記憶に残る衝撃トレード

電撃トレードで「心が晴れた」 元巨人・大田泰示が語る“解放”と「55」の後輩・秋広への思い

小西亮(Full-Count)

昨年の現役引退後、古巣・巨人のアカデミーコーチに就任した大田氏。現役時代に経験した電撃トレードの舞台裏を明かしてくれた 【撮影:スリーライト】

 トレードという片道切符を握りしめた選手が、突如としてプロ野球人生を一変させることがある。2024年限りで現役を引退した大田泰示さん(現ジャイアンツアカデミーコーチ)も、そのひとり。栄光の背番号55の重圧と向き合い、もがき続けた巨人時代から一転、2016年オフに移籍した日本ハムではレギュラーを掴み、一気に飛躍の階段を駆け上がった。

 培ってきた技術や考え方が、環境の変化によって芽吹く瞬間。「一瞬、一瞬がうれしかった」と振り返る。トレードによって初めて見えた景色や、経験者だからこそ伝えられる教訓。そして、同じ「55」を背負い、今年5月に巨人からソフトバンクにトレード移籍した秋広優人内野手にも思いを寄せた。(取材日:6月20日)

球団事務所に呼び出され「育成は覚悟した」

プロ8年目のシーズンを終えたばかりのオフ、大田氏(写真左)は2対2の交換トレードで巨人から日本ハムに電撃移籍した 【写真は共同】

――2016年11月2日に発表されたトレードは、ご自身にとっても突然の知らせでしたか?

 マネジャーから電話をもらい、(ジャイアンツ球場のクラブハウス)2階の選手ロッカーから1階のスタッフルームに「ちょっと来てくれる?」という感じで、その時は重苦しい雰囲気はなかったですね。スーツに着替えて球団事務所に向かってくれという話をされました。

――シーズンオフに、スーツで球団事務所。いろんなことを想像してしまう。

 戦力外か、育成への打診か、一番いい話はトレードかなと。戦力外はあまり想像していなかったというか、想像もしたくなかったので。育成は覚悟しました。でも、まだ野球をやれるのであれば、という思いで球団事務所に向かったのは覚えています。

――結果は、2対2のトレード。移籍先は、直前の日本シリーズで王者になった日本ハムでした。

 トレードを伝えられたのが、日本ハムが優勝した翌日か翌々日くらいだったので、非常にびっくりしました。当時、パ・リーグで乗っていたチームですし、大谷翔平選手(現ドジャース)もいましたし。

――巨人を去る複雑な思いと、新たな挑戦へのワクワクが交錯する瞬間でもあります。

 前向きな気持ちでした。当然、ジャイアンツで活躍できなかったという悔しい気持ちはありました。でも、自分の人生を考えれば、いい分岐点になると思いましたし、生かすも殺すも自分次第だと気持ちを落とし込むことができました。もう一回、スタート位置に立てるという感覚でした。

――巨人での8年間で、環境を変えたいと思ったことはありましたか?

 不甲斐なさを感じることが多かったので、もう一皮、二皮剥けるためには、環境っていうところも必要なんじゃないかと思う時はありました。でも、ジャイアンツにドラフト1位で入り、期待をされているのは身に沁みて感じていましたし、それを環境のせいにしてしまうのは良くないなとも思っていました。逃げ道だと感じてしまう。だからこそ、何年かかってもいいからジャイアンツでレギュラーを取る。それがマストだと思っていました。

――巨人の背番号55の重さは、背負った本人しか分からない。

 大田泰示という名前を世の中に広めてくれたのは間違いなくジャイアンツですし、背番号55が僕の価値を高めてくれた部分もあるのは確かです。入団6年目に55番から44番になって悔しさもあったし、これで思う存分野球ができると思う部分もありましたけど、なかなかレギュラーに定着できずに悩むことも多かった中でのトレードでした。自分の長所って何だろう、短所には目をつむって良いところだけを出そうと決めました。

日本ハムの雰囲気が「僕には合っていた」

移籍1年目でレギュラーに定着し自身初の規定打席到達。トレードが転機となり才能を開花させた 【写真は共同】

――逃げられない、逃げたくない状況から解放されました。

 なんだろう、本当に心が晴れたというか。いろんなものを背負いながら野球をやってきた中で、ファイターズの入団会見をした時に、心がパッとクリアになった感覚でした。

――「ジャイアンツの大田泰示は忘れてもらって」と語った日本ハムの入団会見は印象的でした。

 本当に、当時の僕の気持ちのままという会見だったなと思います。ジャイアンツでもっとやれたとか、ポテンシャルを活かしきれていないという(周囲の)声は、分かっていました。そういう意味でも、ファイターズで自分のポテンシャルを信じて進んでいこうという決意とともに、クビになっても仕方ないと言える野球人生を送りたいと思ったんです。

――新たなチームでの発見も多かったと思います。

 フレンドリーな雰囲気がありながら、しっかり上下関係もあるという文化はすごく新鮮でしたし、溶け込みやすかったです。選手間での技術面の意見交換や反省がロッカーでも試合中でも頻繁に行われていたので、僕には合っていたのかなと思います。みんなが結果を出すことをすごく楽しんでやっているなと感じました。

――苦労した点はありますか?

 苦労っていう感覚があまりないんです。突っ走ってがむしゃらに野球をやっていたなと。1軍の試合に出て、勝って、スタメンの回数が増えてきて、レギュラーと呼ばれるようになってという過程が楽しかったし、野球選手になれたと実感できた瞬間がいっぱいあったので、すごく苦労をしたとか悩んだという思いはないですね。

――大変だったのは北海道の気候くらい?

 雪と寒さくらいですね(笑)。ずっと寒かったです。5月中旬くらいまでは(苦笑)。でも、札幌ドームの景色は今でも好きですね。バッターボックスの視界もいいですし、守っている時の外野からの景色もすごく好きでした。

――生まれと育ちは広島、高校と巨人時代は関東。ゆかりのない北海道でのプレーはどうでしたか?

 初めてですかね、ファンの方々の応援に心が温まったのは。ジャイアンツの応援は熱気がすごくて、とにかく勝つぞという気迫が選手たちに伝わってくる感じなのですが、ファイターズの応援は心が温まるというか、ジーンとくるような。「頑張らなきゃ」って思わせてくれる声援だったなと思います。

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著者プロフィール

1984年、福岡県出身。法大卒業後、中日新聞・中日スポーツでは、主に中日ドラゴンズやアマチュア野球などを担当。その後、LINE NEWSで編集者を務め、独自記事も制作。現在はFull-Count編集部に所属。同メディアはMLBやNPBから侍ジャパン、アマ野球、少年野球、女子野球まで幅広く野球の魅力を伝える野球専門のニュース&コラムサイト

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