baron
「baron」の意味・「baron」とは
「baron」は、英語の単語で、主に貴族の階級または地位を指す言葉である。特に、英国の貴族階級では、公爵、侯爵、伯爵、子爵に次ぐ5番目の位である。また、一部の国では、大土地所有者や大企業の経営者を指す隠喩的な表現としても使われる。例えば、「石油バロン」は石油産業で大きな影響力を持つ人物を指す。「baron」の発音・読み方
「baron」の発音は、IPA表記では /ˈbærən/ となる。カタカナ表記では「バロン」と読む。日本人が発音する際のカタカナ英語の読み方も「バロン」である。この単語は発音によって意味や品詞が変わるものではない。「baron」の定義を英語で解説
「baron」の定義は、"a member of the lowest order of the British nobility" または "a powerful person in a particular field" となる。前者は「英国貴族の最下位の階級の一員」を意味し、後者は「特定の分野で強力な人物」を意味する。「baron」の類語
「baron」の類語としては、「nobleman」、「landowner」、「magnate」、「tycoon」などがある。「nobleman」は一般的な貴族を、「landowner」は土地所有者を、「magnate」や「tycoon」は大企業の経営者や産業界の大物を指す言葉である。「baron」に関連する用語・表現
「baron」に関連する用語や表現としては、「baroness」、「baronet」、「barony」などがある。「baroness」は女性のバロンを、「baronet」はバロンよりも一段階下の位を持つ男性を、「barony」はバロンの領地やその地位を指す。「baron」の例文
以下に、「baron」を用いた例文を10例示す。 1. English example: "The baron owned a large estate in the countryside." (日本語訳:そのバロンは田舎に大きな領地を所有していた。) 2. English example: "He is known as the baron of the software industry." (日本語訳:彼はソフトウェア業界のバロンとして知られている。) 3. English example: "The baroness was respected by the local people." (日本語訳:その女性バロンは地元の人々から尊敬されていた。) 4. English example: "The baronet inherited his title from his father." (日本語訳:その男爵は父からその称号を継承した。) 5. English example: "The barony has a history of over 300 years." (日本語訳:その男爵領は300年以上の歴史がある。) 6. English example: "He is a baron in the world of finance." (日本語訳:彼は金融界のバロンである。) 7. English example: "The baron's mansion was a symbol of his wealth." (日本語訳:そのバロンの邸宅は彼の富の象徴であった。) 8. English example: "He was a self-made baron in the real estate industry." (日本語訳:彼は不動産業界で自ら成功を収めたバロンであった。) 9. English example: "The baron was known for his philanthropy." (日本語訳:そのバロンは慈善活動で知られていた。) 10. English example: "The baron's influence extended beyond his own country." (日本語訳:そのバロンの影響力は彼の国を超えて広がっていた。)ナトリム
男爵
(baron から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/18 20:20 UTC 版)
男爵(だんしゃく、英: baron)は、爵位の一つである。近代日本で用いられ、子爵の下位に相当する[1]。ヨーロッパ諸国の最下位の貴族称号の日本語にも用いられ、イギリスのbaronの訳にはこの語が用いられる。なお、イギリスには男爵の下位に準男爵という世襲称号があるが、準男爵は貴族ではなく平民である[2]。
日本の男爵
華族の男爵
旧暦明治2年6月17日(1869年7月25日)の行政官達542号において公家と武家の最上層である大名家を「皇室の藩屏」として統合した華族身分が誕生した[3]。当初は華族内において序列を付けるような制度は存在しなかったが、当初より等級付けを求める意見があった。様々な華族等級案が提起されたが、最終的には法制局大書記官の尾崎三良と同少書記官の桜井能監が新暦1878年(明治11年)に提案した上記の古代中国の官制に由来する公侯伯子男からなる五爵制が採用された[4]。
1884年(明治17年)5月頃に賞勲局総裁柳原前光らによって各家の叙爵基準となる叙爵内規が定められ[5]、従来の華族(旧華族)に加えて勲功者や臣籍降下した皇族も叙爵対象に加わり[6]、同年7月7日に発せられた華族令により、五爵制に基づく華族制度の運用が開始された[7]。
男爵は華族の最下位の爵位であり、叙爵内規では男爵の叙爵基準について「一新後華族二列セラレタル者 国家二勲功アル者」と定められている[8]。男爵家の数は制度発足時の1884年時には74家(華族家総数509家)であり、76家の伯爵家や324家の子爵家より数が少なかった[9]。しかし日清戦争直後に戦功のあった軍人への大規模な叙爵があり、それによって最初の男爵急増現象が発生し、1896年までに194家(華族家総数689家)に達した[10]。ついで男爵軍人急増への反動で、日清戦争後から日露戦争前の間に官僚、財界人、華族の分家、旧大藩家老家など非軍人男爵の急増現象が発生しており、これにより1902年時に男爵家の数は290家(華族家総数789家)に達していた[11]。ついで日露戦争後に同戦争で戦功をあげた軍人への叙爵が大規模に行われ、再び男爵軍人が急増し、1907年時には376家(華族家総数903家)に達した。この年に男爵家と子爵家の数は並び、1912年以降は男爵家の数が最も多くなった[12]。この後は急増現象は見られず、男爵家の数は1920年時の409家(華族家総数947家)をピークとして1947年時には378家(同889家)に減っていた[9]。
1886年(明治19年)の華族世襲財産法により華族は差押ができない世襲財産を設定できた。世襲財産は土地と公債証書等であり、毎年500円以上の純利益を生ずる財産は宮内大臣が管理する。全ての華族が世襲財産を設定したわけではなく、1909年時点では世襲財産を設定していた華族はわずかに26%にすぎず、特に男爵は少なく7%しか設定しなかった[13]。
1907年(明治40年)の華族令改正により襲爵のためには相続人が6か月以内に宮内大臣に相続の届け出をすることが必要となり、これによりその期間内に届け出をしないことによって襲爵を放棄することができるようになった。ただしこれ以前にも爵位を返上する事例はあった[14]。
1912年(明治45年)には旧堂上華族保護資金令(皇室令第3号)が制定され、男爵華族恵恤資金恩賜内則により、家計上保護を必要とする男爵に年間300円の援助が行われるようになった[15]。主に奈良華族がこれを受けた[16]。
1947年(昭和22年)5月3日に施行された日本国憲法第14条(法の下の平等)において「華族その他の貴族の制度は、これを認めない。」と定められたことにより男爵位を含めた華族制度は廃止された。
貴族院における男爵議員
1889年(明治22年)の貴族院令により貴族院議員の種別として華族議員が設けられた(ほかに皇族議員と勅任議員がある)[17]。華族議員は公侯爵と伯爵以下で選出方法や待遇が異なり、公侯爵が30歳に達すれば自動的に終身の貴族院議員に列するのに対し、伯爵以下は同爵者の間の連記・記名投票選挙によって当選した者のみが任期7年で貴族院議員となった[18]。この選挙の選挙権は成年、被選挙権は30歳以上だった[19]。選挙と任期が存在する伯爵以下議員は政治的結束を固める必要があり、公侯爵議員より政治的活動が活発だった[20]。また公侯爵議員は無給だったため、貴族院への出席を重んじない者が多かったが、伯爵以下議員は議員歳費が支給されたため、議席を希望する者が多かった[21]。なお議員歳費は当初は800円(+旅費)で、後に3000円に上がっており、かなりの高給である。貧しい家が多い旧公家華族には特に魅力的な金額だったと思われる[22]。
伯爵以下議員はそれぞれの爵位の中で約18パーセントの者が貴族院議員に選出されるよう議席数が配分されており[23]、当初は伯爵議員14人、子爵議員70人、男爵議員20人だったが、それぞれの爵位数の変動(特に男爵の急増)に対応してしばしば貴族院令改正案が議会に提出されては政治論争となった。その最初のものは桂太郎内閣下の1905年に議会に提出された第一次貴族院令改正案(伯爵17人、子爵70人、男爵56人案)だったが、日露戦争の勲功で急増していた男爵の数が反映されていないと男爵議員が反発し、貴族院で1票差で否決。これに対応して桂内閣が1909年に議会に提出した第2次改正案は男爵議員数を63名に増加させるものだったが、その比率は伯爵が5.94名、子爵が5.38名、男爵が6名につき1名が議員という計算だったので「子爵保護法」と批判された。しかしこれ以上男爵議員を増やすと衆貴両院の議員数の均衡が崩れ、また貴族院内の華族議員と勅選議員の数の差が著しくなるとの擁護があり、結局政府原案通り採決された。さらに第一次世界大戦の勲功で男爵位が増加した後の1918年(寺内正毅内閣下)に伯爵20人、子爵・男爵を73名以内とする第三次改正案が議会に提出され、最終的には男爵議員の議席数は64議席だった[24]。
貴族院内には爵位ごとに会派が形成されていた。男爵議員は子爵議員たちが中心となって形成していた最大会派「研究会」に対抗して1919年に「公正会」を結成した[25]。
衆議院議員選挙法に基づき男爵含む有爵者は衆議院議員になることはできなかった[15]。
日本の男爵家の一覧
叙爵内規は男爵の叙爵基準として「一新後華族ニ列セラレタル者 国家ニ勲功アル者」と定めており、以下のような人々に男爵位が与えられた。
一新後華族ニ列セラレタル者
明治以降の華族の分家
明治以降に華族から分家した家が叙爵される場合は「一新後華族ニ列セラレタル者」の内規に基づき基本的に男爵位が与えられた。ただしごく一部は子爵になっており、また玉里島津家と徳川慶喜家については特例的に公爵に叙された。本家の方で華族の体面を汚さない程度の財産を用意してやれることが分家が華族に列せられる条件だったので裕福ではない旧公家華族や旧小大名華族には分家華族を作るのは難しかった[26]。華族に叙されなかった場合の明治以降の華族の分家は平民となる[14](士族ではない。士族は江戸時代に武家等だった家に与えられる身分であるため、華族の分家であろうと明治以降に創設された家は平民になる)。つまり華族の次男以下は当初は華族の戸籍に入っている無爵華族であるが(爵位を持つのは戸主のみ)[27]、分家して独立した戸主になる際、華族の体面を汚さない財産を確保できれば分家華族として男爵に叙され、確保できず爵位が認められなければ平民ということである[26][14]。以下の家が明治以降に創設された分家華族として男爵位を与えられた家である。
- 浅野養長家(浅野(広島藩)侯爵家分家)
- 有馬頼多家(有馬(久留米藩)伯爵家分家)
- 池田勝吉家(池田(岡山藩)侯爵家分家)
- 伊藤文吉家(伊藤(博文)公爵家分家)
- 岩倉具徳家(岩倉(羽林家)公爵家分家)
