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バイオレンス - はてな匿名ダイアリー
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「バイオレンス」を含む日記 RSS

はてなキーワード: バイオレンスとは

2025-12-03

anond:20251203162400

ド直球なエンタメ小説だな

推理作家賞取ってるけど推理ものを期待するとぜんぜん違う

エログロバイオレンスで勢いよく駆け抜ける感じ

読みやすいから1日あれば十分読める

文学を求めるなら向かない

エンタメを求めるならあってる

2025-10-29

SHOGUNとかをポリコレやwokeに屈しないドラマと評してるアカウントをXで見た記憶があるけど、反ポリコレ勢のポリコレ解像度低すぎだと思う。SHOGUNみたいに日本のことをちゃん日本の人たちで作るとか、ポリコレ以外の何者でもないのに。マイノリティアメリカでは日本人や日系人マイノリティ)を偏った仕方で描写せず、マイノリティを題材にする癖に当事者を締め出したりせず、またマイノリティをできるだけいないことにしないのがポリコレ的に評価される作品なわけで、日本人が日本人を演じて日本人が日本考証をするハリウッドドラマが反ポリコレなはずないのに。

なんか、「行儀のよさを求めるもの」程度に思ってたりするよね。バイオレンスだって下ネタだってエロだってポリコレ的に評価されるコンテンツはいくらでもあるのに。

海外勢はなんでチェンソーマンを叩かないんだ?

なんかさ、欧米をざっくり見ると

建前であるポリコレライン

本音であるバイオレンス大好きライン

両方があるよね

後者に刺さるのは良いんだけど、前者の人らはもっと叩くと思ったんだけどな

下手に触るとファンに燃やされるんだろうかね

2025-10-17

(悪の教典-序章-)元々原作が持っている部分を、PG12(12歳未満の年少者には保護者の助言・指導必要)にするためにはだいぶ印象を変えなきゃいけないなと思いましたね。でもバイオレンスを見せたいから蓮実を暴れさせるとすると成人映画なっちゃう。

2025-09-30

子なし夫婦生活最高!DINKs万歳!みんなにもオススメだよ!

先日結婚20周年を迎えた

付き合った当初からお互い子供は欲しくないという点で意見が一致しており、結婚後も何も揉めることなく子なし夫婦としてやってきた

20年の結婚生活を振り返って本当に幸せ人生を送れているなと思う

そしてこの幸せはきっと子供を作ったら味わえなかった代物だろうとも思う

子どもを産むにあたって不安がっている人に「大丈夫だよ」「私も不安だったけど産んだらなんとかなったよ」みたいな体験談を語ってる場面はよく見る

一方で子どもを産まない選択をすることに不安を覚えている人に対してそういう体験談を教えている場面はなかなか見ないので、全国の子どもいらない勢に対して子なし夫婦の素晴らしさをご紹介しようと思う

金銭面がマジで

子なし夫婦メリットは色々あるけどお金心配がいらなくなるというのは非常に大きいと思う

私たちはお互いフルタイム共働き

育児関係キャリアを断念することもなかったので今となってはお金にかなり余裕がある

夫は年齢の平均ど真ん中、私は年齢の平均年収+3〜400万くらい稼いでいて毎年新NISAの枠を全部埋められている

若い頃に夫が鬱を患って転職余儀なくされたこともあったけどそのときも子なしなの不安は少なかった

なんなら「専業主夫やれば?」と夫に言っていたくらいだ

実際、余裕があるかはともかく生活するだけなら子どもがいない分当時の私一馬力でもなんとかなりそうだった

よく「子どもがいないと老後が〜」「介護が〜」みたいなことを言われるけどお金の力でどうにでもなると思う

しろ子持ち夫婦だって子ども介護に携わってくれるかなんてわからない

そもそも自分の子どもに将来の介護要員としての期待を持つってことそのものが不健全な気もするし

キャリアを捨てなくていい

上記の話に関連するけど

女の立場としてはやはりキャリアを捨てなくていいってのが非常に大きい

産休育休制度は普及してるし、そういう休みを取ったからといって不利な扱いをしてはならないって定められているけど

じゃあ実際に産休育休後に仕事を再開した場合子供を作らなかった場合とを比較して前者が後者と同等のキャリアを歩めるのかといえばそんなことはないでしょ

産休育休って言ったって休み休みなんだからその間仕事はできない、仕事評価もつかない、キャリアにおいてプラスには働かない

仕事に復帰したあともその空白期間を埋め合わせるのには実際の休み以上の期間が必要だし二人目三人目を作るなら言わずもがな

女性がある程度キャリアを作っていくならやっぱ子どもなんて産んでられないよ

まりにもリスクが大きすぎる

はい部長立場だけどやっぱり子どもを産んだ女性役職につきにくい傾向があるなって思う

なんやかんや言って女性限定すれば私は会社において上から二番目の役職

一番は創業当時から携わっているらしい役員の方で彼女独身

子持ちの社員絶対的仕事量の差、評定の差でどうしたって出世が遅れる

しかも私はバリキャリってわけでもなく基本的に定時ダッシュだし暇な時間自己研鑽なんてこともしたことはない

そんな程度の社員であっても休まず出社してるだけで部長クラスになれる

子ども産まないメリットとしてはかなり大きいと言えるんじゃないか

趣味を捨てなくていい

私の趣味映画を観ることと小説を読むこと、ラジオを聞くことなんだけど特に子どもを産んだら映画趣味は捨てざるを得なくなるなと思う

少なくとも子供が小さいうちは映画館なんて行けないしある程度大きくなっても子供向け映画を一緒に見に行くことしかできない

私の好みのゾンビだのホラーだの銃撃戦だのバイオレンスだのといった映画ちゃん映画館に通って観るなんてしばらく無理になるでしょ

映画館に通う頻度としては週1くらい

本当は週に2〜3本、年間100本くらい観たいんだけど流石に昼間働いていると厳しい

映画オタクの中では年間100本がシネフィルかどうかのボーダーって言われてるよね)

映画は上映期間に限りがあるし一度機会を逃すともう基本的には映画館で観ることはできなくなってしま

じゃあ例えば子どもの養育期間は配信我慢するとしても、なにか本当に素晴らしい映画配信で見た時に「私はこの映画劇場で観ることはできなかったし今後も観られることはない」って後悔に苛まれることになるよね

いまでさえそう思うことは少なくないのに子どもを産んで年単位でそんなことが生じるなんて耐えられないよ


映画館にはたまに夫もついてきてくれて、そんなとき適当に外でランチやディナーを食べたりもしている

夫はアニメゲームマンガ趣味同人活動も行っている

こっちはこっちで別ベクトル文化系だけど子どもを産んだらまぁ同人活動は無理になるんじゃないか

少なくとも今のペースで本を作るのは難しそう

好きなゲームの発売日には有給取って一日中、とりあえず一周クリアするまで部屋にこもってプレイし続けるなんてこともしてるけど子どもがいたら当然不可能

趣味に生きるならやっぱり子どもはいない方がいいと思う

夫婦喧嘩が圧倒的に少ない

これは人によるかもしれない

ただストレス源、責任プレッシャーなんてものは少ないか夫婦円満にはなりやすいんじゃないか

少なくとも私は未だに夫と仲良しでいられている

献立相談しながら毎週一緒にスーパーに買い物にでかける

さっき言った通りたまに映画デートをして外食をする

たまに懐石料理ホテルブッフェのお高めのランチ・ディナーを2人で食べたりもする

割と頻繁に旅行にも行ってるよ

子どもがいない分一人あたりの単価も高くしやす

若い頃でもボーナス使えば結構いいお宿に泊まれたし、ある程度お金に余裕ができてからは相当いいお宿に泊まれるようになった

パパママなんて立場にならずに済む分、夫婦でずっといつまでも恋人同士のようにレジャーを楽しむことができる

あと生々しい話、セックスレスにもならずに済んでいる

子どもを産むとやっぱり体型維持は難しくなる

それでなくてもホルモンバランスが狂って大変なことになるし夫側妻側双方にとって性的関係の維持には相当な努力がいると思う

子なしならそのへんの努力はある程度簡単になるよね

結論、子なしだと自分人生を生きられている感覚がある

あくまで私個人見解だけど

自分人生自分のために使いたいと思っているのならやっぱり子どもは作らないほうが幸せになれるよ

大好きなパートナーいつまでも仲良く添い遂げながら自分キャリアをきちんと積み上げ趣味にも時間を注ぐことができる

お金に余裕があるから食事旅行も楽しめる 

平民であっても支出の少なさからプチブルジョアになりやす

なにか人生において夢中になれることがある人、抑圧されたくない人、個人幸せを追求したい人に子なし夫婦はかなりおすすめです

少なくとも私に後悔は一切ない

子なしの選択に悩んでいる人はぜひともこっち側に来てほしい

しろ本心では子どもをいらないと思ってるのに何となく不安から子どもを作っちゃったら大変なことになると思うよ

恐れるな!子なしは子なしで幸せ人生を送れるよ!

