Su-9 (航空機・初代)
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- 用途:戦闘機
- 設計者:OKB-134(スホーイ設計局)
- 製造者:
- 運用者:試作のみ
- 初飛行:1946年11月13日 (Su-9 «K»)
- 生産数:2機 (Su-9 «K»、Su-11 «LK»)
- 運用状況:不採用
Su-9(スホーイ9、スホイ9;ロシア語:Су-9スー・ヂェーヴャチ)または«K» («К»カー) は、ソビエト連邦のスホーイ設計局で開発された戦闘機である。試作のみで量産はされなかった。アメリカ合衆国国防総省(DoD)が割り当てたTypeナンバーはType 8[1]。
開発
1944年、スホーイ設計局では製品«L» («Л»)と呼ばれたジェット戦闘機の開発計画が開始された[2]。これはリューリカ設計局が開発中の国産ターボジェットエンジンであるS-18(後のTR-1)を主翼の半ばに搭載する双発機で、エンジン配置の点でドイツのメッサーシュミット Me 262の影響を強く受けていたが[3]、主翼平面形、尾翼、胴体断面形状などはMe 262とも異なる独自の設計であった[4][3](同時期に計画されたアレクセーエフ I-21やミコヤン・グレヴィッチ I-260 «F»も同様だった[5])。また本機はソビエト連邦の航空機としては初となる射出座席の導入が検討され、ハインケル He 162の座席のコピー品であるYe-24 火薬式射出座席が予定された[6]。
«L»の開発計画は1945年には当局の開発リストに加えられたが、同年中に削除と復活を繰り返した[2]。また、スホーイ設計局では並行してツポレフ Tu-2の練習機型(UTB-2)の設計も担当させられていたほか[6]、主翼を層流翼型に設計変更するようにTsAGIから勧告され、3回もの再設計が行われるなど、«L»の開発は予定よりも遅延していた[2]。エンジンの開発も難航しており、«L»に搭載するエンジンはTR-1からドイツのユンカース Jumo 004をコピーしたクリーモフ RD-10に変更されることになった[2]。
Su-9
1946年2月7日にモックアップの審査が実施され、その後完成した試作1号機は改めてSu-9(製品«K» / «К» カー)と命名された[2]。
Su-9の固定武装はNS-23 23 mm機関砲2門(各100発)とN-37 37 mm機関砲1門(40発)。爆装も可能で250 kg爆弾2発または500 kg爆弾1発を胴体下に搭載するが、その場合は37 mm機関砲が外された[6]。アビオニクスは対地・対空切替可能な通信機と電波高度計、射撃および急降下爆撃に用いるPBP-1P (ПБП-1П)光学照準器を搭載。航空カメラのAFA-NM(АФА-НМ)を搭載して偵察機にすることも考えられた[6]。
1号機はゲオルギー・ミハイロヴィッチ・シヤノフの操縦により1946年11月13日に初飛行した[7]。試験飛行で上昇時間は高度5,000 mまで4.2分、実用上昇限度は高度12,800 mという性能を示し、性能は良好だった[2]。1947年6月13日までは設計局内で試験が行われ、8月からは国家試験に回された[8]。この間、1947年春にはモスクワ市内のトゥシノで政府幹部への展示飛行を行い、8月3日のトゥシノ航空ショーにも参加している[7]。
国家試験ではMe262のテスト飛行も経験しているアンドレイ・グリゴーリエヴィチ・コチェトコフがSu-9を操縦した[7]。彼はSu-9を極めて操縦しやすい機体と評価したが、高速時に操縦桿が重くなる欠点も明らかとなったため、対策として操縦系統に油圧パワーアシスト装置を追加する改良を行った[7]。動力操縦装置の導入もソ連では本機が初の試みであった[2]。
国家試験の最終段階において、空軍はSu-9の離着陸滑走距離が従来のレシプロ機よりも長大であることを問題視し、その対策としてJATOとドラッグシュートを搭載することにした[8]。JATOは第1科学研究所(NII-1)が開発していたU-5(У-5)2基、ドラッグシュートはアラド Ar 234が装備していたものの流用品であった[8]。これらを使用した結果、離着陸滑走距離はほぼ半減し、従来のレシプロ機と並行運用することが可能となった[8]。
