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木山忍法帖(木山喬鳥)へのコメント一覧 - カクヨム
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応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント


  • 編集済

    イラスト界は半ばそうなってますね。AIアートが溢れ、挿絵も自由にAIアートで描かれる。

    AI小説は、それとして認識して読んだことはないですけど、きっとそれなりにあるんでしょうね。私は書かせてみたことありますが、全然ダメダメで、言葉選びも適当で、その感覚があるから…、AIに書かせてますって人のを選んで読む気にはならないけれど、きっと読んでるんでしょうね(そんな感じのありましたし)。

    絵の場合は六本指になってたり、空間が身体に突っ込んでたり、視覚的に分かりやすいですが、小説の場合どうなんだろ。突飛な描写とか、主語術語が妙にしっくりこない言葉選びとか?

    それ調教するより自分で書いたほうがはやい気も…少なくとも今は

    作者からの返信

    こんにちは。
    いつも丁寧な応援コメントありがとうございます。
    私は、応援コメントへの返信のためにカクヨムやっているタイプなので、お陰様で本来の目的を果たせています。

    さて5話。
    今回は、少し未来の生成AIの予想図ですね。

    思うに。
    〝生存者バイアス〟ってありますよね。
    見落としている事例は、最初から存在してなかったと思う心理。

    もしかしてもしかしたら。
    私たちが〝下手な生成AIの産出物〟だと思っているのはエンドユーザー生成総数のうちの不出来な物だけで。

    サプライ側のIT企業は既にブラインドテストで高精度な小説やイラストを〝生成AI作成〟と明示しないでネットに流して統計取ったりしてそう。
    あと、学術サイドの研究成果の進捗とか知らないのが不安。もう既に技術的に判別不能レベルにあるのかも。

    とか言う、陰謀論を夢想したりしています。
    しかし、いずれは人間が作った作品とAIの全自動生成物は区分されるのでしょう。

    〝手作り〟のタグ分けとかできるんでしょうね。
    「心を込めて手作りした小説です」
    とか言う時代なんでしょうね。

    ともあれ、拙作についてたくさんの考察をしてくれて感謝です。

    重ねて、この度も丁寧な応援コメントをありがとうございました。

  • お邪魔します。

    レビューについては、悩むことがあるのでとても面白く読ませて頂きました。

    応援やレビューについて、
    「作品を面白く思うこと」と、
    「人になにかして貰ったので御礼をすること」
    と、なんだか違う軸が混ざるので、とても混乱することがあるのです。

    作品に向けたものであっても、受け取るのは作家さんですから。

    カクヨムは作品展示場なのか、創作者の社交場なのか、それとも駆け引きと陰謀と綺麗な上辺とエゴが渦巻く魑魅魍魎の地なのか。さて。
    (巻き込まれなければ、見ている分には面白いので最期のやつでもいいんですが)

    ものすごく大量に読んだり、交流の活発な作家さんを見ているとお邪魔にならないように返信のいらないレビューコメントの方が、作品導線にもつながるから最適解では?

    と、一旦は思ってレビューコメント初めてはみたんですが(頂くばかりだったし)
    やはり難しいですね。

    書く方と、読んでレビューをつけられるアカウント名を分けられるサイトもあるのでそれが一番平和なのかも。

    お邪魔しないように、と言いつつ
    気になる話題だったので思わず感想コメントにきてしまいました。


    創作に関しては、感覚だけで書いていて深く思考しないので色々な視点が凄く面白いです。






    作者からの返信

    おはようございます。
    この度もまた丁寧で興味深いコメントありがとうございました

    全く同感です。
    作品が面白くて入れた評価。
    作者へのお返しとして入れた評価。
    違いを自覚しています。
    しかし受け取られる側からは同じなのですよね。

