剣の天に至りて

第25話 剣の天に至りて 1


<前回のあらすじ>


 ガラ・ラ・レッドフォートは大怨霊『岩』に呪痕じゅこんを刻まれたエレニアムを解呪するため、テクステリーを支配するブロキオン侯爵家の家宅へ忍び込むことに。

 侯爵家の継承者である男がして当主であるブロキオン侯爵や兵士たちを斬殺するという悲劇……悲劇? が発生したが、ともあれ櫛は手に入ったのだった。めでたしめでたし。



§



 例の怨霊が望んだ櫛を手に入れたガラたちは、ひとまずエレニアムにそれを預けて解散することにした。

 翌朝、準備を整えて例のダンジョンに再び潜ろう――という予定である。

 ブロキオン侯爵家の主が死亡し、その継承予定の息子が狂乱の域に陥ってしまったことは、何ともはや不幸な事故である。


「事故だな」

「事故ですねえ」

「事故でいいのかなー、とさすがに金級として傍若無人に暴れている僕も複雑な面持ちなのだった」


 反応は三者三様。

 残り二人、待機していたスプーキーは侯爵家の大スキャンダルに「うーん、何も見なかったことにして、寝るか!」と言い残して立ち去った。


 そしてトランは「ふーん」と鼻をほじりながら聞き流した。

 小鬼人ゴブリンにとって施政者がどうなろうと、それほど関係はないらしい。


「それよりはダンジョンですよダンジョン。今度こそ、ガラ・ラ・レッドフォートがボコボコにされたゴースト相手にリベンジです!」

「……されてはない。引き分けだ、引き分け」

「えー、でもお話聞く限りは負」

「引き分け」


 ガラも大概の負けず嫌いである。


「じゃ、ガラさん。今日はこれで解散ですか?」

「……そうだな。できることはもう何もない。明日、ダンジョンに潜って例の怨霊『岩』と接触を試みる。大人しく櫛を受け取ってくれればいいが……」

「そうですね。明日のことは明日考えましょう! じゃ、かいさーん! 皆さん、お疲れ様でした!」


 トランはそう言って、元気良く走り去っていった。

 しんと静まりかえった侯爵邸を見上げ、ガラは明日以降のダンジョンに想いを馳せる。そしてもう一つ。


 テクステリーを支配していた侯爵が消えた場合、果たして後任はどうなるのか。

 ガラはその過去から、今自分たちがいるセレフィア王国の勢力争いについて熟知している。


 推測通りなら、色々な貴族が動いたことでガラの望む結果が訪れる可能性がある。


 だが、それは明日より遙か先の話だ。

 今は明日のダンジョンに専心すべきだろう。


 ――大人しく櫛を受け取りエレニアムに刻まれた呪痕じゅこんを消してくれれば、それでよし。

 ――これでも怨霊が拒絶するのであれば違う方法で消さなければならない。


 ……だが、その可能性は低い。怨霊とは目的に固執するもの。その目的を達成した瞬間に大きく弱体化するとも言われている。


 例外として挙げられるのは、例えば怨霊の目的が特定の誰かに対する呪殺だったりする場合。

 怨霊の怨みが極めて根深いと、特定の誰かを呪殺しても恨みは晴れず、その近しい者――家族と友人を皆殺しにするまで呪痕じゅこんが消えなかった一例がある。


 だが今回はそれに当てはまらない。

 あの怨霊の依頼は櫛を持ってこい、ということのみ。その際の依頼はガラが記憶している限り、複数形ではなかった。


 そしてエレニアムがあの怨霊と繋がりがある、という可能性もない。

 あれはどう見ても、異世界あちらの怨霊だ。

 服や髪の色、中つ人アヴェリアンとしての顔立ちや名称などからもそれは明瞭である。


 ならば、そもそものダンジョンの攻略法から考えるべきだろう。

 あの場所により安全な方法で辿り着かなくては――


§


 ……と言った諸々の心配は杞憂きゆうに終わった。

 その日、櫛を持ち帰って就寝したエレニアムの前に、例の怨霊『岩』が出現したのである。


 呆気に取られたエレニアムに手を差し出し、「くし」と一言。

 慌てた彼女が小箱にしまっていた櫛を差し出すと、『岩』は満足げに笑って――ぐしゃりと、握り潰した。


「えっ」


 これで

    いいの

 です


 と、『岩』は言った。

 彼女にとってこの櫛は、かつては愛すべき日常の象徴であり――今では、憎むべき道具の一つである。

 櫛を買い与えてくれたのは、かつての夫である伊右衛門いえもん

 違う女をめとるために、自分に毒を飲ませた輩だ。即ち、全ての元凶であると言ってもいい。


 ああ――この櫛で髪を梳いた時、毒のせいでと抜け落ちた忌々しい記憶!


