はてなキーワード: 引っ越しとは
そして友人たちに並々ならぬ感情を抱いている。
前提として、浮気は良くない。これは法律的にも倫理的にも良くないとされている。
相手にパートナーがいると知って誘う者も、パートナーがいるのに誘われる方も等しく裁かれるべきである。
ただし、法律では明確に婚約の状態にあるとされない場合は賠償責任が発生しないとされている(認識が間違っていたら申し訳ない)。
とにかく、増田はメンヘラであり、友人たちにクソデカ感情を持っており、更に友人の恋人たちを憎んでいた。
友人として共に十数年積み上げた年月が、恋愛などという脳のバグで優先順位が下がることが許せなかった。
増田は美人ではなかったが、愛嬌だけはあった。擬態するのが上手いメンヘラだったのである。また、インターネット老人であったのでネットストーカーが大変上手かった。
まず、友人の恋人(以下、敵とする)の全てのSNSアカウントを探し出した。人間関係を探って、Instagram、Twitter(自称X)、facebookに至るまで調べ上げた。敵のアカウントがよく交流している人の投稿も監視し、幼少期から現在に至るまでの交友関係を洗いプロファイリングした(増田は大学で犯罪心理学を学んでいた)。
その上で友人に敵を紹介してもらい、一緒に飲みに行った。初対面の人間とこんなに話が弾むのは初めてだ、とどの敵も言った。瞬きの回数や視線の動き、喋り方の癖などをアップデートし、増田は好みの女を演じ続けた。
義務教育において、行動心理学を必修科目にするべきことは明白だった。大体会うのが3回目を超えると、敵は増田のことを意識し始めるようになる。
「またみんなで遊ぼうよ」から「また飲みに行こうよ」になり、「次いつ会える?」になった。
こうなると行動はパターン化する。
「ごめんね、彼氏さんからこういう連絡が来て……ううん、私が勘違いさせちゃったのかも……本当にごめん、もう近付かないようにするから、これからも仲良くしてくれない?」ルートか、「えー、彼女ちゃんに悪いよ。うーん……じゃあ、昼間に遊びに行くだけならいいよ?」ルートである。
前者は善良な友人を装うことができ、後者は無理矢理交際に持ち込もうとする女の敵として認識させることができる。一番効果的なのは肉体言語による交渉だったが、これは友情を壊すリスクが高いため使用回数は控えた。ほとんどの敵は浮気に後ろめたさがあるので黙っていたようだ。バレたことは(少なくとも増田が察知する限りは)一度もない。
友人の元から敵が去ると増田は一番に駆けつけ、深夜のファミレスで共に泣き、失恋旅行に付き合い、新たなマッチングアプリについて語り合った。
とにかく、「うちら男運悪いけど、友達には恵まれたよね!」を演出したのである。
友人たちが敵を紹介してくるたび、増田の腕はどんどん磨かれたし敵のレベルは高くなっていった。結婚を意識する年頃になったので身持ちが固くなったのもあるのかもしれない。
増田の結婚式に号泣しながらスピーチをしてくれた友人たちを増田は何よりも大事に思っているし、婚約や妊娠、引っ越しなどの報告をまず増田に教えてくれる友人たちも増田を大事に思ってくれていると信じたい。
だから、今になって増田と関係を持とうとしてくる友人の夫を増田は決して許さないし、そんな敵を友人の夫として認めた増田の審美眼も許せないのだ。
そして友人たちに並々ならぬ感情を抱いている。
敵と相討ちになるべきか、この数日ずっと縄を見つめている。
だが週末、熊本でなにかあるのか知らんがホテル満室で追い出されたので旅に出る。(泊まれるが法外に高い)
どっちがいいかChatGPTに聞いたら「どっちもいいよ!」みたいなふざけた回答しやがった。
おまえはいつもそうだよ。二択で質問してるのに玉虫色の回答で責任を回避しようとしやがる。
どっちか選べと指示したら「鹿児島」だと答えたので鹿児島に決定、はい責任はChatGPTな。
途中吉野家で朝食をとる。「牛すき鍋定食肉二倍盛り」。朝なのでビールは無し。バス旅でおしっこ危険。
俺は吉野家では「並牛」「牛鮭定食」「牛すき鍋定食肉二倍盛り」しか頼まない。
人生初吉野家から40年間これを貫いている。あと吉野家以外の牛丼屋はパチモノでありクソである。
キン肉マン問題や嫌なら食うな問題などどうでも良い。牛丼は吉野家である。異論は認めない。
吉野家下通店のドアは手動である、なぜ自動ドアにしないのか謎。理解不能。これだけは吉野家を許せない。
熊本の大衆は育ちが悪く品性が低めなので開けたドアを閉めない。ドアをきっちり閉めたら負けだと思っている。
熊本にはそこらじゅうに「あとぜき」の張り紙がある。熊本弁で「開けた扉を閉めろ」という意味だが、
そんな張り紙をあちこちで見かけるほど奴らはことごとく閉めない。
まして吉野家の手動ドアなど完全に閉まることはまずない。閉めろと念入りに張り紙はしているが誰も閉めない。
徒歩、桜町バスターミナルに着くと20分後出発の便がある、鹿児島行きバス路線があるのは知っているが時刻表までは調べていない。
チケットを購入。
旅慣れている俺はファミマで颯爽とお茶とチョコとワッフルを購入。
バスに乗る。
熊本のバスはクソ遅い。市内慢性的渋滞なのに市内から高速道路までのアクセス道路が無い。首都高的な、バイパス的な道路がなく
桜町バスターミナルから熊本ICにたどり着くだけで一時間かかる。新幹線ならもう鹿児島に着いている。
だがバスなら4200円で鹿児島まで行ける、新幹線だと7700円
