引きずりがち……
雑文を書く。 ぼくはどちらかとプライドが高いほうで、単なる趣味であるところの音楽でも「下手なところは見せられない」とか、「アレを聴いてないことが恥ずかしい」みたいな気持ちを強く持ってる。なんというか、「下手なところを見せたら舐められるんじゃないか」とか「アレを聴いてないとバカにされるんじゃないか」みたいなふうに感じてしまう。 で、こういう話をしてるとよく、「プライドを捨てよ、そして楽になるがよい」みたいなことを言う人間がどこからともなく現れてOSEKKYOを始めたりするのだけれど、そういうのに対しても結構大きな違和感を持っている。こういう「舐められたくない」みたいな気持ちがないと、クオリティの低いものばかり作り出す邪悪な人間になってしまうし、プライドがあるからスキル上がって行くみたいなところはあると思う。 一方で、こういうプライドがじゃまになることもたしかにあって、馬鹿にされるのが嫌だから
体調というのはメンタルのことだ。 実は体調は前の仕事を辞める前の6月頃から徐々に悪くなっていて、薬を増やしたりしていたのだが、休暇を取り新しい職場に行けば気持ちも持ち直すと考えていた。 しかし実際には7月の休暇中にも精神状態は悪化していき、8月になり新しい仕事が始まると限界が来てしまった。 仕事に関しては、自分には向いていないなと思った正社員という道をまた選んでしまったこと、それも優秀な知り合いのいる職場で、多くの人が名前の知っている会社の一員になるということに対して、非常にプレッシャーを感じてしまっていた。 自分が過大評価されているのでは、失望されてしまうのではという不安を拭うことが出来なかった。 組織に所属するということに関して、安心感が得られるという人が多いようだが、自分の場合は昔からとにかくプレッシャーを強く感じてしまう。 失敗することを恐れるあまり自ら最悪の選択を選んでしまった。
思った事とか勉強したことをまとめて書き出したり表現したりする、つまりアウトプットを、なかなか書けない時とするする書ける時というのがある。その違いは何なのかとか、アウトプットがうまくいかないときに、それを妨げている心理的障害は何なのかを掘り下げていくうちに、これ自体が一つのアウトプットになった。つまり今回は成功だ。 だいたい僕はアウトラインの途中らへんまでを構成して、そしてそれを半分くらい文章として肉付けしているあたりで厭になって辞めてしまうことが多いのだった。ブログの下書きにはそういった文書が積み重なっていて圧巻だ。 なんで途中で辞めてしまうのか。それはやはり劣等感と遠くでつながっている話であるようだった。僕はまず辞めてしまうタイミングに着目して、その時どういうふうに感じているか、自分と向き合ってみた。すると、僕がアウトプットの中途で書くのをやめてしまうのは、「大したことをやっているように
*現在、所属欲求についてのブログ記事を連載中です(全三回)。承認欲求はよくわかるけれど所属欲求はよくわからない人、『認められたい』の拡張パッケージ的な文章が読みたい人に、特にお勧めです。* 第一回は、中年期以降まで見据えるなら、承認欲求だけでなく所属欲求もモチベーション源にして生きたほうがやりやすい、といった話をしました。 また、承認欲求に過重がかかりやすくなってしまった時代背景として、所属欲求が軽視され、所属欲求を充たせるセーフティネットに相当するコミュニティが希薄化していった流れについても書きました。 この第二回では、所属欲求を充たすための機会が一度希薄化し、2010年代になって一気に蘇った、そのあたりについて記します。 所属欲求に慣れる機会は遍在していた。が、ラクではなかった 個人が独りで生き抜くことの難しかった江戸期後半~戦前の日本社会では、地域共同体や血縁共同体のメンバーシップの
仕事で辛いことがあった。 ここ数日間は心が晴れない。苦しい毎日の連続が続く。 足取りは重く、プレッシャーに押しつぶされそう。 そんな私の心の拠り所は「けものフレンズ」だ。 昼休みや移動中はついついけものフレンズの事を考えてしまう。 けものフレンズの物語に救われているのだ。 さて仕事を終え帰宅中。気分が晴れないので気分転換に 私は誰もいないところで声に出して「すごーい」「たのしー」って言ってみた。 ただ言ってみたかっただけなのだが、 以外にも苦しい心持ちが少し楽になったような気がした。 もう1回「すごいね」「たのしー」と言ってみる。 「あれっ!」言う前より心が晴れやかになっている。 何回も言ってみた。なんだか楽しくなってきた。 「たのしー」「すごーい」という言葉にはこんな力があるのかと知った。 「たのしー」といえば楽しくなるのだ。 「すごいね」といえばよくわからないがすごいのだ。 言葉は言霊