2025-09-28

自分デンジだと思い込む精神異常者男性たちの集団ヒステリー

米津玄師が「デンジって女性に対してものすごく性欲的な感情を抱くけれども、セクハラ的な行動は絶対しないんですよね」とインタビューで話した件について、ネット弱者男性界隈がガチギレして殺気立っている。米津玄師存在を消して、米津玄師共感する女だけに対して異様な被害者意識を抱いている。

Xを見れば特にバットなる中年弱者男性の噴き上がり方が凄まじい。

   

「楚バット@geEeZ4e

デンジ未成年孤児貧困層児童労働大人に利用され続けた被害者)に向かって"性欲あるのにピュアかわいいでちゅね〜"的なセクハラしてるオバサオタクほんまにキモくて有害女性性の悪魔かと思った」(1万いいね

   

「ラルナ@避難所避難所 @rarunaDAME3

デンジくん、マキマさんパワーちゃんパイと序盤から連続してスケベ行為の見返りに危険な事をさせられるという直球の性的搾取を受けてるんですが、それをデンジくんはセクハラとかしなくってぇ・・・みたいな消費のされ方してるのちょっとグロテスクだと思います」(5千いいね

   

「石壁@waxter1211

デンジは性欲があるのにセクハラしない紳士!」は本質を捉えてないし「デンジの性欲は綺麗!」はもはや噴飯物の主張あれは人生女性と全く関われなかった影響でセクハラや性欲まみれのアプローチすら実行する発想が無い、本物の恋愛弱者ムーブだろ本当に皆さんは弱者が目に入らないんだな」(1.4万いいね

その他、有象無象キモオタアイコン弱者男性ミソジニストオタクが、うじゃうじゃと女特有の読解力のなさだとか男性を加害生物のように扱うのが許せないだの行く動に直球の差別発言を吐いているが

要するに【米津玄師サン発言者なのは男だから脳内から消去します】【デンジセクハラしないのが長所だと女が語るのは、弱者男性(俺)への性的搾取に決まっている】【女に俺の性欲を否定された】という歪んだ主張に尽きる。

   

まず主題歌連続担当するだけあって、米津玄師の読解は正しい。

チェンソーマン』は暴力的で野蛮でショッキングバイオレンスに見せかけて、最近漫画らしく主人公陣営馬鹿をやっても不快感が極力なく応援したくなるように、きちんと計算してヘイト管理されている。

藤本タツキは天然でM性癖から」で片付けるのは、さすがにタツキの頭を見下しすぎだ。作品理解力が誰よりも劣っている。

デンジは育ちは無茶苦茶で語彙はドブだが、決してクズではない。

陰キャ特有のめんどくささは皆無。素朴で真っ直ぐで不幸な目にあってもすぐ立ち直る明るさがある。

1話時点から粗暴な野生児ながら倫理観社会性をそれなりに備えていたし(己を搾取したヤクザを殺した事でさえ成り行きでゾンビ化して人間に戻れないなら仕方ないと分別のうえだった)

人並みの環境に移ってから世間との折り合いやコミュニケーション能力が急成長している。それが出来ているのは自分の不幸を言い訳にしないからであり、自分弱者であることに甘える発想が無いからだ。

王道少年漫画主人公らしい魅力を持ったいい奴である。性欲のある孫悟空みがある。

陽キャ陰キャかで分けるなら、間違いなくデンジ陽キャだ。

性的欲求に対しても同じこと。

 

そんなデンジに、デンジとは180度真逆の、自分ケア他者強要する事しか頭になく倫理観社会性が中年になっても欠如したままの、自分の弱さを盾に諸々放棄して全ての責任から免除されようとする自分だけに甘い卑劣さな陰キャオジサン達が一斉に自己同一視しているかと思うと、滑稽であると同時にデンジに同情してしまう。

 

そもそもデンジって性欲はあっても、加害したりマウントしないのがいいよね」の一言勝手に湧いて出てきて「傷つけられた」「はい性的搾取」と騒ぐ心性が理解できない。

バットルナ石壁ら100人異常散見できた自称弱者男性軍団理屈に照らし合わせると、まるで『男(俺)の性欲には女を加害しても許される男性権が当たり前に含まれており、それを不当に奪われたから怒った』と言わんばかりではないか

性愛に限らず、人は何がしか欲求に常に振り回されている。その我欲の充足のために他人を傷つけたり貶めたりしないのは人間として最低限の道徳であり、普通の対等のコミュニケーションである

その普通の対等のコミュニケーションを、女性男性に対して肯定した時だけ「搾取だ」「グロい」「傷ついた」と逆上する被害者意識超弩級女性差別主義と一体だ。

男性を女を屈服させる願望持ちの加害動物のように言うな」などと女性憎悪誹謗中傷クソリプする弱者男性集団は論外で、その行動で自らの男特有のミソジニックな加害性を証明してしまっている。

 

マジレスするけど、もし、デンジ自分から行為と引き換えに悪魔退治してやると女性陣に持ちかけてたら、読者の印象は最悪だぞ。「弱みにつけ込む小狡い肉欲クズ」として。

女性陣の性的奔放さを強調したとしても、どうしてもデンジ計算高い印象を与えてしまう。それだとキャラがブレる。

性的取引が初手から大満足の結果だったらデンジが早々に目標を失ってしまい、作者が困る。

何事に対しても内向的受け身アニメ碇シンジキャラならイラつく読者も多くなるだろう。「積極的に動いてエネルギーを外に向けて発散する外向性を有しつつ女性に対しては奥手」は昔から愛される王道主人公像だ。

とにかく『チェンソーマン』本編の面白さと読者好感度バランスは、デンジの性欲抱いてもセクハラではなく純粋なイチャラブ願望で実現しようというピュアさと健気さで成り立ってる。

作り手が意図して「こんな男子、可愛げあって好感持つでしょ?」と造形してるんだから、その観点デンジに好感持ってる米津玄師女性ファンは正しい。

 

 

 

内なる暴力性を持て余してる欲求不満の非モテ男性が「俺を無害と見なすなクソ女!俺様の抑圧されし性欲の恐ろしさを思い知れ!男と書いてチンポの怒りをくらえ!」と突然キレ出して暴れるような、自称弱者男性理想物語が欲しければ新井英樹漫画でも読んでろ。

2025-07-26

映画国宝』の児童虐待描写はいいの?

白痴女の子ゴミを食べさせて笑う社会に生きている

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20250723050053

ゲームAV社会の「割れ窓」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20250724110825

どうにかこうにかこの作品にはこんな悪影響ガー!危険性ガー!加害ガー!被害ガー!とラブドールっつってんのに初手から何故か障害者に置き換えて未だないゲーム相手にない事ない事喚かれてる表現規制戦士様方ですが、最近大きく話題となり、現在も絶賛上映中の『国宝』と言う映画はご存じでしょうか?

https://kokuhou-movie.com/

こちらの話、手始めに一番バイオレンスなシーンがありますが、それはまあ相応に悪い奴が殺される上、日本では大多数の人と関わり少ないものなので、影響力も加味してさて置くとして、規制戦士様方の言い分を取って言わせて頂きますと、とても言い逃れようがないのではと言うシーンが続いて出てきます

児童への暴力を伴う躾です。

それもこちらは創作といえど実在人物が演じてますから、実際にぶたれたり蹴られたり罵詈雑言も吐き捨てられます

皆さん知っての通り、現代でも躾と称した暴力は世に蔓延っており、被害児童も多いです。

簡単に影響される家庭、肯定している家庭もいくらでもあるでしょう。

現代では立派な児童虐待であり保護されるべき通報案件です。

そしてこの作品、この暴力が作中咎められるかと言うとそんなものはありません。

暴力を振るった人間は慕われながら亡くなるだけです。

悪い事が悪い事として描かれ、作中で裁かれているので良しと言う皆様方の言い分もありましたよね。

完成してない誰もプレイできない絵のゲームなんぞにない事ない事妄想膨らませて文句つけられるより、完成して誰もが見る事ができて、身近にありふれた問題で、しかも実写で絵より直接的な表現となる媒体創作についてある事ある事でお話しされた方が今は余程有意義なのではないでしょうか?

それともこちらには何もご不満ないのでしょうか?

この点、私とても不思議に思いましたので、一筆書かせて頂きました。

因みにこれは所謂whataboutismにも当たらないと思います

皆様が存在しているものについて語ってらっしゃるなら、それに対してこれはどうなんだは立派なwhataboutismですが、皆様存在しないものを語ってらっしゃる

0は100に膨らませても0ですよ。

以下追記

20250726 10:00

早速whataboutismだと難癖つけられちゃいました。

体験もできないないもの妄想議論することは無意味と言っているのだから擁護も当然無意味に決まってるんですが、文章を読めない方だったようですね。

で、結局上記児童虐待描写への言及は無しと。

せっかく作品として完成され、彼らの言い分も十二分に立つ、しか記憶に新しいごく最近のものを議題として提示してあげたのですが、これが無視されるのであれば、彼彼女らが訴えた表現の影響力とその危機感と言うのは一体何だったんでしょうかね。

20250726 15:00

未だにまともにこの児童虐待描写について、これはダメだと声を上げてくれそうな方は一人もいませんね。

誠に遺憾です。

児童とは言え男→男の加害パターンからどうでもいいと言うことでしょうか?

まだ存在してもいないマイナーインディーズゲームの話では飛ぶ勢いでその影響力に懸念を表明され燃え上がっていた皆様の正義の心ですが、今も流行りに流行り今年一番の盛り上がりを見せる話題実写映画ではその心に煙も立たないご覧の有様です。

皆々様の正義とはその程度のものだったのでしょうか?

それとも、対象女性だったからどこまでも親身になり、我が事のように訴えられていただけだったのでしょうか。

差別界隈では声を上げないのは差別への加担であると言う言葉がありましたよね。

児童虐待等につきましても、絶対的弱者を守るべく、悪影響をもたらしかねない表現について一貫性を持って声を上げて行くべきではないでしょうか?

20250726 16:00

anond:20250726154849

一つ目の問いからとても浅はかな返しです。

実際に見たり体験したりしないと真価がわからない作品なんて星の数ほどあるでしょうに、リリース前の紹介文が出てるからなんだと言うんでしょう。

その後も色々と述べられてますが、なぜ肝心の問題表現のものについての言及がないのでしょうか?

