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高杉親知のハンガリー逍遥記: 1997 年 8 月 13 日
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1997 年 8 月 13 日 (水曜日)
コファ君と待ち合わせの後、英雄広場まで地下鉄で移動。ブダペストの地下鉄は 3 本しかないので旅行者にも覚えやすい。気付いたのは地下へ移動するエスカレーターが日本のものと比べてかなり速いということ。日本の二倍くらいの速さはありそうだ。果たして老人に乗れるのだろうか。確かに周りにあまり老人を見かけない。さて、英雄広場駅を降りて最初に英雄広場横の博物館に入る。ここはハンガリーの古い装飾品や絵画が納められていて見応えがある。人はまばらだ。一定の時刻になると英語のガイドによる絵画めぐりが開催されるのでそれに参加した。このガイドの人はアメリカ出身の女性で、やたらと早口だった。僕とコファ君の他には、アメリカとポルトガルからの旅行者がそれぞれ一人ずつ加わった。納められている絵画のうち重要なものを、ルネサンスの直前から時間を追って説明してくれて役に立った。とにかくたくさん絵画があるので、一つ一つ見ていたら一日では足りなかっただろう。
その後、英雄広場に行った。英雄広場はハンガリー史上の英雄達の銅像が半円形に配置された、美しい広場だ。観光客が非常に多く、日本からの観光客も見かけた。昼飯は近くのレストランで取った。七面鳥を使ったハンガリー料理を食べたが、これがなかなかいけた。ハンガリー料理はソースにはずれが少ない。
コファ君の通っていたブダペスト工科大学の構内を散策した後、中央市場に行った。屋根が付いた地下一階地上二階の市場だ。パプリカやソーセージの店が非常に多い。2 階の店は軽食屋が多く、その場で食べることができる。僕はラーンゴシュという油で揚げた平たいパンみたいなものにサワークリームが塗ってあるものを食べた。なかなか美味しかったが、手が油でべとべとになった。ハンガリー料理と言えば油なのでもう慣れたが。
デアーク広場で友人と別れてから、明日からのホテルを取るため、散歩を兼ねてブダペスト市内をぶらぶらした。部屋が取れると期待していた日本人が経営するサクランボはしまっていたので結局ブダ・センター・ホテルにした。
夕食はちゃんとしたところに入るのが面倒だったのでケンタッキーですませた。ブダペストにもケンタッキーやマクドナルドなどのファーストフード店が多く進出していて、雰囲気や味は世界中どこの店でも大差はない。わざわざ遠くに旅行してファーストフードなんぞを食べるのはくだらないことだが、チップを払ったりしなくて良い気楽さは確かにありがたい。サラダを頼んだらドレッシングが付いていなかったので、ドレッシングはないのかと思ったら別売りだった。また追加で頼むのも億劫だったのでそのまま生で食べたら、やはりあまり美味しくなかった。過度の一般化を恐れずに言えば、欧米では暗黙のサービスというのは日本ほど好まれないようだ。押し付けがましいと取られるらしい。欲しいものを欲しいと言わない限り、欲しがっていないと思われるのだ。
ホテルのテレビはハンガリー語の番組の他はドイツ語のものだけで、英語のものはない。観光客と言ったらもっぱらドイツ人だからだ。日本語にも飢えてきたところだったのでヒルトン・ホテルに行って新聞を買って来ようと午後 7 時頃出発したが、くさり橋の上で中近東風の男にちょっかいを出され、その場はやり過ごしたものの不安を感じて自分のホテルに戻った。ハンガリーは特に危険な感じはしないが、それでもやはり外国人観光客は狙われる可能性が高いのだろう。特に僕は見るからに外国人なわけだし。
コファ君と僕 (英雄広場にて)
英雄広場の建国千年記念碑
中央市場
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