    カクヨムを利用している目的も様々。
    私などはコメント交流が目的なのです。
    気になった際には、何でもお気軽に書き置いていただけたら幸いです。

    そんな活動形態なのものですから、返信往信の繰り返しが多く。
    いずれはその関係の方だけが残る。
    そんな現状となっています。

    私も物を書いてる理由の大きなところは、頭に浮かぶからです。
    書いて終わりにしないとずっと頭に残るからいろいろ支障がある。
    なので書いて終わりとしようとしているのです。
    イタコ型の降りてくる系の書き手なのです。

    それでも書く際には、また色々考えてしまい書いたものの構成等を作為的にしたり、関連資料を引いてくる。
    手間は増え日常に支障はでる。そんな本末転倒ぶりです。
    結局は、書く作業も好きなんだと思います。

    ともあれ、今回のエピソードを好意的に受けとって戴き、考えの深まるご感謝まで戴き感謝です。
    重ねて、この度もまたコメントありがとうございました。

  • 三幕構成、序破急、起承転結(・_・;)

    我が剣巫女は淡々と時系列w

    まあ拙い処女作ですからね
    仕方なし

    牛の首 剣巫女に登場させる時に調べたことを懐かしく思い出しました

    ふと音がする じわりますよね

    知らぬ言葉の持つ響き
    幻想的ですね

    そして源氏物方の散逸話

    輝やく日の宮、巣守、桜人、雲隠れ、なんとも秀逸で想像力を掻き立てられる響き

    水木しげる先生
    いいなあw

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    続けてコメントいただける方は稀なので感謝です。

    本作は名前と内容の関係は、かなり恣意的であるという内容ですね。

    導入に前話の物語の構成の話などしています。
    物語構成は唱えていると、それだけで正しいので助かります。
    正論に加担しているようには、見えますからね。

    後、諸々の話題についても好意的に評してもらってかたじけないです。
    重ねて。この度もコメントありがとうございました。

    編集済
  • 第二話  引かれ者の小唄への応援コメント

    創作論、文章の書き方…読むべきなんでしょうね… 遠回りでも… 読まれたいなら…

    でも…素直じゃないから、読んでも、ん?とか…えーでも?とかw

    学びに素直さを持てない人は上達しないw まあ、私が典型です

    過程が大切。それは確かですが、それが通用するのはまあ学生まで。大人は結果だけですからね。過程がどうあれ、努力がどうあれ。まあそれにそんなことしてる人は山ほどいますしね

    そして小物夏風は今日もスマホをポチポチw

    作者からの返信

    こんにちは。
    この度もまた応援コメントありがとうございます。

    さて二話。
    書き物を巧くこしらえたい方は多いです。
    私も創作論や創作技法の本を読んでいました。
    しかし、特に感銘も受けなかったように思えます。
    読めば文豪になれる本なんてない。
    それだけがわかったように思います。