- 岩倉道倶家(岩倉(羽林家)公爵家分家)
- 正親町季董家(正親町(羽林家)伯爵家分家)
- 大村武純家(大村(大村藩)伯爵家分家)
- 北小路俊昌家(北小路(半家)子爵家分家)
- 吉川重吉家(吉川(岩国藩)子爵家分家)
- 九条良致家(九条(摂家)公爵家分家)
- 九条良政家(九条(摂家)公爵家分家)
- 久我通保家(久我(清華家)侯爵家分家)
- 酒井忠積家(酒井(姫路藩)伯爵家分家)
- 酒井忠惇家(酒井(姫路藩)伯爵家分家)
- 佐竹義脩家(佐竹(岩崎藩)子爵家分家)
- 真田幸世家(真田(松代藩)伯爵家分家)
- 澤宣元家(澤(半家)伯爵家分家)
- 三条公輝家(三条(清華家)公爵家分家)
- 四条隆平家(四条(羽林家)侯爵家分家)
- 島津健之助家(島津(佐土原藩)伯爵家分家)
- 島津忠欽家(島津(玉里)公爵家分家)
- 島津忠弘家(島津(薩摩藩)公爵家分家)
- 島津忠備家(島津(薩摩藩)公爵家分家)
- 鷹司信熙家(鷹司(摂家)公爵家分家)
- 伊達宗敦家(伊達(仙台藩)伯爵家分家)
- 伊達宗倫家(伊達(宇和島藩)侯爵家分家)
- 津軽楢麿家(津軽(弘前藩)伯爵家分家)
- 徳川厚家(徳川(宗家・静岡藩)公爵家分家)
- 徳川誠家(徳川(慶喜家)公爵家分家)
- 徳川義恕家(徳川(尾張藩)侯爵家分家)
- 徳大寺則麿家(徳大寺(清華家)公爵家分家)
- 中御門経隆家(中御門(名家)侯爵家分家)
- 鍋島貞次郎家(鍋島(佐賀藩)侯爵家分家)
- 二条正麿家(二条(摂家)公爵家分家)
- 東久世秀雄家(東久世(羽林家)伯爵家分家)
- 坊城俊延家(坊城(名家)伯爵家分家)
- 細川護晃家(細川(熊本藩)侯爵家分家)
- 前田利武家(前田(加賀藩)侯爵家分家)
- 松平斉家(松平(津山藩)子爵家分家)
- 松前隆広家(松前(松前藩)子爵家分家)
- 万里小路正秀家(万里小路(名家)伯爵家分家)
- 毛利五郎家(毛利(長州藩)公爵家分家)
- 山内豊静家(山内(土佐藩)侯爵家分家)
- 山縣有光家(山縣(有朋)公爵家分家)
- 鷲尾隆順家(鷲尾(羽林家)伯爵家分家)
※上記「明治以降の華族の分家」のうち、家名改称・再興等を伴う家。
- 一条家(土佐)(一条(摂家)公爵家分家)
- 北畠家(久我(清華家)侯爵家分家)
- 黒田家(直方)(黒田(福岡藩)侯爵家分家)
- 小早川家(毛利(長州藩)公爵家分家)
- 鶴殿家(九条(摂家)公爵家分家)
- 東三条家(三条(清華家)公爵家分家)
- 松崎家(堤(名家)子爵家分家)
琉球王族から華族に列せられた家
奈良華族およびこれに準じる家
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粟田口家 (葉室(名家)伯爵家分家) - 今園家(芝山(名家)子爵家分家)
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太秦家 (桜井(羽林家)子爵家分家) - 梶野家(石井(半家)子爵家分家)
- 河辺家(油小路(羽林家)伯爵家分家)
- 北大路家(阿野(羽林家)子爵家分家)
- 北河原家(室町(羽林家)伯爵家分家)
- 小松家(石井(半家)子爵家分家)
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相楽家 (富小路(半家)子爵家分家) - 鷺原家(甘露寺(名家)伯爵家分家)
- 鹿園家(三条(清華家)公爵家分家)
- 芝小路家(芝山(名家)子爵家分家)
- 芝亭家(裏辻(羽林家)子爵家分家)
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杉渓家 (山科(羽林家)伯爵家分家) - 竹園家(甘露寺(名家)伯爵家分家)
- 玉松家(山本(羽林家)子爵家分家)
- 長尾家(勧修寺(名家)伯爵家分家)
- 中川家(甘露寺(名家)伯爵家分家)
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西五辻家 (五辻(半家)子爵家分家) -
西高辻家 (高辻(半家)子爵家分家) -
若王子家 (山科(羽林家)伯爵家分家) -
藤枝家 (飛鳥井(羽林家)伯爵家分家) - 藤大路家(堀河(羽林家)伯爵家分家)
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穂穙家 (坊城(名家)伯爵家分家) - 松園家(二条(摂家)公爵家分家)
- 松林家(上冷泉(羽林家)伯爵家分家)
- 南家(広橋(名家)伯爵家分家)
- 南岩倉家(岩倉(羽林家)公爵家分家)
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水谷川家 (近衛(摂家)公爵家分家)
旧地下家だった華族(2家)
基本的に地下家は士族になっていたが、
旧交代寄合だった旧大名華族(6家)
江戸時代に交代寄合だった家のうち以下の6家は、1868年(慶応4年・明治元年)6月20日から11月20日の間に戊辰戦争で官軍に協力した功績で加増されたり、「高直し」で石高が万石以上になったことを政府に申告して認めてもらったことなどにより大名として立藩して華族に列していた[29][注釈 1]。しかし彼らは江戸時代から大名だった家とは区別されて「一新後華族ニ列セラレタル者」として男爵位を与えられた。数字は江戸時代の交代寄合としての家禄と立藩した後の藩名と家禄である。
陪臣だった旧大名華族
江戸時代を通じて付家老たちは独立諸侯として認められない立場に不満を持ち続け、その独立意識は旺盛で主家をないがしろにする行動が多かった。幕末の王政復古は彼らにとって独立諸侯となる千載一遇のチャンスであり、また権力基盤が不安定だった新政府にとっても彼らを味方に付ける意味は大きく、利害が一致して慶応4年1月24日に彼らは政府により独立諸侯と認められた(維新立藩。なお、本多副元家(福井藩付家老)は維新立藩されず、遅れて明治12年に華族。)[31]。吉川家は付家老ではないが、江戸時代を通じて正式な大名としては扱われず、長州藩主毛利家の家臣として扱われてきたが、王政復古に際して勲功があったので慶応4年3月13日に独立諸侯と認められたという似た経緯があった。ただしこれら旧陪臣系諸侯は旧交代寄合系諸侯と同様、江戸時代から諸侯だった家とは区別されて「一新後華族ニ列セラレタル者」として男爵位を与えられた(吉川家(長州藩一門→岩国藩)と成瀬家(尾張藩付家老→犬山藩)については維新の功績により1891年に子爵に陞爵)[32]。
国家ニ勲功アル者
旧大藩の藩主一門および家老家
旧大名家の家臣は維新後士族に編入されていたが、『叙爵内規』の前の案である『華族令』案の内規(明治11年・12年ごろ作成)や『授爵規則』(明治12年以降16年ごろ作成)(『爵位発行順序』所収)では旧万石以上陪臣家が男爵に含まれており、旧万石以上陪臣を男爵にする案は華族令制定前からあったことが分かるが、最終的な『叙爵内規』では対象外となったため、華族令制定後も明治後期まで彼らは士族のままだった[33]。しかし明治30年代から旧万石以上陪臣家の叙爵が開始される[34]。彼らの叙爵は概ね日清戦争後から日露戦争前の間に行われた[11]。ただし旧万石以上陪臣家は内規上に規定されているわけではないので全家が叙されたわけではない。華族の体面を汚さない財産、具体的には年間500円以上を生じる財本を所持していることが条件に付されていた[33]。この条件をクリアできず叙爵されなかった旧万石以上陪臣家が13家(※石川家(陸奥)(仙台藩・2万3000石余)、 久野家(紀州藩・1万石)、 神代家(佐賀藩・1万石)、 志水家(尾張藩・1万石)、 伊達家(登米)(仙台藩・2万1000石)、 鍋島家(須古)(佐賀藩・1万1000石)、 本多家(図書)(加賀藩・1万石)、 茂庭家(仙台藩・1万3000石余)、 村田家(佐賀藩・1万770石)、 山野辺家(水戸藩・1万石)、 横山家(蔵人)(加賀藩・1万石)、 留守家(仙台藩・1万6000石)、 亘理家(仙台藩・2万3853石)の13家)が存在する[34]。
以下に、旧陪臣家・藩主一門で叙爵された家を挙げる。
- 浅野家(東城)(広島藩・1万石)
- 浅野家(三原)(広島藩・3万石)
- 荒尾家(米子)(鳥取藩・1万5000石)
- 荒尾家(倉吉)(鳥取藩・1万2000石)
- 有吉家(熊本藩・1万8500石)
- 伊木家(岡山藩・3万3300石)
- 池田家(天城)(岡山藩・3万石)
- 池田家(片桐)(岡山藩・2万1000石)
- 池田家(建部)(岡山藩・1万石)
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諫早家 (佐賀藩・2万6200石) -
石河家 (尾張藩・1万石) - 稲田家(徳島藩・1万4000石)
- 今枝家(加賀藩・1万石)
- 上田家(広島藩・1万7000石)
- 奥村家(宗家)(加賀藩・1万7000石)
- 奥村家(分家)(加賀藩・1万2000石)
- 賀島家(徳島藩・1万石)
- 片倉家(仙台藩・1万7200石)
- 木俣家(彦根藩・1万石)
- 黒田家(三奈木)(福岡藩・1万6000石余)
- 佐竹家(北)(久保田藩・1万石)
- 沢村家(熊本藩・1万1100石)
- 宍戸家(長州藩・1万1000石)
- 斯波家(加賀藩・1万石)
- 島津家(今和泉)(薩摩藩・1万5400石)
- 島津家(加治木)(薩摩藩・1万1800石)
- 島津家(重富)(薩摩藩・1万4600石)
- 島津家(垂水)(薩摩藩・1万8000石)
- 島津家(都城)(薩摩藩・3万7500石)
- 島津家(宮之城)(薩摩藩・1万5700石)
- 多久家(佐賀藩・2万1735石)
- 伊達家(岩出山・当別)(仙台藩・1万4643石)
- 伊達家(亘理)(仙台藩・2万3853石)
- 種子島家(薩摩藩・1万5000石余)
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長家 (加賀藩・3万3000石) - 藤堂家(名張)(津藩・1万5000石)
- 土倉家(岡山藩・1万石)
- 鍋島家(白石)(佐賀藩・2万270石)
- 鍋島家(武雄)(佐賀藩・2万1600石)
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日置家 (岡山藩・1万6000石) - 深尾家(土佐藩・1万石)
- 福原家(長州藩・1万1314石余)
- 細川家(刑部)(熊本藩・1万石)
- 本多家(加賀)(加賀藩・5万石)
- 前田家(対馬守)(加賀藩・1万8000石)
- 前田家(土佐守)(加賀藩・1万1100石)
- 益田家(長州藩・1万3000石)
- 松井家(熊本藩・3万石)
- 三浦家(紀州藩・1万5000石)
- 村井家(加賀藩・1万6569石)
- 毛利家(右田)(長州藩・1万7000石)
- 毛利家(吉敷)(長州藩・1万855石)
- 横山家(加賀藩・3万石)
- 渡辺家(半蔵)(尾張藩・1万331石余)
※上記「旧大藩の藩主一門および家老家」で挙げた叙爵家のうち、旧万石未満の陪臣家・藩主一門で叙爵された家。
忠臣華族(5家)
南朝の功臣の子孫にあたる菊池家(交代寄合)、五条家(柳川藩士)、名和家(柳川藩士)、南部家(盛岡藩家老)、新田家(交代寄合)の5家が先祖の功により「国家ニ勲功アル者」として男爵位が与えられた。このうち南部家は旧万石以上の陪臣でもあったが、叙爵の性格としては南朝功臣の後裔たる忠臣華族としての側面がより重視されている。後醍醐天皇の忠臣の中でも武勲第一だった楠木正成(大楠公)を出した楠木家は嫡流子孫がはっきりしなかったため華族とはならなかった[35]。なお、北畠家(久我(清華家)侯爵家分家)は、建武の元勲である北畠親房の後裔としての再興という性格も持つ。
改易大名家(請西藩林家)
戊辰戦争に際して旧幕府方として転戦した結果、旧藩主家が改易となり、華族編成時には大名華族に列せられなかった家のうち、のちに特旨により男爵として再興された例がある。 上総国請西藩主林家では、藩主林忠崇が旧幕府方として出兵したため領地を没収され改易となったが、明治26年(1893年)、養子林忠弘が旧請西藩主家として男爵を授けられている。
