今年10月12日…札幌の病院で、1人の青年が静かに息を引き取った。
中山奏琉(かなる)さん、享年22。
その早すぎる死に、父・和彦さんは…
父・中山和彦さん:
1日でも長く生きてほしいっていう思いもありながら、最後、先生に「もう…」って言われた時には、これで楽になれたのかなっていうのがやっぱり大きかったですね。
それは、闘病の末の静かな別れ…のはずだった。
だが物語は、彼が亡くなった「直後」から大きく動き出す。
亡くなった2日後に突然放たれたメッセージ
奏琉さんが息を引き取った、2日後だった…

『グエー死んだンゴ』
もう、あるじのいないアカウントから突如、放たれたメッセージ…
この不可解で、不謹慎で、ブラックユーモアたっぷりな投稿は瞬く間に3億回以上も閲覧され、日本中を巻き込む大騒動となっていく。

「便乗して香典代わりに寄付した」
「敬意を表して 成仏してクレメンス」
その事実を知らなかった父は…
父・中山和彦さん:
葬儀が終わったあとに、(奏琉さんの)高校の時の同級生に教えてもらいました。“奏琉、Xでバズってるんだよね”みたいなことを言われて。何が?と思いながら聞いてて…。
そう、普段SNSを見ない父には、何が起きているのかまったく理解ができない。
そこで…
父・中山和彦さん:
(Xの)アカウントを初めて作って調べてみたら、その時に閲覧で2億とかいってたんだったかな?あ、すごいなぁと思いながら。

初めて作ったSNSのアカウント。
そこには、自分の知らない息子がいた。
父も知らなかった「22歳の遺言」
北海道・津別町。
この広大な大地で、代々農業を営んできた父・和彦さん。
幼いころの奏琉さんを、よく連れてきたという。
父・中山和彦さん:
本当ちっちゃいころね、トラクターに乗せて。すぐ寝ちゃうんですけどね。トラックで乗って、一緒に乗ってたりとかもしてたし…。

そんな、雄大な自然に囲まれながら、父が知る、子ども時代の奏琉さんはもの静かで、どこか孤高の少年だったという。
父・中山和彦さん:
学校終わって、テニス終わって帰ってきたら(午後)7時とかで、ご飯食べ終わったら2階に上がって、自分の部屋行ってゲームしてたり。本当に友達いるのかな?と心配するぐらいの感じのタイプに僕らから見えてたんだけど。
口数も少なく、親に甘えることもない「ぼっち」な息子。
父は勝手にそう思い込んでいた。
一方で…
父・中山和彦さん:
これは高校のインターハイの時の記念Tシャツか何かですね。あとラケット。当時使っていたラケットとか。と、高校の時のゼッケンと…。
黙々と、テニスの練習を続けるスポーツマンであったのと同時に…
ディレクター:
あとあれですね、8段…。
父・中山和彦さん:
そうですね。
毛筆と硬筆の両方で八段を取るほどの“文武両道”。
「なんでも器用にこなすヤツだ」…とは感じていた。
そんな息子が、異変を訴えたのは大学1年の夏…。
奏琉:
なんか最近、背中にコブみたいなのができて痛いんだよね。
父:
ああ、ホントだ。1回、病院に行った方がいいな。
奏琉:
うん、そうだね…。
父・中山和彦さん:
ちょうど夏休みぐらいに帰ってきてて。で、その時にはもう、触ったらわかるぐらいで。実際取ったのがもうこんなサイズ(こぶし大)なので…。
検査を受けると、病院からは「家族そろって来てほしい」と告げられた…。
そこで聞かされたのは…
医師:
大変申し上げにくいんですが…。
父・中山和彦さん:
その時に「がんです」っていうことを言われて。
しかも患者数は、日本全国でも年に20人ほどしかいない希少がんだという。
父・中山和彦さん:
まず「なんでうちの息子が?」ですよね。
だが、当の本人は…
父・中山和彦さん:
全然変わらない感じ。淡々と聞いてる感じでしたね。もうね、僕らがちょっと涙ぐむような状況でも、本人は別にそういう感じでもなく…。
あまりのショックに、口もきけないのか?
当時は、そう思っていた。
なぜなら、聞かされた手術もあまりに大がかりだったからだ。
背中にできた腫瘍だけでなく、骨の一部も取り去り、皮膚が足りなくなったら、太ももから皮膚移植する可能性もあるという…。
それなのに、手術が成功し無事に大学に戻った奏琉さんは、
奏琉さんの友人・松岡信さん:
結局何単位取れる見込み?
奏琉:
ゼロ。来年からニート。まじ何しよ。暇なんだよね。
奏琉さんの友人・松岡信さん:
札幌にいさせてもらえるの?まず。
奏琉:
病院あるし。
奏琉さんの友人・松岡信さん:
そういう意味で都合良く病院使ってるのか、おまえ。

