特別編 紫に輝(かがよ)う【第4話】

「やれ、驚かせてしまったな」


 御簾の向こうに座す影が、小さくため息を吐いた。次いで「すまなかったなあ」と謝罪してくる。畳の間に平伏した苑は、いえ、と首を横に振った。


 だが、正直なところ、苑はひどく混乱していた。横目で隣を盗み見る。其処だけ、畳が一畳、欠けていた。苑が先ほど、矢を防ぐのに使ってしまったためだ。

 弁償しろ、と命じられるのだろうか。困惑している苑をよそに、皇子は、嫌に重々しい声で「実はな、」と切り出した。


「刺客が現れたのも、私の命が狙われたのも、全ては私が自分で企てたことだ。そなたらを試す、最終試験として、な」

「…………はい?」


 苑は思わず、顔を上げて御簾を見つめた。不敬に当たるが、一の宮は咎めなかった。

 ふふ、と御簾の向こうの影は笑った。「考えてもみるがよい」とのたまう。先ほどまでの重苦しい雰囲気は何処へやら、一転して、楽しげな声色に変わった。


「毎年毎年、同じような試験ではつまらぬだろう。少なくとも、私はつまらぬ。そこでだ、たまには趣向を凝らそうと思ってな。私の食客に頼んで、ひと芝居打ってもらうことにしたのだ。屋根の上で会ったであろう、あれが私の食客だ。……興が乗ったあれに殴られたようだが、怪我はしておらぬか?」


「大丈夫です」と返事をしつつ、苑は、二度、三度と瞬きした。つまり、暁はどういうわけか一の宮の食客で、皇子を狙うふりをした、ということか。

 皇子は、上機嫌な声で続けた。


「試験をどう進めようかとあれこれ考えるうちに、どうせなら、皆を驚かせようと思い付いてなあ。試験官にも近衛にも、何も知らせておかないことにした。……が、おかげで騒ぎになってしまったな。すまなかった。反省しておる」


 ちっとも反省していなさそうだ、と苑は思ったが、さすがに黙っておいた。案の定、皇子は少しだけ声を潜めて「しかし実際、良い訓練になったろう?」と言った。

 苑だけに向けた言葉ではないことは、明白だった。場の空気が凍り付く。

皇子はあくまで、朗らかに喋り続けた。


「私の命を狙う者の存在に、皆が気付くかどうか。気付いたところで、どう反応するか。それが見たかったのだ。……もっとも、矢が放たれるまでは、誰も気付かぬだろうと思っていた。あの矢はな、この御簾の、ほんの少し手前に刺さる手筈になっていたのだ。私は奥に座っておいて、慌てる皆を見物しようと、高を括っていたのだが」

