ブリガンテス族
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ブリガンテス族(ブリガンテスぞく、Brigantes)はイギリスの鉄器時代に後に北イングランドとなる地の大半を支配していたブリトン人である。 ブリガンティアと呼ばれることが多い彼らの領土は後にヨークシャーとして知られることとなる場所を中心に広がっていた。 ギリシア人のプトレマイオスはブリガンテス族をアイルランドの民族として名づけた。彼らは現在のウェックスフォード県やキルケニー県、ウォーターフォード県に居住していた[1]。一方、ストラボンは別の人々をブリガンティ人と名づけ、アルプス地方に住んでいたウィンデリキ人の一部族として言及した[2]。
イギリス内で、ブリガンテス族が居住した領域は他4つの民族(北東のカルウェティイ族、東端のパリシ族、南のコリエルタウウィ族とコルノウィイ族)と国境を接していた。 北にはウォターディーニ族の領域があり、現在のイングランドとスコットランドの境にまたがっていた。
語源
「ブリガンテス(ラテン語:Brigantes、古典ギリシア語:Βρίγαντες)」という名前は、女神ブリガンティアと同じケルト祖語の語源を共有している。*brigantīやbrigant-は「高い、上昇した」を意味する。一方で、ブリガンティウムと呼ばれた居住区が「高い者たち」と比喩的に名づけられたのか、文字通り「高地の者たち」としてつけられたのか、物理的に高い要塞の住民として名づけられたかは不明である。 インド・ヨーロッパ祖語の語根は*bʰerǵʰ-である[3]。 この言葉はゲルマン人のブルグント人(*Burgund、Burgundī)やイラン語群のAlborz (古代ペルシア語のHara Berezaiti)と関連している。
現代のウェールズ語のbraintは「特権、名声」を意味する。これは*brigantīと同じ語源を持つ。 他にも現代のケルト系言語にも関連する形がある。例えば、ウェールズ語のbrenin「王」は*brigantīが語源である。 ウェールズ語・コーンウォール語・ブリトン語のbri「名声、評判、名誉、尊厳」、スコットランド・ゲール語のbrìgh「髄、力」、アイルランド語のbrí「エネルギー、重要性」、マン島語のbree「力、エネルギー」は全て*brīg-/brigi-が、ウェールズ語・コーンウォール語・ブリトン語のbre「丘」はbrigāがそれぞれ語源である。 古アイルランド語のブリギットBridget(現代アイルランド語ではBríd)が由来のBridgetという名称も*Brigantīから来ており、イギリスのブレント川やブレントフォード地域も同様である。 ヨーロッパ中に「ブリガンティウム」という名前の課題の居住地がいくつもあり、それらは現代の地名(多くの地名が同源)に相当する。 例として、スペインのアラバ県のベルガンサ(Berganza)やガリシア州のア・コルーニャ(A Coruña)とコマルカ・デ・ベルガンティーニョス(Bergantiños)、ポルトガルのブラガンサ(Bragança)とブラガ(Braga)、フランスのブリアンソン(Briançon)[4][5]、スロヴァキアとハンガリーの国境に位置するスーニュにあったブルゲティオ(Brigetio)[6]、南ドイツのブレグ川とブリガッハ川沿いに位置しするブリゴバンネ[7](Brigobanne、現在のヒュリンゲン、ローマ以前はウィンデリキア[8])、オーストリア側のアルプスのブレゲンツ(Bregenz)、イタリアのブリアンツァ(Brianza)などがある。
層序学では、イギリスの石炭紀の地層学的階層はブリガンティアはブリガンテス人にその名前の由来を持つとされている[9]。
歴史
ローマのブリタンニア侵攻以前のブリガンテス族に関する記録は残っていない。よって、その時期に彼らが政治的実体としてどれだけの間存在していたか調べることは困難である。 この地域の主要な考古学的遺跡のほとんどは早い段階から継続的に居住されている痕跡を示している。よって、勢力の台頭は突然の劇的な征服ではなく、徐々に進んだ可能性がある。これはハダースフィールドにあるキャッスル・ヒルの紀元前430年頃の焼失と関係しているかもしれない[10]。 ブリテン最大の領土的を持っていたブリガンテス族は、ヨークシャー海岸のガブラントウィケス人[11]やハドリアヌスの長城近くの南タイン川上流域のテクストウェルディ人[12] などの部族やセプトを包含していた。 プトレマイオスの『地理学』に登場する「セタンティイの港(Portus Setantiorum)」や「ロポカレスの集会所(Coria Lopocarum)」という地名は、ランカシャー海岸付近やタイン川近くに住んでいたセタンティイ人やロポカレス人といった別の民族をそれぞれ指す。 コリオノトタエ人(Corionototae)という名前[13]も記録されているが、これは「部族の軍団」や「人々の軍団」を意味する「*Corion Toutas」に由来するものであり、それは民族や部族の名前というよりは、ローマに対抗する軍団か勢力の名前であった可能性がある。 現在のカンブリアに現れたカルウェティイ族は別の部族であったか、もしくはブリガンテス族から派生した可能性がある。 ローマの支配下でカルウェティイ族がキウィタスに分派したかは未だ論争中である。