奏琉:
都合よくというか、死ぬもん。おれはいつ死んでもいいんだけどさ…

と、ひょうひょうとしている。
この動画に映る、友人も…
奏琉さんの友人・松岡信さん:
「がんだったわ…」って言って笑いながら言ってた。がんになってからと、なる前で印象が変わらないんですよね…彼、逆に。
あれほどの大手術だったのに、大学でも「がんだったわ…」の一言で終わり。
深刻な病状を誰にも伝えないまま、待っていたのは、1年後の再発だった…。
父・中山和彦さん:
体の中にできている腫瘍が出血をしてて。血がたまって肺を圧迫しちゃって息ができなくなっていた。左側向きで寝てないと肺が膨らまなくて、息ができなくなるので、ずっと横向いた感じで寝てるしかなかったんですよ。それがあまりにもかわいそうだからっていうか。
お見舞いに行った、友人が見たのも…
奏琉さんの友人・松岡信さん:
その時は、僕は正直このまま死ぬだろうなと思いました。かなり弱ってたので。ずっと肺から血出し続けて、すごくか細い声でしゃべってたので。ああ、もうこのまま逝ってしまうだろうな…。
葬儀会場で知らされた“予約投稿”
そして…

2025年10月12日午後10時52分 中山奏琉さん(22)永眠。
ところが物語は、これで終わらなかった。
奏琉さんが息を引き取った、2日後…

『グエー死んだンゴ』
なんと、亡くなったはずの奏琉さんから最後の投稿がXに投下されたのだ。
おそらくは、亡くなる直前に本人が仕込んだであろう「予約投稿」。
父がそれを知らされたのは、息子の葬儀会場だった。
奏琉さんの友人:
奏琉君のお父さんですよね…やっぱり彼は人気者ですね、こんなに友達が集まって。
父:
エッ?
奏琉さんの友人:
そうそう、奏琉の周りには、いつも人が集まってたもんなぁ。
息子は、「ぼっち」ではなかったのか…?

父・中山和彦さん:
大学の友達とかに聞いたら、「すごく人引き寄せるんですよ」みたいなこと言われたりとか。「自分からは話さないんだけど、人を引き寄せるんですよ」とかって言われたりとかして。
しかも…
父・中山和彦さん:
“奏琉、Xでバズってるんだよね”みたいなことを言われて。何が?と思いながら聞いてて…。

そこで父は、人生初のSNSで息子の記録をさかのぼり始める。
すると…
(2023年10月25日投稿・奏琉さんのnoteより)
デカすぎが気になり病院へ。肋骨がやばいんだろうなと思ってたらデカ腫瘍だった。

「デカすぎ」とは、あの日見た腫瘍のこと。
その腫瘍に、「デカすぎ」というあだ名をつけ…
(奏琉さんのnoteより)
CTを撮った。人生初でテンション上がっていたがすぐに終わって面白くなかった。
検査さえ、面白い、面白くないで語っている。
しかも、あの壮絶な手術については…。

(奏琉さんのnoteより)
癌発覚。手術で肋骨ごとごっそり取るらしい。明後日から入院生活が始まるけど、初めてなのでちょっとテンションが上がってる。
そこには、自分の知らない息子がいた。
中でも驚いたのは、がんが再発し、ステージ4を宣告された時の文章だった。
(2024年11月6日投稿・奏琉さんのnoteより)
再発しましたね。運がなかった。嘆いて治るものでも無いのでネタにでも昇華しようと思います。
もちろん、友人が聞かされたのも…

奏琉さんの友人・松岡信さん:
「ステージ4だったわ、ガハハ」って。「病院もう1回行ったらがんだったー」とか言って笑ってました。
その、あまりの無邪気さに…
奏琉さんの友人・松岡信さん:
「笑ってんじゃねえよ」って言った覚えありますけど。ステージ4って、その時は僕の方がなんかビビってた…。「中山、死んじゃうの?」って思ったのは覚えてます。
生きざまが起こした奇跡
死の淵に立たされてなお、痛みに耐え道化を演じ続けていた奏琉さん。
その時、父は幼いころの記憶を思い出した。

