トワ 庭子 @niwako_towa 昔バイト先で知り合った人の「善い人ってなんて騙しやすいんだろう。なんて損な人達なんだろうとしか思った事ないんだよね」という言葉、たまに過去から降って来る。 2025-11-15 20:51:50
このようなささいな出来事が、ロシアに侵攻されたウクライナや、イスラエル軍に攻撃されているガザのパレスチナ人の窮状よりも大きな注目を集めるのはなぜだろうか。それはこの社会が不正に満ちているからではなく、わたしたちが道徳が過剰になった世界に生きているからだと述べるのが、ハンノ・ザウアーの『MORAL 善悪と道徳の人類史』(長谷川圭訳/講談社)だ。ザウアーは1983年生まれのオランダの哲学教授で、最新の進化論や人類学の知見を上手にまとめて、道徳の起源とその歴史を論じている。 協力こそが「わたしたちが人間である理由」 道徳についての最大の謎は、「ヒトはなぜ協力するのか」だ。なぜならほとんどの場合、相手の要求を拒否し、ときには相手をだまして自分の利益を追求することが、生存と生殖の可能性を最大化するという意味での進化の最適戦略になるからだ。ヒトにもっとも近い種であるチンパンジーは、共同で狩りをすること
YIPたちはこの緊張関係を処理するために、伝統的なリベラルの教義に潜む曖昧さや抜け穴を利用して、自らの奉じる価値と戦術との間にある矛盾を中和している。結果、私が「反自由主義的リベラリズム(illiberal liberalism)」と呼ぶ政治スタンスが生まれる。 近年の政治環境で最も奇妙な点の1つは、はっきりとリベラルの伝統に基づいた価値観を奉じながら、そうした価値観を促進するために、明らかに反自由主義的と言いたくなるような戦略をとる人が非常に多いことだ。ソーシャル・メディアからファシストを追放したがっている「反自由主義的な進歩派の若者(YIP:young, illiberal progressives)」が、現代の共和党員のほとんどを「文字通りの意味でのファシスト」と見なしているという話は今やおなじみである。 こうした若い活動家が、自身の表明している価値観と自身のとる政治手法との間にある
功利主義に向き合う いきなりだが、どうもおれは功利主義者らしい。反出生主義などの持論を述べていたら、そう指摘された。 なるほど、反出生主義論者のベネターの考え方は功利主義的かもしれない。 とはいえ、おれは功利主義をよく知らない。「最大多数の最大幸福?」くらいのものだ。なので、おれは本を読んでみることにした。 たとえば、有名なJ.S.ミルなどはなんといっているのだろう。『功利主義』の冒頭はこんな文章で始まる。 正と不正の判断基準をめぐる論争は、解決に向けた進展が少しも見られない。人間の知識の現状を作り上げている環境要因のうちで、これほど期待はずれなものはほとんどない。 最も重要なテーマに関する思索でありながら、長いあいだ立ち後れたままであり、期待はずれという点でここまで際立っている環境要因はほとんどない。 哲学が誕生して以来、最高善に関する話題、あるいは同じことになるが、道徳の基礎になる問題
太平洋戦争で日本軍と戦ったイギリス軍のある司令官は、日本軍の上層部の体質を次の様に喝破していた。 「日本軍の指導者の根本的な欠陥は、“肉体的勇気”とは異なる“道徳的勇気の欠如”である。彼らは自分たちが間違いを犯したこと、計画が失敗し、練り直しが必要であることを認める勇気がないのだ」(第14軍 ウィリアム・スリム司令官 ※タイトル画像の人物) 戦いの舞台となったのは、インパール作戦で知られるビルマ戦線(現在のミャンマー)。実は、太平洋戦争で“最も無謀”といわれたインパール作戦のあと、それをはるかに上回る命が失われていたのだ。 指導者たちのどのような体質が、さらなる“地獄”を作り出したのか。 77年の時を経て、私たちが直視すべき「道徳的勇気の欠如」、その実態をひもとく。 (NHKスペシャル「ビルマ絶望の戦場」取材班)