ローマ時代
47年、ローマガ派遣したブリタンニアの支配者プブリウス・オストリウス・スカプラは北ウェールズのデケアングリ人への作戦を止めざるを得なくなった。それはローマの同盟相手のブリガンテス族の指導者が不満を持ったためである。 武器を取った何人かは殺され、残りは恩赦を受けた[14]。 51年、抵抗軍の指導者カラタクスはブリガンティアの女王カルティマンドゥアに助けを求めた。しかし彼女は彼を鎖で捕らえて引き渡し、ローマへの忠誠を示した[15][16]。 彼女とその夫ウェヌティウスは忠誠でもって「ローマ軍に守られた」と記述されているが、彼らはその後離婚し、反ローマ派のウェヌティウスはまず元妻に、次に彼女のローマの守護者に対して武器を取った。 アウルス・ディディウス・ガルス総督の在任中(52〜57年)、ウェヌティウスは軍隊を集めてカルティマンドゥアの王国へ侵略した。 ローマ人はカルティマンドゥア防衛のために軍を送り、ウェヌティウスの反乱軍を倒した[17]。 離婚後、カルティマンドゥアはウェヌティウスの盾持ちウェッロカトゥスと結婚し、彼と共同統治をした[18]。 ローマ内戦 (68年-70年)の政情不安定を利用し、69年、ウェヌティウスは再び反乱を起こした。 ローマは第9軍団を向かわせてブリガンテス族の内紛に介入し、女王を助けたしかし、彼女の死後、71年にはブリガンティアはローマの支配下に入れていた[19]。
広範囲にわたる北ヨークシャーのスタンウィックの鉄器時代の要塞は、モーティマー・ウィーラーにより1950年代に発掘された。彼はこの地がウェヌティウスの拠点であったと結論付けた。しかしダラム大学が1981〜1986年に行った発掘調査で、コリン・ハセルグローヴとパーシヴァル・ターンブルはスタンウィックがカルティマンドゥアの権力の拠点であったという、モーティマーの説より古い年代を提唱した[20]。
ウェスパシアヌス帝の即位後、クィントゥス・ペティリウス・ケリアリスはブリタンニアの総督に任命され、ブリガンテス族への征服が始まった[21][22]。 その征服の完成には数十年かかったとされている。 グナエウス・ユリウス・アグリコラ総督(任期:78〜84年)はブリガンティア内での戦闘に参加したようである[23]。 タキトゥスはカレドニア人の指導者カルガクスへの演説の中でブリガンテス族について、「ある女性の指導のもと」ローマ軍をほぼ打ち倒したと言及した[24]。 2世紀前半に執筆活動をしたローマの詩人ユウェナリスは、ブリガンテス族の砦を破壊して栄光を勝ち取るよう息子に促すローマ人の父親を描いている[25]。 ハドリアヌス帝の治世初期に北部での反乱が起きたようだが、詳細は不明である。 エボラクムに駐屯していた第9軍団ヒスパナの失踪の原因として、ブリガンテス族の反乱がしばしば挙げられる。 122年に建設が始まったハドリアヌスの長城の目的の一つは、反対側には現在の低地スコットランドがある場所の部族たちと共にブリガンテス族が抵抗することへの防御であった可能性がある。
パウサニアスは、アントニヌス・ピウス帝(在位:138〜161年)がブリガンテス族によるローマの軍団に対する無謀な戦争の開始後に彼らを打ち負かした、と述べている[26]。 これは142〜144年に行われたアントニヌスの長城建築につながる作戦の一つであった可能性がある。
居住地
プトレマイオスはブリガンテス族に属する9つのポリス(都市)を名付けた。それは以下の通りであった。
| ラテン語名 | 現在の名前 | 現在のイングランドのカウンティ |
|---|---|---|
| エピアクム(Epiacum) | ホワイト・キャッスル、アルストン[27] | ノーサンバーランド |
| ウィノウィウム(Vinovium) | ビンチェスター[27] | ダラム |
| カタラクトニウム(Cataractonium) | カテリック[27] | ノース・ヨークシャー |
| カラトゥム(Calatum) | ブロウ、 ロンズデール・ハンドレッド[27] | ランカシャー |
| イスリウム・ブリガントゥム(Isurium Brigantum) | アルドボロ[27] | ノース・ヨークシャー |