児童虐待矮小化する文句だけは見受けられます

お前の言う事は詭弁から無効!としたいのが透けてますね。

いちゃもん乙です。

次2点はブコメより

児童虐待を楽しむことが主題映画ではなく、登場人物はこういう世界で生きていますという背景紹介シーンに過ぎないからとかその辺なのでは?

タイトルからしてゴミを食べさせることがメインテーマゲームと、成長描写として出てくる虐待シーン比べられてもなあ。それにゲーム主体的にできるからね。ぜんぜん違うよ。

なるほど。では、主題ではなく背景描写等なら子供ゴミ食べさせて、それが悪いことと描かれず、その親も何ら報いも受けず子に慕われて亡くなったとしても何も問題ないと言う事ですね。

私は問題のある表現は悪影響があるから批判されていると理解しているので、背景紹介だからとか成長描写からとか、その描写用途無関係ではないか理解しているのですが、そう考えられる方もいらっしゃるんですね。

もしかして皆さん、そう言う話で批判していらっしゃったんですか?主題でなければ問題ないと?

じゃあ件のゲームタイトル変えたら丸っと解決なんですかね。

20250727 3:00

様々なご意見いただき誠にありがとうございます

すっかり日も超えてしまいましたので、これを〆の追記とさせていただきます

しかしながら、誠に誠に遺憾ですね。

多くの方は私に反論してやろう、こいつは詭弁を言っている、だから潰してやろう。そう言った敵意丸出しのくだらない御託ばかりです。

問題ある表現に関してはまるで言及がありません。

本当に骨があるなと思ったのはこの方くらいでしょうか。

anond:20250726195325

人の目につかず、問題提起が露と消えると言うのは色んな意味でとても残酷なことですね。誠に同情致します。

もちろん他にもこのエントリーを受けて、自分なりに咀嚼して頂いてるなという反応もぽつりぽつりと見受けられます

せめてそういう風に受けて頂けると有り難く存じます

さて、そもそもですけど、なぜ表現規制をかける必要があるのかと言うと、前述の元増田様方でも挙げられていた通り、その表現の影響を懸念してのことではなかったでしょうか。

この度『国宝』では児童虐待次世代が引き継いでないから良くないことと描写されていると言った反論が見受けられますが、折檻していた人物虐待理由に何一つ裁きに合うような事にはなっていないのも事実ですし、影響を受ける方と言うのはそのふんわりと良くないことと描写されていると言う文脈を、そういう風に読み取ってくれる方ばかりでしょうか?

私は個人的にはわかりますよ。寧ろ他の表現規制の話でも、そうした文脈理解でき、常識的判断が出来る方が大多数だとも思います

ですが、当ブコメでもそのようには受け取らず、あの暴力を伴う躾を是としている方もいらっしゃいます

表現の影響の懸念と言うのは正にそう言った、受け手任せなところを懸念して、少しでも被害者を増やさないために行われるものではなかったでしょうか?

私に言わせれば多くの皆様は表現懸念より私にヘイトを向けてばかりで、それはその実、『国宝』における児童虐待表現意見することからは逃げてばかりとしかとれません。

件の現存しないゲームでは我先にと同調し、ラブドール障がい者に置き換えられた事実誤認など気にも止めずに表現の影響を問題視されていたじゃないですか。

それほどに懸念される事であるならば、本件の『国宝』の児童虐待描写についても同様に懸念し、問題提起して行くのが筋ではないでしょうか。

現在未だ存在すらしていない作品では皆様あれだけ懸念された表現がもたらす悪影響と言うものが、今回の現存する立派な作品のケースではあれやこれやの理屈問題ないなどと蔑ろにされるのであれば、私はそれは片手落ちであると思う他なく、また片手落ちというのは皆様自身問題提起を詭弁として毀損してしまものなので、心より誠に遺憾に思うのです。

此度私はお前が気になるならお前がやれと言った突き放しの声もたくさん頂きました。

悪影響が懸念される表現問題提起していくという道は、このままでは前途がとても暗いものと感じました。

なので、この場では私の懸念を残し終えようと思います

ありがとうございました。

2025-07-06

人間の鳴き声

英語韓国語を少し勉強してわかったがそもそも日本語コミュニケーションも苦手だ。コミュニケーションというものそれ自体が苦手なんだ。旅先で路上ハトをみるたび「このハトはどの国のハトとも通じ合えるんだな」と感慨深くなる。なぜなら言語を持たないから。いや、ほんとうにそうか?A地域ハトは「ポッポー」があいさつでB地域ハトは「ポポッ」があいさつかもしれない。あいつのある地域とない地域があるかもしれない。言葉とは鳴き声のパターンだと最近つくづく思う。共鳴することそのものが快と感じるように生き物はできている気がする。わかる。わかるんだけど私は上手くハモれない。「休みの日とかなにしてるのー?」なんて雑談ハモやすいように投げかけてくれているだけなのにそこに意味見出ししま歌詞意味を考えているうちに乗り遅れて合唱は終わっている。誰かとうまく歌えるようになりたい。雑談を振られるとどうしても何かジャッジされると思い込んでしまうので人と話す前は「鳴き声鳴き声鳴き声共鳴共鳴共鳴」と唱えてから挑む。そして雑談が終わった後は「失敗した…」と内容を振り返って落ち込んでしまう前に「ちょっと歌がズレただけ」と意識シャットアウトする。会話が鳴き声の共鳴だと気づくまでに随分と長い時間がかかってしまった。ずっと誰とも会話できている気がしないなと思っていた。そもそも共鳴は快である」という前提を知ったのが最近からOKOKと思っている。だけどもさ、と独唱で転調してみるのですが、私は合唱でうまく馴染むことができず教室を抜け出して人知れず鼻歌うたって帰ってるような人のことが大好きなんですよね。こんなに私はこの世界のことを少しでも理解してせっかくだから順応しようとしているのに、自分が死んだら世界死ぬ意味ないじゃんと思う。そういえば、年齢的に子を持つこと・持たないことを検討するようになり、自分が生まれたこと、いま意識があり思考があることとかまで考えを巡らすようになった。そう思うと、いま意識があること、ひいては世が存在するということは親の気分みたいなところに左右されており、この世はなんて心許ないんだと愕然とした。もっと壮大で強烈なもの裏付けらていると思っていた。この世、この生、儚ね〜、大事にしよ。もうこの歳になると学歴とか会社とか、この世が幻想だなあと自分世界の捉え方がふわりとしてくる。世のジジババが孫に対して甘々なのってそういうことなのかなあと思う。幻想とわかった上で幻想を楽しめる歳なのだろう。ところが不思議なことに、私のジジババは最後までずっと幻想を信じていたな。祖母は当時もう80とかなのに、私の進路についてあれこれと口を出してきていた。幼い頃から〇〇ちゃんはこの大学かこの大学に行くのよと言われ勉強を教えられていた。浪人して芸大に行きたいと言った時は、どうか普通の〇〇ちゃんに戻って、浪人するなら縁を切る、この敷居を跨ぐなと言われた。芸術系浪人なんか全保護者不安にさせる進路を選ぶ自分にも完全に非があるのだが、当時はこの老人とはこんなにも意志が通じないのかとに驚くばかりだった。私は80近くになってもこの幻想にそこまで執着できるとは到底思えない。バイオレンス婆は、文字通り普通虐待をする。長い物差しで人の頭を執拗に叩く。孫の私にはさすがにしたことがなく、母はよく「おばあちゃん丸くなったわ」と言っていた。そんなバイオレンス婆に育てられた母は運良く反骨精神の持ち主で、祖母と繰り広げたバトルをコミカルに私によく話してくれた。中学生の時自分の部屋に仲間を集めて祖母にバレないようにシンナーを吸っていたのが楽しかったとか、万引きスリルとか、夜な夜な窓から飛び降りて遊びに出かけていたとか、無免許バイク事故して病院に行けず祖母にもバレないように必死に隠し、今も腕にぶっとい傷跡が残っているとか。わかりやすヤンキーに仕上がったようだ。口酸っぱく祖母に「先生と呼ばれる仕事に就きなさい」と言われていて、女子短大卒業祖母コネ幼稚園先生になった。快活で子供にすぐ懐かれる母には向いていたと思うのだけど、母は幼い頃から絵を描くのが好きで、デザイナーになることを諦められなかったらしい。頭から血が出て何針か縫うくらいの祖母バトルを経たのち、昼は幼稚園で働きながら夜はデザインスクールに通い、なんとかデザイナーになった。といっても版下とか、テレクラPOPデザインみたいな仕事だったけど、それでも母はデザイナー時代のことをいつも楽しそうに話していた。そんな母はまた、自分いくら願っても叶わなかった幸せな家庭という幻想を見ていた。祖母のように、子を縛ることなく、どんなヤンチャをしても一緒に面白がり、あんたはほんまアホやな〜っていつでもふざけ合える家庭。きっとそういうものを夢見ていた。本当に申し訳なくなる。母は仕事を辞め結婚して専業主婦になった。私と母は本当に、本当に性格が合わなかった。こればかりは、いくら血縁関係でもこういうこともあるんだなと思ってきた。それでも努力して近づこうとしていたとは思う。一度もまともに通じた会話ができたことがない。母は幸せな家庭という幻想を夢見て、とにかく真面目で無害そうな父と結婚した。殴ったりしなければOKという認識だったんだと思う。父と母が会話で盛り上がっているところなど見たことがない。価値観趣味性格真逆で、側から見てもお互い苦手なタイプしかないと思う。子供ながら、お互い家庭という幻想のために結婚したんだなあとなんとなくわかっていた。私は父に似てしまった。とにかく物心ついた頃から、母は私のことが気に食わなかった。気に食わなかったんだなと思うことでしか説明がつかないことが多すぎて、そう思うようにしている。なんだかずっと怒られていたというより、ずっと罵られていた。母は私の自虐しか話を聞いてくれなかった。何を話しても否定から入られるので、家で何も話せなくなった。実家にいた時はずっと、教室に一人は必ずいるガキ大将暮らしているような気持ちだった。母は夢見ていたはずの家庭がこんな惨状になってしまたことのすべてが気に食わず、ずっと機嫌が悪かった。もともとも性質かそのような家庭環境なのかわからないが、私は人とうまく会話するのが下手で、一人で没頭できる勉強読書が好きな子供だった。そういうのがさらに母は気に食わなかった。どんな親だよとは思うけど、極端に言えばもっと万引きとかして欲しかったんだと思う。現代陰湿なほうじゃなくて仲間とカラッとやるような万引き。そんで警察によばれて頭をスパーンと一発叩いて「アホ!!!帰るで!!」ってやりたかったんだと思う。ぱっちりと目が大きく美人で筋力がある母に似つかず、全て父に似て地味な顔で運動ができない太った根暗になった。母の幻想である娘を私は上手く演じることができなかった。一方祖母は、教育という幻想を再び見てしまったのだと思う。そこまでしんどい思いをせず勉強ができてしまう私に勝手に期待をした。母は、祖母幻想を叶えられる存在としての私に対しては、まんざらでもない様子なときもあった。ところで、祖父や父はこういうとき何をしていたのかというと、何もしていない。何も言わない。記憶にない。ずるいよね。母はきっと心から安らぐ幸せみたいなものを感じたことがないのかもしれないと勝手不安になる。けど母は自分の家庭を持つという幻想を成し遂げた、殴ったりしてないしOKOK、それが満足だと思っているはず、と言い聞かせる。ところで不思議なことに、私はかつての母と全く同じグラフィックデザイナーとしていま働いている。何も気が合わないのに特技だけは遺伝した。人との会話が何十年も成り立たない中で、視覚的な共通言語ものが通じることが自分の救いになったのがデザイナーになったきっかけで、決して何かを教えてもらったこととかは本当に一度もない。そもそも母も私も絵が描けるのは、祖母書道家芸術家だったことが遺伝情報としては大きくて、(だとしたらなぜそんな教育幻想暴力に囚われてしまったのかは本当に私が教えて欲しい)、わたしたち相互に歪み合いながら螺旋を描いている。祖母も母も、芸術センスみたいなものは遥かに私より良くて、そういった面でふたりのことは尊敬しているし、破天荒人間性面白くて好きだ。けど、もう最小限でしか関わりたくないし、こういうのは距離があった方がいい関係が築ける。私含め3人とも地球規模で見れば息は長くないのだし、それぞれができるだけ幸せであればいいと願っている。東京にいると、そういうタコピーみたいなふわふわことが思えてしまうのだから怖いなと思う。たまに地元に帰るとあまりにも地に足がついてずぶりと沈みそうになる。地元とは幸せみたいな言葉嘲笑される地域のことを言う。その地域にはその地域が共有している鳴き声のパターンがある、それだけの話。