 ……そしてそれが、例えばこの世界の人間にな術で辿られたなら。

 それは『岩』にとって死してなおの恥辱である。


 故に彼女は櫛を破壊した。怨霊である『岩』は、異世界あちらならばこれで怨念が浄化され、自分は消えていくのだろう。


 しかしここは彼らの世界ゴルトロック

 どうも消えることはできなかった。

 いや、正確に言えば。できるのだが、しなくともよいらしい。


 ともあれ現界の目的は果たした。

 『岩』はエレニアムの首筋に指を当て、呪痕じゅこんを消すと、そっと姿を消した。


 しばらく経って、エレニアムはぽつりと呟いた。


「……明日の朝からダンジョンに出かけるのは取り止めていいかな!」


§


 翌朝。

 冒険者ギルドに集合した危殆殺しの面々は、エレニアムの呪痕が消え去っていたことに安堵した。


 そして同時に、侯爵家で大量殺人があったことが発覚して大騒ぎになっていた。


「おい聞いたか!」「ああ、ブロキオン侯爵邸で殺人事件が……!」

「侯爵が亡くなったらしいな」「正直、いい気味だって思ってるぜ俺は」

「評判悪かったからな」「カス野郎だよ、アイツは」

「でも、殺したのは誰だろうな?」「あ、知らないのか?」

「あのクソ息子だよ」「靴に水が跳ねたからって、激怒して花屋の娘をズタズタに斬り殺したあのクソ?」

「そのクソだ」「うーん……なら同士討ちってことか?」

「そうだなあ」「カスとクソが出会って消滅した、めでたいな乾杯!」

「かんぱーい!」



 事の次第をちょっとだけ知っているギルド受付嬢セリスティアは胃薬を通常の三倍飲んでいたが、それでも足りないので鎮痛の効能がある薬草を生のまま貪り食っていた。緑の汁が唇から垂れていてちょっと怖い。


「……私は何も知りませんし何も聞いてませんし何も言ってませんよね?」

「はい」「そうだね」「まったく」「それは通じないんじゃない?」


 最後の余計な一言を言ったトランに、セリスティアの両腕がするりと伸びてきゅうきゅうに締め上げた。


「ともあれ。ひとまずダンジョンに潜る必要はないようだ」

「それじゃあ、どうするね? リーダー」

 スプーキーの質問にガラは考え込む。


「……今日は解散だな。私は単独ソロでも可能な定期依頼を引き受ける。銅級になるまでは積極的に仕事をしたいところだ」

「あ、それならボクも参加しまーす。昨日は何もやってなかったし、力を持て余し気味なので」

「どうだろうか、セリスティア」


 ガラの問い掛けにセリスティアはふむ、と受付嬢の顔を取り戻した。

「もちろん。いついかなる時でも鉄級依頼が途切れることなどありません。そうですね、低レベルの魔獣退治をお引き受けいただければいい感じです。なんか、いつもの冒険者たちは、飲んで仕事にならなそうなので」

 つまりガラたちの責任である、ともいえる。


「じゃ、オイラは今日は休むことにするよ。エレニアム、お前もそうしろ」

「えぇー……うーん、でもまあ今日は素直に従っておきます」


 スプーキーの言葉にエレニアムは大人しく従うことにした。彼女は魔術師ギルドへ事態解決したことを知らせに行くことを決める。

 ついでに侯爵家がどうなるのか、貴族としての伝手で調べておくことにした。

 順当に行けば、ここを継承するのは――か、もしくは彼らに連なるどこかの伯爵家あたりだろうな、と彼女はぼんやりと考えた。


§


 鉄級依頼は、元より彼らの戦闘能力に見合ったものではない。

 言うまでもなく、低すぎるという意味でだ。

 ガラは実力的にはまだまだ余裕がある。何しろ戦闘能力においては銀級冒険者複数人を瞬間的に屠れる男なのだ。

 よって魔獣は速やかに退治され、二人は帰途についていた。


「む」

「あ、失敗しましたね」


 繰り返しになるが、ガラは銀級冒険者を超える力を持つ男である。

 ……が、実のところ。としての技量は、まだまだであった。


 一方、トラン・ボルグはどうかというと。戦闘能力においては当然、ガラより劣る。それは本人も悔しいながら認めている。

 だがしかし。幼い頃より野山を駆け巡った経験を持つトランは冒険者としての経験が、ガラより遙かに豊富であった。


「うーん、ガラ先輩の知識は所詮はマニュアル通りのにわか仕込みですねー」

「やめたまえ、こちらの息の根を止めるのはやめたまえ」


 火を付けたまではいいものの、焚火の管理に手間取っていたガラにトランが残酷な一言を言い放った。

 何が残酷かというと、かなり的確な指摘なのが残酷である。


「集めてきたシッタラの枝は脂分が多いんで燃えやすいですが、その分だけ木の精霊が嫌がりやすいです。木の精霊が嫌がりやすいということは、山での冒険活動に支障を来します。寒さもそれほどではないから、今日は抑えめでいきましょう。うーんと、そこの木はもう精霊が居なくなって久しいです。伐採して薪に使いましょう」