    ちなみに私の一番好きな〝起承転結〟を伝える技法の例は以下の歌です。

    京都三条の糸屋の娘
    姉は十六、妹は十四、
    諸国諸大名は弓矢で殺す
    糸屋の娘は目で殺す

    書く事と、巧く書く事。
    書いたものが他人に好まれる事。
    これらは、ぜんぜん別の事ですよね。
    とかく、書く事は大変です。

    重ねて。この度もまた応援コメントありがとうございました。

  • 制作者が犯罪者であろうと、慈善家であろうと…

    そうなんですよね。物語が素敵ならば、それは書き手に関係ない…はず…

    でもいま、作者にもコンプラが求められ…タトゥーを入れた歌手は叩かれ…炎上し…

    一方でそれほど面白くないなと思う作品の作者がなぜか謙虚さを失い、これを読んで面白いかどうかが試金石だなどとのたまうw

    ふんぞり返ってるだけで読みに来るのが当たり前と勘違いする

    まあその人にとっては精魂かけて書き上げた作品なのでしょうね

    それでも風化しない物語は確かにあって、いくら年月かけてもまたそこに戻る。

    小説なんてかけまい、書く人を尊敬すると思ってた無能の人が、なぜか身の程知らずにも駄作を書いてたりして… あ、私かw

    などとつらつら思ってみたりして

    作者からの返信

    こんにちは。
    この度もまた応援コメントありがとうございます。休日の憩いとなっています。

    さて一話。

    作者の為人と、作品。
    関連性を求める方、多いです。
    明治大正昭和の有名な小説家で、良くないことした人多いのに。

    でも人間って、そんな理屈とかでは割り切れないから〝坊主憎けりゃ袈裟まで憎し〟って心持ちになるのでしょうね。

    自分の知らない所で自分が憎まれていることもある。
    そんな場合も想定していないと対応を誤るのがネット投稿なのでしょうし。
    面倒なことです。

    私見ですが。誰にも良い顔して当たり障りない作品なりコメントなりは、つまらないとも思うのですが。

    知らずに他人様を傷つけたらしい経験が私にもあるのです。
    言い放しではなく確認なりフォローなりにも留意すべきなのでしょうね。

    重ねて。この度もまた応援コメントありがとうございました。

  • 確かに。お礼的なことをすると自分が死んじゃう病。あるいはなぜか、自分の作品が超絶魅力があり、一度でも呼び込めば読んでくれるはず病に罹患してる方は多いですね。自信満々でうらやましいです。

    作者からの返信

    こんばんは。
    この度は、応援コメントをありがとうございます。

    さて四話。
    夏風さんの言われる通り、カクヨムの書き手の方も色んなタイプがいますね。
    みなさん各人各様に、自分のルールを持っているようです。

    それが美意識なり、信条なり、自己顕示欲のために設けられていたら良いのですが。
    〝誰かが得するぐらいなら自分が損しても妨害したい〟とか。
    なにを求めているのが、よくわからない。
    そんなヤバめな方もいるようです。

    また、これも夏風さんの言われたように。
    自身の作品の出来に過剰に思い入れて行動する方もいます。
    これは物を作る方の矜持としては良い事だとも思うのです。
    ただし。
    傍目には、その思い込みが先々に作者自身を苛む事になりはすまいかと思ったりもします。

    つらつら書き綴りましたが。
    およそ投稿サイトでの活動など、ほとんどの方が十年も経たずに終えると言います。

    成功しても失敗しても気が済んでも後悔しても、それは僅かな間の逍遥に等しいことと思うのです。

    重ねて、この度はコメントありがとうございました。

  • レビューへのお礼機能も欲しいなぁと思っていたので目から鱗でした。
    言われてみれば確かに、レビューってそもそも作者宛てのものじゃありませんね。私も完全に書き手目線でしか考えていませんでした。

    しかし、それでも言いたいッ……!!
    レビューしてくれた親切な方にお礼を言いたいッ……!!
    個人的には近況ノートのコメント返信機能もあったら嬉しいですね。

    作者からの返信

    いつも、コメントありがとうございます。

    単純ですが、今更ながら読んでもらって反応まで戴くことは、やっぱり嬉しいものです。

    さて四話。

    レビューへの考察を好意的に受け取って頂き、嬉しく思いました。

    あの考えを敷衍すると。
    カクヨムは書き手と書き手を繋げたいわけじゃない。
    書き手と読み手を繋げたいのだと思います。

    それはつまり。
    反応する読み手をカクヨムに増やしたいのでしょう。
    ただ読むだけでなく作者へ働きかける読者です。

    この、企図の意味するところは。
    カクヨム内の作品を読んでネット書籍を購買する読み手の層を作りたいのかもしれません。収益を生む読者層の育成と囲い込みです。

    上記のことは、おそらく私の妄想でしょう。
    ただ〝カクヨムオンリー〟のタグや。
    インセンティブを払ってまで書き手定着を図るのですから、あらぬ事をついつい考えてしまいます。

