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ブラウン派とは? わかりやすく解説

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ブラウン派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/18 12:54 UTC 版)

ブラウン派: Brownists)は16世紀から17世紀にかけて活動した会衆派プロテスタントの一派。イングランド国教会に反発したイングランドのプロテスタント(ピューリタン)のうち、国教会を否定し、分離独立を主張した分離派(Separatists)の最も初期の集団であり、分離派の俗称としても用いられた。名前は16世紀末に会衆派を率いた宗教指導者のロバート・ブラウンに依る。なお、ブラウン派や分離派という呼び名は外部からのものであり、当人たちは「聖徒(Saints)」を自称した[1]

イングランドの宗教改革は不十分と捉えた国教会の牧師であったブラウンは、1581年に内部改革の道を捨て、国教会と異なる独立教会の設立を試みた。しかし、当局に逮捕されるなど弾圧を受け、釈放後は支持者と共にオランダに渡り、理想とする教会の実現に努めた。ところがわずか2年でコミュニテイは崩壊し、ブラウンが分離活動を行ったのは1585年までのわずかな間であった。しかし、支持者の一部はその後も国外で活動を続け、ブラウン派と呼ばれ続けた。この残った者たちで有名なのが、後にプリマス植民地を建設したことで有名なピルグリム・ファーザーズである[2]

ブラウン派は最終的にメノナイトに吸収されたが、一部はバプテスト教会にも加わった[3]

分離派の起源

世俗権力から独立した信徒会衆による自治的な教会(会衆制)を提唱するものはヘンリー8世の時代には既に存在していた。その後、イングランドの宗教改革はカトリックであったメアリー1世の時代に退潮した後にエリザベス1世によって国教会は再建されたが、期待したレベルの改革ではないと不満を覚えるプロテスタントが現れ始めた。彼らを総称してピューリタンと呼ぶ。最初の分離独立の動きは、1566年3月のロンドンであり、カンタベリー大主教マシュー・パーカーが『共通祈祷書』(Book of Common Prayer)の厳格な遵守を強制して、14名の牧師が解任されたことがきっかけであった。急進派は「ロンドン地下教会英語版」を結成し、秘密裏に活動を続けた。この組織は最盛期には1000人ほどの規模であったと考えられているが、当局の取り締まりや会員の死亡などによって縮小し、ロバート・ブラウンの時代には小規模になっていた。実際、ブラウンや、盟友のロバート・ハリソン英語版は地下教会があることは知っていたが、既に消滅したものだと考えていた。

ブラウンによる指導時代

1550年頃にイングランドで生まれたロバート・ブラウンは、ケンブリッジ大学に進学し、ここでピューリタンの神学者トマス・カートライト英語版の影響を受けた。卒業後、イズリントンセント・メアリー教会英語版の説教者となり、国教会の教義や規律に対する異議を唱える説教を行ったことで、注目を受け始める[4]。1578年にケンブリッジ大学に戻るとピューリタン牧師のリチャード・グリーナム英語版の薫陶を受け、正式な叙任を受けて、国教会の教区教会で奉仕することを勧めた。そして依頼を受けてケンブリッジのセント・ベネッツ教会英語版の説教者となるが、間もなくピューリタンの主流派が目指していた国教会の内部改革に否定的な見解を持つようになる。

1580年、ブラウンはノリッジに自己の信念に基づいて、国教会から独立した会衆制の教会を設立した[5]。しかし、これは当局の弾圧を受け1581年にはブラウンは投獄された。女王の側近であったウィリアム・セシルが親族だった縁で、彼の働きかけでブラウンはすぐに釈放されると、大学以来の盟友であったロバート・ハリソン英語版と共に、自身を支持する会衆を率いてネーデルラント(オランダ)のミデルビュルフ英語版に移住した。ブラウンはここで新約聖書に基づく教会組織、コミュニティを設立したが、内部対立により、わずか2年で崩壊した[5]

彼の最も重要な著作は1582年にミデルビュルフで出版した『A Treatise of Reformation without Tarying for Anie』(直訳:いかなる者の猶予もなき改革論)である。この中で、彼は教会が必要な改革をするにあたって世俗の役人の認可を必要としないことを主張した。また、『A Booke which sheweth the life and manners of all True Christians』(直訳:すべての真のキリスト者の生活と作法の詳説)では会衆制の理論を提示した。1583年にはこれらの著作を配布したとして2人の男が絞首刑に処されている。