神職・僧侶華族(18家)
由緒ある神社の神職のうち古い家柄の社家と浄土真宗10派の総本山たる門跡寺院・准門跡寺院の住職を世襲している僧家が先祖の功により「国家ニ勲功アル者」として男爵位を与えられた(東西本願寺の両大谷家は伯爵)。浄土真宗の門跡寺院では門主の地位が世襲で継承されていたため[注釈 2]、他の門跡寺院と異なり還俗せずに華族に列している。華族とは世襲身分であり、一つの家系として世襲されることは必須だった[36]。また英彦山神宮・英彦山権現の宮司・座主であった高千穂家も法体の当主が世襲していたが、明治に至って当主高千穂通綱が還俗し、華族となっている。
なお、西高辻家は菅原氏嫡流の高辻家の傍流にあたり、明治元年に立家したのち太宰府天満宮の宮司職を世襲した社家であり、社家由来の男爵家として本節に掲げられた諸家と同様の性格を有する。
実業家(財閥・経済功労者)
実業家への叙爵は、資本主義の育成と産業振興を国家目標としていた明治政府が、国家財政や経済発展に多大な貢献をした民間人を「経済界における国家の藩屏」として公認したものである。当初は新政府の軍資金や財政を支えた旧家や政商(三井・三菱など)が中心であったが、次第に近代産業を興した新興財閥や、その経営を担った専門経営者も対象となった[37]。
参考: 渋沢家(渋沢財閥)は明治33年(1900年)に男爵に叙せられたのち、大正9年(1920年)に子爵に陞爵している。
政官学系功労者
明治維新以降、軍事や経済の枠組みを超えて、近代国家としての「法・制度・知」の基盤を構築した層である。行政、司法、外交の官僚機構のみならず、医学、工学、法学といった学術分野において、国家の近代化に直結する業績を挙げた人物が広く含まれる。
- 政官学系功労者(明治期)
明治期のこの層は、旧来の門閥社会を打破し、欧米の先進的な制度や技術を日本へ移植・適応させた「制度の創設者」たちである。旧藩の出自を背景にしつつも、藩閥人脈と実務・専門能力を結合させ、内政、外交、教育、科学技術の各分野で近代国家としての骨格を設計した。特に、元は下級士族や幕臣、あるいは医師・学者といった層から、国家への功労によって「一代の貴族」へと登り詰めた新興エリートとしての性格が強い。
- 青山貞家(福井藩)
- 青山胤通家(苗木藩)
- 足立家(鳥取藩)
- 池田謙斎家(越後国)
- 石田家(土佐藩)
- 伊丹家(山城国・青侍)
- 伊藤圭介家(尾張藩)
- 伊東家(松代藩)
- 岩佐家(福井藩)
- 岩村高俊家(土佐藩)
- 岩村通俊家(土佐藩)
- 内海家(長州藩)
- 大森家(静岡藩)
- 岡玄卿家(津山藩)
- 大鳥家(播磨国・旗本)
- 沖家(鳥取藩)
- 尾崎三良家(土佐藩)
- 尾崎忠治家(土佐藩)
- 小畑家(土佐藩)
- 小原家(大垣藩 )
- 片岡源馬家(土佐藩)
- 加藤弘之家(出石藩・旗本)
- 楫取家(長州藩)
- 神田家(佐倉藩・旗本)
- 菊池大麓家(武蔵国)
- 北垣家(鳥取藩)
- 北畠治房家(大和国)
- 木梨家(長州藩)
- 九鬼家(三田藩)
- 楠田家(佐賀藩)
- 楠本家(大村藩)
- 久保田家(豊岡藩)
- 神山家(土佐藩)
- 郷家(美濃国・旗本)
- 籠手田家(平戸藩)
- 三宮家(近江国)
- 鈴木大亮家(仙台藩)
- 周布家(長州藩)
- 関家(福井藩)
- 千田家(薩摩藩)
- 園田安賢家(薩摩藩)
- 高崎五六家(薩摩藩)
- 高崎正風家(薩摩藩)
- 武井家(姫路藩)
- 田宮家(尾張藩)
- 堤家(福井藩)
- 調所家(薩摩藩)
- 都筑家(西条藩)
- 辻維岳家(広島藩)
- 辻新次家(松本藩)
- 津田家(津山藩)
- 寺島家(長州藩)
- 田家(丹波国)
- 富岡敬明家(佐賀藩)
- 中島信行家(土佐藩)
- 中島錫胤家(徳島藩)
- 長松家(長州藩)
- 中根家(福井藩)
- 永山盛輝家(薩摩藩)
- 長与称吉家(大村藩)
- 鍋島幹家(佐賀藩)
- 奈良原家(薩摩藩)
- 南部甕男家(土佐藩)
- 西周家(津和野藩・静岡藩)
- 西徳二郎家(薩摩藩)
- 野村維章家(土佐藩)
- 野村素介家(長州藩)
- 林権助家(会津藩)
- 藤村家(熊本藩)
- 細川潤次郎家(土佐藩)
- 本田家(薩摩藩)
- 前島家(静岡藩)
- 槇村家(長州藩)
- 松尾家(宇和島藩)
- 松平正直家(福井藩)
- 松本鼎家(長州藩)
- 箕作家(武蔵国・旗本)
- 目賀田家(静岡藩)
- 元田家(熊本藩)
- 安場家(熊本藩)
- 山口家(水戸藩)
- 山田家(熊本藩)
- 渡辺清家(大村藩)
- 政官学系功労者(大正・昭和期)
大正・昭和期の叙爵層は、近代化の「完成期」において、既存制度の高度な運用や改革を担ったプロフェッショナルたちである。議会政治の定着、官僚機構の成熟、国際外交の複雑化といった背景のもと、首相、外相、法相などの政治的中枢や、帝国大学総長に代表される学術界の権威、国際的な科学者などが対象となった。明治初期のような藩閥人脈のみならず、高等教育と官吏登用試験を経て築かれた、実力主義に基づく「専門職階級としての最高到達点」を象徴する層である。
軍人華族(職業軍人)
近代日本における軍人華族(いわゆる軍功華族)は、日清戦争・日露戦争などの戦役において顕著な功績を挙げた将校に対し、授爵・昇爵が行われることで形成された層である。世襲制である公家・大名出身の「家柄華族」が当初から特権的な地位を占めていた門閥社会において、下級士族や平民出身者が軍事的な専門性と戦功を背景に準支配階層へと参入した、近代特有の**「職業軍人による功労華族」**としての性格を持つ。
- 軍人(明治期)
明治期の軍人男爵家は、帝国陸海軍の創設期から日露戦争までの大規模戦役を指導した将官・佐官級が中心である。藩閥(特に薩長土肥)出身者が中枢を占めるという「軍内門閥」の構造を強く有しつつも、一方で有坂成章(砲開発)や村田経芳(銃開発)のような軍事技術家、あるいは軍医といった**高度な技術的知見を持つ専門職**に対しても、国家への貢献度に応じて爵位が授与された。
- 陸軍軍人男爵家(明治期)
- 浅田家(川越藩)
- 新井家(豊岡藩)
- 有坂家(岩国藩)
- 安東家(信濃飯田藩)
- 飯田家(長州藩)
- 石本家(姫路藩)
- 伊瀬知家(薩摩藩)
- 井田家(大垣藩)
- 伊地知家(薩摩藩)
- 井上光家(岩国藩)
- 茨木家(紀州藩)
- 上田家(徳島藩)
- 宇佐川家(長州藩)
- 大寺家(薩摩藩)
- 大久保家(遠江国)
- 大蔵家(備中国)
- 大沼家(黒羽藩)
- 岡市之助家(長州藩)
- 岡崎家(土佐藩)
- 沖原家(岩国藩)
- 小沢家(小倉藩)
- 川崎祐名家(薩摩藩)
- 黒川家(小松藩)
- 黒瀬家(岡山藩)
- 黒田久孝家(静岡藩)
- 小池家(庄内藩)
- 児玉家(紀州藩)
- 阪井家(土佐藩)
- 佐藤進家(佐倉藩)
- 佐野家(武蔵国・幕臣)
- 鮫島重雄家(薩摩藩)
- 滋野家(長州藩)
- 勝田家(長州藩)
- 白根家(長州藩)
- 塚本家(大垣藩)
- 土屋家(岡崎藩)
- 徳川家(清水)
- 外松家(紀州藩)
- 中村覚家(彦根藩)
- 中村雄次郎家(伊勢国)
- 永山武四郎家(薩摩藩)
- 西島家(長州藩)
- 西村家(長州藩)
- 野崎家(薩摩藩)
- 野田家(熊本藩)
- 原口家(森藩)
- 原田家(鴨方藩・静岡藩)
- 平佐家(長門国)
- 福島家(松本藩)
- 福原豊功家(長州藩)
- 福原実家(長州藩)
- 藤井家(福山藩)
- 前田隆礼家(十津川郷士)
- 松永家(熊本藩)
- 松村務本家(加賀藩)
- 松本順家(佐倉藩)
- 真鍋家(長州藩)
- 三好家(長州藩)
- 村木家(土佐藩)
- 村田家(薩摩藩)
- 矢吹家(静岡藩)
- 山川浩家(会津藩)
- 山沢家(薩摩藩)
- 山中家(長州藩)
- 山根武亮家(長州藩)
- 山根信成家(長州藩)
- 山内長人家(武蔵国・幕臣)
- 山本信行家(山口県)
- 渡辺章家(山口県)
- 海軍軍人男爵家(明治期)
- 相浦家(佐賀藩)
- 赤松家(静岡藩)
- 安保家(薩摩藩)
- 有地家(長州藩)
- 有馬新一家(薩摩藩)
- 伊集院五郎家(薩摩藩)
- 伊藤雋吉家(丹後田辺藩)
- 井上良智家(薩摩藩)
- 内田家(土佐藩)
- 瓜生家(大聖寺藩)
- 片岡七郎家(薩摩藩)
- 鹿野家(松代藩)
- 上村家(薩摩藩)
- 川口家(紀州藩)
- 肝付家(薩摩藩)
- 近藤基樹家(武蔵国)
- 坂本家(諏訪藩)
- 佐双家(加賀藩)
- 鮫島員規家(薩摩藩)
- 角田家(会津藩)
- 柴山家(薩摩藩)
- 高木家(薩摩藩)
- 坪井家(長州藩)
- 出羽家(会津藩)
- 東郷家(福井藩 )
- 富岡家(松代藩)
- 中溝家(佐賀藩)
- 梨羽家(長州藩)
- 橋元家(薩摩国)
- 日高家(薩摩藩)
- 真木家(佐賀藩)
- 松村淳蔵家(薩摩藩)
- 三須家(彦根藩)
- 宮原家(静岡藩)
- 向山家(静岡藩)
- 村上家(広島藩)
- 餅原家(薩摩藩)
- 八代家(尾張国)
- 山内万寿治家(広島藩)
- 軍人(大正・昭和期)
大正・昭和期の軍人華族は、明治期の戦功による叙爵が一巡した後の層であり、シベリア出兵や第一次世界大戦における軍事外交、あるいは第一次上海事変など大陸政策の現場で実力を行使した将軍らが対象となった。この時期になると、単なる戦地での武勲だけでなく、軍令・軍政の両面で国家運営の舵取りを担った**「軍事官僚」としての功績**が叙爵の重要な判断基準となった。
- 陸軍軍人男爵家(大正・昭和期)
- 海軍軍人男爵家(大正・昭和期)
朝鮮貴族の男爵
1910年(明治43年)の朝鮮貴族令(皇室令第14号)により、華族制度に準じた朝鮮貴族制度が創設された。朝鮮貴族には公・侯・伯・子・男の五爵が設けられたが、公爵に叙された者は存在せず、最上位の爵位は侯爵であった。朝鮮貴族の爵位は制度上、華族における同爵位と同格とされたものの、貴族院議員となる特権を持たない点で華族とは区別されていた[15][38]。
朝鮮貴族の爵位は、家柄ではなく日韓併合に際しての勲功などに対して与えられたものだった[15]。叙爵対象は大臣級の政治家・軍人経験者に偏りやすく、結果として朝鮮王朝の上層支配層(両班)出身者が多くを占めた[39]。
朝鮮貴族に叙された者は76名であり、そのうち男爵は45名である[38]。下位爵では、併合への反発から受爵を拒む者や、後に爵位を返上して独立運動に身を投じる者も現れた[40]。また、上位の爵位に比べて生活が困窮する家系も多く、昭和期には経済的破綻が社会問題となった例もある[15]。
- 韓昌洙家
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韓昌洙(ハン・チャンス/1862–1933):官僚。併合前は宮内府図書長や承政院などの要職を歴任。併合後は男爵に叙され、朝鮮総督府中枢院顧問や李王職長官を務めた。
- 韓相琦(ハン-サンギ/1881–1934):韓昌洙の長男。1933年襲爵。
- 韓相億(ハン・サンオク/1898–1949):韓昌洙の庶子。兄の急死により1934年襲爵。貴族会の評議員を務めた。
- 李根湘家
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李根湘(イ・グンサン/1874–1920):官僚。李根沢の弟。併合前は宮内府内蔵院卿。併合後は男爵・中枢院顧問。朝鮮殖産銀行の監査役など実業界でも活動した。
- 李長薰(イ・ジャンフン/1917–1993):李根湘の子。1921年襲爵。京城法学専門学校を卒業。
- 趙羲淵家(一代限り)
- 趙羲淵(チョ・ヒヨン/1856–1915):武官。甲午改革時の軍部大臣。併合後は男爵・中枢院顧問。死後、後嗣が爵位継承を辞退したため家系は断絶した。
- 朴齊斌家
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朴齊斌(パク・ジェビン/1858–1921):官僚。併合前は宮内府特進官などを歴任。併合後は男爵、中枢院顧問. 教育事業や宗教団体(太華教)の活動にも関与した。