 一の宮が、ふ、と息を漏らす。


「――矢が飛んでくる前に、そなたは気付いた。大したものだ」

「…………身に余るお言葉です」

 苑は深く額突いた。ごそ、と衣擦れの音がする。一の宮が立ち上がり、御簾の際まで歩み寄ってくる気配がした。


「そなた、名は」

「万千田苑閂と申します」

「親しい者には、どう呼ばれておる?」

「…………苑、ですが」


 意図が分からず、訝りながら答える。すると玖矛は、そうか、と弾んだ声で言った。

「では、私もそなたを苑と呼びたい。苑は、私を玖矛と呼んでくれ」


 苑は目を見開いた。皇族を名で呼ぶのは、同じ皇族か側近くらいだ。返事を出来ないでいると、玖矛はまた、笑った。

「そう驚くな。自分で言うのもなんだが、私は酔狂な質でな。気に入った者は名で呼びたい。また、私も名で呼ばれたい。それだけだ」

「――承りました」

 成程、確かに酔狂だ。しかし、印象は悪くない。苑は頷いた。


「では、苑や」

 玖矛が改まった声を出す。苑は、心持ち背筋を伸ばして、御簾の影を窺った。

 玖矛は真っ直ぐに、こちらを見つめているようだった。


「そなたを本日より、秦國の官吏に任ずる。官位はそうだな――――紫紋でどうだ」


 周囲に控えていた試験官や従者たちがざわめく。無理もない。皇族から直接、合格を言い渡されるだけでも異例だというのに――紫紋といえば、官吏の最高位だ。


「く、玖矛様、それは」

 さしもの苑も顔を強張らせたが、玖矛の影はゆったりと首を傾げた。

「何を驚く。此度の襲撃が、真に私を狙った謀殺だったなら、相当の武功であろう? 当然の冠位だ。臆せず受け取るが良い」


 ああ、それから、と玖矛は思い出したように付け加えた。

「そなた、配属を希望する局はあるか? すぐには叶えてやれぬかもしれぬが、私なりに力を尽くそう」

 噂は真だったか。苑は、深く息を吸い込む。

 やや上体を起こし、御簾を見上げた。


「では――――博宝局へ」


「…………なに?」

 玖矛が一瞬、動きを止める。

「理由を問うても構わんか」


 苑はしばし逡巡したが、腹を括る。嘘を吐いても仕方がない。

「鳳晶の手掛けた古い工芸品に、興味があります。……是非、その研究をしたく」

「――――ほう?」

 玖矛の声色が、一段、低くなった気がした。

「相分かった。便宜を図ろう」


 齢十六の冬、苑は鳳晶で初の、紫紋官となった。博宝局専任の局長となったのは、その一年後のことである。


◇ ◇ ◇


「……とまあ、こういうわけだ。どうだ。大して面白くなかったろ」


 紫紋の官位を得たいきさつを話し終えた苑は、軽く首を回した。身じろぎもせずに聞き入っていた鷲は、静かに拳を握る。


「万千田さん。とりあえず、一発殴って良いですか」

「おい、待て。俺は事前に忠告しただろうが。時間を無駄にした、とか何とか、その手の苦情は受け付けんぞ」

「そうじゃなくて! 何が『紫紋の位を賜ったのは、偶々なんだよ』ですか!! きっちり実力で捥ぎ取ってるじゃないですか!」

「偶々だろうが。運が良かっただけで」

「あああああ、やっぱり万千田さんは天才だ……それなのに、俺みたい奴が部下なんて……無理……無理だ……やっぱり無理……」

「おい、水瀬。なにぶつぶつ言ってやがる。おい、戻ってこい。おーい」


 両手で顔を覆い、蹲る鷲の肩を、苑が荒く揺さぶる。鷲は仕方なく上体を起こし、深々とため息を吐いた。

「……話を聞き終えたら、お返しに、俺の試験のときの話もしようと思ってたんですけど、話す気が失せました」

「あ? なんだそりゃ。聞かせろ」

「嫌です」

「ふざけんな。俺は話したってのに」

「それじゃ、勝負しましょう。今度、酒盛りでもして、万千田さんが俺よりたくさん酒を呑めたら、話しますよ。俺の試験話は万千田さんのと違って、酒でも飲んでないと聞いてられないような話なんで」