    後は、そうそう。
    私も単純に近況ノートの返信機能は欲しいです。

    重ねて。この度も、コメントやレビューをありがとうございました。

  • 作者の視点から見た駅の落書きのエピソードがユーモラスで親しみやすく、読者を引き込みます。
    また、自身の創作を「王様」に例え、物語を書くことの孤独や自己満足感を鋭く表現しているのが印象的でした。
    さらにAIによる物語創作の未来予想がリアルで示唆に富み、時代の変化を見据えた深い洞察も感じられます。
    全体的に個人的な思考と社会の変化を絡めた、考えさせられるエッセイでした。
    すごく面白かったです。
    一気読みしちゃいました。

    作者からの返信

    おはようございます。
    いつもコメントありがとうございます。

    この度は丁寧で的確なレビューもいただき、恐縮です。

    お盆休みなのに特にすることもなかったのですが、お陰さまでコメント返信を楽しんでおります

    さて五話。

    鋭い洞察です。
    そういう構成でした。
    変な語り口でしたが、なかこごろひつきさんに好意的に受け取っていただけたようで何よりです。

    思うに。
    生成AIのある時代の創作趣味は大変だと思います。自分で作る意味が問われます。

    ともあれ。この度もコメントありがとうごさいました。

  • 日常の些末な観察(落書き)から、個人的な創作活動、さらには社会全体の未来像へと、スムーズかつ自然に話がスライドしていく。緩やかに広がっていく視点が、読者を引き込む魅力となっていますね。

    作者からの返信

    おはようございます。
    いつもコメントありがとうごさいます。
    この度は、とても良いレビューまでいただき恐縮です。

    法王院さんのレビューは丁寧に書かれていて主題が的確です。
    言葉選びも適切で、巧いと思うばかりです。学ぶことが多いのです。
    書いていただいて感謝です。

    さて五話。

    振り返ると、このエッセイって幾つかの個々の話を繋げていたのでした。
    最近書いてないから忘れていました。

    私のエッセイは、ただの思いつきをそのまま書いているので、単調にならないように色々付け足しているようにも思えます。

    法王院さんにそこの辺りを好意的に汲んでもらえているようで、胸を撫で下ろしているものです。

    しかし。読み手を飽きさせないようにするのは難しいです。どうすれば適切なのか、わからないです。いまだに。

    ともあれ。
    重ねて、この度もコメントやレビューをありがとうごさいました。

  • 「他人にレビューをしない人」の心理や、「評価のゼロサムゲーム化」への警鐘を鳴らしながらも、筆者はそれらを断罪せず、「そういう人もいる」という一歩引いた視点で捉えている。これは単なる善悪二元論に陥らない賢さと誠実さの証ですね。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうごさいます。
    コメントだけが夏の厭わしい勤務の息抜きとなっております。助かります。

    さて四話。

    ご明察です。法王院優希さん。

    私は善人でもないし、世界公正仮説にとりつかれているわけでもないので、カクヨム内での悪い行いやズルい行動も眺める分には楽しく見ております。悪も枯れ木の山の賑わいなのです。

    実際。色々な手口を見ると〝熱意がすごい〟としか思えないのです。
    人の熱意は良かれ悪しかれ他者を引きつけますよね。
    要は野次馬根性なのでしょうね。

    コメントで法王院さんに賢いとか誠実とか書いていただいて、ありがたくも面目もないし、身の置きどころがないのです。

    ともあれ。
    重ねて、コメントありがとうございました

  • 「牛の首」や「小豆洗い」、「絵本百物語」、さらには「源氏物語の散逸巻」など、日本の文化的教養に根ざした例を豊富に織り交ぜている点が良い。それらの引用が単なる知識の披露に終わらず、エッセイの主題に沿って的確に機能している点に、筆者の知的センスが光りますね。

    作者からの返信

    おはようございます。
    いつもコメントありがとうごさいます。

    取っ掛かりのない漫然とした日々の後押しになるのはコメントくらいにものなので助かります。

    さて三話。

    本編を好意的に受け取ってくださり恐縮です。
    私の場合ですが。
    エッセイは、ただ思ったことや考えたことを書いているだけなのです。

    終始、私の適当な思いつきを読まされる方には、さすがに気がとがめます。
    なので、関連する確からしい情報を差し込めるときは、載せるようにしている次第なのです。