国家試験の結果、Su-9は先述した操縦系統の改善点をのぞけば十分な性能を有していると評された。1948年3月末、コンスタンチン・ヴェルシーニン航空元帥はこれらの報告書とSu-9を迎撃戦闘機として採用し、第381工場で生産することを提言する閣僚会議決議案を航空産業省に送付した[8]。
だが、Su-9の量産はすでに他のジェット戦闘機の生産が始まっていたことなどを理由に実行されなかった[2]。ミハイル・フルニチェフ航空工業相も一旦は生産に同意していたが、6月4日の閣僚会議で防衛部門の研究開発費が大幅に削減されており、その影響で資金不足に陥ったSu-9の生産計画も6月30日に破棄された[8]。
1号機の試験飛行は経済的理由から1948年5月に終了した。パーヴェル・スホーイは当機をM・M・グロモフ記念航空研究所(LII)に併設するテストパイロット養成学校に寄贈することを望んだが、果たされず、機体はスクラップとなった[2]。
なお、練習機型としてタンデム複座のSu-9UTも計画されていたが、実機製作まで至らなかった[7]。
Su-11
Su-9の試作2号機のエンジンにはアフターバーナー付きのRD-10Fを搭載する予定だった[2]。1946年4月29日、設計局で機体の製作を進めていたところ、当局より作業中止が指示された。それは搭載エンジンを当初予定していたTR-1に変更せよという指示であった[9]。また9月にTsAGIで実施された風洞試験の結果、エンジンの軸線を翼弦線に合わせた方が空気抵抗を減らせることが判明したため、エンジンナセルを従来位置よりも上部に移動させる設計変更が加えられることになった[10]。ナセルの位置変更に伴って主翼の主桁や前後部の桁を曲げる必要が生じたため、クロム鋼が採用された[11]。このほか1号機からの変更点として、水平尾翼には上反角がつけられた[3]。これらの変更が加えられた2号機はSu-11(製品«LK» / «ЛК» エルカー)と命名された[9]。
Su-11は1947年4月に完成し、シヤノフの操縦によって5月28日に初飛行したが、TR-1の出力不足により性能は予定値を下回った[11][3]。TR-1の予定推力は1,500 kgfだったが、実際には1,300 kgfしか出ておらず、予定値をクリアできると見込まれた改良型のTR-1Aはまだ未完成だった[11]。またSu-11はマッハ0.75に達すると縦安定性が悪化する問題も抱えていた[11]。これらの問題から、Su-11の開発は1948年4月29日に放棄された[8]。機体は4月末までにスクラップとなったが、主翼はTsAGIに送られ、静的構造試験に使用された[12]。
Su-13
スホーイ設計局では更なる改良型として、Su-13(製品«KD» / «ЛД» カーデー)が1947年夏頃より計画された[12]。これはエンジンをクリーモフ RD-500(イギリスのロールス・ロイス ダーウェント Mk.Vのコピー)に換装、翼面積を24.8m2に拡大、翼厚比を11 %から9 %に削減、武装を37 mm機関砲3門に強化、翼端にドロップタンク搭載、水平尾翼を後退角35度の後退翼にするなどの変更を加えたモデルだった[8][13]。2機の試作機を製造する予定だったが、航空産業省の許可が下りず、1948年夏までに計画中止となった[13]。Su-13の設計作業はSu-11の開発と並行して進めていたため、Su-11の問題点が試験飛行で発覚したことが影響したとみられる[11]。
Su-13の別の改良型として製品«TK» («ТК» テーカー)という案もあり、こちらは機首の37 mm機関砲2門の間に「トリイ(Торий)」レーダーを搭載した全天候戦闘機型だった[14]。こちらは1948年3月には計画案が纏まったが、航空産業省の審査に提出されることはなかった[14]。「トリイ」レーダーを搭載する全天候戦闘機としては新規設計のSu-15 «P»が別に計画されており、開発はそちらにシフトすることになった[11]。
Me 262との類似性による不採用説
生産勧告が出たのにも関わらず量産されなかったSu-9について、ヨシフ・スターリンがMe 262のコピー機と見做し生産を認めなかったとする説がある[3]。これにはアレクサンドル・セルゲーエヴィチ・ヤコヴレフ(ヤコヴレフ設計局創設者、当時航空産業人民委員代理(次長))が密接に関わっており、スターリンが彼にMe 262のコピー生産をすべきか諮問したところ、それに反対したためとされる[15]。
