Deprecated: The each() function is deprecated. This message will be suppressed on further calls in /home/zhenxiangba/zhenxiangba.com/public_html/phproxy-improved-master/index.php on line 456
パンデミックを経ても、「医学至上主義のユートピア」は訪れない(太田 充胤) | 現代ビジネス | 講談社
[go: Go Back, main page]

パンデミックを経ても、「医学至上主義のユートピア」は訪れない

『ハーモニー』から『るん(笑)』へ

未曽有の危機と文学の想像力

COVID-19の流行は、現代科学の死角からの不意打ちだった。

人類は新しい病原体と戦うための治療薬やワクチンを持たないだけでなく、その流行を抑えるための直接的なエビデンスも持っていなかった。エビデンス不在の病態が、エビデンスの蓄積をはるかに上回る速度で拡散し流行する、その恐怖。現代科学ががっちりと根を張った今日の世界とて決して安全地帯ではないことを、我々は思い知らされることになった。

現代科学がその体制を持ち直すまでのあいだ、巷では多種多様な真理が乱立した。真理と真理は時に激しく闘争した。「専門家」を名乗る者同士の意見が、真っ向から対立することもしばしばあった。どの意見を支持すべきかは、一般人にはもちろんのこと、医療者でさえ判断しがたい状況が続いた。いや、状況はいまもそれほど変わらないかもしれない。文字通り、世界中が混乱に陥った1年間だった。

昨年4月、緊急事態宣言下の新宿〔PHOTO〕Gettyimages
-AD-

未曽有の危機に直面したとき、混乱のなかで人類はなにを考え、どう動くのか。

今日のような危機的状況においては、文学作品の素晴らしい想像力が思考の足掛かりになることがある。流行からこの方、アルベール・カミュの『ペスト』のようなパンデミックを題材とした文学作品が再流行し、書店でも平積みされている状況だ。

そんなさなか、わが国では医療を題材にした驚くべきSF小説が出版された。SF作家、酉島伝法の連作短編集『るん(笑)』である。

同書に納められた作品は、いずれもCOVID-19の流行より前に書かれたものである。にもかかわらず、それらは今日我々が置かれたSF的な状況をあまりにも鮮やかに予言し、あらゆる古典的医療SFを時代遅れの遺物にしようとしている。健康と医療をめぐる想像力は、今、新しい展開を迎えている。

医療のユートピア/ディストピア

近年わが国で出版された医療SFの傑作ならば、何よりもまず伊藤計劃の『ハーモニー』を挙げるべきだろう。2008年の出版から10年以上が経つが、その綿密な世界設計は今でも和製SFの金字塔と評され、界隈では「伊藤計劃以前/以後」という表現があるくらいである。

『ハーモニー』の世界では、人類は2019年(我々にとってはもう一昨年のことだ)に世界戦争と未知のウィルスによるバイオハザードを経験し、気を抜けばいつ癌やウィルスに制圧されるかわからないという恐怖を抱いて生きている。そんな危機的状況を背景に発展したのが、行きすぎた健康至上主義と、健康を実現するための高度なテクノロジー群である。

市民は身体の恒常的モニタリングシステム「WatchMe」を体内に入れ、迅速な投薬システム「メディケア」によって今必要な薬をシームレスに受け取り、さらには未来の疾病をも予防すべく「ライフデザイナー」に生活パターンを構築してもらう。

科学が生み出した知が一元化され、診断・治療のプロセスが完璧にシステム化されたこの三位一体によって、人類は老い以外のいかなる不健康とも縁のない生活を送る。これはまさしく、医療にとってのユートピアである。

-AD-

もちろん、科学ユートピアを描いた多くの作品がそうであるように、『ハーモニー』に込められているのは科学礼賛の思想ではない。健康至上主義や科学至上主義、管理社会への批判である。医療のユートピアは市民が不健康になることを決して許さない。老いと寿命以外で死ぬことは許されない。死のタイミングは自分で選べない。その息苦しさを、登場人物は「真綿で首を締めるような優しさ」と腐している。

