先日駅で「ヴィデオを待ちながら」というタイトルの展示のポスターを目にした。そのタイトルが軽薄に感じられたのは、ベケットの『ゴドーを待ちながら』の「ゴドー」と「ヴィデオ」の語があまりにも単純な仕方で入れ替えられていたからだろう。あるいは、こんなタイトルにも、企画した人間の深い思想が潜んでいるのかもしれないと思い、帰宅後「ホームページ」をチェックしてみたが、やはり『ゴドー』でなければいけない理由は少しも見えてこなかった。おそらくは「待ちながら」というレトリックが彼らには魅力的に感じられただけなのだろう。「待ちながら」なんて、僕には情感あふれすぎていて、ちっとも良いとは思えないのだけれど。その瞬間、聞こえてきたのはこんな声だ。 ダイモン: 『ゴドーを待ちながら』っていう邦題そのものが、間違ってたりなんかして。 まさか。展示会のタイトルに応用されるほど一般に定着し、専門の研究者からも認証されている
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く