| リゴドゥヌム(Rigodunum) | 不明[a] | グレーター・マンチェスター |
| オリカナ(Olicana)もしくはオレナクム(Olenacum) | イルクリー[b] | ウェスト・ヨークシャー |
| エボラクム(Eboracum) | ヨーク[27] | ノース・ヨークシャー |
| カンボドゥム(Cambodunum) | 不明[c] | ウェスト・ヨークシャー |
b オレナクムはウェスト・ヨークシャーにあるイルクリーのローマ城塞であると考えられていたが、現在ではエルスラックの前身であると考えられている[27]。
c カンボドゥムはウェスト・ヨークシャーのアウトレーン近くのスラックのローマ城塞[27]である可能性が高い。
その他、ブリガンティアの領域に含まれている居住地として以下の場所が挙げられる。
- ウィンコバンク(シェフィールドの境界線上)
- ブレメテンナクム・ウェテラノールム(ランカシャーのリブチェスター)
- カルカリア(ノース・ヨークシャーのタドキャスター):『アントニヌス旅行記』や『ラウェンナ宇宙誌』で言及されている。
- ルグウァリウム(カンブリア (イングランド)のカーライル):カルウェティイ族の住居地である可能性もある。
- コリア (ノーサンバーランドのコーブリッジ):ロポカレス人の居住地である可能性もある。
アイルランドのブリガンテス族
ブリガンテス人はブリテン島だけではなくアイルランドにもいたことが、プトレマイオスの『地理学』で証明されている[28]。 しかし、アイルランド人とブリテンのブリガンテス族にどのようなつながりがあったかは不明である。 言語学者トーマス・フランシス・オラヒリーは、アイルランドの支族は後のUí Bairrche族集団の起源であったと提唱した。そして彼は、この支族たちは元々ガリア人やブリテン島のベルガエ人の祖先であると仮定されているÉrainn(プトレマイオスのIverni)につながると自身のアイルランド先史観に基づいて考えている[29]。
ジョン・トーマス・コークは、ローマ時代のブリテンの女神ブリガンティアとアイルランドのブリギットとを同一視しており、キルケニー県のストニーフォードにある遺構はローマもしくはローマ時代のブリテンのものである可能性を指摘している。 彼はアイルランドのブリガンテス族を中世初期のUí Bairrche族集団と同一視している[30]。
ポップ・カルチャー
- 2010年公開の映画『センチュリオン』では、百人隊長クィントゥス・ディアスの視点から第9軍団ヒスパナの運命を辿っている。第9軍団もディアスも、ブリガンテス族の斥候として行動する戦士エタイン(演:オルガ・キュリレンコ)の陰謀に巻き込まれ、その後彼らをピクト人に裏切る。
- ローズマリー・サトクリフの小説『第九軍団のワシ』(1954年)の中で、主要人物の一人であるエスカはブリガンテス族の捕虜となった子どもである。彼はローマ兵のマルクス・アクイラと共に、第9軍団に何が起きたかを探るために、ハドリアヌスの長城北部を旅する。主人公エスカは1977年にBBCのテレビドラマでクリスチャン・ロドスカによって演じられ、その後2011年の映画『第九軍団のワシ』でジェイミー・ベルが演じた。
- 2020年、イングランドのプロラグビーリーグクラブウィガン・ウォリアーズは、新しいクラブロゴにブリガンテス族の戦士を描き、ブリガンテス族は「ウィガンの町にルーツと血統を持つ」と主張した[31]。
- 1982年にL・ロン・ハバードが発表したSF 小説『バトルフィールド・アース(Battlefield Earth)』では「ブリガンテス族」を名乗る遠い未来の脇役たちが登場する。彼らは野蛮で裏切り者の盗賊傭兵であり、イアン・スミスと呼ばれる人物に率いられ、アフリカのジンバブエから来た人食い人種として書かれている。しかし、イギリスの植民者であること以外、史実上のブリガンテス族とは何の関係も無い。彼らの名前の意味は説明されないが、ブリガンドと関係がある可能性がある[32]。
脚注
- ^ “Celtic Ireland in the Iron Age”. WesleyJohnston.com. (2007年10月24日)
- ^ ストラボン『地理誌』第4巻第6章
- ^ Pokorny, Julius (1959). Indogermanisches etymologisches Wörterbuch. 1. Francke Verlag. "bhereĝh-" entry, pp. 140–141. The conventions for writing PIE have changed since the publication of this work.