[:ja]曲げわっぱを毎日使っている方なら 当たり前のように行っている工夫、ちょっとした手間…。 あらためて数えてみればたくさんありますよね。 汁もれしないように対策したり、 満員電車でつぶされないように気を使ったり… 普通のお弁当箱に比べて手間がかかります。 自分が好きで使っているなら問題ないのですが、 家族や他の人が使うとなるとどうでしょうか。 家族の学校や職場まで お弁当を届けてあげるのならともかく (そんな例はほとんどないでしょうが)、 実際は本人が持ち運ぶものです。 上に挙げた曲げわっぱの欠点は、 もしかしたら本人のストレスになっているかも知れません。 曲げわっぱ弁当のいいところは、 みなさんご存知の様にたくさんあります。 ご飯が美味しい、 おかずが映える、 木の香りで癒される…。 でも価値観は人それぞれです。 私が子供の頃に使わされたときは ダサく感じてとても嫌でした。 友達は
ワイドショーの取り上げ方は“善悪二元論” アメリカでは、事前の予想を覆して、ドナルド・トランプ氏が大統領選挙を制した。その発言の一つひとつが、やはりワイドショーにうってつけの内容であったようで、かつてないほどアメリカ政治が日本の一般市民に身近になった印象だ。さらにお隣の韓国でも、朴槿恵大統領が親友とされる女性に便宜を図っていたことや、その女性(あるいは大統領本人)と韓国財閥との癒着が、やはりワイドショーにはこれとないネタとなったようで、連日のように報道される。 政治が身近になったことや、一般市民が悪いものには悪い、許せないという感覚を持てることは、もちろん市民社会では望ましいことだろう。ただ、私が気になったのは、この手のワイドショー型の政治の取り上げ方が、どうしても善悪二元論に偏ってしまうことだ。 例えば、舛添氏は完全な悪人のように取り上げられ、目下のところ小池氏は正義の味方になっている。
こんにちは、NAEです。 2歳の息子が寝つく様子を観察していて気づいたことがあります。 あまり身体は疲れていないはずなのに、気持ちが満足するとスルッと眠りに入る。 これ、実は大人であるぼくたちにも当てはまるのではないかと思います。 ぼくたちが夜眠れない理由は、今日に心残りがあるからではないでしょうか。 夜眠れない理由 「今日はやりきった」と実感するために必要なこと そもそも一日の終わりの自分をイメージできているか まとめ:今夜のあなたはどんな状態ですか? 夜眠れない理由 自分で自分の記事を読み返してて思ったんですけど、ぼくたちが夜寝つけないのも一日を生ききってないからなんじゃないかな もう寝かしつけでイライラしない!2歳の息子が30分で熟睡する方法とそのポイント - NaeNote / https://t.co/0s0omIFSkC — なえ@はてなブログ (@__NAE__) 2017年
どうも鳥井(@hirofumi21)です。 昨日、上野公園を散歩している中で「使命感」の話になりました。 この「使命感」という感覚が、最近とっても大切だなと思うのです。 「使命感」という言葉を思い出すときに、僕がいつも思い出すのは、宮﨑駿さんの言葉。 宮﨑駿さんが記者会見など人前で話すたびに「僕はこれを描かなければいけないと思った」という話をよくするのですが、僕はこの語り口がとても好きで、いつもその言葉に心打たれてきました。 自己と向き合う中で、自然と湧き上がってくるもの、それが使命感。 一方で、使命感に似て非なるもの、それが義務感だと思います。 義務感も同じように、「〜しなければならない」っていう拘束力を持ちますが、それは外的要因からくるもの。 法や社会通念に従って、やらなければいけないと感じることです。 でも、使命感というのはそうじゃない。文字通り、自分が「命を使いたいと感じるもの」な
浮気を始めて夫は、明け方に一度起きてトイレに行ったあと、スマホでメールを打つのが習慣になった。 私は眠りが浅いのですぐに気付いたけれど、知らないふりをしている。 先日スマホをAndroidからiPhoneに変更したけど、すぐにパスコード設定になった。 まだ続いてるんだろう。 白黒付けようと決めてから証拠を取ろうとしているけど、動向がなかなか掴めない。 あと、今まで有耶無耶にしてきた問題に真正面からぶつかっている訳で、ストレスや苦しさがすごい。 自分のために早く決着を付けたいけど、焦りは禁物なんだろう。 今も夫のトイレで起きた。 思えば結婚式の時から自分勝手で全然私のことを大切にしてくれなかったなぁ…と思って悲しくなっていたけど、 これは夫のせいじゃなく自分のせいでもある。 私が自分自身を大切にできなくて、自分はどうしたいか、どうして欲しいかをはっきり伝えられないから… 察してちゃんってやつ
2023年7月13日 追記 6年ほど前に書いた古い記事ですが、よく読まれているようなので残しておきます。諸々修正済みですが、ほとんど当時のままです。 こんにちは、名古屋みさとです。 このところ、色々なご相談をいただくのですが、よく見かけるお悩みの中に不思議なものがひとつありました。 内容を簡潔に言うと、こうです。 「好きな人ができても、その人から好意を向けられると、気持ち悪く感じてしまう。」 私はそういった感情を抱いたことがなかったので、友人に聞いてみたりしたのですが、いまいち納得ができなかったので、ツイッターで「好きな人ができても、その人から好意を向けられると、気持ち悪く感じてしまうという気持ちがわからない」と呟いてみたんですよ。 すると、「その気持ちわかる!それってこういうことじゃないの?」とのリプライをたくさんいただきました。皆さんありがとうございます。 膨大な数だったので簡単にまと