ヤコヴレフの回想録によると、1945年12月末にクレムリンに召還された際、彼はスターリンにMe 262の量産の是非について、個人的見解を求められたという。それに対し、ヤコヴレフは同機の複雑な操縦システムや安定性の悪さ、多くの墜落事故から同機の危険性を指摘した。また、Me 262の安易な模倣は国内設計者の意欲を削ぎ、国産機開発に打撃を与えるとも指摘した[3]。当時彼がソ連航空産業の要職にあったこともあり、この進言がスターリンの見解に反映されたという[16]。
なお、ミコヤン・グレヴィッチ設計局も当初はSu-9以上にMe 262と似通っていたI-260 «F»を計画していたが[2]、検討の段階でより最適なエンジン配置を思いつき、I-300案(後のMiG-9)に切り替えている[17]。
各型
«»は製品記号
- «L» / «Л»
- 初期案。
- Su-9 «K» / Су-9 «К»
- 試作1号機。クリーモフ RD-10エンジンを搭載。
- Su-9UT / Су-9УТ
- 複座練習機型。製作されず。
- Su-11 «LK» / Су-11 «ЛК»
- Su-9 «K» 試作2号機から設計変更。リューリカ TR-1エンジンを搭載。
- Su-13 «KD» / Су-13 «КД»
- クリーモフ RD-500エンジン搭載の改良型。製作されず。
- Su-13 «TK» / Су-13 «ТК»
- Su-13 «KD»の全天候戦闘機仕様。製作されず。
スペック
出典:「Sukhoi Company」[18]、「Soviet Secret Projects: Fighters Since 1945」23-26、29頁[19]
| Su-9 «K» | Su-9UT (計画値) | Su-11 «LK» | Su-13 «KD» (計画値) | Su-13 «TK» (計画値) | |
|---|---|---|---|---|---|
| 全長 | 10.575 m | 10.500 m | 10.550 m | 10.950 m | 11.400 m |
| 全幅 | 11.215 m | 11.200 m | 11.800 m | 11.800 m | 11.800 m |
| 全高 | 4.000 m | N/A | 3.640 m | 3.780 m | 3.780 m |
| 翼面積 | 20.2 m2 | N/A | 21.4 m2 | 24.8 m2 | N/A |
| 重量 | 5,870 kg | 5,637 kg | 6,300 kg | 6,436 kg | 6,757 kg |
| 最大速度 (海面) | 847 km/h | 845 km/h | 890 km/h | 960 km/h | 980 km/h |
| 最大速度 (高空) | 900 km/h (高度3,000 m) | 875 km/h (高度8,000 m) | 910 km/h (高度3,000 m) | 960 km/h (高度5,000 m) | 960 km/h (高度4,500 m) |
| 上昇性能 | 高度5,000 mまで4.2分 | 高度5,000 mまで5.7分 | 高度5,000 mまで3.6分 | 高度5,000 mまで2.5分 | 高度5,000 mまで2.5分 |
| 実用上昇限度 | 12,550 m | 12,500 m | 13,000 m | N/A | N/A |
| 航続距離 | 805 km (最大 1,140 km) |
1,000 km | 900 km | 1,550 km (最大 2,000 km) |
1,550 km (最大 2,000 km) |
| 離陸距離 | 475 m (JATO) | 935 m | 780 m | 500 m | 515 m |
| 着陸距離 | 660 m (制動傘) | N/A | N/A | 500 m | 500 m |
| エンジン | クリーモフ RD-10 軸流式ジェットエンジン (推力 900 kg) ×2 |
クリーモフ RD-10 軸流式ジェットエンジン (推力 900 kg) ×2 |