Rootport🔥 @rootport 「なぜ環境保護は大切なの?」って疑問に、倫理観や道徳に訴える回答をするのは非科学的で好きじゃない。この話題でいつも思い出すのは、(通信販売じゃないほうの)アマゾンでウレタンを分解するキノコが発見されたってニュース。18世紀には何の役にも立たないキノコだった。 karapaia.com/archives/52065… 2022-07-25 11:12:21 リンク カラパイア アマゾンでポリウレタンを炭素に分解するキノコが発見される(米イエール大学学生) : カラパイア 米イエール大学、分子生化学部学生らが、アマゾンに毎年恒例の熱帯雨林の探検調査と称したキノコ狩りを行っていたところ、すごいキノコが狩れたようだ。そのキノコはポリウレタンを炭素に分解する能力を持つという。 44 users 59 Rootport🔥 @rootport ポリウレタンを分
「なぜ人を殺してはいけないのか?」に対するニーチェの答えが「すごい」と騒がれているが、実はもっとぶっ飛んですごい 『たまたま「これがニーチェだ(永井均)」を読んでいたら「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いにニーチェがどう答えたかという話があったので一部引用してみます。』 という小野ほりでいさんのツイートに対し、「ニーチェの答えがすごい」というコメントがいくつも寄せられています。 その小野ほりでいさんのツイートで引用されたのは永井均『これがニーチェだ』の以下の部分です: この問いに不穏さを感じ取らずに、単純素朴に、そして理にのみ忠実に、答える方途を考えてみよう。相互性の原理に訴える途しかないー きみ自身やきみが愛する人が殺される場合を考えてみるべきだ。 それが嫌なら、自分が殺す場合も同じことではないか、と。だが、この原理は、それ自体が道徳的原理であるがゆえに、究極的な説得力を持たない
いまわたしたちが直面している社会的諸問題の裏には、「心理学や進化生物学から見た、動物としての人間」と「哲学や社会や経済の担い手としての人間」のあいだにある「乖離」の存在がある。そこに横たわるギャップを埋めるにはどうしたらよいのか? ポリティカル・コレクトネス、優生思想、道徳、人種、ジェンダーなどにかかわる様々な難問に対する回答を、アカデミアや論壇で埋もれがちで、ときに不愉快で不都合でもある書物を紹介しながら探る論考、そのシーズン2の開始です。 どう向き合うべきなのか? 「トロッコ問題」についてご存知の方は多いだろう。 この思考実験は、日本では2010年に翻訳されたマイケル・サンデルの『これからの正義の話をしよう』で取り上げられて、NHKの「ハーバード白熱教室」でもサンデル教授が学生たちにトロッコ問題を投げかける姿が放映されたことで、多くの人の印象に残ることになった。 哲学の論文というかたち
いまわたしたちが直面している社会的諸問題の裏には、「心理学や進化生物学から見た、動物としての人間」と「哲学や社会や経済の担い手としての人間」のあいだにある「乖離」の存在がある。そこに横たわるギャップを埋めるにはどうしたらよいのか? ポリティカル・コレクトネス、優生思想、道徳、人種、ジェンダーなどにかかわる様々な難問に対する回答を、アカデミアや論壇で埋もれがちで、ときに不愉快で不都合でもある書物を紹介しながら探る論考、そのシーズン2の開始です。 わたしたちは、社会問題や道徳が絡む問題を考えるときに「権利」や「人権」という言葉を用いることが多い。 権利という言葉は、契約に関する場面などでは「義務」とセットで用いられることもある。しかし、社会問題や道徳問題においては、権利という言葉は「絶対に守られるべきであり、それが侵害されるという時点で道徳的に不正な状況が発生している」ものとして用いられること
冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌――すべての悲劇の根本原因は、私たちの〈道徳感情〉にあった! 冤罪事件の考察を通じて人間本性を抉る話題作、管賀江留郎『冤罪と人類――道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)。本書の刊行を記念し、著者の管賀氏と、『言ってはいけない』『上級国民/下級国民』などの著作をもつ作家・橘玲氏との特別対談を公開します。 冤罪と道徳感情橘 『冤罪と人類』を読ませて頂きましたが、よくここまで調べたものだと驚きました。なかでも目から鱗だったのは、〈二俣事件〉最高裁の判事の話。一審二審とも死刑判決だったのを破棄して差し戻すというリベラルな判断ができたのは、実は自分たちが過去に同じような「冤罪体験」をしていたからだという。 管賀 道徳感情を掻き立てられると人々は真実が見えなくなり、無実の人を犯人だと思い込んで非難したりすることがあると理解するには、自分が体験