    まともな事柄もないと、読み心地が良くないかなと思ったものです。
    それで、今回は、たまたま関わる情報が割とあったわけです。
    〝筆者の知的センスが光りますね。〟とか過分なお言葉を記されると、お心遣いとは知りつつも、冷汗三斗なのです。

    重ねて。この度もコメントありがとうごさいました。

    編集済
  • 第二話  引かれ者の小唄への応援コメント

    「努力しない人は甘え」という社会通念に対し、筆者は真正面から「できないものはできない」と言い切る。それを単なる居直りではなく、「だからこそ価値のないものに価値を見たい」と結ぶことで、「弱さにしか書けないもの」を肯定する文学的倫理に昇華していますね。

    作者からの返信

    この度もまた、コメントありがとうごさいます。

    〝文学的倫理に昇華していますね〟の部分は法王院さんのお心遣いとしても。

    この法王院さんのコメント。
    的確で簡潔に、私がこの回で言いたいことをまとまられています。おののいております。
    この要約で良いです。本文、いらないです。

    私は元来。物を書くことに優勝劣敗な考えを持ち込む書き手の方が、苦手なのです。 

    選別は読者様側のやることだと思うのです。書くものが書く時に、他の作品と比べて良くやってやろう。他の誰々の何々とは違うようにしよう。
    頑張って上手くやって、どこそこから高評価を取ってやろう。
    などと娑婆気満々なのは────精々好きにすれば良いにしても。

    せめて口に出さないで欲しいと思う手合いなのです。めんどうで申し訳ないですが。
    そんな厄介な者なので、こんな話を書くハメになるわけです。

    というわけで。
    重ねて、この度もコメントありがとうごさいました。

  • 「あなたが好きになったその物語は、いつも変わらず、あなたを楽しませてくれる」——この結論は、作品論としてというより、「心に住む記憶」への賛歌。読者を包み込むような余韻があり、心にしっかりと残る締めくくりになっていますね。

    作者からの返信

    この度は、コメントありがとうございます。

    本作の内容、肯定的に受け止めていただき恐縮です。ほんとうに。

    本作は物語を受け取る時のことを考えて書いたものでした。

    少し感情的な筆致だったのかもしれません。
    その時はそう思ったという次第です。

    重ねて。この度は、コメントをありがとうごさいました。

  • >朝な夕なに仏壇の前で〝三幕構成、序破急、起承転結〟と唱なえてます

     素晴らしい。その心掛けさえあれば、いつかは大作家に! →私は最近、交流のある作家さんから、99歳で最高齢の作家デビューを果たそうと約束した事がありました。
     それだけ続けられたら、何か良い事があるのかな?

    作者からの返信

    続けてのコメントありがとうございます。
    またレビューまでいただき、かたじけないです。

    そしてすいません。ウソついてました。
    唱えていません。
    ちょっと良く思われたくて書きました。

    大作家は、ちょっとピンと来ないですが身体の大きな作家にはなりたいですね。
    もはや横方向にしか大きくなれないので、これも格好良くはならなさそうです……普通に書いていけたら良いですね。やっぱり。

    でもなにかの意欲を持つのは大切です。
    私も、なんとかしてもっと上手く物語を書けらるようになりたいものです。

    重ねてこの度も、コメントありがとうごさいました。

    編集済
  • 個人の心に居場所を持ってしまった物語は、ずっと変わらない……なんと力強いフレーズでしょうか。確かに私が愛した作品たちは、今も色褪せることなく、この心に刻まれております。そこに他者からの評価や数字は関係ありませんね。作り手としても、すごくパワーをもらえるエッセイでした。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。