2025-04-15

anond:20250414112430

表現の自由歴史的背景は、国によって異なる。

そんな視点で以下、自分用のメモとして長文を残す。あえて言論自由の優位性といった憲法理論をガン無視するが、どんな規制が適切かといった考えから離れることで、表現の自由の失われた状況の風景みえることもある。

++

とくに「表現の自由による暴力(不法行為性)」をどこまで許容するかが重要視点だ。欧米日本では大きく違う。

フランスでは、あらゆる権利が「尊厳ある生」を守るための抵抗に原点を持つ。

その意味で、社会運動ストライキ争議権)と、表現の自由は同じ線上にある。たとえば、名画にペンキをかける環境団体抗議活動日本では即座に「環境テロ」として報道されるが、英仏では「レジスタンス抵抗運動)」という言葉がより広く使われていた様子だ。これは体制に対して暴力的に抗う行為意識しているからだ。

環境問題に限らず、農家などの過激な抗議行動(輸入品増加に抗議した放火破壊行為など)や、労働争議においても同様だ。フランスでは、国家や大組織による構造暴力に対するカウンターとしての「市民による尊厳を守るための抵抗」に心情的な理解が寄せられる。犯罪としての側面を否定しないまでも「レジスタンス」は革命以来の伝統という認識フランス社会は共有する。

その背景には、18世紀カトリック教会が「真理の解釈権限」を独占していた時代に、啓蒙思想が登場し、科学合理性武器公共空間を構築し、新たな政治制度模索した原体験がある。「神を冒涜する権利」は、黎明期政教分離文脈から分化した表現の自由の形であった。

一方、アメリカ表現の自由の出発点は、事情が少し違う。

制度の根幹に「科学合理性」や「絶対的真理」は置かれていない。むしろ、人それぞれ真理と信じる”信念”があり、誰も完全な真理に到達していない、という前提がある。この考えは巡礼始祖たちの宗教的多様性の中で育まれ、やがてプラグマティズムに吸収され、「思想の自由市場」(O.W.Holmes)という発想へとつながってゆく。

もっとアメリカでも、20世紀半ばまでは「有害言論の内容規制」が志向されたが、判事たちはそのたびに建国思想巡礼始祖の理念に立ち返り、「有害表現定義できない」という議論に収まった。1970年代には「社会不協和音こそが強さの証」とまで言い切る判決(1971)もあった。司法ヘイト規制消極的かつゾーニング規制シフトしてゆく歴史がそこにある。

トランプの出現などリベラル保守のあまりの違い、それでも国家として成り立つ社会。それを支えるのは、「一致しないままでも共存できる」という、個人主義を基盤とした社会の強さだ。

一方で日本は、「価値観の不一致」に不安を感じる社会だ。

会社でも地域や家庭でも、できるだけ摩擦を避けたい。コロナ禍での自粛違反者への度を越した非難などに表れているように、「他人迷惑をかけるのは不徳だ」という感情が深く根付いている。

この「迷惑感情」は、表現の自由制限する根拠として働きうる。憲法学では人権制限原理は「公共の福祉」として整理されるが、実態としてはその時々の「社会空気」に左右されがちだ。たとえば、受忍限度論という法理をとってみても、それ自体迷惑感情社会的「耐性」の程度を空気から測るものにすぎない。日本人の考える公共フランス人の考える公共とかなり異なる。

電車CM強制音声に対する訴訟「囚われの聴衆」事件1987年最高裁)では、そうした「空気」に抗う個人の主張が結局退けられた。受忍限度という大義名分の下で、「それくらい我慢しろ」と結論づけられたわけだ。迷惑感情による秩序そのもの否定するわけではないが、空気として内面化されすぎると、異論や異質さの排除へとつながりやすく、かつ世代間、階層間の認識ギャップという課題に直面する。

フランスとの比較でもう少し考えてみよう。

日本には、フランスのように「尊厳のための抵抗」を肯定する文化がない。絵画ペンキを投げれば即「テロ」として断罪される。暴力抵抗が「歴史ある社会の声」として認識されることはない。

水俣病初期の漁民暴動、60〜70年代国鉄病院のストを見ても、「迷惑感情」が前面に出て、GHQが持ち込んだ争議権は本当の意味では社会根付かなかった。正規雇用では労使協調路線非正規雇用は分断が続いているのが現状だ。ストライキがなお社会的に力をもつフランスとは対照的だ。

全農警職法事件国家公務員の争議権全否定1973年最高裁)、75年の国労スト権ストは、日本社会が「暴力的な表現や行動」との距離感を決定づけた分岐点となった。

暴れる新左翼へのストレスが頂点に達し、迷惑を嫌った大衆心理が、最終的に「暴力容認しがたいもの」と司法行政に決着を迫った形だ。

こうした着地は、人権市民一人一人の体験として自ら闘って獲得してこなかったという、日本社会構造限界を示しているのだろう。

日本社会における「市民による暴力抵抗」が断罪されやすい背景には、市民の行動が過激ものに映じるの対して、しばしば国家行政の抑圧や不作為は、暴力として認識されず、社会の中で可視化されにくい構造がある。水俣病における行政不作為反原発運動に対する過剰な監視、あるいは災害被害者の声の届きにくさなど、国家による制度暴力不作為の積み重ねに対して、市民が抗いの言葉を発するとき、その言葉とき過激さを帯びるのは当然の帰結でもある。だからこそ、表現暴力性だけを批判的に切り出すことは、構造非対称性再生産になりかねない。

構造的な非対称に加えて、もうひとつ重要なことがある。それは市民一人ひとりが権利意識再生産するための「思い出」や過去の教訓を忘却やす社会ということだ。

欧米でいう「人権」とは、突き詰めれば「こういう社会には戻りたくない」という歴史体験からまれる(米仏だけの例で暴論は承知の上)。その教訓を社会を生きる一人ひとりが繰り返し思い出すこと、それが人権ボトムアップ的な再生力だ。

しかし、日本では「権利」は「国家が授けるもの」として明治以来、教育されてきた。敗戦までその構図は変わらず、戦後アメリカが新しい憲法人権を与える側に回った。この付与される構造が、今日日本においてもなお、自由をめぐる議論憲法制度論に終始してしまう要因になっている。

だとすれば、今あらためて必要なのは自由の意義を自分たちの歴史体験として取り戻すことだ。

特に敗戦前後記憶――若者人間爆弾にし、それを大人が見送っていた時代。そして敗戦後、手のひらを返すように価値観を変えた、あの社会の激変こそ戦後日本原体験であり、空気に逆らう力を考える出発点であるべきだ。

