宮城志緒理

第397話

「……やだ」


 大学に行く服もなにもかも選ばせてほしいと言った私に返ってきたのはすげない言葉で、宮城と繋がっている手に力を入れる。


「言うと思った」


 宮城が「やだ」と言うことは予想できていた。


 私はこういう宮城を可愛いと思う。


 面倒くさそうにスカートを試着していたときも、美味しそうにクロックムッシュを食べていたときも、等しく可愛くて、宮城を抱きしめたいと思った。


「話が違うじゃん。好きとか嫌いとか、そういうもの教えてって言った」

「ちゃんと、選んだ服を宮城に着てもらうのが好きって答えたよ」

「それ以外は?」


 そう言うと、宮城が私と繋がっている手を引いて逃げ出そうとするから、彼女に肩をくっつける。


 手と手。

 肩と肩。


 繋がる部分が増えて、心臓がどくんと鳴る。


「そうだなあ。……今、言えそうなものはないかも」

「無理に探さなくていい。見つかったら教えて」

「教えるから、宮城も教えて」

「なにを?」

「なんで私が宮城の服をなにもかも選んだら嫌なの?」

「やだって言うか……。なにもかも選んでもらうのなんて無理じゃん」


 宮城がぼそぼそと言って、床に視線を落とす。


「なんで?」

「そんなことになったら、仙台さんいないとき、なにも着れないもん」

「裸の宮城もいいかもね」

「馬鹿じゃないの」

「そんなことになったら、宮城はどこにもいかないでなにも着ないでここで待っててくれるんでしょ?」

「仙台さんの変態。そんな話、してない。大体、なにも着ないでこの部屋にいたほうがいいのは仙台さんだから。仙台さん、服脱ぐの好きでしょ」

「宮城とずっと一緒にいられるなら、それでもいいけど」

「仙台さん、すぐそういう変なこと言う。できないこと言わないで」


 小さな声が私の声をはね除ける。

 こういうときの宮城は現実的で夢を見ない。

 この世界で実現できることだけを見ている。


「……宮城は私とずっと一緒にいたくない?」


 現実から離れない宮城に私の望みが零れ出る。


「そんなの、無理だから」

「無理じゃなかったら、一緒にいてくれるんだ?」


 強くも弱くもない口調で言って、宮城を見る。

 でも、彼女の目は私を映さないし、返事もない。

 握った手を引っ張って、宮城の視線を私に向ける。


 彼女は口を開かない。

 だから、私が口を開く。


「私はずっと宮城の隣にいるよ」


 肩を寄せ、宮城にくっつく。


「嘘ばっかり」


 本音か嘘かわからない声が聞こえて、「嘘じゃない」と返す。


 私は宮城だけのものだ

 そんな私が宮城の隣にいないなんてあり得ない。


 同時に、宮城を私だけのものだと言いたい私が顔を出し、「ずっと仙台さんの隣にいる」なんて言ってほしいと思ってしまう。


 私は宮城だけのものであることだけで良かったはずだったのに、それだけでは満足できなくなっている。


「……そんなの、無理じゃん」


 私を信じない宮城がぼそりと言って、私は即座にそれを否定する。


「無理じゃないよ」

「大学あるし、バイトもあるのに? そういうの無視して、ずっと隣にいられるの?」


 それほど遠くない過去にも、似たようなことを宮城に言われた。

 あのとき即答できなかった私は、今日も即答できない。


 宮城の言葉は間違っていない。

 でも、正しくて間違っている。


 生きるということは、不可能と共存することだと思う。


 ずっと一緒にいると宣言したところで、二十四時間ぴったりくっついて一緒にいるなんてことは不可能だ。人が人として生活していくなら学校や仕事に行かなくてはならないし、同じ学校や職場だったとしても離れる瞬間は絶対にある。


 だから、“宮城の隣”に“ずっと”いることはできない。


 そんなことができないことは誰でも知っている。


 だから、人はどうしたってできないことはできないことだと認めて、できることと重ね合わせて生きていくしかない。


「隣にいられないときも、私は宮城の側にいるよ」


 体が隣にいられなくても、気持ちは側にいることができる。


「そういうの、いいから。大学卒業したらルームシェア終わりだし」


 宮城が平坦な声で言い、私の肩を押す。

 ゼロだった距離はカモノハシのティッシュカバー一個分離れた距離になり、私たちに溝ができる。


 私が言った“隣にいる”は二十四時間離れることなくぴったり隣にいるという意味ではない。そうすることができる時間を最大限増やして、それを実現していくということだ。それは、隣にいられない時間を気持ちで埋めることでもある。宮城だってそれはわかっているはずなのに、わき道へそれていこうとする。