    今回もまた、桐山さんのコメントには舌を巻きました。
    的確に要点を突かれているのです。

    言葉にすると、あたりまえのことだけど理由を考えるとややこしい事柄があります。

    〝なぜ好きな作品は色褪せないのか〟

    この問題はなかなかに奥が深いように思います。
    人は自分が思うよりも世間の多数の意見に流されます。
    人の求める原理であるところの真偽や美醜や善悪も案外と多数の人がそう思う方になる。
    それが普通のことです。

    価値観は、時代や地域集団の雰囲気に影響されるものです。
    それを外れて自分のお気に入りとなったものは、ただの商品ではなくなる。
    そんな気持ちです。エッセイに書いたのは。

    桐山さんは、それを書き手側からも見ている。素晴らしいです。

    桐山さんのコメントのお陰で、自分もまたこのエッセイの考えに入れました。感謝です。

    重ねて。この度もまた、コメントありがとうございました。

    編集済
  • なる程…もっと早く拝読してたら良かった。
    忍術の話か異世界モノだと思っていましたw

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。

    続けて複数のコメントをいただき恐縮です。
    私の方は妙に時間が取れずにご無沙汰し、忸怩たる思いです。

    さて、本編。

    あー。やはりそうですよね。
    私はネーミングセンスが壊滅的なのです。
    内容がわからないタイトルはダメですね。
    もはや変えられませんが。

    ともかく。ご覧になってもらえてありがたいです。
    重ねて。
    コメントありがとうございます。

  • 夏おこじょ数………。夢に出そう。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    一作に複数のコメント、かたじけないです。

    さて本話。

    〝夏おこじょ数〟
    書いた自身でも想像も見当もまったくつかない事象、巨大数を取り上げたものでした。
    世の中には、賢い人がいるものです。

    重ねて、この度もコメントありがとうございました。

  • 第二話  引かれ者の小唄への応援コメント

    作品フォローさせて頂いただけなのに、先ほどは覗きに来て頂いたようで、ありがとうございます。

    創作論、お堅い言葉は頭がこんがらがってしまいます。
    そりゃ評価される事は嬉しいんですけれど、好きを好きと言って、それを人と共有できるのが一番かな、と思っているのです。
    まあそれは、まだ趣味の範囲でやっているだけだからなのでしょうけれど。
    いろんな考えがあるんだなぁ…と感心しながら読ませて頂いています。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    驚かせたならば失礼しました。
    そのとき、たまたまそのときにスマホを見ていたため、比較的早く対応したものです。

    特に意味はありませんのでご安心ください。

    さて。本作。
    私の世迷い言ですね。
    なんとなくモヤッとした事柄を抑制もせずに書いた。
    そんなエッセイです。

    創作論とか目標を決めてそれを達成する。
    そのためには……

    めんどくさいです。
    立派なことや、ちゃんとした事柄を建て前として述べるのは実生活だけで充分。

    そんなふうに思ってたような気もします。

    雲霓藍梨さんにはきちんと読み取っていただけたようで胸を撫で下ろしています。

    重ねてこの度は、コメントありがとうございました。

    編集済

  • 編集済

    コメント失礼致します!

    AIの生成した物語の方が面白いと思える世界、読み手としてはそちらの方が良いですね!
    しかし、書き手としてはなんとも悲しい世界に……(;^ω^)
    それとも、「AIに勝てない!悔しい!」という悲劇や「俺、人間だけどAIに転生してAI界で無双する」みたいなコメディが大量生産されるのでしょうか!?←あまり変化のない未来描写で申し訳ございません(^_^;)

    友部正人の曲を聴いてみました!
    「王国はいつも王様の入っていけないところにある」
    すごく深い言葉だと感じ入りました(*^^*)
    AIと人間に置き換えれば、
    「AIはいつも人間の入っていけないところにある」
    と言えるかもしれませんね。
    孤独や無力感と捉えるか、はたまた人間の独自性の可能性と捉えるか……後者はだいぶ楽観的ですが(^^ゞ

    ところで、私は「一本道」ばかり聴いていた素人でしたので、もっと友部正人の曲を色々と聴いてみようかと思いました!