実力も運のうち 能力主義は正義か? 作者:マイケル サンデル 発売日: 2021/04/14 メディア: Kindle版 「能力主義」に対する批判には、二つのパターンが考えられる。「不徹底な能力主義」に対する批判と、「能力主義」そのものに対する批判だ。 学問的なものにせよインターネットなどにおける世俗的なものにせよ、能力主義に関する昨今の議論でなされている批判の大半は、「不徹底な能力主義」に対する批判である。 この批判は、「能力主義は出自や属性に縛られずに自分の意志と努力と才能で自分の人生を決定するチャンスを人々に与えるのであり、機会の平等を保証して、社会の流動性を高めるものだ」という主張に対して、「実際には能力主義の社会でも人々は出自や属性に縛られており、生まれ落ちた環境や場所によって人々の人生はあらかた決定されている」、という事実を突きつけるものだ。 たとえば、アメリカでは大学受験は階
最近は(昔からかもしれませんが),差別的あるいは反道徳的と捉えられかねない言論があると,マスコミ等が挙って一斉にその言論を叩き,さらにはその言論とは無関係な発言者の人格に対する攻撃・非難まで加えるのをよく見聞します。その言論の趣旨を正しく捉えたうえで,きちんと理由を示して言論批判するのであればいいのですが,なかには,その言論の文脈を無視し,一部の言葉を抜き出して言論の趣旨を勝手に曲解して非難するものも少なからず見られます。 差別的あるいは反道徳的(と見られる)言論が許されるとは言いませんが,そのような言論もそれなりの理由に基づいている場合もありますし,また,言論の趣旨が正しく伝わっておらず誤解されている場合もあるかもしれません。その言論の発言者は,自らの正義感に基づいて発言しているでしょうから,頭ごなしに批判されても納得できず,批判者に対し反感や憎悪を抱くだけです。大勢から集中攻撃を受けれ
davitrice.hatenadiary.jp 先ほど書いた記事ではジェフリー・ミラーの『Virtue Signaling:Essays on Darwinian Politics & Free Speech』の辛口な感想を書いたが、この本のなかでも「The Neurodiversity Case for Free Speech(ニューロダイバーシティの観点に基づく、言論の自由の擁護)」というエッセイは異色で興味深かったので、わたしなりに紹介してみよう。 なお、もともとはQuilletteに発表された文章を転載したものであり、タダで読むこともできるので、興味を持った人はそちらも参照してほしい。 quillette.com 「ニューロダイバーシティ」とは、性的特徴に関するダイバーシティや人種に関するダイバーシティなどと並列する、神経学的特徴に関するダイバーシティのことを指す。「アスペルガー
経済的独立すなわち自由は、世の中の仕組みを正しく理解し、最適な人生の戦略をデザインすることで、もっとも確実に達成できる。 世の中(世界)はどんな仕組みで動いているのだろう。そのなかで私たちは、どのように自分や家族の人生を設計(デザイン)していけばいいのだろうか。経済、社会から国際問題、自己啓発まで、さまざまな視点から「いまをいかに生きるか」を考えていきます。質問も随時受け付けます。 橘 玲の最新刊『幸福の「資本」論 あたなの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』好評発売中! 「幸福な人生」を送るために幸福を定義すると基盤となるのは3つの資本。その組み合わせで8つの人生パターンが考えられる。あなたが目指すべきはどの人生パターンか? ダイヤモンド社から発売中!(1,650円 税込) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【DIAMOND PREMIU