++

ここからは、戦後日本映像表現の潮流に視点を移す。

戦後社会」と呼ばれる時期―おそらく平成初期まで―に見られた日本映像表現には、大きく三つの傾向があったように思う。

1. 既成の価値観への反抗

戦中派から戦後世代はかつての「正しさ」に対して疑いを抱き、積極的破壊しようとした。

映像作品での典型例として、岡本喜八を挙げたい。軍や国家権力風刺し、戦時空気を相対化する『肉弾』(1968年)は象徴的だ。

表現体制批判自己解放手段だった時代道徳国家価値観への反抗心がそれを後押ししていた。

「反抗」というテーマは、家族内の世代対立ないし嫁姑問題80年代の校内暴力管理教育という軸での「反抗」など形を変えて表現された。

2. 新しいアイデンティティ模索

高度経済成長のもと、戦後社会は猛烈な速度で変化し、かつて「当たり前」だった家族のあり方、地域風景は急速に姿を消した。

そのような変化の中で、新しい「自分らしさ」を探すような表現が生まれた。家族崩壊再生を描いた「岸辺のアルバム, 1977」は社会に衝撃を与えた。

3. 失われゆく価値観への郷愁

こうした変化に対する不安喪失感は、郷愁としても現れる。

山田洋次の『男はつらいよ』では、理想の家庭像を夢見るも決してそこには迎え入れられない寅さんという存在を描き続けた。

倉本聰の『北の国から』では、泥付きの一万円札をめぐる暴力沙汰などを通して、「義理人情」や「恩を忘れぬ人間関係」が描かれた。

スクール☆ウォーズ」に代表される大映ドラマにおいては、努力根性家族の絆といった「倫理」が過剰なまでに押し付けられる一方で、それは裏を返せば、かつては当然のように共有されていた義理人情倫理が、社会の中で揺らぎ始め、もはや社会がその正しさを自信をもって教えられなくなっていた時代の反映ともいえる。任侠映画の「落とし前をつけさせてもらいます」というカタルシスもまた、現代社会ではとうに失われた暴力的「自力救済」への郷愁でもあった。

この三つ――反抗、自分探し、郷愁――が、戦後日本表現の中心テーマであった。いずれの表現にもどこかに心情的共感を呼ぶやむにやまれぬ加害内包していた。そこに着目すべきだ。

「反抗」の終焉表現行為暴力性をめぐる葛藤

この三つのうち、「戦前価値観への反抗」は、戦前世代が退場するにつれ次第に衰えていった。最後の強烈な反抗例として、敗戦後に上官が行った部下の処刑告発した『ゆきゆきて、神軍』(原一男1987年)を挙げることができる。

奥崎謙三狂気。上官を告発し、天皇パチンコ玉を撃ち込むなど、常軌を逸したようにも見えるが、そこには彼なりの倫理がある。表現行為が、敗戦前後記憶を呼び覚まし、組織における人間関係―「上官と部下」「国家個人」―に対して強烈な問いを投げかけていた。

しかし今、このような強烈な表現は久しく見かけなくなった。反抗への共感はある特定世代記憶に留まり引き継がれない傾向が見て取れる。あたか社会全体にノイズ耐性が失われたかのようだ。

かにつけ「コンプラ違反」として簡単に切り捨ててしま社会。「こんなの今の時代にはムリ」と。例えば、中井貴一がある制作現場で呈した疑問は示唆的で、全体にバイオレンスドラマなくせに、コンプラ配慮たばこポイ捨てシーンだけがNGになったことがあった。それは思考停止ではないか

奥崎のような過激手法であっても、そこに社会権力構造に対する本質的な問いが込められているならば、無視できない重みがある。原一男ドキュメンタリーは、まさにそうした問いを突きつけるものだ。

ドキュメンタリーという暴力からみえもの

ドキュメンタリー手法に内在す加害性も多くの示唆を与える。

ゆきゆきて、神軍』のようなドキュメンタリーなどの手法には、つねに「出演者の許諾は取ったのか?」という問いがつきまとう。

伊藤詩織氏の『Black Box Diaries』に対する映像や音声の使用をめぐる批判が良い例だ。「フェアユース正当化可能」とする声(中根若恵)もあれば、「権力犯罪を暴く表現であればOK」という立場原一男)もある。しかし、原自身も認めるように、たとえ告発目的であってもセルフドキュメンタリーには「現実自分に都合よく再構成する」危うさがある。無条件の承認はありえない。その語りが私的物語にとどまらず、社会的な意味を持つためには、他者に開かれた語りに昇華される必要がある。

では、表現行為に内在する「やむにやまれぬ加害」を評価するのは誰か?

最終的には司法だとしても、まず問われるべきは、共感を持って応える観客であり市民である

コンプラ違反を恐れて、表現物が公開前に修正されてしま社会――それが望ましいのか?

私は、暴力性を含んでいても、その中に真摯倫理があり共感可能性のある表現ならば、それは世間に問うてよいと思う。それを受け止める権利もまた市民にある。内部告発/公益通報もまた、不法行為公益性のはざまにあるという意味奥崎謙三の反抗と地続きだ。兵庫県職員告発とその後の県知事対応は耳目を集めたばかりだ。

空気にあらがえるかが試金石

今の日本社会において、「表現内包する暴力に対する寛容さ」はきわめて低い。

敗戦体験した世代がいなくなり、記憶として残っているのは「国鉄ストの迷惑」「新左翼暴力」「オウム事件の恐怖」など、暴力に対するアレルギーばかりだ。

一宿一飯の恩義といった価値観は薄れ、市民暴力的な自力救済抵抗運動共感しなくなっている。

コンプライアンスに敏感な時代からこそ、私たちはもう一度、「表現の自由とは何か」を原点に立ち返って考える必要がある。

かつてトクヴィルは、革命後のフランスに、公共の名のもとに行われる言論統制など専制洞察した。一方、アメリカ民主社会には、世論専制という別の危険をみた。制度的な保障はあっても、多数派少数意見排斥するような雰囲気社会が醸成すると実質的自由は奪われる、との黎明期アメリカ社会への洞察は、現代キャンセルカルチャーなどの課題を予見している。

――暴力性を含み得る表現に対して、我々はどのような態度を取るのか。その暴力倫理的な共感はあるのか。どんな社会私たちは避けたいと思っているのか――

憲法理論制度保障を語る上では有効であるしかし、表現規制論だけでは上記のより根源的で実存的な問いには答えられない。「制度いか自由を守るか」ではない議論必要だ。自由擁護する倫理共感の土壌がなければ、制度簡単形骸化する。「抵抗」とか「不協和音の強さ」とまでいわないまでも何か核が必要だ。

社会同調圧力空気に抗ってその問いを突きつける力、受け止める力が社会から失われたとすれば、それは表現の自由が失われた社会だと思う。

2025-03-23

薬屋とかSPY×FAMILYが妙にデカくなったのはさ

いわゆる少年漫画枠がガチバイオレンスに寄りすぎてて、無難に手広く広報できる作品群に空白が生まれいるからだと思うんだよな。

もちろん薬屋にもSPY×FAMILYにもバイオレンスはあるんだけど、見せ方でうまいことコナンレベルマイルドさにしてる感じ。今のジャンプ作品とか主人公が誰よりも殺意MAXだったりするじゃん。チェンソーマン漫画はメチャ良かったけどやっぱ内容的に国民的とまではいかなかったし。

別に作者がそういう枠を狙ったわけじゃなくて結果論だとは思うんだけど、俺らの世代で言うところのクレしんドラえもんルパン三世が軒並み古くなってしまったところにうまいことハマってる感じがあると思うんだよな。

anond:20250322211611

仕事の嫌な客を全員⚪︎してるから平和

通りすぎてくバイオレンス

嫌いじゃないよ

2025-03-13

デビルマン cry baby を見て泣いた

 

 

デビルマンをひとことでまとめると:

ダンダダン+寄生獣)x BL x 絶望

 

1話から時系列感想

なんか、不動明イメージが違うな

優しくて泣き虫クラスメイトから馬鹿にされていて・・・

 

あっ これ

ダンダダンのオカルンだ!走り方も同じだ!

 

悪魔に憑依されると見た目も人格もかっこよくなって女の子にもモテちゃう王道少年漫画だね

馬鹿にされていた心優しい少年が俺TUEEEモードに入るのは楽しい。いい感じの導入。

 

リョウ君がヤバイ

 

超美形、超天才児、10代なのに既に教授

初登場時からいきなりやばい。銃撃ってくるし

頭脳明晰・冷静沈着と思わせておいて

明を助けるために躊躇なく人を殺すのがヤバすぎる

リョウの明への執着が異常。なにこれBLなの?

明は心優しいのでリョウ君が人を殺すたびにショックを受けて泣いている

 

 

3話 美樹のピンチ

明の変身するところを記者に撮られていた。そこに美樹が巻き込まれ・・・

 

えっ この展開3話でやるの??

普通はワンクール最後でやるよね???

展開が早い。この後どうなるんだ

 

 

4話 母親・・・

明のお母さんが久しぶりに帰国する。不穏な電話が入り・・・

 

うわぁぁぁぁぁぁ !!!

普通こんな展開、2クール目の最後にやるでしょ???

怒涛の展開次々にぶっ込んでくる

 

5話 シレーヌ君は美しい

リョウ君の家、大富豪だよな

部屋に謎のプールがある

 

親の姿も見えないし何者なんだこの人。

役割としてはヒーローの明に対し、ブレーンのリョウなんだろうけれど

明への感情ちょっと異常すぎる。BLなの?

