島根県立石見美術館(グラントワ内)で好評開催中の展覧会「富野由悠季の世界」では、2月24日(月・休)にトークショー&ライブ「井荻 麟の世界」が開催された。 トークショー&ライブ「井荻 麟の世界」は、富野監督が「井荻 麟」(いおぎ りん)名義で、自らの作品の主題歌などの作詞も行っていることから、美術館と劇場の複合施設「グラントワ」ならではのスペシャルイベントとして実施されたもの。 トークでは、富野監督のほか、『聖戦士ダンバイン』の「ダンバインとぶ」などを歌うMIQさんと、『∀ガンダム』の「月の繭」などを歌う奥井亜紀さんが登場し、レコーディングを巡るエピソードなど、音楽の観点から「富野由悠季の世界」に迫った。 さらに、ライブではMIQさんと奥井亜紀さんがそれぞれ歌唱を披露し、大盛り上がりとなった。 それではさっそくイベントの模様をレポートしていこう。 トークイベントは、アニメ評論家・藤津亮太さ
「それいけ!アンパンマン」に関する情報を掲載している非公式のサイトです。 (設定) 最新情報いないいないバルーン、カカオくん が登場32周年を迎えました!2025年2月7日の細かい更新:2件の細かい更新を行いました。キャラ「チャポン」を更新:分類の項目を更新しました。「ちびぞうくんとショコラおばさん」の作品情報を追加:新規作成しました。「あかちゃんまんとゆきんこゆきちゃん」の作品情報を追加:新規作成しました。更新履歴 (アンパンマンDBの更新情報)最新っぽい情報群 (外部サイトの更新情報)カレンダー (今日は何の日?)最近のTOP10(全体)コラム:アンパンマンの状態いろいろ (4626)コラム:アンパンマンキャラの誕生日 (1612)キャラDB:ぶたまんまん (1463)キャラDB:びいだまん (1191)キャラDB:びいたん (1159)キャラDB:クリームパンダ (1088)キャラD
『機動戦士ガンダム 水星の魔女(以下水星の魔女)』のインタビュー記事を巡って炎上が起きています。 【画像】クビレがスゴい!憧れの「セイラさん」を色んな角度で見る(6枚) 「月刊ガンダムエース2023年9月」号に掲載されたインタビュー記事で、紙の雑誌と電子版で一部記述が異なっていたことが発端。紙の雑誌版では主人公スレッタとミオリネの関係について「結婚」という言葉が使用されていましたが、電子版ではその記述が削除されていました。 この記述の食い違いがSNSを中心に広がり、バンダイナムコフィルムワークスが公式サイトで謝罪を表明(※1)。食い違いの理由は、ガンダムエース編集部の「憶測」による文面があり、校正時に修正依頼をしたものの修正が反映されなかった、修正可能な電子版のみ本来の依頼通りに配信されているとの旨を報告しています。 この対応にも多くのファンが反発しています。最終話でスレッタとミオリネがと
◆みんな納得できた?『機動戦士ガンダム 水星の魔女』、おもしろかったですね。最終的にプリキュアの相方みたいになってたエリクトがかわいくて良かった。あとガンダムF91状態になったデミバーディング(でもフル装備の戦闘シーン見たかったぜ)。 そんなわけで「見たぞアニメを」という体験では大満足なのですが、視聴中ずっと「え? どういうこと?」って思い続けて、最終回に至っても「え? そういうことなの???」って描写を見せられてぜんぜん(視聴段階では)納得できなかった設定があります。 それが『水星の魔女』世界アド・ステラにおいての根幹設定である「パーメット」と「データストーム」についてです。 見終わった直後は本当に理解できず、一連の「ああおもしろかった!」という感情が一段落したあと「……で、雰囲気で流されたけどあれって結局どういうことなのよ!?」という気持ちが襲いかかって過呼吸になったハァッハァッハァッ
――『スーパーマリオブラザーズ』の発売から約38年経過していますが、なぜこのタイミングでの映画化になったのでしょうか? 宮本マリオがデビューしたころに、アメリカでミッキーマウスとマリオの人気調査があって、そのときにマリオのほうが人気という結果になったんですよね。それで「ミッキーマウスを抜きましたけど、どんなお気持ちですか?」ともてはやされたりしたのですが、「40~50年間、生き続けているミッキーマウスと新参者のマリオを比べることがおかしいです」という話をしたことがあって。でも、そのときにふとミッキーマウスはアニメーションといっしょに育ってきたので、マリオもデジタル技術といっしょに育っていこうかなと思ったんです。 それがすごくいいキッカケになって、「新しいハードが出たら(マリオのゲームを)1本作ろう」と。だから、これまでの歴史を振り返ってもらえるとわかると思いますが、同じハードではたくさん作
如題,由於「漫威英雄 終極聯盟3」(MARVEL ULTIMATE ALLIANCE 3)的討論群無論在華文或是日文圈內皆不是太過熱絡,同時本作的官方消息發布也較為零星分散、不易搜尋,因此個人匯集了英日文資訊,整理了一下後續各種DLC更新情報提供有興趣的朋友分享、討論。倘若內容有錯誤或需要追加之處,請不吝指教。 ☆免費更新(FREE UPDATE)☆ 目前預定陸續更新角色新服裝。 第1彈:8/30(五) 本作劇情模式第5章登場的獨眼龍(Cyclops)與鋼人(Colossus)將成為可操作角色。 同時也將發布驚奇隊長(Captain Marvel)、浩克(Hulk)、驚奇女士(Ms. Marvel)等三名遊戲角色的新服裝。 第2彈:9/30(一) 發布美國隊長(Captain America)、黑豹(Black Panther)、鋼鐵人(Iron man)以及雷神索爾(Thor)等四名遊戲