blogos.com リンク先は、行動をエスカレートさせるYouTuberを「仕事」をキーワードに考察したものだ。 私はYouTuberの行動原理は、金銭と承認欲求の両方に由来している場合が多いとみているので、「仕事」だけに注目するのは片手落ち、と感じる。それと、リンク先の文章は、「仕事」に対する捉え方がやけにネガティブだ。 そして世の中には仕事のためなら、何をしても平気だという人が、数多く存在するのである。 それは決して良いとか悪いとかではなく、仕事というものはそういうものである。 例えば、軍隊で働く兵士。彼らはともすれば他人を殺すことすらある。ときには非人間性が糾弾されることもあるが、しかし彼らは誇りを持って仕事をしている。 (中略) 例えば、会社員。例え妻や子供を愛していても、楽しみにしていた遊園地の日に、取引先から呼び出されれば出勤せざるを得ない。 もう一度言うが、これらは決して良
覚醒剤使用で3度の逮捕歴がある元タレント・田代まさしさん(60)が13日放送のTBSラジオ「荻上チキ・Session-22」(月~金曜・後10時)に出演し、薬物依存症について語った。 番組内のコーナー「薬物依存症対策について考える」の座談会にダルク女性ハウス代表の上岡陽江さん(59)とともに出演した田代さんは開口一番、「田代まさしことマーシーです。僕は刑務所を出て2年4か月です。回復途上なので偉そうなこと言うなという意見もあるけれど、少しでも(薬物依存症を)分かってもらえればと思って話します」とあいさつした。 田代さんは「(薬物を)やめるのは簡単だけど、やめ続けるのは難しい」と話した。最近はテレビ出演で現状を話す機会も増えているが「僕たちは薬物依存症という病気でリハビリという言葉を使っているが、マスコミは“更生”という言葉ばかり」と報道への違和感を口にした。 「ある歌手の時も」と話し
2016年12月09日 プ ロ グ ラ マ ー の 心 が 壊 れ る 理 由 Tweet 49コメント |2016年12月09日 18:00|仕事・勉強|職業|Edit 3 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 後から入ってくる 若いやつに敵わないから 16/12/09 11:20 ID:3+Sf/w96r.net 当ブログサイトはアフィリエイト広告、バナー広告を利用しています。 32 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします ブラックな業界は他にいくらでもあるし崩壊する人もいれば耐える人もいる プログラマーは別に特別な仕事でも特別な人間でもない 16/12/09 11:29 ID:m5o4W/qFd.net 35 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 無茶クソな予算と納期と仕様で仕事貰ってくるから心身に負担が 16/12/09 11:30 ID:Bk4YqUfN0.
夢見がちでまじめなうお座A型、社会人14年のうちフリーランスを10年もやりましたが、相変わらず人見知りですぐに自信をなくしてしまいます…。そんなわたしですが、最近ではこうやってブログやセミナーで自分の考えを発表する機会も増えてきました。「自信がない」じぶんとのつきあい方について書いてみたいと思います。 自信とは何か わたしにとって自信とは、「MP(マジックパワー)」のようなものです。その自信(MP)の根拠は、これまでの経験や他人から得た評価です。 じぶんを評価されるということ 人の評価というのは大きく2つあります、今回は「事実起因評価」と「感情起因評価」と呼ぶことにします。 学校や仕事で、評価を受けるときの物差しは、主に「事実起因評価」です。 しかし、人の能力というのはこれまで培ってきた感性というものと深く関わりがあります。例えばわたしはデザイナーですが、じぶんのデザイン能力や感性は「これ
アニメ見るときとか、いやアニメに限らないんだけど、何らかの作品と向き合うときには「楽しんだほうが勝ち」というスタンスを強く守ろうとしている。自分はあまり物事を信じる方ではないから、このスタンスの正しさに対する信仰心はとても強い方だと思う。 例えば、科学的な突っ込みどころは多いものの見せたい部分を思い切り描いてくる作品に対しては、細かいところを無視してどれだけ世界観に入り込めるか、どれだけ上手く騙されるか、どれだけ意識せずにそういう状態になれるか、自分の中で整理を付けられるか、そういう気持ちになれる自分かどうか、というところをものすごく大事にしている (まあ結局後から小難しい顔して考察してたりするんだけども)。説明が面倒だから、誤解を恐れずに言うと「どれだけ知性を落とせるか」という風に表現することが多い。この表現は完全に誤解されがちなので別の言い回しを考えようとしたけど、考えた上でこれしか出
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