 

 

6~8話

悪魔存在世間の明るみに出る。人々は悪魔狩りを始める・・・ 

 

こわい、こわい、こわい、こわい

令和のクオリティで描かれる終末世界が怖い。

ビルから人が降ってくるのは9.11で見た。厳戒態勢の街。外に出た人が拘束される、コロナ禍の中国で見た。政府の緊急放送3.11で見た。

そしてSNS

SNSデマに尾鰭がつきヒステリー集団形成していく。パニックになった人たちが人を襲う。悪魔でなくて人を。

恐ろしいリアリティ世界がぐちゃぐちゃになっている今視るべきじゃなかったよ・・)

 

デビルマンで一番怖いのは人間なのです。

実は悪魔ほとんど人間を殺していない。数十億の人々を人間が殺す。それが悪魔だと信じて。

 

 

この作品悪魔を通して人とは何かを問いかける

デビルマン達は悪魔の姿をしていた。でも、確かに彼らは人間だった。

暴徒と化した人たち。彼らは姿は人間だけれども、悪魔だった。

 

人とは何か? 人であるとはどういうことなのか?

 

 

お父さん、お母さんと弟

この作品で一番きつかったのは弟のシーンです

つらい・・・本当につらい。

お父さんが銃を撃てなくて、撃てなくて、どうしても撃てなくて。慟哭するシーンにボロボロになるまで泣きました。

 

9話 地獄に堕ちろ人間ども

結末は知っていた。でも、おもっていたのとは全然違ってた

 

デビルマン悲劇です。人の弱さ、人の愚かさが強烈に描かれます

でも作品根底にあるのは熱い炎の様な信念と希望です。

その中心にいたのは美樹でした。彼女偏見に囚われず人を信じ、手を差し伸べました。

恐怖ではなく理性で。暴力ではなく愛を。彼女の信念は確かに人を繋ぎデビルマン達を集結させました。

偏見暴力に争い、抵抗した人たちがいた。それはとても小さな光だったかもしれないけれど、人の可能性と美しさを証明するのです

 

 

10話(最終話

BLかよ」といって茶化してすみませんでした

とても真面目なBLでした

この作品最初から最後まで、明とリョウ関係を描いたものでした

  

串刺しシーンがクライマックスだと思っていたので最後スケールの大きいBLが始まるとは思ってもいませんでした

いや、これをBLと呼ぶのは正しいのか???もっと壮大なものを見た様に思います

 

二人が戦っている時、すでに人類は滅亡していました。勝ってもなにも得られません

あのとき明は人類代表人類の生きた証としてそこにいたと思います

デビルマンは、人類悪魔の愛をめぐる話だったのではないか

 

作中に繰り返し繰り返し、バトンを渡すイメージが挿入されます

二人の最後の戦いの最中にも。

 

みーこから美樹へ、美樹から明、明からリョウに。バトンは落ちる

みーこから美樹へ、美樹から明、明からリョウに。バトンは落ちる

 

バトンはおそらく人の愛、友情、いたわり、優しさ、人が人であるために大切なこと

リョウは渡されたものが何である理解することができない。

ちょっと首を傾げて、バトンは地に落とされる。

 

最後、亡骸となった明を抱き抱えてリョウ慟哭しま

  

バトンは渡っていたのです。遠い昔に。

猫が死んだ時。もしくは、「もう怖くないよ」と抱きしめたあの時に。

 

リョウが咽び泣いたあの時、神の光で滅ぼされるまでのあの一瞬。

彼は人間ではなかったか

 

滅びる地球最後に立っていたのは人間だった。

本当に勝利したのは、悪魔ではなく人の愛であった

 

私はそう信じている

 

その他

エログロ

エログロバイオレンス治安の悪さはさすが昭和だと思った

 

リョウ君の不自然

最終話まで見ると、リョウの不自然さの全てが伏線になっていたのがすごい。

そうか、家政婦さんの正体も・・・

 

最後のシーン

地球滅亡後、明とリョウが静かに並んで赤い海を眺めているシーンが End of Evangelionラストシーンで驚いた

原作もこんな感じなの?

 

デビルマン

1972年に「デビルマン」というアニメが放映されたと言う世界設定。

なので作中の日本人デビルマンを知っているし、「デビルマン悪魔に憑依されたスーパーヒーロー」の意味で通じるのが話をわかりやすくしている。

ここぞというシーンで1972年の方のデビルマンの曲(たぶん)が流れる

 

弟の携帯から流れるシーンがつらかった・・・

 

 

 

2025-02-11

女作者って意識高い系気取る割には暴力ホモを気軽に出しちゃう

いかにも私コンプラ重視してますみたいな姿勢からの落差が男からするとどうしてもイビツに感じてしまうんだよね

男作者は最初からそんなもん気取らないから、エロが出ようがバイオレンスが出ようがなんとも思わないんだけど

2025-01-29

最近見て面白かった海外ドラマ

 

マインドフルに殺して(Netflix

ギャング組織顧問弁護士が、次々と降りかかるトラブルに対して、マインドフルネスの技術を用いて何とか切り抜けていく。

心はマインドフルネスで穏やかに、でもどんどん危険バイオレンス領域に足を踏み入れていく。

 

トゥルーシーカーズAmazon Prime

オカルトマニアWi-Fi会社エンジニアが、仕事の中で超常現象に遭遇していく。

コミカルX-ファイルという趣。

 

おもろいよ

2024-12-31

はてな匿名ダイアリー投稿の思い出 3/5


№21 セックス最中相手の体でオナニーするのって普通だよな?

anond:20210602212201

2021年6月投稿

行為中に考えることについて、自分だけなのか? と感じる習慣を文字しました。

セックスをしている最中相手が違う人間であると考えながらするのは、果たして一般的なのかということです。

悪い言い方をすると、相手身体自慰行為をするということです。

私の場合は、数回に一度やってる程度です。キスとかの目を閉じている場面、相手背中が見えている体位の時、そういうことを考えたりします。

誰を想像しているかは恥ずかしくて言えないのですが、私にはそういう習慣があります

皆さまはいかがでしょうか? 悲しいことは言わないでください。



№22 木屋町にあるキャバクラ黒服仕事をしていた

anond:20210716220542

2021年7月投稿

大学生だった時の記憶を思い返して、日記にまとめました。

数万字の増田日記を書くのはこれが初めてです。

大学生だった当時、京都市内の木屋町という歓楽街クラブで、黒服(ボーイ)のアルバイトを約四年間してました。ほかに付近居酒屋などでアルバイトをいくつか。

今は跡形もありませんが、その名も『CLUB ZOO』という老舗でした。大手芸能事務所経営母体クラブです。繰り返しますが、今では跡形もありません。

当時の求人情報誌には「当店が木屋町で№1です!」と書いてありました。まさか本当だとは思わず面接を受けに行きました。

あの頃は、まだ19才でした。世の中がなんでも楽しくて、初めて見るものがたくさんありました。夜のお店のお仕事だってそうです。刺激的でした。

日記については、「あの時は確か……?」と必死記憶を思い出したり、当時のリアル日記を読み返したりして、まとめました。



23 出入り禁止にしたいお客さんがいる

anond:20210806222049

2021年8月投稿

若手社会人の頃、会社帰りにアパート近くにあるスーパーを利用してました。

都市部で働いていたのですが、ほかのお店に寄ることはなく、いつも其処でした。

いろんなお客さんがいました。平日夜の同じような時間帯に来店する関係で、"いつものメンツ"みたいになることが頻繁でした。肉弾戦闘で半額惣菜を奪い合っていました。

そのうち1人のお客さんが、日記に出てくる男性です(※彼は肉弾戦闘には参加してません)。

この頃はセルフレジはありません。お会計をする間、その男性は女性店員さんと話をしていました。

別に店員さんとお話するのはいいと思います。ただ彼のよくなかったところは、違う店員さんともお話をするところでした。

「おい、あんた……そんな節操のないことをしてはダメなのでは??」と、若かりし日の私ですら感じました。

結局、彼がどうなったのかわかりません。ある日、スーパー正社員と思しき人と夜の店内でバトルになっているのを見ました(※肉弾戦闘ではありません)。

それ以降に見ることはなくなりました。出入り禁止になったのかもしれません。



24 聖書を読み終えた

anond:20210922213336

2021年9月投稿

自宅を掃除していると、本棚に旧約・新約聖書があるのを見つけました。とんでもない分厚さでした。二千ページ以上はあります

でもこれを、大学1回生だった頃の私は、半年以上かけて読み切ったのです。

聖書の中には、特に旧約の中には、素人ながらに「それは……ひょっとしてギャグで言ってるのか!?」と思わざるを得ない描写が多々ありました。放蕩息子など。後は、槍のひと突きで800人を刺し殺す凄腕の兵士がいて、今だったらFGOに参戦してもよいのでは!? というレベルです。

しかし、それを上回るほどの感動があったのも事実です。あれは壮大な文学書 兼 自己啓発本歴史記録なのだと思います

聖書全体ですが、日本語が極限まで洗練されている中で、神秘的なエピソードや、示唆に富むエピソード――ひとつの例として、士師記の中でサムソン活躍するあたりは、現代エンタメに通じるコメディ要素を感じ取りました。

懐かしいという感慨とともに、19才当時の考えを日記にまとめました。



№25 男性可愛い子が好きなのだろうか

anond:20220304213201

2022年3月投稿

わけあって日付の間隔が空いています

こちらの日記も、上にあるスーパーと同じ店でのことです。新卒で入ったリクルートで働いていた頃の思い出です。

会社帰りにあのスーパーに通っていると、見た目が瀟洒サラリーマンの人が、大学生くらいの女子店員に話をしていました。お会計の時に。

上の人とは違って、この人はいつも同じ人のレジへ行き、話をしていました。

女子店員の方も、まんざらではなさそうでした。お菓子売り場に私がいて、まっすぐの位置にあるレジへ向かおうとすると、その子レジの後ろからスッと、身体を覗かせてこちらを見るのです。

私の真後ろには、その男性がいました。「なるほど、そういうことか……」と気を利かせた24才当時の私は、空気を読んで違うレジに入りました。

それから悲しい出来事がありました。その男性がある日、違う店員のいるレジに入ったのです。あの子がいたのに!!