それは、大きな釣り針が刺さっても…
父・中山和彦さん:
怒られたら困るのかなんだか分かんないですけど、泣かないで我慢してるんですよ。目にいっぱい涙ためながら。
カッターで血だらけになっても…

父・中山和彦さん:
縫うぐらい切ったんですよ。血ダラダラで、目にいっぱい涙ためながら、でも泣かないんで我慢してて。
それとまったく同じことが、入院中にもあった。
父・中山和彦さん:
先生とか、看護師さんに言われたのが、「本当に痛いときも我慢しちゃってるから、心配になるんですよね」って言われたことがあって。
「我慢強い息子」と「ふざけた投稿」…それは、自分の弱みは絶対に見せず、人を楽しませようとした、息子の生きざまだったのか…
思えば、進路を決める時もそうだった。
奏琉:
父さん、俺、北海道大学に行くよ。
父:
ああ、そうなのか。
父・中山和彦さん:
(理由は)全然分かんないです。まあたぶん、北海道で一番の大学だからっていうのが、まずあったんだと思いますけどね。
という程度に思っていたのだが…。
後日、進学担当の先生から聞かされたのは…

先生:
奏琉君、やっぱりお父さんの仕事を、ずっと見ていたんでしょうね。
父:
えっ、どういうことですか?
先生:
「北大で農業の研究したい」って言ってましたよ。
奏琉は、トラクターからの景色を覚えていた。
横で眠ってしまった、あの日々を…。
決して口に出さなかっただけで。
バラバラだった点と点がつながり、1本の線になり始める…。

だが物語は、それで終わらなかった。
その生きざまは、父の想像をはるかに超える奇跡を巻き起こしていく。
亡くなった奏琉さんがXに残した最後の投稿に…

(カシシさんのXより)
このニキに敬意を表してお香典包んだンゴ〜 成仏してクレメンス
あの「死んだンゴ」の投稿を見た人から、香典代わりに「国立がん研究センタ−」に寄付をしたというポストが…。
すると…
少ないけど香典包んだ 成仏してクレメンス
俺もたまにはええ事すんぞー
そんな投稿とともに、全国のがんセンターなどに爆発的な寄付が集まり始めた。
それは、直接奏琉さんとは関係のない東京の「がん専門機関」にも…
公益社団法人 がん研究会・山口武史社会連携部長(5日):
昨日の段階でございますけれど、2440件。金額にしまして、1000万円を超える数字となっている状況でございます。このような爆発的に集まるというのは、おそらく未曽有の状態だと思いますので。
今、友人が思うのは…

奏琉さんの友人・松岡信さん:
(奏琉は)二度と会わない、とんでもない奴という印象ですね。自分の死を受け入れることもしんどいはずなのに、まさかそれを使って他人を笑わせようとしてくるようなやつがいるとは思わないなって純粋に思いました。だから、やっぱり衝撃的なやつ。とんでもない人間ですね。
そして、父もまた…
父・中山和彦さん:
「やらない善より、やる偽善」ってやつですよね。本当にその通りだなと思って…。きっかけは何にしろ、本当に日本全国の方に知ってもらって、本当に日本一の有名な中山さんみたいな形になってて。それがすごくね、いい取り組みにつながっているっていうのは本当に誇らしいですし、自慢の息子だなと思って。
と、語る父が選んだ遺影は…
父・中山和彦さん:
これ実は、下にチャーハン抱えているんですよ(笑)。本当にこんな大皿のチャーハン持って、にこやかに笑っていた写真だったんですけど。

取材の最後、生前奏琉さんが兄に託していた父へのプレゼントを見せてくれた。
父・中山和彦さん:
本人がどんな写真を入れたかったのかがちょっと分からなくて、今どれにしようかなといいながら、とりあえずそのまま飾っているところで、まだ時計の電池も入れられていなくて…。なかなか“ありがとう”なんて言われることがなかったので、これはちょっとしんみりしましたけど。うれしかったですね。

SNSによって点と点がつながり、浮かび上がった息子の横顔…
自分の人生を愛した、自慢の息子だった。
(「Mr.サンデー」12月7日放送より)
