hisao9105の日記: 武士と侍。 3
日記 by
hisao9105
天才的な モビルスーツ屋の hisao9105 (23755)用です。何かログインした時の名前がかっこよかったので使ってみました。
さて、友達に相当な日本フリークがいるのですが、先日そいつとサムライカルチャーについて話しました。そいつが言うには武士と侍の定義の違いがいまいちつかめない。と、なかなか鋭い事を言ってきます。
個人的な定義ですが、原則的には武士は社会的な階級や生活習慣、侍は職業となります。武士というのが軍団なり個人なりに武力や戦闘技術を保持している人々の社会階級としての総称であるのに対し、侍というのは更にその武士の中で主に天皇や将軍に直接、間接的にガードとして仕えている者を指します。たとえば上古における悪路王や平将門、時代が下ると宮本武蔵や浪人にいたるまで理由は様々ですが大和朝廷や幕府などに対して仕える事をしなかった人たちは侍ではありませんが武士なのです。つまり、武士と侍を分けるものは「時の治世者に仕えているか否か」という事に成ります。
これが混同されるようになったのはおそらく江戸期の頃でしょう。基本的に武士といえば幕府か朝廷に仕えている事になるので武士=侍という認識が、主に農民等武士階級以外の人々に植え付けられたのがこの頃だからです。それでもまだ、というかやはり、武士階級の中では分けていたようです。なので例えば「武士道」は侍だけではなく武士の哲学だったのでそう名づけられた事になり、時代劇なんかでも浪人やら剣客崩れの悪役に対して「貴様それでも武士の端くれか!」等と怒り侍どうたらとは言わないのもそういうことを考慮したうえでのことなのでしょう。
現代においてサムライと呼ばれるのは、例えばサッカーの日本代表。戦力は保持していませんが、やはり国の為に戦うという行為からでしょう。反対に、侍の文化からできたものでも、例えば剣道では「剣士」など、別の言葉を用いる場合がどうも多いです。まぁ武道界は国際化が進んでおり、外国人の方を考慮しての事でしょうが、侍の文化の中で生まれた物が背景にあるものにもかかわらずその呼称を避けるというのも面白いものです。国籍保持が国との相互契約にあたるということを考慮した上で定義にあてはめると日本人剣士は全員侍で、外国人の方々は武士となるのかもしれません。
忙しさにかまけて書いていなかったので、乱文が目立ちます。もっと書かないといけません。
さて、友達に相当な日本フリークがいるのですが、先日そいつとサムライカルチャーについて話しました。そいつが言うには武士と侍の定義の違いがいまいちつかめない。と、なかなか鋭い事を言ってきます。
個人的な定義ですが、原則的には武士は社会的な階級や生活習慣、侍は職業となります。武士というのが軍団なり個人なりに武力や戦闘技術を保持している人々の社会階級としての総称であるのに対し、侍というのは更にその武士の中で主に天皇や将軍に直接、間接的にガードとして仕えている者を指します。たとえば上古における悪路王や平将門、時代が下ると宮本武蔵や浪人にいたるまで理由は様々ですが大和朝廷や幕府などに対して仕える事をしなかった人たちは侍ではありませんが武士なのです。つまり、武士と侍を分けるものは「時の治世者に仕えているか否か」という事に成ります。
これが混同されるようになったのはおそらく江戸期の頃でしょう。基本的に武士といえば幕府か朝廷に仕えている事になるので武士=侍という認識が、主に農民等武士階級以外の人々に植え付けられたのがこの頃だからです。それでもまだ、というかやはり、武士階級の中では分けていたようです。なので例えば「武士道」は侍だけではなく武士の哲学だったのでそう名づけられた事になり、時代劇なんかでも浪人やら剣客崩れの悪役に対して「貴様それでも武士の端くれか!」等と怒り侍どうたらとは言わないのもそういうことを考慮したうえでのことなのでしょう。
現代においてサムライと呼ばれるのは、例えばサッカーの日本代表。戦力は保持していませんが、やはり国の為に戦うという行為からでしょう。反対に、侍の文化からできたものでも、例えば剣道では「剣士」など、別の言葉を用いる場合がどうも多いです。まぁ武道界は国際化が進んでおり、外国人の方を考慮しての事でしょうが、侍の文化の中で生まれた物が背景にあるものにもかかわらずその呼称を避けるというのも面白いものです。国籍保持が国との相互契約にあたるということを考慮した上で定義にあてはめると日本人剣士は全員侍で、外国人の方々は武士となるのかもしれません。
忙しさにかまけて書いていなかったので、乱文が目立ちます。もっと書かないといけません。
さぶらう者 (スコア:1)
また、現在言われている(そして時代劇などで語られる)「武士道」の概念については、新渡戸稲造が『武士道』を書いて、初めて形を与えられたと言う考え方も出来るかと。新渡戸が著書の序文冒頭で・・・
と、書いている様に、武士が存在した時代の「武士道」の概念は「教育」として与えられたと言うより「社会的な常識」として存在していたものである様ですし。
面白そうですね (スコア:0)
自分は武士について語るときのベースとしています。ぜひご一読を。
Re:コメントどうもです。 (スコア:1)