゃのようなものだった」と表現していた。

関連作品

  • 2009年公開の映画「 ベルデラ」は、ウィリアム・タフトとポール・サウスが共同監督を務めた。ベルデラ役はセス・コレアだった。 [15]


  • 2004年公開のドキュメンタリー映画「バザール・ビザール」は、犯罪ジャーナリストのトム・ジャックマンの著書『埋葬の儀式』を原作とし、ベンジャミン・ミードが監督を務めた。この映画にはベルデラが死去する前のインタビュー映像も収録されている。生存者であるクリストファー・ブライソンもこの映画内でインタビューを受けている。

参照資料

  1. ^ “Bob Berdella”. Orlando Sentinel. (2014年7月20日). http://www.kansascity.com/news/special-reports/kc-true-crime/article704522.html 2017年5月20日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m Jackman, Tom; Cole, Troy (1995) [1992]. Rites of Burial. London: Virgin. ISBN 0-86369-996-0. LCCN 93--12489. OCLC 40330251. OL OL17075631M 
  3. ^ a b c Morris 1989, p. 80
  4. ^ “Mind of a Monster”. New York Daily News. (2016年7月24日). https://www.newspapers.com/clip/65692603/daily-news/ 2022年2月28日閲覧。 
  5. ^ “Bob Berdella: KC True Crime”. The Kansas City Star. (2017年7月10日). http://www.kansascity.com/news/special-reports/kc-true-crime/article704522.html 2017年6月14日閲覧。 
  6. ^ Newton, Michael (2002). The Encyclopedia of Kidnappings. Facts On File Crime Library. New York: Facts On File. p. 25. ISBN 978-0-8160-4486-3. LCCN 2001-40170. OCLC 593209888. OL 9741936M. https://books.google.com/books?id=EZjlE4-1GSIC&pg=PA25 
  7. ^ Extreme Killing: Understanding Serial and Mass Murder. p. 103. ISBN 978-1-483-35072-1 
  8. ^ The Encyclopedia of Serial Killers. p. 47. ISBN 978-0-747-23731-0 
  9. ^ a b c d Morris 1989, p. 266
  10. ^ Police and Profiling in the United States. pp. 204–205. ISBN 978-1-466-50436-3 
  11. ^ a b c d e f Morris 1989, pp. 285–286
  12. ^ Aamodt (2006). Serial Killers 
  13. ^ Wecht, Cyril [英語版]; Saitz, Greg; Curriden, Mark (2007). “Robert Berdella: Madman or Just Murderer?”. Mortal Evidence: The Forensics behind Nine Shocking Cases (英語). Foreword by Henry C. Lee. Amherst, New York: Prometheus Books. pp. 270–271. ISBN 978-1-59102-485-9. LCCN 2003016867. OCLC 84178900. OL 8851222M.
  14. ^ My Life Among the Serial Killers. p. 200. ISBN 978-0-06180-959-0 
  15. ^ Scherstuhl (2009年9月24日). “Berdella: The Movie is torture to sit through”. The Pitch. 2018年9月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月15日閲覧。

関連項目

外部リンク




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