「精霊がいるかどうか、よく判別できるな……」


 ガラの言葉に、トランは不思議そうに首を傾げた。

「野山で十年暮らせば、大抵はできますよ? ガラ先輩だって、故郷は山が多かったのでは?」

「確かに、山の多い故郷だったんだがな……」


 人生の大半は父の言う通り、ひたすら剣術修行に励む毎日だった。

 だがそれ故に、身近にあった自然環境を軽視していたのも事実だ。


 何しろ家があり、部屋があり、村があった。

 だから労働をすることもなく、剣術修行に専心することができたのだ。


 大人の村人たちからも可愛がられていた記憶しかない。何もしていないはずなのに無償で育てた野菜を貰い、トラブルがあれば解決してくれた。

 ただ、振り返るとあれはつまり相互互助が望まれていたのだろう。


 ――いつか大人になったら。村を助けてね。

 ……いつか、大人になったら。


「ガラ先輩、どうしました?」

「いや、何でもない。そう言えば……トランの祖父については知っているが、ご両親は?」

「二人とも元気ですよ。父は革職人なので何か注文あれば。お高くしておきますよ」

「そこは安くしたまえ」

「家族の仇ですし……」

「ここで持ってくるのかそれを」

「品質は請け合いますし、オーダーメイドも大丈夫なので! 良い革と良い技術は、生存確率を1(1%)上げますよ」

「それは破格だな」

 ガラの言葉にトランはにんまり笑った。


 剣術の勝負は一瞬の勝負だ。無論、長時間に渡る戦いも数知れないが、それでもやはり、決着は一瞬と言える。


 その一瞬にできるだけ勝ちへの純度を高め、勝利要素を積み上げていくか。

 つまり「負ける」要素を差し引いていくかが重要だ。


 例えば良い革を良い技術で使った鞘に短剣を納めたならば。

 するりと、滑らかに短剣を抜くことで相手の知覚よりも早く投擲できるかもしれない。その短剣が戦いに支障のある傷を残すかもしれない。


 逆に、粗末な革・粗末な技術で仕立て上げられたものならば。

 短剣の投擲は敵になんら害を及ばさず、敵の「勝ち」要素が積み上がる。


 1(1%)生存確率が上がるなら、それはつまり破格だ。

 ガラは余裕ができれば、トランの父親に会いに行こうと思った。


「さて、私は剣の修行に入る。トランは今の内に仮眠を取ってくれ」

「あまり眠くないので、ちょっと見ていていいですか?」

「構わないぞ。どうせ、基本技だけだからな」


 ガラは立ち上がり、倭刀を抜いた。

 ぱちぱちと燃える焚火を背に、ゆるりと動き出す。

 骨、神経、関節、はては表皮。それらがいつもと同じように動くか、確認するかのようにゆったりとした、されど毛筋一本の油断もない動きだった。


 たとえ背後から突然矢が放たれたとしても、たとえトランが手元にある野太刀をそっと抜いて斬りかかったとしても、間違いなく一切を迎え撃つような。


 そんな、油断なき舞踊だった。


§


 翌日、朝。

 ガラとトランが無事に帰還して冒険者ギルドに報告をしている頃。


「王都からエレニアム宛てに遣鴉レタークロウが届いたよ。一等級とはさすがだねぇ」

「ありがとうございます。ギルド長。鴉はあげませんよ」


 遣鴉レタークロウとは魔術で特別契約を結んだ、いわゆる使い魔の一種である。一等級ならば遙か彼方の王都へ僅か一日でメッセージのやりとりを行える。


 エレニアムは自室に鴉を運ぶと、足首にある筒から小さな宝石を取り出した。

 その宝石には、第二級高度暗号術式が施されたメッセージが封じられている。


「暗号開封《QWERTY》」


 暗号開封用のデイリーキーワード(エレニアムは割と適当に決めるタイプである)を唱えると、宝石が光を放った。

 彼女の問い掛け……ブロキオン侯爵家の後を継いでテクステリーを支配する貴族が誰なのか、に対する回答である。


「あ、向こうもビックリしてる。そりゃそうか、私の鴉が最初に知らせただろうし」


 回答者も寝耳に水だったらしく、最初はまずその驚きがあった。

 が、すぐに情報を精査。事実確認ができたらしく、王家は直ちにテクステリーに貴族を派遣する、と確約したらしい。


「えーと……あ、やっぱりバルデカイン公爵閥のジャラシダン伯爵か。無難な線かな。継承式も即やるのか。えーと、継承式は二週間後……天下五剣てんかごけんの一人も、その式に立ち会う……?」


 不思議なことではない。

 国にとって重要な催事に、天下五剣てんかごけんが第三者として立ち会うのは、良くあることだ。

 国にとっても催事にため、大歓迎だろう。


 ただ――

 ただ、ほんの少しだけ、


 エレニアムには、何かが始まって終わりそうな。そんな予感がした。



 ガラ・ラ・レッドフォートは決めていた。

 残り一年でことを。



 目的を果たして死ねば、それで良し。

 道途中でくたばれば、それで良し。

 では目的を果たし、尚且つ生きていたならば?



 ガラ・ラ・レッドフォートは決めていた。


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