バス一択である、金は無いが時間はたっぷりある。そもそも急ぎの旅ではない。バスの車窓も含め旅なのだ。
それにしても遅い、市内でいちいちバス停に止まり乗客を乗せる。高速バスなのにぜんぜん高速じゃない。
ようやく高速道路に入り山中をひたすら走り、無駄に鹿児島空港に立ち寄り、3時間半で鹿児島中央駅に到着。14時くらいだったと記憶している。
鹿児島は20年ぶり。今の駅ビルに建て替わる直前の鹿児島中央駅(当時西鹿児島駅)にしか来たことがなく現在の立派な駅ビルには薩摩藩の貫禄を感じた。観覧車もあるし。
駅前をふらついていると市内観光循環バスを見つけた。230円でぐるっと一周できる。80分乗って230円。どう考えてもお得。乗るしか無い。これで主要観光地全部行ったことになる。
乗ってから数分で気付いたが、そういえばこれ20年前も乗ったわ。見覚えあるわ。行動パターンが20年変わってない俺。
西郷どんの洞窟ショボっとか思いつつ、20年前も見たわ、みたいな。
俺は日本全国、世界各地行っているのでたいていのモノは初見でも感動も無いが、二度見であるからさらに新鮮みもまったくない。
16時。アホらしくなり途中天文館で降り(ほぼ一周してる)、銀だこで腹ごしらえ。
安定の銀だこ、どこで食ってもハズレはない。
鹿児島に来たからと言うて嬉しそうに黒豚だの地鶏など食わない。どうせまずい。よくて値段相応
高度に資本主義が発展し、かつ食品の保存、輸送が極限まで進化した我が国。
朝に豊洲で仕入れた魚が午後には那覇空港に到着し空港の中の寿司屋で提供されるのだ。
美味い魚や肉や野菜は大資本が狩り尽くし、一般市場にはそのお溢れしか回ってこない。
地元だから新鮮で高品質で安い、なんて幻想にすぎない。もうそんな時代ではない。
美味いもの食いたきゃ金を出さなければならないし、品質は都会も田舎も変わらない。
ハイボールとたこ焼き、最高であり、庶民の幸福であり、食いながら宿を探す。
宿は取っていない、取れなきゃ満喫でもいいのだ。この時間になるとホテルは空室よりもマシと捨て値で部屋を売り出す。
案の定、東横イン7000円を見つける。予約し銀だこお会計しチェックインに向かう。徒歩5分
ちなみに銀だこのスタッフはみな可愛かった。鹿児島は女子のレベルが高いように思う。熊本には悪いが熊本はアレだ。
熊本は男は扉を閉めない、女はヘチャ。ではいいとこ無しのようだが、俺は熊本が大好きだ。なんなら引っ越ししてもいいと思っている。
息子が友達と離れたくないと拒絶したので断念したが、でもキミクラスで浮いててボッチって嘆いてなかったっけ?まぁいい。
ともかくホテルにチェックイン、暇つぶしにテレビを見る、スマートテレビはネトフリにも対応、颯爽とログインして「斉木楠雄のΨ難」の続きを観る。鹿児島まで来てなにやってんだと思うだろうが、いいのだ。こういうのでいいのだ。
21時。小腹が空いた。週末の鹿児島の繁華街、どんなものかパトロールに出発。
グッと来る店がまったくない、Bar、キャバクラ、居酒屋、なんでもいいから1軒くらいと思ったが、無い。
仕方がないので客がそこそこ入ってるラーメン屋に入ったが、ぜんぜん美味くない。な?だろ?
ホテルに戻り寝る。
朝、さてどこに行くか、ノープラン。アホらしいので即戻りでもいい気がしてきたが、せっかくだし、桜島に行く。
フェリーに乗る。チケットは無く桜島の下船時に支払うという合理的オペレーションはグッドである。そして安い。250円だったか。
金額を確かめようと念の為にググったら検索要約に130円と出てきた。どっからそんな値段が出てきたのか。これだからAIは。
古い値段なのか、小児運賃を誤判定しているのか、意味わからん。
それにしても桜島は偽物である。おまえ島を名乗っているが島じゃねぇじゃん、繋がってんじゃん、現状ただの半島であり錦江湾のノドチンコである。桜半島に改名しなさい。島じゃないんだから。
無論、ただの地名であるという言い訳もありましょう、例えば島原は島でも無いし原っぱでも無い、島が付く地名などゴマンとあり、地名と実態は別物であり、安田さんが安いわけでも田んぼなわけでもない、それらの一種であるという言い訳だろうが、俺は許さない。
とか思いながら桜半島を眺めていると船は出発した。デッキではアホみたいにうどんを食うてるアホがいる。クソ高いのに美味いわけが無い。
テレビでタレントがうまいうまいと言うてるのを見て自分も食いたくなったのだろう、美味いわけが無い。
船は15分で到着。元船乗りの俺としてはこの手のフェリーの操舵技術には感服する。
自動車のCMなどでキツキツ駐車スペースにスピンで滑りながらピタリと止める、みたいな演出あるじゃん。
ともかく桜半島に到着。
降りる、250円払う。Suicaで払おうとしたが使用する人はほとんどいないのだろう、都度タッチ端末を起動しているのか知らんが応答がすこぶる遅い。
なんぞ?
なんか人がたくさん走ってきた。マラソン大会してやがる。うっざ、さっきのはスタートの合図
この手の観光地にはたいていレンタル自転車があるもので、案の定あったので借りに行ったら今日はマラソンだからダメだと。ふぁっく
わざわざ活火山の真下でマラソン大会やってんの。3000人集まってんの、アホかと。
徒歩で海岸沿いに向かう
ビジターセンターなる観光施設があったので入る、土産屋があり溶岩石が売っていた。300円。
マイクラにハマってる息子が最近やたらと溶岩溶岩とうるさいので買っていこうと思ったが、
ここってそこらの石全部溶岩じゃねぇの?
