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アイヌの誇りと生きる:読売新聞
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アイヌの誇りと生きる

読売新聞オンライン
制作・著作 読売新聞
 明治時代から約100年にわたりアイヌ差別を助長してきた 「北海道旧土人保護法」が1997年に撤廃されて、今年で四 半世紀。差別や偏見が消えたとは言えないが、状況には変化の 兆しも見える。  2019年には「先住民族」として初めて法律に明記され、 20年には国立施設「ウポポイ(民族共生象徴空間)」がオー プン。漫画「ゴールデンカムイ」はその認知度を一気に高め た。差別解消や文化継承の取り組みはまだ道半ばだが、「風向 きは変わってきている」。札幌大学アイヌ文化教育研究センタ ー長・本田優子教授(65)は、理解と認識の広がりに期待も 寄せている。  その担い手となり得るのが、「保護法」撤廃後に生まれ、自 分がアイヌであることやその文化に対し、今までとは少し違っ た意識を持ち始めたZ世代と呼ばれる若年層だ。「差別を受け たと感じたことはほとんどない」と話す若者も中にはいる。多 様性が尊重される今の社会に「新しいアイヌ」たちは風を吹き 込む。「もっとアイヌのことを知って」。アイヌが抱える心の 痛みに自分たちなりに向き合い、アイヌ語や伝統芸能、様々な 活動に打ち込む先に見据えるのは、誇りに思うアイヌ文化を受 け継ぎ社会に浸透させることだ。そして、彼ら、彼女らは口を そろえる。「アイヌはかっこいい」 写真と文 冨田大介(2022年11月29日公開)

「アイヌの学校作りに関わることが大きな夢。アイヌ語が話せる人が増えて、北海道内だけでも公用語になれば」。高校時代、短期留学先のニュージーランドで出会ったマオリ民族に刺激を受けた織田(おりた)瑞希さん(20)。アイヌと似た歴史を持ちながら、彼らは誇りにあふれていた。「アイヌが過去のものになってはいけない。私みたいな普通の大学生、普通に隣にいる現代に生きるアイヌを見てほしい」。大学卒業後は一度、社会に出て、外からアイヌのことを見つめながら、文化や言語を復興させる道を探すつもりだ(10月21日、札幌市で)

 「差別の歴史がある中でも、アイヌの仕事をしているお母さんをかっこいいと思っていた。言葉や踊りを教えてくれて、ご飯も作ってくれて。大人になって、アイヌのことを勉強し、自分で研究していくうちに、その重さに気づきました」(10月17日、札幌市で)

 中学生の頃には自分の居場所を見つけられずに、アイヌだということを隠した時期も。生まれ育った平取町二風谷の人たちにいつか恩返しをするためにも、若者の自分たちがアイヌ文化を継承していこうと心に決めている(10月21日、札幌市で)

 「ずっと、自分のアイデンティティーと向き合うことなく生きてきたが、ウポポイで堂々と踊る姉を見て、自分の中で何かが変わった」。平取町の平村太幹さん(24)は2年前、アイヌ木彫りの道に入った。制作過程を動画に収めて編集し、SNSで発信もしている。「偏見をなくすには知ってもらうことが一番。言い方が正しいかわからないが、アイヌが一つのかっこいい『ジャンル』になれば、皆、アイヌであることを隠す必要はなくなるはず」。自分の作品を通して、アイヌ文化を広く知ってもらうためにもまだまだ修行中だ(10月18日、北海道平取町二風谷で)

 初めての個人販売会に向け、就業後も黙々と作品作りに励む平村さん。子どもの頃からモノ作りが好きで、一つのことを極めたいという気持ちが強かった。「いつか木彫りで食べていきたい」。(10月18日、北海道平取町二風谷で)

 地道な作業が続くが、つらいと思ったことはない。伝統は守りつつも、どこか新しくてかっこいい木彫りを目指して、制作過程のSNS配信も続けている(10月18日、北海道平取町二風谷で)

 小さい頃にアイヌの遊びや豊富な自然の知識などを教えてもらうのは楽しかった。親や祖父母世代が受けた差別とその楽しい思い出の中の自分を切り離してずっと生きてきたが、今はアイヌ文化の中にしっかり足をつけようと思っている(10月18日、北海道平取町二風谷で)

 「差別を感じたことはほとんどない」と話す結城泰さん(20)。両親とも釧路地方のアイヌだが、自身のルーツをもっと学びたいと思い、札幌大学に入学し、今は子どもの頃から慣れ親しんだ舞踊の稽古をする毎日だ。「認識のずれから意図しない差別はどうしても起こると思う。でも、僕はそこから逃げないと決めたんです。正すところは正す。逃げたら何も解決しないし、アイヌが逆に遠くなっていく」。アイヌ文化の表現者が増えていくことが、アイヌが身近な存在になる近道だと信じている(10月20日、札幌市で)

 「アイヌ文化のかっこよさはその世界観。今の生活で自然と深く関わりながら、当たり前にあるすべてのものに感謝することは難しいけど、それはやっぱり自分たちの祖先が守ってきたものであり、自分のルーツであるから、大切に思うんです」(10月20日、札幌市で)

 大学の後輩たちに弓を使った踊りを教える結城さん。「今、表面上、アイヌのことを知っている人は増えたと思う。でも、もっと深く知ってもらいたい」(10月17日、札幌市で)

 「多様性が認められる社会の中で、アイヌという個性は自分の武器」。今年、慶応大学を卒業した関根摩耶さん(23)は今の社会にこそ、アイヌが培ってきた世界観や文化が求められると、国内外で講演したり、アイヌ語の音楽やイベント、SNSとのコラボや料理教室など活動の場を広げている。「アイヌは気遣いが生まれやすい存在。でも、それではダメで、アイヌのかっこよさやおもしろさを感じてもらえるように発信していく。次の世代のためにも。私はアイヌとしてかっこつけて生きていく」(11月8日、東京都渋谷区で)

 「家族だからこそ残せるアイヌの姿がある」。関根さんは二風谷に帰省中、祖母の貝澤雪子さん(81)の手仕事や日常使いのアイヌ語をスマートフォンで記録している(10月18日、北海道平取町二風谷で)

帰省してもラジオ出演や様々な活動に飛び回る合間、祖母の雪子さんの隣で刺繍をしたり、料理をする時間は関根さんにとって、大切な時間だ(10月18日、北海道平取町二風谷で)

 アイヌ語教室で子どもたちと遊びながらアイヌ語を教える関根さん。大学生の頃にユーチューブでアイヌ語講座を始め、多くの活動につながっていった(11月12日、東京都中央区のアイヌ文化交流センターで)

 「海外からかっこいいと言われるアイヌ文化、北海道を作っていきたい。アイヌ語の保育園も作りたい。キッチンカーでアイヌ料理を提供しながら、それぞれの土地に根付く文化とコラボレーションすることもおもしろいですね。私は強いて言うならアイヌ文化発信者なので」。夢は限りなく広がる(11月12日、東京都中央区のアイヌ文化交流センターで)

【撮影】読売新聞写真部・冨田大介
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