『ハーモニー』が出版されたのは、ちょうどわが国であの悪名高い「メタボ健診」が導入された年でもある。健康が倫理化され、健康管理が社会制度化され、人間が家畜のように管理される社会に、我々の社会もまた進んでいくのではないか。人類は危機を経て、自らの生をシステムに委ね、管理されることで健康になることを求めるのではないか──そんな危機感とともに同書が受容され、その世界観が「ディストピア」だと当たり前に理解されていたのが、つい十数年前のことであったわけだ。

しかし幸か不幸か、『ハーモニー』は我々が今まさに経験していることを、まったく予見してはいなかった。今振り返ってみれば、それはディストピアではなく、極めて素朴なユートピア幻想であったようにさえ思われる。

私が遅まきながらそのことに気がついたのは、COVID-19の流行に直面したからではなく、『るん(笑)』が示した新たな想像力を目の当たりにしたからだった。

-AD-

「非科学的」な新世界

『るん(笑)』の舞台は近未来の日本。現代科学や医療のかわりに、「非科学的」な迷信や民間療法、代替療法(一般的に従来の通常医療と見なされていない治療法)、あるいは俗にいう「スピリチュアル」な物の見方・考え方が高度に発達した世界線での話だ。

3つの連作では、それぞれ新しいパラダイムで「非科学」と交わりながら生きる人々が描かれる。38℃の高熱に日夜うなされ、あらゆる代替療法を試すが報われない男性を描いた「三十八度通り」。癌を患い入院した女が夫の意向で退院させられ、不幸な転機をたどる表題作「千羽びらき」。そして、そのような世界観のなかで新たに生まれ育ち、理不尽としか思われない学校教育を受ける少年少女を描く「猫の舌と宇宙耳」。

わかりやすいように現代科学の言葉を使ってあらすじを書いたが、我々の知る事象は新しいパラダイムにおいて逐一名付けなおされている。

「38℃の高熱」と書いたが、実は彼等のあいだでは38℃なら微熱ということにされている。もちろん、男性が受けているのは「代替療法」なんかではなく、彼等にとっては心のこもったベストプラクティスだ。

男性のために妻は夜なべして「愈水(ゆすい)」を作る。愈水とは、水道水に「龍の鱗」を漬け込んで浄化した水を、さらに家族の者が一晩かき混ぜ続けたものである。工場で大量生産されるようなものではだめで、家族の者が愛情をこめて作ったものでなければ治療効果は発揮されないという。もちろん、解熱剤や抗菌薬の服用なんてもってのほかである。

ちなみにこの世界線では、のちに平熱の基準は公式に38℃まで引き上げられることになる。きっと38℃を超えたまま解熱しない者があまりに多すぎたのだろう。

「癌」と書いたが、彼等はもうそのような言葉を使わない。病や死を連想させる言葉は「忌み言葉」として避けられ、別の言葉で言い直される。癌は「蟠り(わだかまり)」という言葉で呼ばれている。「癌がある」のではなく「蟠っている」と呼んだほうが、なんだか一過性の病態のようで、すぐに治りそうな気がしてくる……というわけだ。

病だれを使うことも忌避され、病気は「丙気(へいき)」と呼ばれている。病は気から、丙気って呼べば平気な気がしてくるでしょう……というのが彼等の考え方だ。もちろん、病院なんているだけで具合が悪くなるに決まっている。女性は不幸にしてそこに入らされてしまったので、夫が彼女をそこから救い出したのだ。

ネタバレを避けるために詳述しないが、化学療法をやめたがん患者の女性は、最終的に自ら死期を決めることになる。それは我々の目にはあまりにも不幸な転機のようにも、安易な自殺のようにも見える。『ハーモニー』の描く社会において、自死が倫理的に許されないのとはまるで正反対だ。

