本日(12/7)、筆者の所属する立命館大学ボーカロイド・DTM研究会によるコンピレーション・アルバム「125」が頒布される。そこに収録された拙作「遺続」は、筆者のボーカロイド作品としては第五作目にあたる。ひとまずの節目を迎えたこの機会に、筆者のHIPHOPへのアティチュードを示したく思う。 1. 序文:「外部」としての立ち位置本論に入る前に、まず筆者の立場と本稿の前提条件を明確にしておきたい。 筆者は、アメリカの黒人文化研究(ブラック・スタディーズ)を専門とする研究者ではなく、またプロのラッパー/ビートメイカーとして「現場(Genba)」にいるわけでもない。日本のインターネット空間において、ボーカロイド(広義の合成音声)を用いてHIPHOPに取り組む一介の――しかし紛れもなく実践者である。 ゆえに、以下に展開する日本のHIPHOPシーンへの批判は、安全圏からの断罪ではなく、同じシーンの末端