〈効果的な利他主義〉宣言! ――慈善活動への科学的アプローチ 作者:ウィリアム・マッカスキル 発売日: 2018/11/02 メディア: 単行本 ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットが実践していることでも有名な「効果的な利他主義」について書かれた本。パート1では「効果的な利他主義」の考え方について、パート2では具体的な実践方法について書かれている。 「効果的な利他主義」を提唱している哲学者のなかではピーター・シンガーが最も大御所であるだろうが、シンガーにせよこの本の著者であるウィリアム・マッカスキルにせよ、功利主義者である。そして、「同じ金額を寄付するなら、同じ時間だけ慈善行為に関わろうと思うなら、その金額や時間で最大の効果が与えられる対象に寄付したり関わったりせよ」という効果的な利他主義の考え方は、行為の「結果」を強調するという点にせよ結果の「量」を強調するという点にせよ、功利主義にかな
「経済学101」では、政治や経済について論じるカナダの哲学者、ジョセフ・ヒースのブログも訳されている。 econ101.jp econ101.jp 上記の記事ではどちらもかなり重要なことが書かれていると思うが、その一方で(特に日本の読者にとっては)さして重要でないことや時節が過ぎたことも書かれていたりするし、なにしろ長い。というわけで、残念ながら、訳者(わたしや青野さん)が期待したほどには読まれていないようだ。 どちらの記事も訳してから数年経過していることだし、「有益であるな」と特にわたしが思う部分を、こちらのブログに引用してしまおう(読みやすくなるように改行も加えている)。 私が最終的に辿り着いた答えは、価格付けシステムは大半の人々が持っている道徳的直感に反するということであり、そしてクラインはその道徳的直感を物事に対して徹底的に当てはめているということだ。 彼女は「汚染者支払い」の原則
暴力の人類史 上 作者: スティーブン・ピンカー,幾島幸子,塩原通緒 出版社/メーカー: 青土社 発売日: 2015/01/28 メディア: 単行本 この商品を含むブログ (23件) を見る スティーブン・ピンカーの『暴力の人類史』は、殺人・戦争・虐殺・喧嘩・強姦・DV・児童虐待・動物虐待などの暴力が、狩猟採集民の時代から人間社会に存在し現在に至るまで続いていること、しかし様々な要因(政府や国家に法律や警察などの制度が整う・異なる集団同士が通商などで交流し相互依存するようになる・暴力や粗野な行動を抑えるマナーが浸透する・物語を読むという行為が浸透し、自分とは違う立場の存在について人々が想像するようになる・人々の知性や理性が発達し、論理的で倫理的な思考を行えるようになる、など)によって人間社会における暴力は減り続けており、現在は人類史上において最も暴力の少ない時代である、ということが大量の統
きのうからはじまった某所での連載の次々回くらいの原稿の元ネタとして『モラル・トライブズ:共存の道徳哲学へ』を借りて読み直しているうちに、図書館からお怒りの電話が来てしまった。 しかし『モラル・トライブズ』は細部まで刺激と啓発に満ちたおもしろい本であるので、原稿に使わないであろう部分についても、こちらにてメモ的に記録・紹介しておこう。 …生物学的適応である以上、道徳は《私たち》を《私》より優先させる装置としてだけでなく、《私たち》を《彼ら》より優先させる装置として進化した。 …(中略)…奇妙に思える第二の点は、道徳が《彼ら》を打ち負かすための装置であることだ。まるで道徳が「無道徳」か「不道徳」でさえあるように思える。しかし、どうしてこんなことがありうるのか? (p.32-33) 『モラル・トライブズ』では、全編にわたっていわゆる「進化論的暴露論法」が行われている。一見すると正しく素晴らしいと
7月23日に京都のALS嘱託殺人が発覚して医師二人が逮捕された事件を受けて、メディアやネット上でも安楽死に関する議論が盛んにおこなわれた。当初は、事件の特異性から「この事件をきっかけに安楽死についての議論を行うこと自体を、避けるべきである」という意見もよく目にしたが、けっきょく、賛成派も反対派もいつも通りの主張をおこなう展開に終始した感がある。 どちらかの側が「いまは議論をするべきではない」と思っていても、別の側が自分たちの主張を唱え出したら、それに応答して議論を行わざるを得ない……というが、議論というものの厄介なところではある。「いまは議論をするべきではない」と思っていても、相手の側の主張を反論せずに野放しにしてしまうと、相手の主張ばかりが拡散されて自分たちの側の主張の影響力や説得力を相対的に弱まってしまうからだ。 また、「いまは議論をするべきではない」という主張自体が、「いまこそ議論を
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