まだまだ挙げればきりがないが、現代科学の常識に反する考え方や、現代科学が否定してきたあらゆる迷信に従って生きる人々の姿がこれでもかとばかりに描かれる。現代科学を当たり前の常識として叩き込まれた私にとっては、読んでいて気分が悪くなるような描写の連続である。

-AD-

バックラッシュとしてのポストトゥルース

もしあなたもまた『るん(笑)』の描写に気分が悪くなるのならば、それはあなたも「現代科学」にどっぷり浸かっていることを意味する。

気分が悪いのは、「現代科学」が正しいという前提でこれらの描写を読むからである。冷静に考えればこれはSFなので、『るん(笑)』の世界では我々の信じる「現代科学」が最善とは限らないし、「現代科学」をいったんカッコに入れて読まねばならない。

面白いことに、作中では彼等の治療体系が有効なのか、そうではないのかについて、決定的な記載を見出せない。ただ、少なくとも彼等のやり方は、彼等にとってはある程度有効でもあるらしい。作中には、近隣の女性が出産するたびに胎盤をもらって食べることで、驚異的な若さを保っている高齢女性が登場する。

そもそも「彼等」といっても一枚岩ではなく、エリアやコミュニティごとにまったく別のパラダイムが信じられていたり、コミュニティ同士で互いのやり方に眉をひそめていたりすることもある。

いずれにせよ確かなのは、登場人物がみな、彼等自身が受け施す治療を信じているということである。もしも彼等が我々の生活や医療を覗き見る機会があったら、それは彼等の目には耐えられないほど野蛮な行為の連続に映るだろう。

つまりこのきわめて不快な読書体験は、真理と真理との間に生じる摩擦の不快さ、そのものなのである。

今日、我々の周りを見回してみれば、そんなふうに「気分が悪くなるような」言説は溢れかえっている。それはなにも『るん(笑)』に登場するような、「現代科学」に沿わない言説のことだけを指すのではない。なんであれ、隣人が自分とは別のパラダイムに則って考え、発言し、行動するのを目の当たりにしたとき、我々は必ず気分が悪くなるのである。

あらゆる真理と真理が闘争状態を保ったまま、どちらも淘汰されずに生存する今日の不快な状況を、我々は俗にポストトゥルースと呼んでいる。そして、すでにポストトゥルースを生きる我々は、『ハーモニー』がありえない未来であることをよく知っている。

〔PHOTO〕iStock
-AD-

ひとつの真理体系のもとに全市民がオーガナイズされた『ハーモニー』のような世界には、複数の真理がこすれあう摩擦や不快さが存在しない。同じひとつの真理が要求する倫理や規範のもとに、全市民が同じように考え行動するからである。

そのあまりにも快適で清潔な空間をディストピアと呼んで嫌悪したのは、我々のほうではなかったか。健康的すぎるあまり死ぬことすら許されない「優しさ」をこそ、我々は嫌悪していたのではなかったか。

『ハーモニー』的な想像力や、メタボ健診のような現実へのバックラッシュの先に、『るん(笑)』が示した想像力がある。だとすれば『るん(笑)』とは、ディストピアの話では決してなく、むしろあなたが望んだユートピアの話である。

無数のローカルでクローズドな「真理」

思えば我々一般市民のほとんどは、テレビに毎日のように映っていたあのイボイボのついたコロナウィルスの姿さえ、自分の目で見たことはない。自分の目で見ていない以上、その姿や挙動についての情報を盲信する理由はどこにもない。真偽を自ら検証しようがない情報によって行動の変容を促されることは、当然ながら不快で気味が悪い。

今日、「現代科学」が生産した知は、オープンアクセスのデータベースにまとめられ、グローバルに共有されている。医学ならば論文データベースである「Pubmed」や、最新の知見を要約し更新し続ける巨大な教科書「Up to date」を、世界中の医療者が利用し、ローカルな実践に適応している。言葉を変えれば、これは単一の中心に世界中の真理が集まり、その真理の巨大な集合体を中心にして世界中の医療が組織されている状況で、『ハーモニー』が示した世界観はその究極系だと考えてよい。