「宮城、私の誕生日ずっと祝ってくれるって言ったじゃん。あれ嘘なの?」

「嘘じゃない。ルームシェアしてなくても誕生日は祝えるって、仙台さんが言った」


 宮城が怯えた捨て猫のように私の言葉から逃げようとする。私は遠ざかっていく彼女の背中を何度も見てきたけれど、今日は見たくない。


 だから、どんな宮城も私だけのものにしたい私が、宮城を捕まえる言葉を声にする。


「ルームシェアしてなくても誕生日は祝えるけど、ルームシェアを続けて祝いなよ。宮城はずっと私の誕生日を私の隣で祝って。私は宮城の誕生日をずっと宮城の隣で祝うから」

「なんで? 約束が違うじゃん。ルームシェアは大学卒業までなんでしょ」

「そうだね。でも、約束し直すこともできるよ」


 宮城の中には私には見せてくれない気持ちが潜んでいて、それは大切にしまわれている。私はそれを暴くつもりはないけれど、その一端を掴んで、宮城をもっと知って、私だけの宮城になってほしいと思う。


 でも、用心深くしまわれている秘密に少しでも触れようとするなら、同じように私が私の奥深くにしまい込んでいるものを差し出さなければならない。


「宮城、これから私が言うことを逃げずに聞いて。これから何度でも言うことだけど、初めて宮城に言うことだから」

「……やだ」


 小さな声を残して、宮城が私から離れる。

 私たちの間に置けるカモノハシは三つ分くらいになって、私は彼女の手を強く握った。


「仙台さん、離して」


 私を見ずに宮城が言って、彼女の耳に触れる。

 プルメリアのピアスを撫でて、「聞いて」と小さく告げて息を吸う。


 そして、吐いて。

 また吸って。


 宮城と目が合い、伝えるべきことを伝える。


「仙台葉月は宮城志緒理のことが好き。ほかのものはなにもいらない」


 宮城が呼吸を忘れたように私を見る。

 じっと、表情を変えずに見続ける。


「宮城。私は私の好きなものを宮城にずっと言いたかった。――私が好きなものはずっと前から宮城だよ。だから、ずっと側にいたいと思ってるし、ずっと隣で宮城の誕生日を祝うって決めてる。隣にいられないときもずっと隣にいたいって思ってるし、ずっと一緒にいたいと思ってる。私はそれくらい宮城のことが好きで、宮城にも私を同じくらい好きになってもらいたい。そして、私とずっと一緒に暮らしてほしいと思ってる」


 私の心の中にあって、長い間外に出さずに閉じ込めていたものを一気に解き放ち、宮城の頬に触れる。


 彼女は動かない。

 瞬きも忘れて私を見ている。


 言わなければ、すべてを曖昧にしたぬるま湯のような関係を続けることができた。私は宮城の“大事なものに住んでる人”でいることができた。


 けれど、私はそれだけでは足りなくなってしまった。


 ぬるま湯が氷水に変わったとしても、宮城を私だけのものにしたいと思ってしまった。


 後悔はして――。

 いるのかいないのかわからない。


 心臓の音がうるさい。

 喉がカラカラに渇いて苦しい。

 沈黙が肩にのしかかる。

 なにか言ってほしくて、言ってほしくない。


 宮城が瞬きをする。

 唇が開いて、掠れた声が聞こえてくる。


「そんなの――」


 反射的に体が動く。

 唇で宮城の言葉を奪う。

 途切れた言葉の続きは私が飲み込み、唇を離す。


「返事は今しないで。今したら、宮城は絶対にそんなの無理だって言うし、私のことを好きじゃないって言うから。だから、今は返事をしなくていい。保留にしといてよ」


 一気に言って、息を吸う。

 喉はやっぱりカラカラで、焼けてしまったと錯覚するほど痛い。


「……保留っていつまで?」


 抑揚のない声とともに、宮城の手が繋がっている私の手から逃げ出す。


「大学の卒業式まで。その日が来たら、宮城から告白して」

「なんで私が告白するって決まってるの」


 低くも高くもない声で宮城が言い、不満そうに私を見る。


「卒業式の日に私のこと好きだって言わせるって決めたから」

「……言わなかったら?」

「そんなことがないように、これから何度でも好きだって言う。宮城が嫌だって言っても言う」

「言わなくていい」


 宮城が素っ気なく言い、私から離れる。

 だから、私は宮城が離れた以上に近づく。


「ねえ、宮城。今日も明日も明後日も、ずっと大好きだよ」


 耳もとでそっと囁いて、不満そうにしている唇にキスをした。

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【書籍8巻2025年冬発売】週に一度クラスメイトを買う話 羽田宇佐 @hanedausa

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