「なん……だと……」

と、BLEACHキャラ並みの衝撃を受けた私があの女子店員を見ると、残念そうに俯いていました。

嫌な思い出になりましたが、何らかの学びを得たのは間違いありません。

そのお店ですが、今ではウイルス除けの透明壁が付いて、店員さんと話をしにくい構造になっています



№26 指定校推薦は優れた入試制度である

anond:20220304224309

2022年3月投稿

上記日記の冒頭にツイート引用してあります。これが執筆動機になりました。

先のマッチングアプリ記事紹介の際、異業種交流会の話をしました。商売目的ではない緩めのイベントです。

この時、民間企業の人だけでなく、大学職員といった準公務員や、純粋公務員の人も参加していました。

メルカリ中の人と楽しく話をしている最中慶応義塾大学事務職員が会話に入ってきました。

商売の繋がりが目的でない異業種交流会なので、できるだけ離れた業界の人との話が楽しみでした。

ところで、その彼が語ったのは……よく言えば赤裸々、悪く言えば守秘義務違反に等しいレベルの生々しいお話でした。それがずっと続いて、当時の私は辟易しました。

いや、悪い思い出だったとは言いません。実際、刺激的なお話でした。ただ彼にとって想定外だったのは、私がそれを日記としてまとめたことです。



№27 会社員が仮想通貨投資と向き合っていくために

anond:20220502212036

2022年5月投稿

前回株式投資のことを書いたため、今度は仮想通貨投資について書いてみようと思い立ちました。

これからビットコインなど仮想通貨を始めようという方は、しばらく待った方がいいかもしれません。この執筆時点と比べると、世界的に仮想通貨が受け入れられています

日本でも、将来は税率が一律20%になったり、アメリカのように仮想通貨ETFが出てくる可能性もあります。それ以外にも金融商品がいくつも登場することでしょう。

から買われる方は、積み立てタイプで毎月一定額を投資するスタイルがいいと思います。間違ってもレバレッジ取引には手を出さないように。あれはFXと同じく、投機であって投資では決してありません。



28 焼肉屋で後悔をしたこと

anond:20220502221211

2022年5月投稿

大学生の頃にあった印象的な出来事をまとめました。

いつかやろうと思っていたとか、そういうのではありません。ある日、急にあのおじさんの思い出が蘇ってきたので、執筆に挑戦しようと思い立ちました。

こちらの日記に出てくる土木会社のおじさんですが、私が歓楽街アルバイトをしていた居酒屋木屋町にあったどんがまと言います。今はもうありません)で、よくしていただいたおじさんです。

気のいいおじさんで、会話が盛り上がると、お店のシフトが終わった後でお酒食事をおごってくれるのです。私がお金を出したことは一度もありません。

ただ、こちらのおじさんですが、たまに反社会的なアレなんじゃないか……と感じる場面がありました。詳細は日記内にあります

当時(約二十年前)の木屋町は、暴力団員半グレ普通闊歩しており、警察官鉢合わせても動じることはありませんでした。深夜になると、酔客が高瀬川沿いの往来で取っ組み合いのケンカをするのが風物詩でした。大晦日になると、お酒に酔った若人が、友達を……小橋の上から高瀬川に突き落とすのです😭

悲しいことに、天下の往来での殺人事件も起きています。今でも犯人は捕まっていません。

現在木屋町は、平和です。お巡りさんの待機人数が昔に比べると明らかに増えており、高瀬川沿いの街道をガラの悪い連中が闊歩することも(ほぼ)ないです。



№29 女性の瞳を見ることができない

anond:20220502214152

2022年5月投稿

今の会社新人の頃、お世話になった先輩の思い出を綴りました。№4の先輩とは別人です。

今の仕事の詳細は言えませんが、現場が多い不動産仕事です。最初の配属先は、不動産関係商業登記を取り扱う部署でした。

同じ職場に、ある先輩がいました。その先輩は、私が中堅どころになる頃に退職したのですが、記憶が残っている時間もそう多くはないと思い、まとめてみようと考えました。

一言でいうと、モテる先輩でした。イケメンというよりは、気遣いができる人でした。

他人マウントを取ったりしませんし、愚痴や泣き言も言いませんし、相手の話をずっと聞いてくれる人でした。

そこまでお喋りをする方ではありません。本当の優しさをもった先輩でした。今でも尊敬しています

その頃の思い出を、ひとつずつ思い出しながら日記を書きました。

先輩視点第一人称は、物語として大変難しかった記憶があります



№30 面接で嘘をついて商社内定した奴を懲らしめたい

anond:20220622205855

2022年6月投稿

大学回生の時のことです。不定活動イベントサークルに在籍していたのですが、そのメンバーの1人に、悪い噂が立ちました。

噂の証人が言うには、その悪いメンバーというのが、サークル活動の中では地味な役割だったにもかかわらず、とある企業面接の場で「リーダーをしていました!」と真っ赤な嘘をついていた、というものです。

これ自体特に思うところはありません。就職活動面接でどのように振る舞うかは、完全に自己責任です。

本人がやっていないことを「やっていました」と発言しても、入社後にどうにかできるのであれば、本人の責任で行えばいいと思います

しかし……「真っ赤な嘘をついてまで入りたい企業があるのか?」が当時の私には疑問でした。今もそうです。

そんな疑問への答えに近づくために、サークルの噂の証人だった女性視点に立って日記を書きました。

その後の顛末は、別の日記でまとめています



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【閑話③】よくブクマしてくれる方 ※順不同

ブックマーカーへの感想です。

以下の表中のコメント回数(期間:2019.122023.3)ですが、概算になります

データは整理していますが、専門的なスクレイピングデータ加工はしていません。ご理解ください。

コメント回数は、すべて「少なくとも」です。確実にこれだけの回数があります

ブクマカ名個人の感想などコメント回数
おたまじゃくしの人いつも登録ありがとうございます7
林檎の人小説系によくブクマをされてます0
青い目の女性私の作風を完全に見抜いておられます5
宮内女氏恋愛ネタや、バイオレンス日記によくコメントされます。いつも感謝です笑8
ピンク背景の女性経済社会を取り扱った作品によくコメントされます(^^)2
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あごひげ眼鏡のおじさん成熟した大人のご意見です。小説風の増田コメントを書かれます2
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2024-12-20

anond:20241220165455

暴力バイオレンスあるけど、食事に関してはあんまりそういうのなくない?

いや、作中にも出てくるけどアンチテーゼとしての役割がメインという意味

anond:20241220164829

俺はあの漫画からバイオレンスさを感じるよ

いろんなグルメ漫画があるけど、暴力を感じたのは鉄鍋のジャン以来

2024-12-19

anond:20241219045939

おつです。なんか嬉しい笑

元増田へのアドバイス見ても、本当に同じ辛さ味わったんだろうなぁって想像に難くないです笑

本当子供に教えるかのように、

何が良くないのか、なぜ良くないのか、どこが私を傷付けるのか、それをすると自分たち関係がどうなってひまうのか、そうならないためにはどうしたらいいのか、それを伝えるにはどう伝えたら良いのか

全部教えてあげて(1度では無理なので年単位で泣いてバイオレンス起こして精神病手前まで本気出して)できたらそれを見つけに行って、よく理解してくれたね、努力して関係築いてくれて一緒にいる道を選んでくれてありがとう、一緒に頑張ろう、頑張れよ!私にだって限界はある!って伝えて。。。

本当に根気と愛だなと振り返っても思う。お互いにお疲れ様でした笑

元増田が読んでてくれて、参考になったら嬉しいなぁ

2024-12-18

anond:20241217174441

ちょっと文章がまわりくどくわかりにくかったけど、夫はこのタイプ結婚した女です。

謝らないっていうか言い訳がましいというか、明らかにこっちがしんどい状況でしんどいって言う前に「疲れすぎてもう無理何もできない」って牽制してくる感じ。なんというか、テイカー。

うちは離婚寸前の喧嘩を何度もしていまはめちゃくちゃ安定してるし自分は夫大好きだよ。

いまはちゃんと謝れるようになったし、謝らせるからね。「ごめんなさいは?ちゃんと目を見て謝ってることが伝わる口調で言えるよね?」って、ここまで言うので。

うちと同じだったらその彼女さん多分、人と揉めてきてないんじゃない?