- 朴敍陽(パク・ソヤン/1875–1944):朴齊斌の長男。1921年襲爵. 日本への留学後、慶尚南道の地方官などを務めた。
- 成岐運家
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成岐運(ソン・ギウン/1847–1924):政治家。併合前は農商工部大臣。併合後は男爵、中枢院副議長を務めた。
- 成周絅(ソン・ジュギョン/1862–1938):1924年襲爵。
- 成一鏞(ソン・イルヨン/1899–1950):成周絅の孫。1938年襲爵。
- 金春熙家
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金春熙(キム・チュニ/1855–1926):文臣。併合前は成均館大司成。併合後は男爵、中枢院参議。
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金敎莘(キム・ギョシン/1871–1932):1924年襲爵。
- 金正祿(キム・ジョンノク/1907–1982):金敎莘の長男。1932年襲爵. 戦後は美学者・芸術学者としてソウル大学校教授などを務めた。
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金敎莘(キム・ギョシン/1871–1932):1924年襲爵。
- 趙東潤家
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趙東潤(チョ・ドンユン/1871–1923):武官。併合前は侍従武官長。併合後は男爵となり、日本陸軍中将に昇進。
- 趙重九(チョ・ジュング/1906–不詳):趙東潤の長男。1923年襲爵。京都帝国大学を卒業。
- 朴箕陽家
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朴箕陽(パク・ギヤン/1856–1932):官僚。併合前は宮内府大臣。併合後は男爵、中枢院参議。書画の大家としても知られた。
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朴勝遠(パク・スンウォン/1895–1939):1933年襲爵。
- 朴禎緖(パク・ジョンソ/1923–不詳):1939年襲爵。
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朴勝遠(パク・スンウォン/1895–1939):1933年襲爵。
- 金思濬家(爵位剥奪)
- 金思濬(キム・サジュン/1855–1917):官僚. 義親王妃の叔父. 1910年に男爵となるが、1916年に高宗の北京亡命計画に加担した容疑で逮捕され、爵位を剥奪された。
- 張錫周家
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張錫周(チャン・ソクチュ/1848–1921):政治家. 親日開化派として活動し、法部大臣や中枢院顧問を歴任。
- 張寅源(チャン・イヌォン/1870–1949):1921年襲爵。
- 閔商鎬家
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閔商鎬(ミン・サンホ/1870–1933):官僚・外交官. 独立協会の創設に関与したが、後に親日に転じる。併合後は男爵、中枢院議官。
- 閔泳頊(ミン・ヨンウク/1900–1963):閔商鎬の養子。1933年襲爵。
- 崔錫敏家
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崔錫敏(チェ・ソクミン/1858–1915):官僚. 併合前は京畿道観察使. 1910年に男爵。
- 崔正源(チェ・ジョンウォン/1902–不詳):崔錫敏の養子。1916年襲爵。
- 南廷哲家
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南廷哲(ナム・ジョンチョル/1840–1916):官僚. 併合前は内部大臣. 併合後は男爵、中枢院顧問。
- 南章熙(ナム・ジャンヒ/1877–1953):1916年襲爵。
- 李乾夏家
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李乾夏(イ・ゴンハ/1835–1913):文臣. 併合前は内部大臣. 併合後は男爵。
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李範八(イ・ボムパル/1866–1919):1913年襲爵。
- 李完鍾(イ・ワンジョン/1884–1947):1919年襲爵. 早稲田大学に学び、朝鮮貴族会の幹事を務めた。
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李範八(イ・ボムパル/1866–1919):1913年襲爵。
- 李容泰家
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李容泰(イ・ヨンテ/1854–1922):政治家. 併合前は学部大臣. 併合後は男爵。
- 李重桓(イ・ジュンファン/1895–1945):1922年襲爵。
- 金炳翊家
- 金炳翊(キム・ビョンイク/1837–1921):文臣. 併合前は判書級の重職を歴任. 1910年に男爵。
- 閔泳綺家
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閔泳綺(ミン・ヨンギ/1858–1927):官僚. 併合前は度支部大臣. 併合後は男爵、中枢院顧問. 実業家として東洋拓殖株式会社の設立にも関与した。
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閔健植(ミン・ゴンシク/1879–1944):1927年襲爵。
- 閔丙億(ミン・ビョンオク/不詳):1944年襲爵。
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閔健植(ミン・ゴンシク/1879–1944):1927年襲爵。
- 李鍾健家
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李鍾健(イ・ジョンゴン/1843–1930):武官. 併合前は軍部大臣. 1910年に男爵。
- 李豊漢(イ・プンハン/1885–1950):1930年襲爵。
- 李鳳儀家
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李鳳儀(イ・ボンウィ/1839–1919):武官. 併合前は訓練大将. 併合後は男爵。
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李起元(イ・ギウォン/1880–1937):1919年襲爵。
-
李康軾(イ・ガンシク/1909–1939):1937年襲爵。
- 李弘宰(イ・ホンジェ/1927–1982):1939年襲爵。
-
李康軾(イ・ガンシク/1909–1939):1937年襲爵。
-
李起元(イ・ギウォン/1880–1937):1919年襲爵。
- 尹雄烈家(爵位剥奪)
- 尹雄烈(ユン・ウンリョル/1840–1911):武官. 併合前は軍部大臣. 併合後は男爵。
- 李根澔家
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李根澔(イ・グンホ/1860–1923):武官. 李根沢、李根湘の兄. 併合前は警務使. 併合後は男爵。
- 李東薰(イ・ドンフン/不詳):1923年襲爵。
- 金嘉鎭家(継承停止)
- 金嘉鎭(キム・ガジン/1846–1922):政治家. 併合前は農商工部大臣. 併合後は男爵・中枢院顧問となるが、後に上海へ亡命して大韓民国臨時政府に参加. このため後嗣の継承は認められなかった。
- 鄭洛鎔家
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鄭洛鎔(チョン・ナギョン/1827–1914):武官. 併合前は三道水軍統制使. 併合後は男爵。
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鄭周永(チョン・ジュヨン/不詳):1914年襲爵。
- 鄭斗和(チョン・ドゥファ/不詳):1923年襲爵。
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鄭周永(チョン・ジュヨン/不詳):1914年襲爵。
- 閔種默家
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閔種默(ミン・ジョンムク/1848–1917):官僚. 併合前は外部大臣. 併合後は男爵、中枢院顧問。
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閔哲勳(ミン-チョルフン/1874–1925):1917年襲爵。
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閔奎鉉(ミン・ギュヒョン/1895–1940):1925年襲爵。
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閔泰崑(ミン・テゴン/1912–1991):1940年襲爵。
- 閔泰崙(ミン・テユン/1936–2010):1943年襲爵。
-
閔泰崑(ミン・テゴン/1912–1991):1940年襲爵。
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閔奎鉉(ミン・ギュヒョン/1895–1940):1925年襲爵。
-
閔哲勳(ミン-チョルフン/1874–1925):1917年襲爵。
- 李載克家
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李載克(イ・ジェグク/1864–1931):王族出身の政治家. 併合前は宮内府大臣. 併合後は男爵、李王職長官を務めた。
- 李寅鎔(イ・イニョン/不詳):1931年襲爵。
- 李允用家
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李允用(イ・ユンヨン/1853–1939):政治家. 李完用の庶兄. 併合前は宮内府大臣. 併合後は男爵、中枢院顧問。
- 李丙玉(イ・ビョンオク/不詳):1939年襲爵。
- 李正魯家
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李正魯(イ・ジョンノ/1853–1937):官僚. 併合前は宮内府特進官. 併合後は男爵、中枢院参議。
- 李能世(イ・ヌンセ/1898–1962):1937年襲爵。
- 金永哲家
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金永哲(キム・ヨンチョル/1841–1923):文臣. 併合前は判書級を歴任. 併合後は男爵。
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金英洙(キム・ヨンス/不詳):1923年襲爵。
- 金容國(キム・ヨングク/不詳):1938年襲爵。
-
金英洙(キム・ヨンス/不詳):1923年襲爵。
- 李容元家
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李容元(イ・ヨンウォン/1832–1911):文臣. 併合前は義政府賛政. 併合後は男爵。
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李原鎬(イ・ウォンホ/不詳):1911年襲爵。
- 李彰洙(イ・チャンス/不詳):1939年襲爵。