【注意と前書き】11話まで見た段階で記事の大部分を書き終えており、あとは第1クール目の最終回となる12話を残すだけだったのだが、その12話で(それまでの積み上げの多くをひっくり返すような)ショッキングな出来事があって、率直に言って全然好きじゃない展開だったのでかなり冷めてしまい、もう記事を丸ごと封印したろかと思いつつも、やはりせっかく2万字も書いたのでもったいないし、こんな感情落差があるのもリアタイ視聴ならではのめったにない経験だし、記録として残す価値も多少あるかと思ったので、「11話まで見て書いた感想ほぼそのまま」+「12話を見た後の率直な感想」とつなげる形で公開してみます。12話の感想は本当にかなりとても率直というか辛辣なので、本作を普通に楽しめてる人はこんなド長文を無理に読まずに今すぐ引き返そう! 全てが面倒くさくなったら急に消すかもしれないので、あしからず。 何もわざわざ2万字超え
◇宇宙世紀という大きな沼 富野由悠季監督が手掛けた「ガンダム」シリーズの第1作「機動戦士ガンダム(ファーストガンダム)」が放送されたのは1979年4月~1980年1月で、2019年に40周年を迎えた。ガンダムシリーズは、40年以上かけて広がり、進化しながら、幅広い世代に愛されている。一方で、歴史の長さがネックとなり、初心者には敷居が高く見えてしまうところもある。「水星の魔女」は、新機軸によって、従来のシリーズのファンだけでなく、新規ファンの開拓に成功した。 「シリーズが45周年に向かう中で、映像としては『水星の魔女』をフックに、さまざまな世代にアピールすることで、2世代、3世代で楽しめるコンテンツとして広げていきたい。『水星の魔女』は、日5が復活したタイミングで放送できましたし、一番大きな入り口になるようにチャレンジしてきました。大きな反響をいただいた中で、ほかにもさまざまな作品を見ていた
※以下の原稿は1998年7月に某出版社の依頼で書いたものですが、諸般の事情で掲載に至らなかったものです。 はじめに 「となりのトトロ」は誰もが認める宮崎駿監督の代表作である。 昨年公開された「もののけ姫」に批判的だった評者にも、「トトロ」を絶賛していた人は数多い。理屈の多い「もののけ姫」は嫌だが、理屈抜きに楽しくてなつかしい「トトロ」は支持するということらしい。確かに、この作品のエンタテイメント性は群を抜いており、世代も国境も越えた普遍性を獲得している。(注1) ところが、宮崎監督自身は当時以下のような発言をしている。「いままで作った映画のなかで、いちばん理屈が多い作品」「理屈のギリギリのところで綱わたりをしながら作った」(注2)理屈抜きのなつかしさの裏側には、ギリギリの理屈とそれを支えた技術的根拠があったわけだ。それらの理屈は、ずっと以前から監督が日本の風土と歴史を肯定的に捉える核となっ
僕はアニメのなんでもない日常シーンで突然感極まって泣くことがあります。日常が「泣き」に接続する条件は複雑で、自分でも理解しきれていないのですが、背景・言動・仕草の総合点が基準値を越え、登場キャラに実在性が見えた瞬間な気がします。 要領を得ない説明をしても仕方がないので、さっさと具体例を出しましょう。自分がこの特性に気づいたのは「AIR」1話です。しかも、そこの冒頭10分。 AIRといえば、御存知の通り夏を舞台にしたkey作品。「感動」のギミックがこれでもかと詰め込まれた説明不要の名作ですが、今回の話では終盤の展開は全て関係なく、ただただAIRの冒頭10分の話だけをしていきます。 物語は、主人公・往人が海辺の田舎町へやってくることから始まります。 貧乏一人旅を満喫中の往人は、空腹により海辺沿いで倒れてしまう。 鳥の声に起こされた往人が見たのは、隣に立つ少女・観鈴。アバンとOPを除けばわずか3
DVDになって初めて見た。面白かった。公開時よく言われていたように不可解な映画でもあり、なるほどこれは一部の人々に謎解きを迫るような仕掛けが随所にあるとは思った。そして率直に言って、私にはこの謎解きができるだけの文学知識はないと早々に観念もしたし、さらに率直に言えば、謎解き用に見える各種の鍵はポエジーとしての手法の部品であって、いわゆる謎解き風に謎を解くことはこの映画理解の本質ではないのではないか、そうも思った。 この手法は私には、吉本隆明の、おそらく詩人としての最上の仕事である「記号の森の伝説歌」(参照)や、西脇順三郎の、これも最上の仕事である「旅人かへらず」(参照)を想起させる。個人の人生に出現する具体的な体験の情感を、その具体個物から共有的な無意識に移し、瞑想的に深遠なるものを暗喩する手法である。なぜこの手法が存在するかといえば、個人の人生の体験とは、おそらく個人の人生を場として顕現
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