海岸沿いに恐らくかつて溶岩だったのではなかろうか的な石ころを拾ってカバンに詰めた。300円儲かった。
なぁに子供にはわかるまい。ただの石でもいいのだ。
かつこの行為が厳密には法律違反ではなかろうとかいう懸念もあるが、俺の中では違法性は阻却されると判断している。
鹿児島に戻る。
ちなみに船の出発ジングルが長渕剛であった。俺は長渕が嫌いである。
人格、品格というのはその人がアイデンティティ確立において誰もが何かしら持つ劣等感をどのように消化するか、が大きく作用する。
彼は音楽に関しては天才である。体系的音楽教育を受けずギター一本で多くの人の記憶に残る名曲を生み出してきた才能は凄いのであり、俺も若い頃、まだ自分でピアノを弾いていた頃には彼の曲をいくつか弾いた。コード進行はシンプルであり、奇抜な音楽要素を取り入れるわけではなく、しかし優しく強いメロディーは誰の頭にも残る。
が、彼は自己プロデュース能力やタレント性、カリスマを宗教にしてしまった。
アホを信者に搾取することは悪いことではない。宗教屋はみなやってる、それで救われるやつもいる。
が、彼は劣等感の克服を歪んだ形で完結させ、歪な宗教に昇華させた。俺はそれを嫌悪するのだ。
ワンテイクというYoutubeのチャンネルにも出ているが、説法がながぇのよ、普通のアーティストは「行きます」程度の一言で演奏開始するのだが、彼は人生口上を長々と30分近く喋ってから演奏に入る。うぜぇぇぇぇ、のであり、嫌いだ。
さて、俺は帰りのフェリーの甲板で涼んでいた。外気温19度、日差しもあり普通に暑い。散々歩かされたので汗ばんでいる。
が、近くに高校生の修学旅行のグループ行動らしき集団がいて、「さーむーい」「マジありえなーい」みたいな私弱いアピールして女子の真横でTシャツであり、俺がおかしいのか、JKがブっているのか、みたいな絵面であり、俺はJKたちに笑われていた。
鹿児島中央駅まで戻り指宿まで行く、まだ時間はある、片道1時間ちょい。指宿で降りずにそのまま乗り続けるとJR路線最西端の西大山駅まで行けるらしく、かなり魅惑的であり、てかそのまま枕崎まで行きたいが、アホではないので帰りをシミュレーションすると無理ゲーであることがわかり諦めて指宿で降りる。
というか、鹿児島県は上白石萌音様を生み育てた聖域であり、指宿はかの大漫画家川原泉先生を生み出した伝説の地である。
堪能せねばならない。
指宿駅前に食堂だか居酒屋だか料理屋みたいなのがあり、2500円の定食を食う。きっと川原泉先生もここで飯を食われたに違いないと考えると美味さは倍増する。実際美味かった。だが、どうやらその日は指宿で全国かつお祭りとやらが開催されているようで(店にポスターが貼ってた)、車で10分ほどの会場でなんかやってるらしい。13時半なのでまだ間に合う。俺が計画的に行動し、事前リサーチしていれば間違いなくそれをターゲットにしていただろう、カツオは俺の好きな魚ランキング10位内には入るほど好きだ。残念
地ビールがあったので飲む、美味い、おかわりしてしまった。これが間違いだと気づくのは30分後である。
14時半、帰路、鉄路かバスか。どちらもアリのようだ。来るときJRだったので時間かかるが景色の良さそうなバスもよかろうとバスで帰ることにした。ちなみにJRはクソであり、せっかく海岸沿いを走っているのに藪で景観が台無しである。
JRが軌道外の雑草を放置しているため車窓は最悪のコンディション。
言い訳をすると乗車直前にトイレには行ってる、アホでは無いのだ。
あと1時間ちょい我慢は「むり」との決断を下し、途中「観音崎展望所」バス停で途中下車。
道の駅だからトイレくらいあるだろう、あった、おしっこした。セーフ。間に合った。次のバスを検索すると絶望しか無かった。2時間後。
最寄り駅まで徒歩20分。20分くらいは歩くが、列車が来るのは1時間後。ふぁっく。ド田舎死ね。
結局小一時間海岸で桜半島を眺めながら佇むことになった。気候が良いのが救い、桜半島はきれいだった。
ようやく時間が来たので生見駅から列車に乗る。「ぬくみ」と読むらしい、勉強になった、残り人生で活かせる機会は無いだろうが。
生見駅での乗客は俺一人だが、枕崎や指宿から乗ってきたのであろう観光客で空席ゼロ。外人だらけ。
ちなみに生見駅の側には「この付近で大便した奴はぶっ殺す 家主」的な看板があちこちにありどんな治安だよと思った。
本来の目論見では鹿児島中央から4400円でバスで熊本まで戻る予定だったが、この時間だともはや新幹線ワープしかない。
指宿在来線から新幹線に乗り換えようとしたのだが、改札内に新幹線切符売り場は無いらしい、一度改札を出てから買い直しだとか。
都会育ちの俺は新幹線とは5分に一本走っているものという常識がありそのような感覚だったが、時刻表を見ると絶望しかなかった
はぁぁぁぁぁ?
よんじゅうよんぷん?待ち?なんで接続列車にしないの?その前が3分間隔出発で次が44分の空白ってなんなの?
なんでばらけないの?アホなの?