しかし、医療者にとっては「オープン」な真理でも、一般市民にとっては決してオープンではない。多くの市民はデータベースにアクセスできない。医療者のあいだで常識として共有された知も、一般市民にとってみればブラックボックスの中にあるように映る。

〔PHOTO〕iStock
-AD-

こうしてブラックボックスから取り出され、一様に押し付けられている真理は本当に正しいのか、捏造ではないのか、その巨大な権力構造の外にこそ本当の真理があるのではないか、というのは至極まっとうな疑問である。その疑問の果てに、市民は「現代科学」に支配されていない様々なチャネルを介して、十人十色の「真理」にたどり着くことになる。

『るん(笑)』で描かれているのは、「現代科学」のオープンでグローバルな真理体系によって排斥されてきた無数のローカルでクローズドな「真理」が、再び息を吹き返し、知的営為が市民の手中に取り戻された状態だと言えなくもない──それが「正しい」かどうかは別として、だが。

末期がんの女性は縁故関係を地道にたどって、理想的な治療や治療者についての知識を探し求める。まるで秘匿された水脈のように、日頃の行いと個々人の地道な努力によってたどり着く場所にこそ真理があるという思想がそこにある。やがて彼女は、地域で一番の治療者と呼ばれる人のところへたどり着き、ついに探し求めた「真理」を手にする。それは「現代科学」の徒が聞けば仰天するようなとんでもない「真理」なのだが、彼女たちにとっては苦労の末に勝ち得た「真理」なのである。

-AD-

『ハーモニー』は訪れない

科学にはまだまだわからないことがある。権威が常に正しいとは限らない。健康ではありたいけれどもそのために指図されるのなんてまっぴらだ。自分の頭で考えて、自分の足で健康への道を歩きたい──あなたが常々そんな風に考えていたのならば、もしかすると『るん(笑)』はあなたにとって福音の書かもしれない。

実際のところ、『るん(笑)』の示した想像力は、今日『ハーモニー』よりもずっとアクチュアルである。今日の世界を見渡してみれば、『ハーモニー』の世界なんて当面訪れないであろうことがよくわかる。我々はもう知ってしまった。未知のウィルスによるバイオハザードを前にして、全人類がひとつになることは決してないと。高度で洗練された管理社会に全市民が進んで参画することは決してないと。鎖国、陰謀論、汚職まがいの利益誘導、無数の真理が乱立し対立するポストトゥルース的状況──これらがみな、答え合わせの結果である。

健康を守るために自発的な行動を促されることはあっても、強制されることはない。あなたはマスクをしたりしなかったり、好きなものを好きな場所で食べたり、好きな場所を訪れたりして、自らの信条によって好きなように過ごすことができる。一時は現政府さえ、それを推奨するようなキャンペーン実施していた(GoToトラベル、GoToイートのことだ)。その後緊急事態宣言が出され、飲食店の営業が制限されこそしたものの、現政府は自由を取り戻す機会を今か今かと伺い、あまつさえ大規模な国際交流の機会を実現しようとしている(いうまでもなく、オリンピックのことだ)。
を――。

『ハーモニー』が提示した想像力は現実によって塗り替えられ、医療SFの金字塔は賞味期限を迎えた。心配しなくても医療のユートピアは訪れない。『るん(笑)』が予言し、今実現している事態はそういうことだ。管理社会の到来や科学に基づく功利主義に警鐘を鳴らしていた面々は、ほっと胸をなでおろしただろうか。

-AD-

ああよかった、それなら安心──あなたもまたそう思ったならば、まず『るん(笑)』を読め。そこにあなたの望む「ユートピア」がある。

いや、それじゃあ困る、なにしろ現代科学は正しいんだから──と、そう思ったあなたも『るん(笑)』を読むと良い。あなたが直面している問題は、そこに克明に描かれている。

関連タグ

おすすめ記事