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李原鎬(イ・ウォンホ/不詳):1911年襲爵。
- 金宗漢家
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金宗漢(キム・ジョンハン/1844–1932):政治家・実業家. 併合前は宮内府特進官. 併合後は男爵. 漢城銀行の副頭取を務めるなど金融界で活躍した。
- 金世顯(キム・セヒョン/1895–1945):1932年襲爵。
- 金鶴鎭家
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金鶴鎭(キム・ハクチン/1838–1917):文臣. 併合前は工曹判書. 併合後は男爵、中枢院顧問。
- 金德漢(キム・ドッカン/1874–1946):1917年襲爵。
- 朴容大家
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朴容大(パク・ヨンデ/1849–1927):官僚. 併合前は法部大臣. 併合後は男爵、中枢院顧問。
- 朴経遠(パク・ギョンウォン/1869–1932):1927年襲爵。
- 金思轍家
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金思轍(キム・サチョル/1851–1917):官僚. 併合前は宮内府特進官. 併合後は男爵。
- 金奭基(キム・ソクギ/1874–1956):1917年襲爵。
- 鄭漢朝家
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鄭漢朝(チョン・ハンジョ/1835–1917):武官. 併合後は男爵。
- 鄭天謨(チョン・チョンモ/1883–1959):1917年襲爵。
- 李胄榮家
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李胄榮(イ・ジュヨン/1837–1917):官僚. 併合前は刑曹判書. 併合後は男爵。
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李圭桓(イ・ギュファン/不詳):1917年襲爵。
- 李卿雨(イ・ギョンウ/不詳):1931年襲爵。
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李圭桓(イ・ギュファン/不詳):1917年襲爵。
- 閔炯植家(継承停止)
- 閔炯植(ミン・ヒョンシク/1859–1931):官僚・武官. 併合前は三道水軍統制使. 1910年に男爵となるが、後に放蕩による破産や不敬罪などの不祥事を起こし、後嗣の継承が認められず断絶した。
- 李恒九家(追加叙爵)
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李恒九(イ・ハング/1881–1945):官僚. 李完用の次男. 父の勲功ではなく、自身の李王職での長年の功績により1924年に特旨をもって男爵に叙された。
- 李丙周(イ・ビョンジュ/1913–不詳):1945年襲爵。
中国の男爵
西周時代に設置された爵について、『礼記』には「王者之制緑爵。公侯伯子男凡五等」とあり、五つある爵の最下級に位置づけている[41]。一方で『孟子』万章下には「天子之卿、受地視侯、大夫受地視伯、元士受地視子男。」とあり、天子を爵の第一とし、子男をひとまとめにしている[42]。『礼記』・『孟子』とともに男、もしくは子男は五十里四方の領地をもつものと定義している[42]。また『春秋公羊伝』には「天子は三公を公と称し、王者之後は公と称し、其の余大国は侯と称し、小国は伯・子・男を称す」という三等爵制が記述されている[43]。金文史料が検討されるようになって傅期年、郭沫若、楊樹達といった研究者は五等爵制度は当時存在せず、後世によって創出されたものと見るようになった[44]。王世民が金文史料を検討した際には公侯伯には一定の規則が存在したが、子男については実態ははっきりしないと述べている[45]。貝塚茂樹は『春秋左氏伝』を検討し、五等爵は春秋時代末期には存在していたとしたが、体系化された制度としての五等爵制度が確立していたとは言えないと見ている[46]。
漢代においては二十等爵制が敷かれ、「男」の爵位は存在しなかった。魏の咸熙元年(264年)、爵制が改革され、男の爵位が復活した。食邑は四百戸、四十里四方の土地が与えられることとなっている[47]。その後西晋および東晋でも爵位は存続している[48]。
南北朝時代においても晋の制度に近い叙爵が行われている。隋においては国王・郡王・国公・県公・侯・伯・子・男の爵が置かれ、唐においては王・開国国公・開国郡公・開国県公・開国侯・開国伯・開国子・開国男の爵位が置かれた[49]。
主要な中国の男爵
昭公13年には晋による平丘の会が開かれ、鄭の君主も招かれた。鄭の君主は本来は「伯」であったが、本来下位にある許と同列の「男」を称して覇者に対する貢納の負担を免れようとした[46]。
イギリスの男爵
男爵と訳される貴族称号を英語ではバロン(baron)という。バロンの女性形はバロネス(baroness)で、イギリスの制度では男爵の妻(男爵夫人)や男爵の爵位をもつ女性(女男爵)に用いる。
イングランドでは13世紀頃までbaronという言葉は、貴族称号ではなく直属受封者(国王から直接に封土を受ける臣下)を意味する言葉だった。そのためその数は非常に多かったが、13世紀から14世紀にかけて大baronのみを貴族とし、小baronは騎士層として区別するようになりはじめ、baronという言葉も国王から議会招集令状を受けてイングランド議会に出席し、それによって貴族領と認められた所領を所有する貴族を意味するようになっていった[50][51]。
さらにヨーロッパ大陸から輸入された公爵(duke)、侯爵(marquess)、子爵(viscount)が貴族領の有無・大小と関わりなく国王勅許状(letters patent)によって与えられる貴族称号として登場してくると、baronも所領保有の有無にかかわらず勅許状によって与えられる最下位の貴族称号(「男爵」と訳される性質のもの)へと変化した[52][51]。勅許状による称号としての男爵(baron)位を最初に受けたのは1387年にキッダーミンスター男爵(Baron of Kidderminster)に叙されたジョン・ド・ビーチャムである[52]。
スコットランド貴族では、ロード・オブ・パーラメント(議会の卿)がイングランドにおける男爵位に相当する。スコットランドにおいてはbaronという言葉はずっと直属受封者の意味であり続け、国王から貴族称号をもらっていない地主を含んだ[53]。ジェームズ1世の治世下の1428年に小baronはスコットランド議会に招集されなくなり、同じ頃から裕福なbaronがロード・オブ・パーラメントに叙されて議席を持つようになったのがその始まりである[54]。
1958年の一代貴族法によって制定された一代貴族は、全員が男爵位である。ただしその男爵位は世襲できない[55]。
イギリスでは男爵を通常「Baron ○○(○○男爵)」とは呼ばず、「Lord ○○(○○卿)」と呼ぶが(子爵、伯爵、侯爵も同様に称することができるが、男爵はそれ以上に多くそう呼ばれる)、これはbaronがもともと直接受封者を意味する言葉だったことによる[52]。その「○○」は家名(姓・名字)ではなく爵位名である。例えばアシュバートン男爵の現当主は第8代アシュバートン男爵マーク・ベアリングであるが、家名はベアリング家なのである。ただしロスチャイルド男爵ロスチャイルド家のように、爵位名と家名が同一である例も少なくはない。
また、日本の華族と違い、欧州貴族は同一人が複数の爵位を持つ場合が多い。その場合、所持する爵位のうち最高位のものを名乗り、他は「従属爵位」とされる。男爵の場合当てはまらないが、嫡男(法定推定相続人)が従属爵位のうち一つを儀礼称号として名乗る。
男爵の妻はLady(レディ)を冠して呼ばれる。女男爵はBaroness(バロネス)あるいはLadyを冠して呼ばれる。女男爵の夫には何も敬称は冠せられない。男爵の息子および娘はThe Honourable のあとにファーストネーム+ラストネームをつけて呼ばれる[56]。
なお、貴族には当たらないが男爵より下位の世襲の称号として準男爵位が設けられている。
現存する世襲男爵家
イングランド貴族
- ド・ルース男爵 (1264年) マクスウェル家
- モウブレー男爵 (1283年), セグレイブ男爵 (1295年) ストートン男爵 (1448年) ストートン家
- ヘイスティングス男爵 (1295年) アストレイ家
- フィッツウォルター男爵 (1295年) プランプター家
- クリントン男爵 (1299年) フェイン=トレフューシス家
- ド・クリフォード男爵 (1299年) ラッセル家
- ズーシュ男爵 (1308年) フランクランド家
- ウィロビー・ド・アーズビー男爵 (1313年) ヒースコート=ドラモンド=ウィロウビー家
- ストラボギー男爵 (1318年) ケンワージー家
- デイカー男爵 (1321年) ダグラス=ヒューム家
- ネイスのダーシー男爵 (1332年) イングラムズ家
- クロムウェル男爵 (1375年) ベウィッケ=コプリー家
- カモイズ男爵 (1383年) ストーナー家
- コッドナーのグレイ男爵 (1397年) コーンウォール=リー家
- バークリー男爵 (1421年) ギーターボック家
- ラティマー男爵 (1432年) マネー=クーツ
- ダドリー男爵 (1440年) ウォレス家
- セイ=シール男爵 (1447年) ファインズ家
- バーナーズ男爵 (1455年) カーカム家
- ハーバート男爵 (1461年) サイフリッド=ハーバート家
- ウィロビー・ド・ブルック男爵 (1491年) ヴァーニー家
- ハロウデンのヴォークス男爵 (1523年) ギルビー家
- ブレイ男爵 (1529年) オーブリー=フレッチャー家
- バラ男爵 (1529年) バラ家
- ウォートン男爵 (1544年) ロバートソン家
- ブレッツォのシンジョン男爵 (1559年) シンジョン家
- ハワード・ド・ウォルデン男爵 (1597年) チェルニン家
- ピーター男爵 (1603年) ピーター家
- ドーマー男爵 (1615年) ドーマー家
- テナム男爵 (1616年) ローパー=カーゾン家
- ストレンジ男爵 (1628年) ドラモンド家
- スタッフォード男爵 (1640年) フィッツハーバート家
- バイロン男爵 (1643年) バイロン家
- ルーカス男爵 (1663年) ディンゴール卿 (1609年、スコットランド) パーマー家
- アーリントン男爵 (1664年) フォーウッド家
- チャッドリーのクリフォード男爵 (1672年) クリフォード家
- バーナード男爵 (1698年) ヴェイン家
スコットランド貴族
- フォーブス卿 (1442年) フォーブス家
- グレイ卿 (1444年) キャンベル=グレイ家
- ソルトーン卿 (1445年) フレイザー家
- シンクレア卿 (1449年) シンクレア家
- ボースウィック卿 (1452年) ボースウィック家
- ラヴァト卿 (1464年) フレイザー家
- センピル卿 (1488年) センピル家
- テレグルズのヘリス卿 (1490年) マンフォード家
- エルフィンストン卿 (1510年)/エルフィンストン男爵(連合王国、1885年) エルフィンストン家
- トーフィッケン卿 (1564年) サンディランズ家
- キンロス卿 (1602年) フリーマン=グレンヴィル家
- バーリーのバルフォア卿 (1607年) ブルース家
- ネイピア卿 (1627年)/エトリック男爵 (連合王国, 1872年) ネイピア家
- キャメロンのフェアファクス卿 (1627年) フェアファクス家
- レイ卿 (1628年) マッカイ家
- エリバンク卿 (1643年) アースキン=マレー家