リューリカ TR-1 軸流式ジェットエンジン (推力 1,300 kg) ×2 |
クリーモフ RD-500 遠心式ジェットエンジン (推力 1,590 kg) ×2 |
クリーモフ RD-500 遠心式ジェットエンジン (推力 1,590 kg) ×2 |
| 武装 | N-37 37 mm機関砲×1 NS-23 23 mm機関砲×2 |
B-20 20 mm機関砲×2 |
N-37 37 mm機関砲×1 NS-23 23 mm機関砲×2 |
N-37 37 mm機関砲×3 |
N-37 37 mm機関砲×2 |
| 爆弾搭載量 | 500 kg | 200 kg | 500 kg |
脚注
- ^ “Designations of Soviet and Russian Military Aircraft and Missiles”. www.designation-systems.net. 2025年12月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k Buttler & Gordon 2006, p. 23.
- ^ a b c d e f 田村 2007, p. 73.
- ^ 岡部 2024, p. 154.
- ^ Buttler & Gordon 2006, p. 20.
- ^ a b c d 白井 2011, p. 48.
- ^ a b c d e 白井 2011, p. 49.
- ^ a b c d e f g h Sukhoi Company.
- ^ a b Buttler & Gordon 2006, p. 24.
- ^ 白井 2011, pp. 49–50.
- ^ a b c d e f 白井 2011, p. 50.
- ^ a b Buttler & Gordon 2006, p. 25.
- ^ a b Buttler & Gordon 2006, pp. 25–26.
- ^ a b Buttler & Gordon 2006, p. 26.
- ^ 田村 2013, p. 75.
- ^ 田村 2007, p. 74.
- ^ Buttler & Gordon 2006, p. 21.
- ^ Sukhoi Company (spec).
- ^ Buttler & Gordon 2006, pp. 23–26, 29.
参考文献
- “Sukhoi Su-9, 11, 13”. Sukhoi Company. 2011年9月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年2月14日閲覧。
- “Su-9, 11, 13 Specifications”. Sukhoi Company. 2011年11月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年2月14日閲覧。
- Tony Buttler; Yefim Gordon (2006). Soviet Secret Projects: Fighters Since 1945. Ian Allan Publishing. ISBN 978-1857802214
- 田村俊夫「パベル・スホーイ略伝」『スホーイSu-15”フラゴン”』 No.120、文林堂〈世界の傑作機〉、2007年。 ISBN 978-4893191472。
- 白井和弘「スホーイ ジェット戦闘機の系譜 (1)」『航空情報』第809巻、酣燈社、2011年2月。
- 田村俊夫「MiG-15に至る道」『第二次大戦ミグ戦闘機』 No.156、文林堂〈世界の傑作機〉、2013年。 ISBN 978-4893192189。
- 岡部ださく『世界の駄っ作機』 11巻、大日本絵画、2024年。 ISBN 978-4499233996。
関連項目
- メッサーシュミット Me 262 - 世界初の実用ジェット戦闘機
- Me 262の類似機
- アレクセーエフ I-21
- ミコヤン・グレヴィッチ I-260 «F»
- 中島 橘花
- 中島 キ-201火龍
- Su-9の競合機
外部リンク
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