「……てめえ、いつからそんな性悪になりやがった……」


 上官は、下戸だ。こちらを睥睨してくる青緑の瞳に、鷲は微笑で応じた。「元からですよ」と返しておく。虫干しの恨みが、少しだけ晴れた。

 なおも睨んでくる苑をよそに、鷲は「でも、万千田さん」と言いながら、目の前の床に手を伸ばした。話の途中で、苑が無造作に放ってしまった紫の胸章を拾い上げる。


「そういう御話ならこれ、なおさら大切にしないと駄目ですよ」

「……あ?」


 まだ不貞腐れているのか、上官は仏頂面を向けてくる。鷲は笑って「だって、」と継いだ。

「この胸章、えにしの証みたいなものじゃないですか」

「は?」


 鷲は立ち上がった。訝る苑の脇を抜け、開け放たれたままの半蔀に近付く。柔らかな秋の陽に、紫に輝う胸章を翳した。


「万千田さんと、玖矛様の縁。それから、万千田さんと、暁さんの縁。繋がったり、また結び付いたり。そういう縁の証ですよ、これ」


 上官を振り返る。苑は目を丸くして、虚を突かれたような顔をしていた。しばらく黙った後、こちらに歩み寄ってくる。

「……そう、か」

 かすかに頷いて、苑は手を差し出してきた。その掌へ、鷲は胸章を載せてやる。受け取った胸章と、鷲の顔とを、苑は交互に見比べた。鷲は小首を傾げる。

「なんです?」

「……縁というなら」

「縁というなら?」

「…………いや、何でもない」

「え、ちょっ、言い掛けたなら最後まで言ってくださいよ!」

「今度、茶屋に行ったとき、てめえが俺よりたくさん焼餅を食えたら、話してやらんでもない」

 酒盛りの件を根に持っているのか、上官はそんなことを言ってくる。「そんなあ」と嘆く鷲を黙殺し、苑は胸章を懐に仕舞った。

 鷲は仕方なく「まあ、胸章の大事さが伝わったのなら、それで良いです」と鼻の頭を指で擦った。


「その胸章、着けなくても良いですから、せめてきちんと管理してくださいね。とりあえず、後で軽く拭いて、埃を払っておきましょうか。綺麗にしてから、何処に仕舞うか決めて、それから」

「水瀬」

「はい」

「お前、話を引き延ばそうとしてないか」

「…………」

「残念だったな。今日中に終わらせるぞ。虫干し」


 現実を突き付けられ、鷲はがっくりと項垂れる。しかし、休憩を挟んだおかげで、腰の痛みはやや和らいだ気がする。

 あくまで、気がする、だけだが。

 上官が、半蔀の向こうに広がる高空を見上げる。


「話し込んじまったせいで、陽の向きが変わったな。急ぐぞ」

「……終わったら、何か美味しいものを食べましょうね……」

「もちろんだ。たらふく甘味を食うぞ」


 上官の中ではやはり、美味しいものといえば甘味一択らしい。鷲としては肉を食いたい気分だったが、ひとまず黙っておく。


 鷲は腰を擦りながら、虫干しにする冊子を数冊抱えた。執務室を出ようとして、肝心の上官が、何故か部屋の奥へと取って返していることに気付く。

 どうやら、いつも愛用している文机に、何か置いているらしい。背が邪魔で、手元が見えない。


 訝っている間に、苑はすぐに戻ってきた。右手と左手、それぞれに書籍の塔を積み上げて、さっさと歩き出す。自分が待たせたくせに、こちらを振り返って柳眉をひそめた。


「なに、ぼさっとしてやがる。行くぞ」

 はいはい、と返事をしながら、鷲はそっと、苑の文机を振り返った。


 壁に付けるようにして据えられた上官の机は、いつも資料で埋まっている。今日も、山積みになった紙束や居並ぶ冊子、硯や筆筒で、机上はいっぱいだった。

が、その一角が不自然に空いている。物を無理に除けたらしい。


 ぽっかりと空いた空間に、紫の胸章が、恭しく飾られていた。

 苑が机に座したとき、ちょうど、目に入るように。


 鷲は、肩を揺らして小さく笑った。もう少し机を整理しないと、あれでは大切な胸章が、またすぐに埋もれてしまいそうだ。

「虫干しの次は、執務室の大掃除かな」

 独り言つ。遠くで、水瀬、と呼ぶ声がした。慌てて、鷲は廊下を駆ける。


 紫に輝う胸章が、ちかりと陽を弾いて、苑を追う鷲の背を見送った。



                                紫に輝う(了)

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心獣の守護人 ―秦國博宝局宮廷物語― 羽洞 はる彦/メディアワークス文庫 @mwbunko

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