が、良い、許す。俺はちょっと機嫌が良い。
実は指宿からの帰路に衝撃的な出会いがあった。途中でJK3人組が乗ってきたのだが、その一人が俺の初恋の人にそっくりだったのだ。
瓜二つというて良い、とはいえ初恋の人に最後に合ったのは35年前なので記憶が定かではなく写真も持っていないので相当補正がかかっているかもしれんが、顔立ち、スタイル、雰囲気がそっくりだった。俺が余命一ヶ月とかならアレでソレしてしまったかもしれない。だが俺はあと50年生きる予定なのでそんな事で刑務所には入りたくない。
コーヒーを飲む。そういえば出張に電動鼻毛カッターを持ってくるのを忘れた(バックのどこを探してもない、入れたはずなのに)ので隣のヨドバシで買うか思案、だが、よくよく考えてみると鼻毛カッターを使うのは1週間から10日に一度である。
出張はあと2週間だから使っても1回、もしくはせいぜい2回であり、自宅に戻れば前のがある、別にそれで困ってない。
パナソニック製で10年前に購入したものだが、電池式なのでバッテリーヘタリもない。そもそも毎日使うものでもない。
そしてこの歳で新しい電動鼻毛カッターを購入したとしてあと何回使うだろうか。鼻毛がどうでもよくなるのが80歳くらいだとして、週一使うとして残りざっと1400回である。
あ、けっこうあるな、新しいの買ってもいいかな、人生最後の電動鼻毛カッター、いやいやいや、今のやつで人生最後まで走り切れるのでは。
とか考えてたら30分が過ぎ、ホームに向かう、新幹線ホームに喫煙所があると思いきやなかった。大都会熊本駅にはあるんだけどね。
新幹線発車。
車内アナウンスで「座席に荷物置くな」と言うているのにお隣の中年女性はガン無視。
俺は三列シートの真ん中にふんぞり返って座っている。なぁに乗車率3割も無い。
ちなみに三列シートは真ん中だけちょっと幅が広いのだ。
18分のインターバルがあるのでのんびり新幹線ホームの喫煙ルームでタバコを吸う。
吸い終わり、ん?豊肥本線ってこの時間そんなに間引き運転だったっけ。調べると
18:43発があった。余裕で乗り換え間に合うじゃん。ジョルダンふぁっく
なんやかやホテル到着、急いで帰ったのは理由がある、荷物が届く。
スーツケースを宅配便で送っている。ホテルというかウィクリーが預かってくれないので近所のコンビニから Permalink | 記事への反応(0) | 16:52
毎年クリスマスや正月のような宗教色の強い時期になると思い出すので備忘録として書いておこうと思う。
とても長くなるので読んでも読まなくても構わない。
粗はいくらでもあるが、当時小学生のお子ちゃまが頭を振り絞って考えたことだったので生暖かく見ていただければ幸いだ。
当時通っていた小学校はお受験が盛んで、クラスの半分以上が中学受験するような学校だった。中には体育や道徳など勉強に関係ない授業が多い日は学校を休み塾へ通うように親に指導される子供がいるような学校である。
そんな雰囲気の学校だったため増田も塾に通わされていたが、増田の親は仕事が忙しく放任主義だったため、どちらかというと自由に延長できる学童のような使い方をしていた。親が帰るまで子供1人は心配だから大人がいる塾で勉強して暇を潰しなさい、という発想かと思う。
朝から晩まで勉強で楽しくないし、学校の教師は子供達に学校で勉強させようと胡麻擂りに必死だし、塾ではライバルたちと比較される。お子様なりにフラストレーションが溜まっていた。
小賢しく、自尊心が高く、承認欲求が強く、何よりも勉強以外で暇を潰したかった増田はそこで考えた。
当時の増田の立ち位置は「1軍グループにいるけどちょっと浮いてる変なやつ」だった。友人Aと友人Bの親友というだけで残酷な子供達のカーストの中で辛うじてバラモンの仲間に入れてもらっていた。友人Aと友人Bの存在がなければきっとダリットだったと思う。
とにかく、増田には2人の親友がいた。勉強もスポーツもできて誰からも一目置かれる友人A、とにかく話がうまく誰とでも仲良くなれる才能がある友人B。
入学した時にたまたま席が横並びになったというだけの出会いだったが、それからこの2人はこちらが申し訳なるくらい良くしてくれ、そのおかげで陰キャで性格がドブカスだった増田も「みんな仲良し♪」の仲間に入れてもらうことができたのである。
表向き友人Aも友人Bもみんなの前では「気のいいやつ」だったが、実は2人とも性格にはかなり難があった。いや、だからこそ増田と仲良くなれたのかもしれないが。
友人Aはなんでもできるからこそ傲慢で、支配欲がある。少し早い厨二病であり、大きな声では言えないがナチに憧れていた。大きな声で言わないところが実に打算的であり、増田はそこが気に入っていた。
友人Bはとにかく人からの評判を気にしていて、いつも自分の悪口を言われていないか怯えていた。それと同時に人の内緒にしておきたい部分を暴くのが大好きで、いつか何かあった時に脅せるように、仲良くなって秘密を握ることで快感を感じる癖があった。
増田はといえば親友2人を自慢に思うとともに、増田の言うことを疑いもしない人気者2人を操る優越感に浸るクズだった。
そんな悪友2人に、こんな面白いことを共有しないわけにはいかないと増田は思った。
「いいね、やろう」と友人Aは言った。
増田は「こいつら話が早すぎるな」と思った。
そうして、宗教を作ることになった。
増田はキリスト教圏で育ったので神の存在に関しては割と思うところがあった。
思想と宗教の違いは難しいが、神の存在を論じられるほど増田の信仰は深くなかった。ただ、人間の熱狂は宗教になりうる、と子供心に感じていた。
小学生だった増田の狭い狭い世界の中で、唐突に宗教を作ろうと思ったわけではない。「これはいける」と思った出来事があった。
どの小学校でも道徳の授業があったと思う。お受験組の気を引こうと躍起になっていた当時の担任は、その道徳の授業で「いいこと投票」というものをしていた。
その名の通り単純で、「いいことをした人を匿名で投票して、得票数が高かった人を表彰する」という仕組みである。
これは単純だが、小学生の承認欲求をかなりくすぐった。なにしろ、いいことをするだけで教壇の上で褒められ、その上シール(子供にとってのシール!史上の喜び)を授与されるのである。名札の裏にいいこと投票のシールを貼るのがステータスになるのにそう時間はかからなかった。
