第3話 ハウスメイドは日本人?

 高熱を出し、こんこんと眠り続けて3日。

 イーディスが目を覚ました時、世界は様変わりしてしまっていた。


 まず住み込みの部屋が狭い。寒い。殺風景だ。何もない。あるといえば、壁にくくりつけられた鏡と、ハンガーからぶら下がっている数着のメイド服のみ。他は無。


 これが「私」の部屋?


 地下だから日も差さない。電灯を点けるとオレンジ色の暗い光がぼんやりと部屋の中を照らし出す。


 ない。

 何もない。


 ドアを開けようかと思ったけれど、時計を見るに「鍵持ち」が来るにはまだ早い。だから扉は、開かない。

 ……というか部屋の外鍵。人権侵害にもほどがある。内側から鍵をかけられないなんて問題、というか若い娘や召使いの男を「所有物」扱いするだなんて、おかしいじゃないか。改善を要求しなければならない。

 問題はまだある。賃金が安い割に、起きる時間が早過ぎるし、寝る時間も遅すぎる。8時間なんかゆうに超えて18時間労働。週休0日。こんなのどう考えても労働基準法に違反する。労基が黙っていない。何だこの職場。

あんまりだ。貯金できないから私物も増えないし、休みもなければ趣味を持つ余裕もないじゃないか。心が病む。アキバに行かせろ。ブクロに行かせろ。

 ストライキだ。

 いっそ爆破してやろうか。


……変わったのはイーディスであって、世界ではなかった。

 



 鍵持ちがひと通り扉の鍵を開け終える頃、きっちりとメイド服を着こなしたイーディスが広間に姿を現すと、真っ先にアニーが駆け寄ってきた。

「イーディス、大丈夫なの?」

「大丈夫。熱は下がったみたい」


 ああ、ここは中国知識のある世界なんだ、とイーディスは思った。「大丈夫」という言葉の語源は中国にあり、仏教と共に伝来したとか、なんとか。イーディスも「かつて」は創作者だったことがある。その程度の知識はあった。

 でも「ここ」は──レスティア大陸を擁するこの世界は、中国のある地球とは別のところにある。


 つまりは異世界。異なる宇宙の、異なる星の、異なる海に浮かぶ、異なる文明。


「私」はイーディスとして異世界転生をしたのだ。イーディスの思考はそこへ着地した。

 そう思うと、変に肝が据わったような感じがした。何がこようが、誰に何を言われようが、何とかなってしまうような気がした。「私」はイーディスとは違い、16歳の無学な小娘ではない。


 ……とはいえ、イーディスも前世のことを全て思い出したわけではない。覚えているのは、「私」がファンタジーとミステリとボーイズラブが好きな成人おたくだったことくらいだ。他は全て靄がかかっていた。

 

 よくある異世界転生もの。「イーディス・アンダント」として、「私」は生まれ変わった。だとしたら次に来る「イベント」は……おおかた予想がつく。何も対策がないよりマシだ。なんでもやり過ごしてやる。

 イーディスは背筋を伸ばした。心強い味方を得たような気持ちだった。



 朝の4時半頃──時刻になると、メイド長が姿を現し、部下であるメイド達に伝達事項を告げ、仕事を割り振ることになっている。

 しかし、その日に限って、彼女はなかなか姿を見せなかった。メイド達の間にも戸惑いが広がっていく。

「メイド長がいらっしゃらないのはなぜかしら?」

 イーディスは隣のアニーに訊ねた。アニーは首を横に振った。

「私にもわからないわよ。でも、あなたが倒れた3日前から、お嬢様のお付きをやっているはず……」


 イーディスは、屋敷の主人ヴィンセントによく似た面差しの少女のことを思い出した。イーディスの毛玉だらけのストールを身に纏っていた少女のことを。

「グレイスフィールお嬢様……」



「お嬢様、ここ数日“凄い”のよ」

 後ろから、そのお付きだったメイド達が口々に言う。

「人が変わってしまったようなの」

「ヒステリックになってしまった。ものは投げるし、いうこともまったく聞かないし、今月末の夜会にも出ないと仰ってる」

「もうお相手したくないわ、私」

 すると、さざなみのように囁きが広がっていく。

「ヴィンセント様は“幽霊令嬢”様を説得なさっているようですけどね。廊下に聞こえるほどの大声で……」

「でもヴィンセント様の言うことは聞くのよね」

「旦那様以外は全部敵に見えているんじゃないかしら。メイド長も手を焼いていらっしゃるみたい……」

 


 そうしているうちに、階段上からけたたましい音が鳴り響いた。目覚まし時計のアラームのような音。続いて、ガラスが割れる音がした後、メイド長の悲鳴が聞こえて来る。


「お嬢様!お嬢様!お気を確かに!お嬢様!」

 

 あきらかに、只事ではない。

 続けざまに鳴り響く破壊音、破裂音……イーディスは居ても立っても居られず、メイドの群れを飛び出そうとした。アニーが手首を掴んだ。

「だめよイーディス!勝手な行動は……」

 でも、イーディスの脳裏には彼女しかいなかった。

 あの冬の日、ぼろを分け合って流星を眺めた彼女の姿しかなかった。

「叱られるわ!」

「それでもいい!」

 アニーの手を振り払う。




 イーディスは階段を一段飛ばしに駆け上がった。左右に分かれた廊下を見渡して、まずバルコニーのある左へと走った。お嬢様の部屋に行く前に、することがある。

 おそらく現場に赴いても、イーディスには何もできない。でも「彼」になら。兄君である彼なら、話は別のはず。


──ヴィンセント様!

 

 ちょうど、ヴィンセントがボーイを引き連れて部屋から飛び出して来るところだった。危なくぶつかるところを、すんでのところでかわす。


「一体なんの騒ぎだ?」

「わたくしにもわかりかねます」

 イーディスは口走った。不敬、不敬というサイレンが脳内でぐるぐる回ったが、構っていられない。

「お嬢様とメイド長の間で何かあったようです。ヴィンセント様、どうか、お嬢様のお部屋に」

「グレイス、またか……」

 ヴィンセントは整えたばかりの銀髪をぐしゃぐしゃとかき回した。

「わたくしもお供いたします」


 イーディスは毅然として言い放った。

ヴィンセントは何も言わず、スーツの裾を翻して妹の居室に向かった。それを許しと受け止めて、イーディスも小走りであとに続いた。



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