実際にブラウンが分離派として活動したのは1579年から1585年の間に過ぎない。コミュニティの崩壊後、イングランドに帰国すると国教会に復帰し、1591年には国教会の司祭に叙任された。このため、分離派からは裏切り者としてみなされたが、彼自身は従来通り分離主義の立場であると主張し、批難者と論争した。特にジョン・グリーンウッド英語版ヘンリー・バロウ英語版に対し、数回にわたり、反論を行っている。1633年に死没し、ノーサンプトンのセント・ジャイルズ教会英語版に埋葬される。

その後のブラウン派

ブラウン派はジョン・グリーンウッド英語版ヘンリー・バロウ英語版が主導する形で1587年にロンドンで復活したが、2人は1587年に逮捕され、1593年に処刑された[6]。2人は獄中でも密かに分離主義に基づく著作を執筆し、これらは信徒によってオランダに持ち込まれ、出版された。最も重要なものはバロウの『A Brief Discoverie of the False Church』である。他にも数十人のブラウン派が投獄され、多くが獄中で死亡した[7]

グリーンウッドとバロウの処刑後、ブラウン派はピューリタン牧師のフランシス・ジョンソン英語版に率いられた[8]。彼はもともとブラウン派を弾圧するよう指示を受けていた人物であったが、焼却命令を受けたブラウン派の書籍を1冊だけ隠し持ち、その影響を受けた改宗した経歴を持つ。彼はグリーンウッドたちの轍を踏まないために当初はニューファンドランドへの入植を試みたが、失敗するとアムステルダムに亡命した[9]。同地ではヘンリー・エインズワースが共同指導者となり、2人は多数の著作を発行すると、これらはイングランドに密かに運び込まれた。

1604年にリチャード・バンクロフト英語版大主教によってピューリタンに対する大規模な弾圧が始まると、ブラウン派に新たな波が生じた。イングランド北部にジョン・ロビンソンジョン・スミスがブラウン派の会衆教会を密かに作り[10]、その後、1608年頃に彼らを率いてアムステルダムに移住した。この時はブラウン派の最盛期であり、同じ都市に互いに良好関係を保つ、3つの異なる大規模なブラウン派の教会コミュニティが存在した。その後、スミスはブラウン派から離脱して最初のバプテスト教会を設立し、これを受けてロビンソンはライデンに移住した。また、ジョンソンとエインズワースが対立し、別々の会衆教会を設立した[11]

その後ジョンソンは会衆を率いてバージニア植民地への移住を試みたが、大半が道中で亡くなった。スミスの教会はメノナイトに合流したが、一部はバプテストとしてトマス・ヘルウィス英語版に率いられてロンドンに戻った。ロビンソンの教会の半数は、新大陸への入植を試みてメイフラワー号に乗ってニューイングランドへと渡航し、プリマス植民地を建設した[3]

脚注

  1. ^ Hakim, Joy (2003). Freedom: A History of US. New York: Oxford University Press. pp. 54. ISBN 0-19-515711-7. OCLC 50348061 
  2. ^ Chronicles of the Pilgrim Fathers, 1920
  3. ^ a b Tomkins. The Journey to the Mayflower. pp. 306–32 
  4. ^ Cromwell, Thomas (1835). Walks through Islington. London. pp. 82–4. https://archive.org/details/walksthroughisl00cromgoog 
  5. ^ a b 松村 & 富田 2000, p. 99, 「Brownists ブラウン派」.
  6. ^ Thomas Wall”. University of Michigan Library. 2023年12月19日閲覧。
  7. ^ Tomkins, Stephen (2020). The Journey to the Mayflower: God's Outlaws and the Invention of Freedom. London: Hodder & Stoughton. pp. 134–213. ISBN 978-1473649118 
  8. ^ History: Barrow and Greenwood, Prisoners of Jesus Christ”. Reformed Reader. 2023年12月19日閲覧。
  9. ^ Tomkins. The Journey of the Mayflower. pp. 231–6 
  10. ^ Tomkins, Stephen (2020年1月17日). “Before the Mayflower: death, prison, poverty”. 2023年12月19日閲覧。
  11. ^ Tomkins. The Journey to the Mayflower. pp. 253–299 

参考文献




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