増田はヒネた子供ではあったが、それでも投票されたら悪い気はしないし、いいこと投票が頭をよぎって人助けをすることもあった。
それと同時に、「これは使えるな」と思った。
増田が育ったキリスト教の教えでは、善行は死後の世界のために積むものとされていた(諸説ある)。だが、小学生にとって死後の世界など遠い存在である。「善行を積めば人々から尊敬されるという承認欲求」の方が何より魅力的なのではと思った。
3人の意見はまとまった。
その週末、3人で図書館に行った。親は大喜びでお駄賃までくれたが、目的は宗教について調べることであった。当時インターネットはかなり普及してきていたが、学校のコンピューター室で宗教のことを検索するのはかなり気が引けた。そこで図書館へ行くことにした。
一日中調べて回って、以下のことを決めた。
小学生なりに考え、実行に移せる最大限を考えた。
結成時に十数人を集めて行った友人Aの演説は素晴らしいものだった。増田が授業中書いた原稿と同じ文言とは思えないほど力に満ち溢れ、説得力があり、心に訴えかけるものがあった。その場にいた全員が信者になると誓い、お札を下駄箱に貼り付けた。
友人Bの勧誘も実に巧みだった。誰に話せば一番噂が広まりやすいかを友人Bは知り尽くしていた。すぐに手元にあったお札はなくなり、増刷をすることになった。学年のほとんどが入信し、シールは飛ぶようになくなった。匿名投票のための空き下駄箱は常に紙が入っている状態で、ランドセルの蓋にシールを貼るのが大流行した。
3人はそれで満足し、たかを括っていた。小学生の拡散力を舐めていたのである。
夏が来て塾の夏期講習が始まってから、他校の生徒に声をかけられることが多くなった。もちろん入信の申し出で、最初は喜んで案内をしていた。
だが、20人を超えたところで不安になり始めた。なにしろ、塾でしか会わない人間である。匿名投票の匿名性は失われ、よく知らない人間の善悪を判断しなければならない。
3人は作戦会議をし、組織化をしなければならない、と結論を出した。信者たちを支部に分け、各支部ごとに信者たちをよく知る支部長を置くことにしたのである。
それと同時に、今まで全て3人で行っていた運営にテコ入れをすることにした。
まず、専門のデザイナーを雇った。非受験組の絵が得意な信者にシールとお札のデザインを一新させた。毎月シールの図柄を変え、飽きの防止とインフレの防止を図った。
また、情報屋も雇った。告解で得た情報でさらに価値のある情報を交換するためである。これは画期的で、「この秘密を話すので誰々の好きな人を教えてください」とかが大変多くなった。
支部長の下に秘密で内部監査官も置いた。これは支部長の不正や信者との癒着を告発させるためである。
組織化したことにより、3人の地位は確固たるものになった。カリスマ的教祖の友人A、人に響く教えを説く友人B、善悪を裁き組織をまとめる増田。
夏休み中もムーブメントは衰えを知らず、信者は増え続けた。3人は有頂天になっていた。
そして学校が始まり、始業式の後、3人は応接室に呼び出されたのである。
〇〇〇〇教は教師陣の間にも知れ渡っていた。
一つの学校ではなく塾や習い事によりその地区の他校にも伝播した〇〇〇〇教の信者は把握できるだけで数百人を超えていた。
夏休み中、先生方は連携をとり、学校再開とともに終わらせようと話し合いがされていたらしい。
説教は3時間に及んだ。これは、先生方の話が長かったこともあるが、こまっしゃくれたクソガキだった我ら3人がいちいち反論を仕掛けたからである。
そもそも、我々は何も悪いことをしていなかった。ただ「いい人になろう」「いい行いをしよう」「いい人たちを尊敬しよう」と言って回っただけである。「ご利益がある」とお札を売りつけたり、告解で得た弱みを握って脅したりもしていない。ただ、善行を行わせて噂を流通させただけなのだ。
教師陣もそれがわかっていたのであまり強くは追及してこなかったのだが、我々があまりに舐め腐った態度をしていたのでだんだんヒートアップし、複数の教師が入れ替わり立ち替わり講釈を垂れ、最終的に「解散宣言をしなさい」と一方的に要求を押し付けてお開きになった。
応接室を出て、下駄箱に向かい、校門をくぐった瞬間、3人は爆笑しながらハイタッチをした。
「馬鹿め、もうそんな段階にないのだ!」と知っていたからだった。
子供と接しているのに大人である先生の皆皆様方は全くわかっていらっしゃらない。子供は禁止されたらもっともっとやりたくなるんだよ!
受験用に詰め込まれた知識であるキリシタンの気持ちがその時はよくわかった。抑圧された宗教は熱を増すのである。
隠語で呼ばれ、ミサと称した会合が秘密裏に行われ、塾に通うために学校を休んでいた層もせっせと体育館裏に足を運び秘密を囁くようになった。
教師陣は躍起になっていたが当時流行り始めた学校裏掲示板やmixiの日記などで〇〇〇〇教は着実に広まり、信者は増え、もはや我々3人の手に及ばないものになっていた。
知らないデザインのシールが増え、知らない告解が増え、知らない宗派ができていた。
秋が来て、塾で勉強している間に冬になった。
冬季講習の最終日、いつもの公園のジャングルジムの上に集まり、80円の缶ジュースで乾杯をした。
「そろそろやめよっか」と増田は言った。
「卒業、さみしいなぁ」と友人Bは言った。
正直、もうその段階ではないことはわかっていた。これはただの勝手な「一抜〜けた!」である。
教祖も司祭も裁判官も全てを誰かに押し付けて、こそこそと逃走するのだ。信者からすれば大きな裏切りであり、大罪だろう。
でもぶっちゃけ、飽きちゃったのだ。自分たちを置いて勝手に物事は進んでいくし、勝手に教祖を名乗るものも出てくるし、勝手に布教されているし、勝手に人が人を裁き始めるし。
だって子供だし、受験もあるし、そもそも進学したら続けられないし。
色んな言い訳をして、色んな人と話して、時にやり合って、押し付け合って、そうしている間に受験で学校に行かなくなって、ようやく卒業のために帰ってきたらどうやら全てが終わっていた。