- ベルヘイヴン=ステントン卿 (1647年) ハミルトン家
- ロロ卿 (1651年) ロロ家
- ポルワース卿 (1690年) ヘプバーン=スコット家
グレートブリテン貴族
- ミドルトン男爵 (1712年) ウィロビー家
- ウォルポール男爵 (1723年) ウォルポール家
- モンソン男爵 (1728年) モンソン家
- ボストン男爵 (1761年) ボテラー家
- ヴァーノン男爵 (1762年) ヴァーノン=ハーコート家
- ディグビー男爵 (1765年) ディグビー家
- ホーク男爵 (1776年) ホーク家
- ブラウンロー男爵 (1776年) カスト家
- フォーリー男爵 (1776年) フォーリー家
- ディネヴァー男爵 (1780年) リース家
- ウィルシンガム男爵 (1780年) ド・グレイ家
- バゴット男爵 (1780年) バゴット家
- サウサンプトン男爵 (1780年) フィッツロイ家
- グラントリー男爵 (1782年) ノートン家
- ロドニー男爵 (1782年) ロドニー家
- サマーズ男爵 (1784年) サマーズ=コックス家
- サフィールド男爵 (1786年) ハーバード=ハモンド家
- ケニオン男爵 (1788年) ティレル=ケニオン家
- ブレイブルック男爵 (1788年) ネヴィル家
- サーロー男爵 (1792年) サーロー=カミング=ブルース家
- オークランド男爵 (1793年) イーデン家
- キャリントン男爵 (1796年) キャリントン家
- ボルトン男爵 (1797年) オード=ポーレット家
- リルフォード男爵 (1797年) ポウィス家
アイルランド貴族
- キングセール男爵 (1340年?) ド・クルシー家
- ダンセイニ男爵 (1439年?) プランケット家
- トリムレストン男爵 (1462年) バーンウェル家
- ダンボイン男爵 (1541年) バトラー家
- ラウス男爵 (1541年) プランケット家
- インチクィン男爵 (1543年) オブライエン家
- ディグビー男爵 (1620年) ディグビー家
- カーベリー男爵 (1715年) エヴァンズ=フリーク家
- エイルマー男爵 (1718年) エイルマー家
- ファーンハム男爵 (1756年) マクスウェル家
- ライル男爵 (1758年) ライソート家
- ニューバラ男爵 (1776年) ウィン家
- マクドナルド男爵 (1776年) マクドナルド家
- ケンジントン男爵 (1776年) エドワーディス家
- マシー男爵 (1776年) マシー家
- マスケリー男爵 (1781年) ディーン家
- シェフィールド男爵 (1783年), アルダリーのスタンリー男爵 (連合王国, 1839年)/エディスベリー男爵 (連合王国, 1848年) スタンリー家
- キルメイン男爵 (1789年) ブラウン家
- ウォーターパーク男爵 (1792年) キャヴェンディッシュ家
- グレイヴス男爵 (1794年) グレイヴス家
- ハンティングフィールド男爵 (1796年) バンネック家
- ロスモア男爵 (1796年) ウェステンラ家
- ハザム男爵 (1797年) ハザム家
- クロフトン男爵 (1797年) クロフトン家
- フレンチ男爵 (1798年) フレンチ家
- ヘンリー男爵 (1799年)/ノーティントン男爵 (連合王国,1885年) イーデン家
- ラングフォード男爵 (1800年) ローリー=コンウェイ家
- ダファリン=クランボイ男爵 (1800年) ブラックウッド家
- ヘニカー男爵 (1800年)/ハーティスミア男爵 (連合王国,1886年) ヘニカー=メージャー家
- ヴェントリー男爵 (1800年) モリンズ家
- ダンオーリー男爵 (1800年) プリティー家
- クランモリス男爵 (1800年) ビンガム家
- アシュタウン男爵 (1800年) トレンチ家
- レンドルシャム男爵 (1806年) テルソン家
- カスルメーン男爵 (1812年) ハンドコック家
- デシーズ男爵 (1812年) ベレスフォード家
- ガーバー男爵 (1818年) カニング家
- マラハイドのタルボット男爵 (1831年) アランデル家
- カリュー男爵 (1834年, 連合王国 1838年) コノリー=カリュー家
- オランモア=ブラウン男爵 (1836年)/メレワース男爵 (連合王国, 1926年) ブラウン家
- ベリュー男爵 (1847年) ベリュー家
- ファーモイ男爵 (1856年) ロッシュ家
- ラスドネル男爵 (1868年) マクリントック=バンバリー家
連合王国貴族
- エレンバラ男爵 (1802年) ロー家
- マナーズ男爵 (1807年) マナーズ家
- チャーチル男爵(1815年) スペンサー家
- ハリス男爵 (1815年) ハリス家
- レイヴンズワース男爵 (1821年) リデル家
- ディラミア男爵 (1821年) チヤムリー家
- フォレスター男爵 (1821年) ウェルド=フォレスター家
- レイリー男爵 (1821年) ストラット家
- ギフォード男爵 (1824年) ギフォード家
- フェバーシャム男爵 (1826年) ダンクーム家
- シーフォード男爵 (1826年) エリス家
- プランケット男爵 (1827年) プランケット家
- ヘッツベリー男爵 (1828年) エイコート家
- スケルマーズデール男爵 (1828年) ブートル=ウィルブラハム家
- ウィンフォード男爵 (1829年) ベスト家
- キルマーノック男爵 (1831年) ボイド家
- ポルティモア男爵 (1831年) バンプフィルド家
- モスティン男爵 (1831年) モスティン家
- ド・ソーマレズ男爵 (1831年) ソーマレズ家
- デンマン男爵(1834年) デンマン家
- アビンガー男爵 (1835年) スカーレット家
- アシュバートン男爵 (1835年) ベアリング家
- ハザートン男爵 (1835年) リトルトン家
- ストラセデン=キャンベル男爵 (1836年) キャンベル家
- ド・モーリー男爵 (1838年) ポンソンビー家
- ロッテスリー男爵 (1838年) ロッテスリー家
- サドリー男爵 (1838年) ハンブリー=トレーシー家
- マスーアン男爵 (1838年) マスーアン=キャンベル家
- リー男爵 (1839年) リー家
- ブランドンのモンティーグル男爵 (1839年) スプリング=ライス家
- コングルトン男爵 (1841年) パーネル家
- ヴィヴィアン男爵 (1841年) ヴィヴィアン家
- ロンデスバラ男爵 (1850年) デニソン家
- ド・フレイン男爵 (1851年) フレンチ家
- ラグラン男爵 (1852年) サマセット家
- ベロッパー男爵 (1856年) ストラット家
- チェシャム男爵 (1858年) キャヴェンディッシュ家
- チャーストン男爵 (1858年) ヤード=ブラー家
- ルコンフィールド男爵 (1859年)/エグルモント男爵 (1963年) ウィンダム家
- ライヴデン男爵 (1859年) ヴァーノン家
- ブルーム=ヴォークス男爵 (1860年) ブルーム家
- ウェストベリー男爵 (1861年) ベセル家
- アナリー男爵 (1863年) ホワイト家
- ノースブルック男爵 (1866年) ベアリング家
- ヒルトン男爵 (1866年) ジョリフ家
- ペンリン男爵 (1866年) ダグラス=ペナント家
- オニール男爵 (1868年) チチェスター家
- マグダラのネイピア男爵 (1868年) ネイピア家
- ローレンス男爵 (1869年) ローレンス家
- アクトン男爵 (1869年) ライオン=ダルバーグ=アクトン家
- ウォルヴァートン男爵 (1869年) グリン家
- オハーガン男爵 (1870年) ストレイチー家
- サンドハースト男爵 (1871年) マンスフィールド家
- アバーデア男爵 (1873年) ブルース家
- モンクリフ男爵 (1874年) モンクリフ家
- コールリッジ男爵 (1874年) コールリッジ家
- コッテルロー男爵 (1874年) フレマントル家
- ハンプトン男爵 (1874年) パッキントン家
- ハーレック男爵 (1876年) オームズビー=ゴア家
- トルマッシュ男爵 (1876年) トルマッシュ家
- ジェラルド男爵 (1876年) ジェラルド家
- サックヴィル男爵 (1876年) サックヴィル=ウェスト家
- ノートン男爵 (1878年) アダレイ家
- トレヴァー男爵 (1880年) ヒル=トレヴァー家
- アムトヒル男爵 (1881年) ラッセル家
- ダーウェント男爵 (1881年) ヴァンデン=ベンデ=ジョンストン家
- ホスフィールド男爵 (1881年) タフトン家
- テニソン男爵 (1884年) テニソン家
- ストラスペイ男爵 (1884年) グラント家
- モンク・ブレットン男爵 (1884年) ドッドソン家
- ノースボーン男爵 (1884年) ジェイムズ家
- ロスチャイルド男爵 (1885年) ロスチャイルド家
- レヴェルストーク男爵 (1885年) ベアリング家
- モンクスウェル男爵 (1885年) コリアー家
- アシュボーン男爵 (1885年) ギブソン家
- セント・オズヴァルド男爵 (1885年) ウィン家
- ボーリューのモンタギュー男爵 (1885年) ダグラス=スコット=モンタギュー家
- ヒンドリップ男爵 (1886年) オールソップ家
- グリムソープ男爵 (1886年) ベケット家
- ディーエルのハミルトン男爵 (1886年) ハミルトン家
- セント・レヴァン男爵 (1887年) セント・オービン家
- ベイジング男爵 (1887年) スクレーター=ボース家
- ド・ラムジー男爵 (1887年) エイルウィン=フェローズ家
- アディントン男爵 (1887年) ハバード家
- サヴィル男爵 (1888年) ラムリー=サヴィル家
- アシュコーム男爵 (1892年) キュービット家
- クローショー男爵 (1892年) ブルックス家
- ハックニーのアマースト男爵 (1892年) セシル家
- ニュートン男爵 (1892年) リー家
- ダンリース男爵 (1892年) マルホランド家
- スウォンジー男爵 (1893年) ヴィヴィアン家
- ハンズドンのアルデンハム男爵 (1896年) ギブス家
- ホルムパトリック男爵 (1897年) ハミルトン家
- バートン男爵 (1897年) ベイリー家
- グレイナスク男爵 (1899年) ベイリー家
- クランワース男爵 (1899年) ガードン家
- エイヴベリー男爵 (1900年) ラボック家
- キラニン男爵 (1900年) モリス家
- ストラスコーナ・アンド・マウントロイヤル男爵 (1900年) ハワード家
- キンロス男爵 (1902年) バルフォア家
- シャトルワース男爵 (1902年) ケイ=シャトルワース家
- グレンフェル男爵 (1902年) グレンフェル家
- リーズデール男爵 (1902年) ミットフォード家
- バーナム男爵 (1903年) ローソン家
- ビダルフ男爵 (1903年) ビダルフ家
- ダンビーのリッチー男爵 (1905年) リッチー家
- ヘムヒル男爵 (1906年) マーティン=ヘムヒル家
- ジョイシー男爵 (1906年) ジョイシー家
- ナンバーンホルム男爵 (1906年) ウィルソン家
- スウェイスリング男爵 (1907年) モンタギュー家
- ブライス男爵 (1907年) ブレイス家
- マーチャムリー男爵 (1908年) ホワイトリー家
- ゴーエル男爵 (1909年) バーンズ家
- フィッシャー男爵 (1909年) フィッシャー家
- キルブラッケン男爵 (1909年) ゴドリー家
- ペンズハーストのハーディング男爵 (1910年) ハーディング家
- ド・ヴィリアーズ男爵 (1910年) ド・ヴィリアーズ家
- グレンコナー男爵 (1911年) テナント家
- アバーコンウェイ男爵 (1911年) マクラーレン家
