第二章:DANGEROUS

第13話


 静寂の中、誰もが惨状に呆然としてしまう。

 先程までわめいていた織兵衛は、血を垂れ流して倒れている。折れ曲がった体勢でぴくりとも動かない。

 もう死んでいるだろう。

 安路は心のどこかで確信していたが、何も出来ずに立ち尽くしていた。


「どいて!」


 沈黙を引き裂き、時を動かしたのは明日香だった。

 守を突き飛ばし、横たわる織兵衛に駆け寄り首筋に指を沿わせる。脈をとっているのだ。


「駄目、もう……」


 だが、結果は死亡が確定しただけ。涙目の明日香はふるふると首を振る。

 やはり、これは死体なのだ。生で見るのは初めてだ。患者仲間が亡くなる経験はあるが、死の瞬間を目の当たりにしたことはなかった。


「あ、あなたのせいよ」


 玲美亜がキッと下手人げしゅにんへと目角めかどを立てる。


「な、なんだよ」

「あなたは人殺し、れっきとした罪人よ。いいえ、それだけじゃない。参加者が一人減ったせいで、あの文の条件が達成出来ないのよ」


 “六名の罪を悔い改めし者が座する時、残されし最後の者が光を臨める”


「つまり私達は、この場所から二度と出られないってことよ!」


 そういう意味か。

 どうして考えが及ばなかったんだ、と安路は自責の念に駆られる。

 文章では“悔い改めし者が座する時”とあるが、それすなわち、座る者が何らかの自発的アクションを取るのが条件ということ。しかし、織兵衛が死亡し、座るべき六人に欠員が出た。これでは一人足らず条件は達成されず。デスゲームのクリアは不可能だ。


「これだから後先考えない低脳男は! あなたのせいで何もかも台なしよ!」


 唾棄だきする勢いで玲美亜がまくし立てていると、


「なんで、なんで私がこんな目にぃいいぃいっ!」


 今度は明日香の慟哭どうこく木霊こだました。


「いつも私ばっかりぃいぃいいぃっ!」

「ちょ、落ち着いて下さい、申出さん!」


 だだっ子のように手足を滅茶苦茶めちゃくちゃにばたつかせている。誰よりも早く生死を確認した人と同一人物とは思えぬ変貌へんぼうぶりだ。

 安路はなだめようと震える肩に手を添えようとして、


「触らないでっ!」


 指先が触れた瞬間、はたかれた。


「痴漢、セクハラ、強制わいせつだからっ!」

「えっ、え?」


 彼女は、一体何を言っているのだろう。

 安路の思考は完全に停止していた。否、他の者も、明日香の奇行に戸惑いを隠せずにいる。


「女性に触るのは犯罪って知らないの!?」

「べ、別に悪気があった訳じゃないんだけど……」

「そんなの関係ない! 男は生まれながらにおおかみ、ケダモノ、犯罪者なのよ! ちゃんと自覚しないと駄目なの!」


 全く話についていけず、目が点になってしまう。

 昭和時代の曲にそんな歌詞があったのは知っている。安路に割り当てられた生き物が狼というのもその通り。だが、ケダモノや犯罪者呼ばわりされるとは。

 生きるか死ぬかの瀬戸際で気にすることか。実際に死者が出ている以上、もはや些末事さまつごとと言わざるを得ない。

 まさか、これ程過激な思想だったとは。

 書店で見つけた新書で、大方の人物像は知っていた。が、文字の羅列と実際の行動では印象が大違いだ。

 “真の女性に男はいらない”。著者、申出明日香。

 結婚や出産は当然という空気、女性は常に美しくあるよう努力するべきだ。そんな男尊女卑の社会、女性らしさの押し付けが蔓延はびこる世の中で、いかに自分らしく生き抜くか。著者の男にまつわる苦難の人生を踏まえつつ、未来を生きる女性の心構えがみっちり詰まった一冊である。