あれだけ熱狂的だった信者たちは激減しており、卒業とともに誰かに譲られるためランドセルの蓋はシールなんてなかったように綺麗になり、空き下駄箱は使用禁止になっていた。
教室の後ろの「いいこと投票」の模造紙は取り払われ、「卒業おめでとう!」の垂れ幕に変わっていた。
友人Aは卒業と共に他県へ引っ越した。6年生になった時から決まっていて、増田たちと最後に何かしたい、と言っていたので「何か」は間違いなくできたと思う。
友人Bは志望校に落ちたので増田とは違う中学に進学した。あれだけ熱心に活動に勤しんでいたというのに引っかかったのは幸運だと自ら笑っていた。
増田は中学で若干いじめられそうになっていたが、入学した時に席が前後になった友人に助けられなんとかグループの輪に入れてもらい事なきを得た。教訓としては、コミュニティに入って一番初めにできた友人はなんとしてでも大事にした方がいいということだ。
それぞれ無事進学して、就職して、結婚して、最近はオンライン飲み会なるものを開催している。
この間、家族で親元へとUターン引っ越しをした友人Bが酔っ払いながら教えてくれた。
「最近、子供がランドセルの裏に変なシールをくっつけて帰ってきてさぁ」
友人Aはしばらく黙った後爆笑したが、増田は少し泣きそうになった。
この歳になると涙腺が緩くなって困る。
キリシタン、まだいるのかぁ。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
僕の顔の前で、花火の消えたパフェよりも、もっと鮮烈なものが、僕の視界に入った。
それは、慌てて近づいてきた店員の手だった。
マニキュアが施された、細く、整った指。薬指には、大ぶりのピンクのストーンが乗っている。しかし、僕の視線が釘付けになったのは、その手の甲、親指の付け根に近い部分だった。
そこに、小さく、しかしはっきりと、黒子の並びがあった。不規則な三角形を描く、三つの小さな点。
僕は嗚咽を止め、震える声で尋ねた。
「……その、手」
彼女の声は、若い女性特有の甲高いトーンで、僕の記憶にある誰かの声とは全く違っていた。しかし、その手の甲の黒子は、僕の記憶に焼き付いたものと完全に一致していた。
「お前……**美香(みか)**か?」
その名前を口にした瞬間、彼女の顔から作り物の笑顔が完全に消え去った。つけまつげの下の瞳が、大きく見開かれる。
「え……なんで、その名前を……」
美香。僕の生き別れの妹の名前だ。僕たちがまだ幼かった頃、両親が離婚し、妹は父に引き取られた。その父は、再婚相手と共に僕たちから遠く離れた街へ引っ越した。その後、父も再婚相手も連絡を絶ち、僕と母は美香がどこにいるのか全く知らなかった。母は「顔が良くて金持ちの男と一緒になった」と、いつも僕に言い聞かせていた。
美香は、僕とは似ても似つかない、容姿の良い子だった。幼い頃から、母は僕に対して「お前はブサイクだが、美香は可愛いから」と、無意識のうちに僕の自尊心を削るような言葉を口にしていた。それが、僕が容姿の良い人間を憎むようになった、最初の引き金だったのかもしれない。
彼女は、僕の醜く荒れた顔を、まじまじと見つめた。そして、その視線は僕の額、膿が吹いた「赤い月面」で止まった。
美香の口から出た「兄ちゃん」という言葉は、僕がこの数十年、一度も聞くことのなかった、最も親愛のこもった呼び方だった。それは、性的魅力も、金も、何も関係のない、血縁という逃れられない繋がりだ。
僕は、パフェの前で泣き崩れた時とは違う、熱い涙を流し始めた。
「美香……お前、こんなところで……」
美香は、周囲の客の視線も、店の業務も全てを忘れ、僕の隣の席に座り込んだ。
「兄ちゃんこそ、どうしたの、その顔……。ひどいアトピーで……」
彼女の言葉に悪意はなかった。純粋な驚きと、心配が入り混じっていた。その「ひどいアトピー」という言葉が、僕の心の鎧を崩した。長年、僕の醜さを嘲笑や侮蔑の目線で見ていた人間ばかりだったから、心底心配する妹の表情に、僕はもう一度、声を上げて泣いた。
「お前は……顔が良いから……苦労してないんだろう……」
「そんなことないよ、兄ちゃん。父さんの再婚相手、すごく意地悪で、私は全然幸せじゃなかった。ここでの仕事だって、生活のためにやってる。このネイルだって、自分を少しでも飾らないと、ここで働けないから……」
美香の目にも、涙が浮かんでいた。華やかなピンク色の店内で、僕と美香は、パフェとプリンアラモードを前に、それぞれの人生の醜い部分を露呈し合った。
僕がパフェの上の花火に感じた一瞬の輝きと虚無は、美香にとっては、このピンク色の空間で、見せかけの華やかさを纏って生きる日々の、まさにそのものだったのかもしれない。
普段はスーパーしか使わないから、コンビニに行くことなんてほぼない。
で、先日ちょっと遠出した帰りに、
本当に久しぶりにセブンイレブンに入ったんよ。
いや、それもう外食やん。
妻と「これがインフレってやつ?」なんて話しながら買い物してたんだけど、
ふと気づいてしまった。
今の日本、怖すぎる。
https://togetter.com/li/2636203
でも船橋って地域自体が渋滞や行列に対しての感度がにぶすぎてビビる。
引っ越してきてからはじめて知ったんだけど、土日はほぼ船橋北口から1キロ北、東方面に渋滞できてるんすわ
"""""地下駐車場に入る速度がクッソソソソ遅いから""""とかいう令和にあるまじき理由なんすわ。
みんなここに入るために行列作ってて、その行列のせいで駅方面の車が全ストップ、バスが三十分遅延はザラ。
さらに言うと、行列に割り込むために1キロ混雑中にある交差点3つのうち、みーんな赤信号で突っ込んで割り込みまくり、東西方向に進む車をブロックするくらいの治外法権はザラ。マジで警察仕事しろ。
ちなみに地下駐車場自体は600台弱くらいは入れられるんだけど、そもそも入る速度が遅すぎてさばけないってのとキャパオーバーしてるっていう理由。
何がビビるって、市議会のだれもこの問題解決する気がないってことなんよね。
単純に公害でしかないんだから地下駐車場利用禁止して少し離れたところの使えやって言えば済む話なのに、
株式会社船橋都市サービスとかいう自称株式会社なのに修繕コストが高い場合は市が負担するとかいう謎企業さんになんの気を使ってか言う奴がおらんのですわ?