- マーサー男爵 (1911年) トレヴァー=ルイス家
- ロワーレン男爵 (1911年) コーベット家
- ハイドのアシュトン男爵 (1911年) アシュトン家
- レイブンズデール男爵 (1911年) モズレー家
- ホレンデン男爵 (1912年) ホープ=モーレイ家
- パーモア男爵 (1914年) クリップス家
- カンリフ男爵 (1914年) カンリフ家
- レンベリー男爵 (1915年) バックリー家
- ファーリンドン男爵 (1916年) ヘンダーソン家
- ショーネシー男爵 (1916年) ショーネシー家
- ラスクリーダン男爵 (1916年) ノートン家
- サマーレイトン男爵 (1916年) クロスリー家
- カーノック男爵 (1916年) ニコルソン家
- ビーヴァーブルック男爵 (1917年) エイトケン家
- ゲインフォード男爵 (1917年) ピース家
- フォーティヴィオット男爵 (1917年) デュワー家
- コルウィン男爵 (1917年) ハミルトン=スミス家
- ジスバラ男爵 (1917年) シャロナー家
- モリス男爵 (1918年) モリス家
- カウリー男爵 (1918年) カウリー家
- テリントン男爵 (1918年) ウッドハウス家
- グレナーサー男爵 (1918年) アーサー家
- フィリモア男爵 (1918年) フィリモア家
- インヴァーフォース男爵 (1919年) ヴィアー家
- シンハ男爵 (1919年) シンハ家
- カルツのコクラン男爵 (1919年) コクラン家
- クルーイド男爵 (1919年) ロバーツ家
- リヴァプールのラッセル男爵 (1919年) ラッセル家
- スウィンフェン男爵 (1919年) スウィンフェン=イーディ家
- メストン男爵 (1919年) メストン家
- アシュボーンのカレン男爵 (1920年) コケイン家
- トレヴェシン男爵 (1921年)/オークシー男爵 (1947年) ローレンス家
- グレンディーネ男爵 (1922年) ニヴィソン家
- マントン男爵 (1922年) ワトソン家
- フォレス男爵 (1922年) ウィリアムソン家
- ヴェスティー男爵 (1922年) ヴェスティー家
- ボーウィック男爵 (1922年) ボーウィック家
- マクレイ男爵 (1922年) マクレイ家
- ベセル男爵 (1922年) ベセル家
- ダーリング男爵 (1924年) ダーリング家
- ソウザンのバンベリー男爵 (1924年) バンベリー家
- メリベール男爵 (1925年) デューク家
- ブラッドベリー男爵 (1926年) ブラッドベリー家
- グリーンウェイ男爵 (1927年) グリーンウェイ家
- ヘイター男爵 (1927年) チャブ家
- コーンウォリス男爵 (1927年) コーンウォリス家
- デアズベリー男爵 (1927年) グリーンオール家
- ラクソール男爵 (1928年) ギブズ家
- レムナント男爵 (1928年) レムナント家
- モイニハン男爵 (1929年) モイニハン家
- クレイグマイル男爵 (1929年) ショー家
- ダルヴァートン男爵 (1929年) ウィリス家
- ルーク男爵 (1929年) ジョンストン家
- アルビンガム男爵 (1929年) ヤーバーグ家
- ベーデン=パウエル男爵 (1929年) ベーデン=パウエル家
- シュールブレードのポンソンビー男爵 (1930年) ポンソンビー家
- ディキンソン男爵 (1930年) ディキンソン家
- ノエル=バクストン男爵 (1930年) ノエル=バクストン家
- ペンリスのハワード男爵 (1930年) ハワード家
- ロチェスター男爵 (1931年) ラム家
- セルズドン男爵 (1932年) ミッチェル=トムソン家
- モイン男爵 (1932年) ギネス家
- デイヴィーズ男爵 (1932年) デイヴィーズ家
- ランケイラー男爵 (1932年) ホープ家
- ブロケット男爵 (1933年) ノール=ケイン家
- ミルン男爵 (1933年) ミルン家
- レネル男爵 (1933年) ロッド家
- モティストン男爵 (1933年) シーリー家
- アイリフ男爵 (1933年) アイリフ家
- パーマー男爵 (1933年) パーマー家
- ロックリー男爵 (1934年) セシル家
- エルトン男爵 (1934年) エルトン家
- ウェイクハースト男爵 (1934年) ローダー家
- ヘスケス男爵 (1935年) ファーマー・ヘスケス家
- トウィーズミュア男爵 (1935年) バカン家
- ウィグラム男爵 (1935年) ウィグラム家
- リヴァーデール男爵 (1935年) バルフォア家
- メイ男爵 (1935年) メイ家
- ケネット男爵 (1935年) ヤング家
- ストラスカーロン男爵 (1936年) マクファーソン家
- カットー男爵 (1936年) カットー家
- ウィンドルシャム男爵 (1937年) ヘネシー家
- マンクロフト男爵 (1937年) マンクロフト家
- マクゴワン男爵 (1937年) マクゴワン家
- デナム男爵 (1937年) ボウヤー家
- リー男爵 (1937年) リー家
- カドマン男爵 (1937年) カドマン家
- ケニルワース男爵 (1937年) シドレー家
- ペンダー男爵 (1937年) デニソン=ペンダー家
- ロボロー男爵 (1938年) ロペス家
- アペソープのブラッシー男爵 (1938年) ブラッシー家
- スタンプ男爵 (1938年) スタンプ家
- ビスター男爵 (1938年) スミス家
- ミルフォード男爵 (1939年) フィリップス家
- ハンキー男爵 (1939年) ハンキー家
- ハームズワース男爵 (1939年) ハームズワース家
- ロザーウィック男爵 (1939年) ケイザー家
- グレントラン男爵 (1939年) ディクソン家
- トライオン男爵 (1940年) トライオン家
- クロフト男爵 (1940年) クロフト家
- テヴィオット男爵 (1940年) カー家
- ネイサン男爵 (1940年) ネイサン家
- リース男爵 (1940年) リース家
- キンダースリー男爵 (1941年) キンダースリー家
- アイアンサイド男爵 (1941年) アイアンサイド家
- レイサム男爵 (1942年) レイサム家
- ウェッジウッド男爵 (1942年) ウェッジウッド家
- ゲッディス男爵 (1942年) ゲッディス家
- ブランティスフィールド男爵 (1942年) ウォレンダー家
- タラのブラバゾン男爵 (1942年) ムーア=ブラバゾン家
- キーズ男爵 (1943年) キーズ家
- ヘイミングフォード男爵 (1943年) ハーバート家
- モラン男爵 (1943年) ウィルソン家
- キラーン男爵 (1943年) ランプソン家
- ダウディング男爵 (1943年) ダウディング家
- グレットン男爵 (1944年) グレットン家
- ウェストウッド男爵 (1944) ウェストウッド家
- ヘーズルリッグ男爵 (1945年) ヘーズルリッグ家
- ハッキング男爵 (1945年) ハッキング家
- チェットウッド男爵 (1945年) チェットウッド家
- サンドフォード男爵 (1945年) エドモンドソン家
- オルトリナム男爵 (1945年) グリッグ家
- ブロードブリッジ男爵 (1945年) ブロードブリッジ家
- マウントエヴァンズ男爵 (1945年) エヴァンズ家
- バイカー男爵 (1945年) リンゼイ家
- ピアシー男爵 (1945年) ピアシー家
- チョーリー男爵 (1945年) チョーリー家
- カルバーリー男爵 (1945年) マフ家
- テダー男爵 (1946年) テダー家
- コルグレイン男爵 (1946年) キャンベル家
- ダーウェン男爵 (1946年) デイヴィーズ家
- チルワースのルーカス男爵 (1946年) ルーカス家
- シェパード男爵 (1946年) シェパード家
- ニューオール男爵 (1946年) ニューオール家
- ラグビー男爵 (1947年) マッフィー家
- レイトン男爵 (1947年) レイトン家
- ウィゼンショウウのサイモン男爵 (1947年) サイモン家
- カーショウ男爵 (1947年) カーショウ家
- トレフガン男爵 (1947年) トレフガン家
- クローク男爵 (1947年) クローク家
- アムウェル男爵 (1947年) モンタギュー家
- ミルヴァートン男爵 (1947年) リチャーズ家
- クライズミュア男爵 (1948年) コルヴィル家
- バーデン男爵 (1950年) バーデン家
- ヘイデン=ゲスト男爵 (1950年) ヘイデン=ゲスト家
- シルキン男爵 シルキン家(爵位一代放棄中)
- ハイブス男爵 (1950年) ハイブス家
- オグモア男爵 (1950年) リーズ=ウィリアムズ家
- ケンウッドのモリス男爵 (1950年) モリス家
- ドルモッチャーのマクファーソン男爵 (1951年) マクファーソン家
- ケンズウッド男爵 (1951年) ホイットフィールド家
- フレイバーグ男爵 (1951年) フレイバーグ家
- リーズのミルナー男爵 (1951年) ミルナー家
- カークウッド男爵 (1951年) カークウッド家
- ワイズ男爵 (1951年) ワイズ家
- ジェフリーズ男爵 (1952年) ジェフリーズ家
- ラスカヴァン男爵 (1953年) オニール家
- ベイルー男爵 (1953年) ベイルー家
- グランチェスター男爵 (1953年) スエンソン=テイラー家
- コールレーン男爵 (1954年) ロウ家
- タズバーグのハーヴィー男爵 (1954年) ハーヴィー家
- グライドリー男爵 (1955年) グライドリー家
- ストラサモンド男爵 (1955年) フレイザー家
- ストラスクライド男爵 (1955年) ガルブレイス家
- クリザーロー男爵 (1955年) アシュトン家
- マクネイア男爵 (1955年) マクネイア家
- コリトン男爵 (1956年) ホプキンソン家
- ヒーヴァーのアスター男爵 (1956年) アスター家
- クリーヴのシンクレアー男爵 (1957) シンクレアー家
- ブリッジズ男爵 (1957年) ブリッジズ家
- ノリー男爵 (1957年) ノリー家
- バーケット男爵 (1958年) バーケット家
- ペザートンのハーディング男爵 (1958年) ハーディング家
- プール男爵 (1958年) プール家
- ルーツ男爵 (1959年) ルーツ家
- ネザーホープ男爵 (1959年) ターナー家
- クラットホーン男爵 (1959年) ダグデール家
- スペンズ男爵 (1959年) スペンズ家
- マックアンドリュー男爵 (1959年) マックアンドリュー家
- ストラフォードのネルソン男爵 (1960年) ネルソン家
- グレンデールのホウィック男爵 (1960年) ベアリング家
- アヨットのサンダーソン男爵 (1960年) サンダーソン家 (爵位一代放棄中)
- コボールド男爵 (1960年) リットン=コボルド家
- オークリッジのロバートソン男爵 (1961年) ロバートソン家
- ブロートンのマークス男爵 (1961年) マークス家
- フェアヘイヴン男爵 (1961年) ブロートン家
- セント・メロンズのレイトン男爵 (1962年) シーガー家
- ブレイン男爵 (1962年) ブレイン家
- オルディントン男爵 (1962年) ロウ家
- インチャイラ男爵 (1962年) ミラー家
- シルソー男爵 (1963年) エヴァ家
- フリートのトムソン男爵 (1964年) トムソン家
- マートンミア男爵 (1964年) ロビンソン家
- シャーフィールド男爵 (1964年) マーキンズ家
- イングルウッド男爵 (1964年) フレッチャー=ヴェーン家
- グレンデヴォン男爵 (1964年) ホープ家
- ウェストバリーのグリムストン男爵 (1964年) グリムストン家
- レンウィック男爵 (1964年) レンウィック家