折れて先に謝ってくれる、優しくしてくれる、ギブしてくれる人しかそばに置かず喧嘩してお互いの許容範囲を煮詰める作業をしてこなかったんじゃないかな。

あなた彼女の謝らない部分以外を愛していて、根気を持って喧嘩してぶつかっていく気力と愛がある事

彼女がギブばかりしてくれず、人間的成長を求めるあなたを愛せて、根気を持って喧嘩してでも一緒に生きていく未来を描き続けられるなら結婚しても良いと思う。

でも正直辛いよ。うちはマジで何度も離婚しかかったしバイオレンスまでおきた。でも乗り越えて、お互いをとてもリスペクトしてるし、お互いのために変わっていく気概がある。

そこまでの面倒臭さをどう考えるかじゃないかな。

2024-12-16

はたらく細胞映画全体的に良かったけど(ネタバレあり)

最後のシーンで白血球が復活した理由はもうちょっと丁寧な説明ナレーション入れるか後日談で笑いが細胞活性化する話を人間世界パートでやったりすれば良かったのでは

おそらく、笑いは免疫力を高めるということから人間世界でお父さんと彼氏ニコ笑顔したことニコの中の白血球が復活して白血病細胞酸素を得る前にとどめを刺せてニコが助かったという流れだと思うんだけど

一緒に観に行った子供に「なんで佐藤健が生き返ったの?」と聞かれて特に子供にはあの描写だけじゃ伝わらないよなって思ったのと、ファミリー映画なら分かりやすくしても良いのではと思った

まぁ結構バイオレンスシリアスだったかファミリー映画という前提が間違っていた説はある

あと、実際笑うことで白血球が増えたりNK細胞活性化することはあっても復活することはないか作品性質細胞関係事実に忠実にしないといけないためあえて詳しく説明しなかったのかもしれないけど

2024-12-13

anond:20241213223455

アイカツを遊べば心が平穏になるというのに、いつまでそんなバイオレンスゲームで消耗してるの?

2024-12-09

山梨市観光覚え書き

山梨観光ってしてないなと思い、11月に金曜夜から2泊2日してみた

 

スーパー銭湯に併設のビジネスホテル施設内の飲食も幾つもあるしコンビニ居酒屋なども隣接してる、風呂は当然ながら大浴場使い放題ということでコスパ良好

 

長野善光寺本尊武田信玄が「避難」させて設立とあるが、まあ大義名分で押し切って日本有数の古刹強奪したということだろう

諏訪大社諏訪氏自分血統押し付けるの含め、織田信長より信仰対象への不遜ぷりが際立つ信玄戦国大名らしいバイオレンス事績代表する史跡で、ある意味信玄すげーを一番感じられるかも

近くにある「かいてらす」という観光土産物館のレストランが美味しかった

 

信玄本拠地である躑躅ケ崎館跡。神社のもの江戸時代以降の武田ブームアイテムが置いてるだけなので、館って言ってもちゃんと塀も堀も馬出もあるんだー、有名な武田馬出現物ってこんななんだー、なるほどこれは領土が広がったら手狭だなー、などなどを実感するぐらい

隣接する信玄ミュージアムでやってた柳沢吉保特集柳沢家は元武田家臣、甲府藩主時代武田家の名誉復興政治力を使いまくる等々)が全く知らなかったので面白かった

 

予想に反して戦国大名武田氏の展示はごく一部であり、ブラタモリ的に土地の状況から歴史解説シームレスにつなげる解説が印象的な展示。江戸期や明治以降の展示も充実、というか史料的に戦国以前が乏しいので史料的に乏しいものを無理に拾うよりも史料豊富ものちゃんと見せる方向でまとめてるんだと思った。近代以降の実業家たちの紹介はかなり興味深いのでもっと知りたい

 

特別展としてまとめられていた「縄文時代不思議な道具」展がボリュームが思ったよりも多く充実していて今回の観光旅行では最押しだった(終了してるけど)。各分類ごとの物量が多いぶんだけ次の展示に移る前に頭の棚が作りやすいというか解像度がかなり上がるというか、考古学は奥が深いでしょ、を物量で殴ってわからせるというか

タマ縄文にわからされた後に、常設展示の縄文土器の優品を見せられると「美」って感じで惚れる

 

ミレーがいっぱいあるところで有名な、ミレー集客してるミレー推し美術館だが、県内画家作品普通に良い

というか、ミレーはどうしても小品だし、王政復古なんやかやの頃の絵なので古典範疇であり、近代以降のキャッチー絵画のが見栄えがいいので、昨今の思想動向的にもミレー労働自然リアリズム、うーむ渋い、みたいなのは受け取る側としてなかなか消化しづらくなってると思う。理念の崇高さみたいなのを勝手に感じ取らないとありがたみがないというか。なお、ミレーの生涯を紹介するアニメが見てて楽しいのでお勧めホームページで見れる)

さておき企画展含めた国内作家作品が良いのが多かったので、ミレーに釣られて行ったら日本画家を好きになる、が正しい鑑賞態度なんじゃないかと思う

施設レストランは諸事情あるのか、オペレーションが壊滅的で順番待ちをうまく捌けてなかった(料理自体は悪くない)ので、利用時はゴリゴリっとゴリ気味に状況を確認したほうがいいと思う

 

  • まとめ

もっと信玄まみれになるかと思ったが、信玄甲陽軍鑑もあまり出番がなかった

次はハイジの村で天然温泉クララの湯に浸かってみたい

2024-12-05

ピアプロ声明Deco*27氏のことだと言っているのを見て驚いた話

4日、初音ミク公式Xにてピアプロガイドラインについて触れる表明が出された。[ https://x.com/cfm_miku/status/1864128366720487608 ]

そのことについてユーザーの反応を見るために引用を見てみると、その中に「Deco*27のことか」、「最近ボカロ曲はひどい」とコメントしている人がいて驚いた。

なぜならボーカロイド卑猥歌詞を歌わせる歌なんて十年以上前から存在しているからだ。

世代が一巡したんだなとか、知名度があがった分色々な層の人の反応が見えるようになったんだな、とか感慨深くなるが、

私は今回は曲のことではないのではと考えている。

そもそもボーカロイド性的歌詞を歌わせて話題になるのは十年以上前からあったことだ。

詳細は省くが、歌詞が原因で権利者削除された曲は過去存在している。

だが、無数にある性的歌詞の曲全てが削除されているというわけではない。

この違い、匙加減はなんなのだろうか。

初音ミク公式ブログにて、そういった曲に対し2008年声明を出していた[ https://blog.piapro.net/2008/01/post-15.html ]

その時の声明の中では、

>> 特にVOCALOIDのものや、VOCALOID製品タイトルキャラクター(「初音ミク」「鏡音リン」「鏡音レン」等)、バーチャルシンガーなどとクレジットされた作品において、それそのものが、いわゆるエロティック表現や、バイオレンスグロテスク表現を、自ら発言自己表現しているような見え方と捉えることが可能場合、または視聴者VOCALOIDキャラクターイメージを誤解し、困惑嫌悪の感じをいだく可能性がある場合VOCALOIDキャラクターイメージに悪影響があると判断させていただく事がございます。 <<

としている。また

>> ※"公序良俗"の判断基準については弊社では「TV放送できるか否か」をひとつ判断基準としています。例えば性的表現に関しては視聴者困惑嫌悪の感じを抱かせないように注意しています家族がそろって視聴した場合露骨表現描写をすることによって困惑嫌悪の感じを抱かせないように注意をしています。(民放連放送基準より一部参照) <<

とも書いている。

ここにそのヒントがあるように思う。

恐らくは「ボーカロイド本人が発信しているようにみえるか」、「直接的な表現をしているか」が主に判断基準になっていそうだ。

削除された曲はこれにひっかかっていた。(デッドボールPの『私は人間じゃないから』等)

Deco*27氏のそれが話題になりはじめたのは一年前のラビットホールあたりだろうか。

そこから『サッド・ガールセックス』や、つい先日アップされた『モニタリング』の歌詞言葉選びで言えば性的一面もあるだろう。

しかし、改めてMVを視聴すると上記の条件にはあたらないように思う。

まず上に挙げた削除された曲のように曲中で初音ミク自称していない(ため、架空女子の歌であるとすることができる)。

ではそもそもの直接的表現についてだが、これも対象外ではないかと思う。

サッド・ガールセックスについては難しいところなのだが、恐らくピアプロが指す直接的表現ではない。

これが駄目ならアゴアニキPの『よっこらせっくす』も対象になるため私はそう考えている。

そして当然、気が付いていないという可能性もない。

ケミクという大事コラボにまで起用されるレベルボカロP話題曲が耳に入らないわけがないのだ。

例をみるに、有名なエロゲー主題歌のような匂わせ程度の表現については見逃しているのではないだろうか。

描写に重きを置いているかどうかも、判断材料として大事な要素かもしれない。

(想い人との別れや少女感情が肝であるため直接表現とされていないのではないかという考え)

こういった根拠から、今回の件はDeco*27氏についてではないのではないかと私は思う。

さらに言えば、今回の声明なかに

>> 今般、主にソーシャルメディアSNS を通じて発信される一部の当社キャラクターの利用、及びそれを取り上げたメディア報道について、ファンの皆様に多くのご心配のお声を頂戴しております。当社といたしましては誠に遺憾であり、大変心苦しくございます。<<

との一文もある。

過激歌詞についての声明の時に、はっきりと公序良俗に反する歌詞を含む歌詞についてと書いてあることから

ピアプロ注意喚起する際には対象を明確にすることがわかる。

からこそ、今回は本当に単純にキャラクター利用についてを指しているのではないか

そもそもそう考えている人のほうが多いのだが)

丁度思い出したのが阿久女イクという同人キャラクターだ。

あれは初音ミク卑猥言葉を喋らせたいという動機からまれたらしいのだが、

それをそのままミクにやらせていたらきっと怒られていただろう。参考にしてみてほしい。

しかし、こういった色々な歴史無視して今回Deco*27氏に対して攻撃的な声があがるのが残念でならない。

私も、他界隈でのグレーゾーン面白半分で攻めるような行動を見れば思うところもあるが、

内容を無視した言葉狩りはただの我が儘ではないか

今一度、公式規約モラルアーティストの熱意など含めて考えなければいけないと思う。

ちなみに、じゃあ何のことを指しているのかということには触れないでおく。

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