昨日大学から車で自宅(実家住みです)に帰ってきたらうちの駐車場を塞ぐ感じで私道に見知らぬ車が止まっていました。
田舎なので車じたい所有している人が少ないため必然的に駐車場を確保している家がすくなく
事前に伝え置く事もしばしば。
けど今回止まってた車は見たことない車でした。
事前に話しも聞いていないし、母も今日は中学生の妹の下宿先に出ていたので家にもいないので
いつも停めているご近所のA、B、Cにききにいきました。
ですが3人とも知らないようで、
「Dさん(母)が出てすぐに停めてあったから5時間は止まってるよ~」と
教えていただいた。
とりあえず車入れれなくて困るので知り合いのレッカー車あっかってる人に連絡。
最近近隣では不法投棄が多発していたのでKもレッカー車も直ぐに来てくれ車はお持ち帰り。
Kに持ち主が来るかもだから来たら連絡をと言われた。
それから3日くらいした夕方。母と近くのスーパーから徒歩で帰ってきたら
車に蹴りをいれてるのがみえた。
車返せ!って言っていました
なにいってんだこの人とか思いつつも
「車のナンバーは○○○ですか?」とたずねたら
「そうよ!○色の××」とつかみかかってきました
それなら警察に引き取って貰いました
と言うと
ちょっと置いただけでしょ!ってまた暴れだした
ギャルまま暴れ放題で
我が家の車にコンサートかなんかで振る蛍光ライト?をぶつけてきました。
どうやらこのまま隣の県で行われた某アイドルのコンサートに2日間連続で参加した模様…
母はレッカー車屋さん、Kに連絡し近くし、20分後くらいにKが駆けつけてくれました。
Kが駆けつけてくるまでにギャルままの子Eが○を漏らしてしまい(3才くらい)家に凸無理矢理凸され
何故か床の間に飾ってある書道師範の看板を盗もうとしていました
必氏で止めるのギャルままと私の体格差がありすぎて阻止できませんでした
Kが来てからは
ギャルままおとなしくなりましたが
レッカー車代をKが支払うように促すと
しばらく暴れ続けていると応援で来たKが何処かに連絡。しばらくして沢山のパトカーが。
ご近所、私、母は(゜ロ゜;状態。
えっ、えっ、と戸惑っていると
そのギャルまま
3つ離れた町で色々やらかしたあと行方くらました人しくて、両親から捜索願いが出ていたそうな。しかもこのギャルままの旦那も行方不明の様。
車は盗んだ物だったらしい…
何はともあれギャルまま回収されたけど車はめちゃめちゃなので
一様レコーダーとかいるのかな?向こう弁護士つれてくるらしいがそんな大事なのかな?
30分くらいXに
話が進みませんでしたが
Yの登場で空気が変わりました。
現れたらYはUと私の高校の元担任だったのです。Yは被害者が私だと分かると平謝りでXもYに従う感じでした
結局Yの意見で
車の修理費
看板の修理費
車が治るまでの交通費
迷惑料
出してもらう事になりました。
しかし先輩Uは二次被害を出さないためにもギャルままの引っ越し
その後ギャルままが直接謝罪をとのことでXがギャルままを家に連れてきましたが
なんでパパの年金をあんたが使うのよ!氏になさい!というギャルまま
それに加勢する母親
自宅の門が壊されたので遠慮なくKに連絡
元担任には悪いが被害届は取り下げるのやめることにし、いち早くギャルまま一家が退散する事を約束してもらい
尊敬していた先生だったのでイザコザを作りたくなかったですが仕方ないです。
余談?ですが
ギャルままは地元で色々やらかしたので(万引きなど)後々遠くに引っ越す事は決まっていたらしく
今回の件で引っ越すのが早まったみたいです
なんか怖い一家だな…
2年前くらいに引っ越したマンションの近くに、30台くらいはとめられるコインパーキングがある
休みの日の昼過ぎくらいに日課の散歩に出かけるんだけど、ここは佐川の営業所か?ってくらいの台数のトラックが
毎回コインパーキングにとまってた
ちらっと見ると運転席で寝てる人、スマホいじってる人、寝てる人、飯食ってる人、他のドライバーとだべる人と、
どう見ても働いてる感じには見えなかった
物流業界は少し前から4時間働いたら30分休憩が義務付けられているようで、その休憩なんだろうと思っていたら、
散歩と他の用事を済ませて2~3時間後に戻って見ても同じナンバーのトラックがほぼそのままたむろしてた
え?配達どうしてるの?と思ってそれが気になって見てたら、
佐川のシマシマのシャツは着てるけど車は白無地の軽ワゴンに乗った、おそらく下請けの社員が
これまた酷いのがその下請け業者は歩道上に軽ワゴンとめて大量の荷物をぶちまけて仕分けしてるの
その間、正規の佐川トラックに乗ったドライバーは相変わらず運転席で寝てるしスマホいじってるし寝てるし飯食ってるしだべってるしで全然動いてない
おそらく、正規の佐川ドライバーは午前中だけ4時間仕事して、その後は4時間30分サボって残った仕事は下請けにやらせてるんだと思う
じゃないと毎回コインパーキングに数十台ものトラックが何時間も遊んでないでしょ
ちなみに、夜の7時過ぎくらいになると今度は逆に1台も見なくなる
忙しい忙しいいいながら残業は一切しないんだ
それで客の荷物は受付停止とかしてるんだ
さすがだね、佐川急便
初めて君が家に来た日のことを今でもはっきり覚えている。
最初はベットの下にずっと隠れてなかなか出てきてくれなかったね。僕が見てないときにこっそり餌を食べに外に出てきてたね。
でも、1週間も経つ頃には警戒しなくなって、頭を撫でさせてくれるようになったね。
最初は出窓のところに置いてたお気に入りのカゴに入って寝てたけど、いつからかベッドに入ってきて、一緒に寝てくれるようになったね。そこから何十年、何千回も一緒に寝てくれたんだよね。
君が来てから半年後ぐらいに、ベランダに飛び出して、脱走しかけたことがあったよね。あれはびっくりして、下に落ちてないか急いでマンションの外に出たけど見当たらなくて、部屋に戻ったらベランダまで戻ってきてくれてたね。あれは何だったのかな。
就職活動中、元の飼い主さんに預けていて会えない期間が半年ぐらいあったね。あのときはごめんね。寂しかったよね。就職活動が無事に終わって、再会できたときは嬉しかった。君はどうだった?
