1940年代 IATAは1945年4月にキューバ・ハバナにて設立され、前身の International Air Traffic Association(1919年ハーグ設立)から引き継いだ31か国・57社の航空会社で構成され、業務の多くは技術的な課題であった。業界団体であるIATAに対し、国際民間航空機関(ICAO)は現在も国際航空秩序の監視を担うシカゴ条約附属書の合意に基づき国際管理機構として設立され、IATAは多くの情報を提供した。 シカゴ条約はだれがどこを運航するのかという航空業界の経済面の合意形成に至らなかったが、ウォーレン・コフラー Warren Koffler は IATAはその空白を埋める存在として価格調整の機構となったと評している[7]。 1940年代後半に IATA は価格調整の国際会議を開き始め、事務総長ガズディク J.G Gazdik が述べたその趣旨とは、お手軽な