 どうやら、明日香は一部界隈で有名人らしい。安路には縁のない話で、ピンとこなかったのだが。


「あのぉ、申出さん?」


 また過剰な反応をされると困るので、そっと腰を低くして声をかける。


「申出さんの本、読みました。僕はまだその域には達していませんけど、とても頑張っているなって思いました」


 我ながら、小学生の読書感想文並に無味乾燥だと嫌になる。

 だが、仕方ない。人が死んで切羽詰せっぱつまった状況だ、これ以上余計な軋轢あつれきを生まぬようにしなくては。


「……ホント?」


 明日香の仏頂面が、ぱっとフラワーショップのように華やぐ。

 一言褒めただけでこの威力とは、驚きである。


「で、でもあたし、よく“生意気だ”って批判されるし、運も悪くて酷い目に遭うし……」

「ひ、批判なんて気にしちゃ駄目ですよ。僕なんて、病弱なせいで悪口は日常茶飯事だし。それに運が悪いなんて、ここにいる全員がそうですから。一人で抱え込まず、みんなで解決しましょうよ!」


 参加者が一人死亡し、ゲームクリアが不可能になったかもしれない。

 しかし、まだ希望はついえていないはず。

 主催者が設定した条件は無理でも、裏技――ルールを無視し、この施設から脱出すればいい。むしろ、誰を座らせようかと蹴落とし合うよりずっと健全だ。


「なぁ。もうおしまいだ、なんて決まってねーよな?」


 ずるずる、ずるずる。

 守が、何か重たい物を引きずっている。


「満茂さん、それって……」


 中腰姿勢で運んでいたのは血塗れの織兵衛だ。足首を掴み、手近な椅子――門を前方として、右側の前から二脚目――までずるずると。傷口から漏れた赤い色が、血のわだちを描いている。


「ほらコイツさ、座りたがってたろ? だからさ、冥土めいど土産みやげによぉ……――どっこいせっと!」


 守は死体のわきに両手を差し込み持ち上げる。


「ほら、よっ!」


 手を離すと織兵衛の体は支えを失い、重力に従いどっかり腰かける。継ぎ接ぎの椅子が激しくきしむ。だが、壊れる様子はない。老人の死体を取りこぼすことなく受け止めていた。

 すると直後に――ガチャッ。椅子の内部で何かが起動した。


「うおわっ!?」


 至近距離の守が一番に飛び退いて、つられて他の者も後ずさる。

 この施設の中で最も怪しかった器具が、遂にその全貌を明らかにするのか。ガチガチと響く椅子のうなりを前に、誰もが固唾を呑んで見守る。

 そして、それは飛び出した。

 ――ガシャンッ!

 肘掛ひじかけにあたる部分の下部から、本体同様の錆び色をしたベルトが伸びる。薄い金属の板らしい。ベルトはあっという間に織兵衛に巻き付き、その体を座席に固定した。

 椅子はそれ以上の動きを見せず、再び室内は静まりかえる。


「は、はは、ははは」


 守が乾いた笑いを漏らす。

 椅子の仕掛けは想像より優しかった。忌憚きたんなく言うのなら拍子抜けだ。

 拷問道具あるいは処刑道具と恐れていた。が、ふたを開けてみれば、ベルトで拘束されるだけだ。デスゲームと称する割に肩透かしである。もっとも、拘束されれば二度と抜け出せないだろう。甘く見てはいけない。


「モニターを見なさい」


 恵流が患者衣のそでを引っ張った。

 何事かと彼女が指さす先を見ると、表示が変わっている。蝸牛かたつむりのマークは点灯したまま、その隣の“笛御織兵衛”の名前が消えていた。

 何故、このタイミングで。

 織兵衛が死亡しても変化しなかったのに、椅子に座ったら名前が消えた。

 まさか“六名の罪を悔い改めし者”の一人としてカウントされたのか。否、既に死亡した者が座って“悔い改め”た扱いはおかしい。これでは、六人分の死体を集めて座らせるだけで、生き残った最後の一人がゲームクリア扱いになってしまう。


「どうやら、デスゲームは続行らしいな」


 にたり、と守の口角がいびつな三日月を描く。お得意の恫喝どうかつとは別種の恐れを抱かせる、胸の奥が凍えそうな笑みだった。

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