ソフト・セル(Soft Cell)のメンバーで、
ザ・グリッド(The Grid)でも活躍した、エレクトロニック・ミュージックの先駆者、
デイヴ・ボール(Dave Ball)が死去。ソフト・セルが発表。死因はまだ明らかにされていません。66歳でした。
以下、声明より
「エレクトロニック・ミュージックの先駆者であり、画期的なエレクトロニック・ミュージック・デュオ、ソフト・セルの一員として、またアシッド・ハウス・ユニット、ザ・グリッドでも成功を収めたデイヴ・ボールが、10月22日(水)にロンドンの自宅で安らかに息を引き取りました。66歳でした。46年にわたる音楽パートナーでソフト・セルのバンドメイトでもあるシンガーのマーク・アーモンドは追悼の言葉を述べ、デイヴを“素晴らしく輝かしい音楽の天才”と称えました。デイヴのバンドでの最後の出演となったのは、数週間前、ヘンリー=オン=テムズで開催されたRewind Festivalで、ソフト・セルは2万人以上のファンの前でヘッドライナーを務めました」
1979年、電子音楽家のデイヴと歌手の
マーク・アーモンド(Marc Almond)がリーズ工科大学で美術学生だった頃に結成されたソフト・セルは、1980年代以降の英国音楽のサウンドを定義づける一翼を担った。1981年のデビューアルバム『Non-Stop Erotic Cabaret』はポップ音楽の潮流を変え、ヤズー、ユーリズミックス、ペット・ショップ・ボーイズ、イレイジャーらシンセベースのデュオの登場を導くと同時に、甘美な世界を音楽界にもたらした。
1982年から2021年にかけて、ソフト・セルはさらに4枚のスタジオ・アルバム『The Art Of Falling Apart』『This Last Night In Sodom』『Cruelty Without Beauty』『*Happiness not included』に加え、初期のリミックス・アルバムの先駆けとされる『Non Stop Ecstatic Dancing』をリリースした。
2018年、ロンドン・O2アリーナで2万人のファンを前に開催された再結成コンサートは壮大な別れの場となるはずだった。しかし、まさにソフト・セルらしい形で、それは知らず知らずのうちに輝かしい復活の足掛かりとなり、以降、ツアーや多くのフェスティバル出演を果たした。
彼らは最近、スタジオに戻り、6作目にして(悲しいことに)最後のスタジオアルバム制作に取り組んでいた。1980年代の伝説的ニューヨーク・ナイトクラブ「Danceteria」(かつてソフト・セルのアルバム発売記念イベントを開催した会場)に因んで名付けられた本作は、Republic Of Musicとの新たなグローバル契約により2026年春にリリース予定。最終ミックスはデイヴは亡くなるわずか数日前に完了していた。
ソフト・セル以外では、デイヴはリチャード・ノリスと共にザ・グリッドを結成。1990年代には数々の成功を収めた。需要の高いソングライター、プロデューサー、リミキサーとして、デヴィッド・ボウイ、カイリー・ミノーグ、ペット・ショップ・ボーイズ、イレイジャー、サイキック・TV など、幅広いアーティストと仕事をした。
訃報を受け、ソフト・セルのマーク・アーモンドが追悼文を発表しています。
「これを書くことすら、まして受け止めることなど、とても難しい。デイヴは精神的にとても良い状態だっただけに。彼は集中していて、僕たちが文字通り数日前に完成させたばかりのニューアルバムにとても満足していた。2026年が彼にとって本当に高揚感に満ちた年になるはずだったのに、本当に悲しい。せめて完成した作品を彼が聴き、それが素晴らしい出来だと感じてくれていたという事実に、少しは慰めを見いだしている。デイヴの音楽はこれまで以上に冴え渡っていた。彼の曲やフックには、今も紛れもないソフト・セルらしさがありながら、彼はそれを常に次のレベルに持っていく人だった。彼は本当に素晴らしい音楽の天才で、僕たち二人はほぼ50年にわたって一緒に旅をしてきた。初期の頃の僕たちは、生意気で扱いづらく、我が道を行きたがる、頑固な二人の美術学生だった。たとえそれが間違ったやり方であっても、やりたいようにやりたかった。僕たちは未熟で、失敗もしたが、当時はそれを失敗だとはまったく思っていなかった。すべてが冒険の一部だったんだ。デイヴと僕は常に性格がまるで違っていたけれど、たぶん、だからこそ、二人の間の化学反応はあれほどまでにうまく機能したのだろう。
長いブランクを経てまた一緒になるたび、そこにはいつも温かさと化学反応があった。深い相互敬意があってこそ、僕たちの共作のソングライティングには独特の力が宿っていた。僕たちはよく笑い、同じユーモア感覚を共有し、映画や本、音楽への愛を共有した。デイヴの本棚は本でいっぱいで、驚くほど多彩な音楽の参考文献の宝庫でもあった。彼はソフト・セルの心臓部であり魂だった。僕は僕たちのレガシーをとても誇りに思う。
多くの意味で、次の(そして今や最後の)共作アルバムのタイトルが『Danceteria』であるのはふさわしいことだと思う。そのテーマは、僕たちの多くの音楽的アイデアが形づくられた1980年代初頭のニューヨークへと僕たちを連れ戻してくれる。あの時代と場所が、僕たちを本当に形作ったんだ。僕たちは本質的に英国的であると同時に、自分たちは名誉アメリカのバンドでもあると常に感じていた。僕たちはソフト・セルの伝説や物語に心血を注いできたし、『Danceteria』は、僕たちにとってすべてを一つの円に収めるアルバムとしてこれから存在するだろう。彼がもう少し長くそばにいて、数年後に僕たちの50年を一緒に祝えたらよかったのに、と心から思う。彼の音楽を愛するソフト・セルのファンたちに、彼はこれからもずっと愛され続けるだろう。そして彼の音楽と記憶は生き続ける。世界のどこかで、いつでも誰かがソフト・セルの曲から喜びを得ているはずだ。
デイヴ、僕の人生のかけがえのない一部でいてくれて、そして僕に与えてくれた音楽に、感謝するよ。君がいなければ今の僕はない」