- セント・ヘレンズ男爵 (1964年) ヒューズ=ヤング家
- マーガデール男爵 (1965年) モリソン家
カナダにおけるフランス貴族
- ロンゲール男爵(1700年)グラント家
子爵以上の貴族が持つ世襲男爵位
この一覧は未完成です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
ヴィアー男爵(セント・オールバンズ公)、キャリクファーガス男爵(ケンブリッジ公)、グリニッジ男爵(エディンバラ公)、サドバリー男爵(グラフトン公)、アッシュのシーモア男爵(サマセット公)、ウォームレイトンのスペンサー男爵(マールバラ公)、チェルムスフォード男爵(チェルムスフォード子爵)、サンドリッジのチャーチル男爵(マールバラ公)、ギルスランドのデイカー男爵(カーライル伯)、トーボルトン卿(リッチモンド公)、ブラボーン男爵(ビルマのマウントバッテン伯爵)、バーモント男爵(ノーフォーク公)、バーリー男爵(エクセター侯)、グロソップのハワード男爵(ノーフォーク公)、フィッツアラン=クラン=オズワルデスタ男爵(ノーフォーク公)、ヘッディントン男爵(セント・オールバンズ公)、ホウランド男爵(ベッドフォード公)、マルトレイヴァース男爵(ノーフォーク公)、フリーランドのラスヴェン卿(カーライル伯)、ラッセル男爵(ベッドフォード公)、ビーヴァーのルース男爵(ラトランド公)
かつて存在した世襲男爵位
この一覧は未完成です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
アゼンリー男爵、アームストロング男爵、アンソン男爵、イスメイ男爵、エイドリアン男爵、ガードナー男爵、カーリングフォード男爵、グイディル男爵、グラッドウィン男爵、クレアモント男爵、ケインズ男爵、ケルヴィン男爵、サイゾンビー男爵、スードリーのシーモア男爵、ブラックミーアのストレンジ男爵、ノーマン男爵、バーデット=クーツ男爵、ファーニヴァル男爵、ブレイニー男爵、ボルティモア男爵、マコーリー男爵、メルチェット男爵、ライエル男爵、リスター男爵、レイトン男爵、ローリー男爵、グリーンヒル男爵
スペインの男爵
王室の称号プリンシペ(Príncipe)を除けば、スペイン貴族の階級には上からDuque(公爵)、Marqués(侯爵)、Conde(伯爵)、Vizconde(子爵)、 Barón(男爵)、Señor(領主)の6階級があり、男爵は第5位である[57][58]。爵位の大半は伯爵以上であり、子爵以下は数が少ない[57]。男爵位にはグランデの格式が伴う物と伴わない物がある。グランデの格式を伴う爵位保有者はExcelentísimo Señor (男性) Excelentísima Señora (女性)の敬称で呼ばれ、グランデの格式がない爵位保有者はIlustrísimo Señor (男性) Ilustrísima Señora(女性)の敬称で呼ばれる[58]。
貴族称号は放棄が可能だが、他の継承資格者の権利を害することはできず、また直接の相続人以外から継承者を指名することはできない[58]。貴族称号保持者が死去した場合、その相続人は1年以内に法務省に継承を請願する必要があり、もし2年以内に請願が行われなかった場合は受爵者が死亡した場所の州政府が政府広報で発表した後、他の承継人に継承の道が開かれる[58]。爵位の継承には所定の料金がかかる[58]。
歴史的にはスペインの前身であるカスティーリャ王国、アラゴン連合王国、ナバーラ王国にそれぞれ爵位貴族制度があり[59]、17世紀のカスティーリャの貴族の爵位は公爵、侯爵、伯爵に限られ、この三爵位の次期候補者がまれに子爵を使っていた[60]。1520年までカスティーリャの爵位貴族は35名しかいなかったが、フェリペ3世時代以降に爵位貴族が急増した[60]。
1931年の革命で王位が廃されて第二共和政になった際に貴族制度が廃止されたことがあるが[61]、1948年に総統フランシスコ・フランコが貴族制度を復活させ[58][62]、国王による授爵と同じ規則のもとにフランコが授爵を行うようになった[58]。王政復古後は再び国王が授爵を行っている。
現存する男爵位
スペイン貴族には現在169個の男爵位が存在し、うち2個がグランデの格式を有する。
その他の国の男爵
ヨーロッパのその他の国はロシアを含めて、ほとんどがバロン系統の称号を男爵の爵位に用いているが、ドイツのみ男爵に相当する爵位はフライヘア (Freiherr)という。
男爵にちなんだ命名
- 男爵いも
- ジャガイモの品種の一つ。高知県出身の男爵・川田龍吉が北海道上磯町(現・北斗市)でアイリッシュ・コブラーという品種の芋を試験栽培し、普及させたことに由来する。
- バロネス・オルツィ
- ハンガリー出身でイギリスで活躍した女性作家の筆名。父親がハンガリーの男爵だったことに由来する。
- 空気男爵
- 漫画家さいとう・たかをのデビュー作。
- 髭男爵
- サンミュージック所属の漫才コンビ。
- エロ男爵
- 俳優沢村一樹の愛称。本人は爵位が上位の"エロ公爵"か"エロ伯爵"を希望している。
- URBANO BARONE(SOY03)
- ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ製au(KDDI/沖縄セルラー電話)向け携帯電話のひとつ。"都会的な男爵"という意味合いがこめられている。
- 暖爵
- 松下電器産業製のFF/FE式石油フラットラジアントヒーター。凍えた男爵がその場に倒れるCMが放映されたが、後に大規模リコールの対象となったことで「男爵が倒れた原因は実は一酸化炭素中毒だった」との噂が流れた。
- 床暖爵
- 東北電力グループの北日本電線の床暖房システム。松下電器の暖爵とは無関係。
- バロン(フンベルト・フォン・ジッキンゲン、Humbert von Gikkingen)
- 『猫の恩返し』の登場キャラクター。「男爵」という設定で、身の丈30センチほどの、二足歩行で歩く猫の獣人。
- ぼったくり男爵
- 国際オリンピック委員会会長トーマス・バッハを批判する呼び名[63]。
- 上田バロン
- 日本のイラストレーター。
脚注
注釈
- ^ 交代寄合ではないが、高家旗本の大沢家も3550石(実高5485石)の家禄を1万6石に「高直し」したことを政府に申告して堀江藩を立藩し華族に列していたが、明治4年に大沢家が増えたと主張していた4521石は浜名湖の水面だったことが発覚。大沢家は「浜名湖では魚が採れる」と弁明したが、認められず同年11月29日に華族の身分を剥奪されて士族に落とされ、当主大沢基寿は禁固1年、関与した3人の家臣が禁固1年半に処された[30]。
- ^ 明治維新後に僧侶の妻帯は自由とされたが、それ以前の僧侶は一般的に具足戒により僧侶が公に妻子を持つことはできなかった。浄土真宗では「無戒」の立場が広く公認されていたため、開祖親鸞以来妻帯が一般的である。
出典
- ^ 新村出編『広辞苑 第六版』(岩波書店、2011年)1774頁および松村明編『大辞林 第三版』(三省堂、2006年) 1589頁参照。
- ^ 小川賢治 2009, p. 90.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 13-18.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 21.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 71-76.
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- ^ 小田部雄次 2006, p. 56/124-126.
- ^ a b 小田部雄次 2006, p. 126-127.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 56/128-129.
- ^ 百瀬孝 1990, p. 243-244.
- ^ a b c 百瀬孝 1990, p. 243.
- ^ a b c d e 百瀬孝 1990, p. 244.
- ^ 浅見雅男 1994, pp. 57–58.
- ^ 百瀬孝 1990, p. 37.
- ^ 百瀬孝, 1990 & p37-38.
- ^ 百瀬孝, 1990 & p37/38/243.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 195-196.
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- ^ a b 松田敬之 2015, p. 68.
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- ^ 石黒ひさ子 2006, p. 5.
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参考文献
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- 坂東省次『現代スペインを知るための60章』明石書店〈エリアスタディーズ116〉、2013年。 ISBN 978-4750337838。
- 松田敬之『〈華族爵位〉請願人名辞典』吉川弘文館、2015年。 ISBN 978-4642014724。
- 松村明編『大辞林 第三版』三省堂、2006年。ISBN 4385139059
- 新村出編『広辞苑 第六版』岩波書店、2011年。ISBN 400080121X
- 今堀誠二「唐代封爵制拾遺」『社会経済史学』第12巻第4号、社会経済史学会、1942年、419-451頁、doi:10.20624/sehs.12.4_419、 NAID 110001212961。
- 石黒ひさ子「「五等爵制」再考」『駿台史學』第129巻、明治大学史学地理学会、2006年12月25日、1-20頁、 ISSN 05625955、 NAID 120001439019。
- 袴田郁一「両晉における爵制の再編と展開 : 五等爵制を中心として」『論叢アジアの文化と思想』第23号、アジアの文化と思想の会、2014年12月、79-134頁、 ISSN 1340-3370、 NAID 120005819881。
関連項目
BARON(バロン)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 02:40 UTC 版)
「RIDEBACK」の記事における「BARON(バロン)」の解説
FUEGO同様TERYAN KADURO製のライドバックで最新モデル。オレンジ色で操作方法等はFUEGOとほぼ同じである。琳が出場したライドバック全国大会にFUEGOがレギュレーションにより搭乗することができないので代わりに乗ったライドバック。レース中に琳の操作についてこれなくなり、また、春樹のミスによりエンジンブローを起こしエンジンが焼けた。なお、原作ではBARONII(バロンツー)も登場している。
※この「BARON(バロン)」の解説は、「RIDEBACK」の解説の一部です。
「BARON(バロン)」を含む「RIDEBACK」の記事については、「RIDEBACK」の概要を参照ください。
「Baron」の例文・使い方・用例・文例
- バンクーバー― マレーシアに拠点を置くBaronホテルグループはHoward Hotels Internationalを買収する交渉を行っている。
- Baronは、アジアの主要都市に100 を超えるホテルを構える、ビジネスホテルの巨大企業で、高級ホテル市場への進出を目指している。
- Baronが企業買収に成功すれば、同社は、名声を確立したHoward Hotelsブランドやその豪華なおもてなしのノウハウを手に入れることになる。
- 買収がうまくいけば、BaronはHoward Hotelsの株式の65%を所有することになる。
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