
Ace Frehley, courtesy of eOne
キッス(KISS)のオリジナル・ギタリスト、
エース・フレーリー(Ace Frehley)が死去。家族が声明を発表。74歳でした。
以下、家族が発表した声明より
「私たちは完全に打ちのめされ、胸が張り裂ける思いです。最後の瞬間、私たちは幸運にも彼に愛情と慈しみ、安らぎに満ちた言葉と思いを捧げ、祈りと願いを捧げるながら、この世を旅立つ姿を見守ることができました。私たちは彼の最高の思い出や笑い声を大切にし、彼が人々に与えた強さと優しさを称えます。彼の逝去は計り知れないほど大きな衝撃であり、理解を超えるものです。彼の素晴らしい人生の功績の数々を思い返し、エースの記憶はこれからも永遠に生き続けるでしょう!」
フレーリーは9月に「スタジオで軽く転倒し、病院に搬送された」ことを発表。10月初めには、「健康上の問題」を理由に、2025年ツアーの残りの日程を全てキャンセルしていました。
TMZ.comは、訃報が報じられる数時間前に「数週間前にスタジオで転倒して脳出血を起こしたため、生命維持装置をつけた状態で入院中」と報じていました。
エース・フレーリーことポール・ダニエル・フレーリーは1951年4月ニューヨーク市ブロンクス生まれ。家庭は音楽一家で、彼は1964年にクリスマスプレゼントとしてエレクトリックギターをもらうと練習に夢中になった。
フレーリーは1970年代前半にいくつかのローカルバンドを渡り歩いた後、1973年1月にポール・スタンレー、ジーン・シモンズ、ピーター・クリスによるバンドのオーディションを受け、後にキッスとなるバンドにリードギタリストとして加入。
フレーリーはキッスのメンバーとして「スペース・エース」(後に「スペースマン」)のキャラクターを確立。
バンドは1974年にデビューアルバム『KISS』(フレーリー作の「Cold Gin」収録)をリリースした。彼は1982年までバンドに在籍し、『Dressed to Kill』『Destroyer』『 Rock and Roll Over』などの名盤や、伝説的ライヴ・アルバム『Alive!』に参加した。
1978年にはキッスのメンバーは自分たちの名前を冠したソロ・アルバムを同時に発売した。
フレーリーは、1982年の『Creatures of the Night』でヴィニー・ヴィンセントに交代したが、契約上の問題から1984年半ばまでソロ活動を始めなかった。
ソロ活動を開始してからは、自身の名前とフレーリーズ・コメット(Frehley's Comet)名義で数枚のアルバムをリリースした。2024年には『10,000 Volts』をリリースし、新たなカヴァー・アルバム『Origins Vol. 3』の制作にも取り組んでいた。
1996年、フレーリーは再結成ツアーのためにキッスに復帰。2001年末に当時のフェアウェル・ツアーが終了し、フレーリーは再びキッスを脱退した。2014年にはキッスの一員としてロックの殿堂入りを果たした。