- ^ “The Brigantes”. Roman-Britain.co.uk. (2007年10月24日)
- ^ “Brigantium”. Terra.es. (2007年10月24日). オリジナルの2008年9月18日時点におけるアーカイブ。 2007年10月25日閲覧。
- ^ “Brigetio (Szöny) Komárom”. The Princeton encyclopedia. (1976年)
- ^ “Brigobanne Germany”. The Princeton encyclopedia. (1976年)
- ^ “Vindelicia map”. Europeana. (1830年)
- ^ Harland, W. B. (1990); A Geologic Time Scale 1989; Cambridge University Press, p. 43.
- ^ William Jones Varley, Castle Hill, Almondbury; A Brief Guide to the Excavations 1939–1972 Tolson Memorial Museum (1973)
- ^ プトレマイオス『地理学』 II, 3, 4
- ^ B. Collingwood & R.P. Wright (eds.) The Roman Inscriptions of Britain (1965) Oxford
- ^ Mc Caul, John, Britanno-Roman Inscriptions with Critical Notes (1863)
- ^ タキトゥス『年代記』12.32
- ^ タキトゥス『年代記』12:36
- ^ ピーター・サルウェイ著 南川高志訳『1冊でわかる 古代のイギリス』p. 36
- ^ タキトゥス『年代記』12:40
- ^ 南川高志『海のかなたのローマ帝国 : 古代ローマとブリテン島』p. 105
- ^ 南川高志『海のかなたのローマ帝国 : 古代ローマとブリテン島』p. 105
- ^ Stanwick North Yorkshire, Part I : Recent Research and Previous Archaeological Investigations; Haselgrove, Turnbull, Fitts; Royal Archaeological Institute
- ^ タキトゥス『アグリコラ』17
- ^ ポール・ラングフォード原著監修、鶴島博和日本語版監修『オックスフォード ブリテン諸島の歴史』p. 59
- ^ タキトゥス『アグリコラ』20
- ^ タキトゥス『アグリコラ』31
- ^ Juvenal, Satires 14.196
- ^ Pausanias, Description of Greece 8.43.4
- ^ a b c d e f g h i Geographical identifications as given in www.roman-britain.co.uk. “The Geography of Ptolemy”. 2023年9月3日閲覧。
- ^ Ptolemy, Geographia 2.1, 2.2
- ^ O'Rahilly, T. F. (1946), Early Irish History and Mythology, Dublin: Dublin Institute for Advanced Studies
- ^ Koch, J.T., Celtic Culture: A Historical Encyclopedia Vol. I pp. 312-313
- ^ “The Why and How”. Wigan Warriors Blog (2020年11月1日). 2020年11月2日閲覧。
- ^ “Compendium”. 2025年8月25日閲覧。
参考文献
- Branigan, Keith (1980). Rome and the Brigantes: the impact of Rome on northern England. University of Sheffield. ISBN 0-906090-04-0
- Hartley, Brian (1988). The Brigantes. Sutton. ISBN 0-86299-547-7
日本語文献
- プトレマイオス 著 中務哲郎 訳『プトレマイオス地理学』(東海大学出版部、1986年)ISBN 978-4486009214
- ストラボン著 飯尾都人 訳『ギリシア・ローマ世界地誌 全2巻』(龍溪書舎、1994年)ISBN 978-4844783770
- タキトゥス 著 國原吉之助 訳『年代記 上』(岩波書店、1981年)ISBN 978-4003340820
- タキトゥス 著 國原吉之助 訳『年代記 下』(岩波書店、1981年)ISBN 978-4003340837
- タキトゥス 著 國原吉之助 訳『ゲルマニア・アグリコラ』(筑摩書房、1996年)ISBN 978-4480082787
- ピーター・サルウェイ著 南川高志訳『1冊でわかる 古代のイギリス』(岩波書店、2005年)ISBN 978-4000268851
- ポール・ラングフォード 原著監修、鶴島博和 日本語版監修『オックスフォード ブリテン諸島の歴史 第1巻 ローマ帝国時代のブリテン島』(慶應義塾大学出版会、2011年)ISBN 978-4-7664-1641-1
- 南川高志『海のかなたのローマ帝国 : 古代ローマとブリテン島 増補新版』(岩波書店、2015年)ISBN 978-4000268608
関連リンク
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