実家に住んでたとき、本格的な脱走をしたことがあったね。寝てるときに寝ぼけて網戸を開けてしまってそのままにしてたから、大学に行ってる間に外に出て、出くわしたお父さんに驚いて走っていったんだよね。それから3ヶ月ぐらい家に帰れなくなって、大変だったと思う。その間は毎日君を探し回ってたんだよ。自分のせいとはいえ、もう君に会えなくなるかもと思って毎日胸が張り裂けそうだった。本当に帰ってきてくれてありがとう。
それから僕が就職で上京したとき、最初の数カ月は君を実家に置いたままにしてて、また会えない時期があったね。それでも毎日君に会いたくて、GWになった瞬間迎えに行ったよね。いつもいつも離れ離れにさせてしまってごめんね。
それからも、合計で10回以上も引っ越してるよね。この世に君以上に引っ越しを経験した猫はいないかもしれないね。引っ越しをしても新しい環境にすぐ馴染んでくれてありがとう。
君を飼い始めてから10年間くらい経って、それまでなんとなく去勢をしてなかったけど、君のマーキング跡を掃除するのがいよいよ大変になってきたから、去勢をさせてもらったよね。もとから高かった鳴き声がさらに高くなったりもしたけど、それ以外にも君にしかわからない辛さがあったと思う。人間のわがままでつらい思いをさせてすまなかった。
君は、僕が辛いときも、元気なときも、いつも隣りにいてくれて、その温もりと可愛さで安心させてくれたよね。就職活動の先が見えなくて不安に押しつぶされそうだった夜に、君だけはいつもと変わらずに僕にくっついて寝てくれて、君の存在に本当に助けられた。君のおかげでいまの僕があると思っています。感謝してもしきれません。本当にありがとう。
近い将来、君はこの世からいなくなってしまうかもしれないけど、君がいなくなって悲しんでくれる人が僕以外にもいると思う。突然新しい家族が出来てびっくりしたよね。君は奥さんのことをどう思っていましたか。短い時間だったけど、奥さんも君のことが大好きだったと思うよ。もし君がいなくなっても、きっと僕は大丈夫だと思う。だから安心してね。
もし君が生まれ変わって人間になることがあれば、必ず友だちになって、一緒にカフェで美味しいコーヒーを飲みながらおしゃべりしたいね。
本当に今までありがとう。大好きだよ。
幼児の頃、大声を出す遊びをしてた覚えがある。
大声というか「キャー」という奇声だったと思う。
さぞかし五月蝿かっただろう。
歌うのと同じで楽しかったなあ。
幼児には皆んな優しくしてくれたなあ。
ありがたい。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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この1週間のオープンチャットは、日常の悩み・笑い・テクノロジー・育児・仕事・健康といった幅広いテーマが自然に混ざり合う、非常に“生活感あふれる会話”が特徴的でした。
特に目立ったのは以下の3点です。
不動産、ボーナス、家計の赤字など、お金に関する不安が全体の底流として強く見られました。
2. **健康・体調の話が突出**
体調不良、検査、ワクチン、睡眠問題など、多くの人が「なんとなく不調」を共有して連帯する場面が多かったです。
懐かしキャラから最新ライブ、鴨鍋やたこ焼きまで、重い話題の合間にエンタメと食が“癒し要素”になっていた印象。
総じて、
「みんなで働き、育て、疲れ、食べ、笑い、テクノロジーを語り、また働く」
という1週間でした。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
地方都市出身の私は夫が所有してる不動産が神奈川にあるため、住みたくもない神奈川県に引っ越した。
結婚するために私は仕事を失い、周辺には仕事が少なく都内までの通勤時間が片道1時間のため、近所でフルタイムパートとして働いている。
夫は毎日朝6時に家を出て、夜の9時に帰宅するので家事をほとんどしてくれない。
収入差があるけども、少しは家事をしてほしいが労働時間が長いため強く言うことができない。生活費は私も4割ほどは負担しているから養ってもらっているわけではない。
ほとんどの家事を担っている私は平日は疲れ果てており、たまに週末に都内に出て遊ぶが、都内まで片道1時間という距離が辛い。
せめて武蔵小杉や町田に家があればいいのに、と夫に愚痴ると「あそこは場所が悪いから」「川崎なんて住むべきじゃないよ」と言われる。
私は今住んでる場所があまり好きじゃない。まだ川崎や町田の方が安心する。今住んでる街はなんだか気取っていてオシャレぶっていて自分が浮いてるような気がしてもやもやする。
離婚したいと伝えても、「これからの生活はどうするの?」「生活できないよね。ここより良い生活できないでしょ?」と詰められる。
毎日みなとみらいの夜景を見れる価値の高い場所に住んでいて、明日食べるものに困ることはない。必要なものは買い与えてくれる。ただ、なんだか虚しい。
年数での価値減少とは独立した話でどっちもどんな物件にも同時に起きてるよ。
という大前提があって
同じ建物であれば年数経過での価値減少と打ち消しあって大して上げられない。
すでに入居者がいるところに家賃上げを通知するのは
引っ越し料金や手間という外部コストを見込むと家賃上がっても払う方が得かもよ~?というある種、足元を見た構図。
今値上げに応じることができない人が引っ越し先の値上げされた家賃を受け入れることができるのかな?
スペック同じ立地条件も変わらないのに高くなるなら不満はあるけど今の部屋に残ろうって諦めちゃいそう