    ありがとうございました!

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。

    丁寧に言葉を紡いで、感想を述べるファラドゥンガさんのコメント。
    毎回感謝しつつ楽しく拝読させてもらっています。

    さて五話。

    戦争ってあるじゃないですか。
    あれの奪うものは、土地、人命、財産、宗教、国語、とか色々あるのです。

    そのなかに文化というものもあって。
    文化活動の禁止とか、文化財の収奪などがあるのです。

    このままAIが進歩し活用されたら、きっと人間だけの文化活動は古典芸能となります。

    これは〝ひとつの文化形式の外周に新たな文化形式が生まれたら最初の文化形式は芸術と呼ばれる〟(意訳)
    というマクルーハン理論にも見て取れます。

    往々にして過渡期というものは〝ゆるり〟と浸透して、完全に世間の様相が変わってから多くの人は気がつくものです。

    私は元々、絵を描いていたのですが。
    作画がデジタル主流となったときに〝デジタル機器を使ってしか絵が描けない〟層が形成されたのです。
    現在はAIでしか絵が描けないAI絵師がたくさんいます。

    これはおそらく文字書きの文化にも顕著になると思います。
    五話はそんな潮目の感慨を描いたエッセイなのです。

    そして表題となった楽曲まで聴かれるとは。
    軽く驚愕しています。
    私もそんなに詳しくないのですが、夕暮れの路上であの曲を聴いてペーソスに溢れてしまい、色々あの歌手の曲を聴いた過去がありました。

    さてエッセイ周辺の事柄を長々と書いて失礼しました。
    今回はこれにて失礼します。

    重ねてこの度もコメントありがとうございました。

  • コメントを失礼致します。

    名称とその中身……とても考えさせられました!
    コメディを書こうと思い立った頃、先ずは変な単語を含めた一文から物語を書き始めよう、と試したことがありました。
    結局、ヘンテコな名称をもつモノ(あるいは生物)の説明だけで終わってしまい、物語が生まれないままに没にしてしまいましたが…(^^ゞ

    本章を拝読し、あの頃の失敗は不確かなモノの設定・説明に終始してしまったのだと気付かされました。
    説明なんて後でも良い、その「モノ」がどのように使われたり生きていたりするのか、先ずはどんどんと物語を進めていけば良いんだ、と己の未熟さを改めることができました!

    ありがとうございます!

    作者からの返信

    あ〝コメント失礼します〟だ。
    私も、この言葉からはいります。
    このタイプ少ないので親近感わきます。

    さてまずは。
    いつもコメントありがとうございます。

    〝コメディを書こうと思い立った頃、先ずは変な単語を含めた一文から物語を書き始めよう、と試したことがありました〟(コメント引用)

    ファラドゥンガさんのコメントのこの一文の様子が、もうすでに可笑しいのです。
    面白そうです。なんだろう〝変な単語〟

    道具としての言葉の機能の話ですね。
    言語学です。たぶん。
    よくわかりませんけど。

    かように、書いた本人は理解がぼんやりしています。
    しかし、読む方がその理解力で良いものを掴む。
    これも読書の妙味ですね。
    読む方に丸投げですけど。

    ともあれ。
    重ねてこの度もコメントありがとうございました。


  • 編集済

    「書いた人は自分の落書きを見直さないんでしょうね。」
    正にそのような体験をしたばかりです。

    「おい、アサカナ(私です)!○○さん(小説の登場人物)に変なことさせるなよ!w」

    応援コメントにこんなことを書かれました。
    その場では怒りをこらえて冷静に返信したのですが、これはキチンと言っておかねばならぬと近況ノートで書き手の名前を出さずに怒りを表明したら、その書き手は性懲りもなくまた当該作品にコメントを寄せました。

    自分の落書きを見直さない人間がいました。

    私は相手の近況ノートに抗議のコメントを書きました。言い方が失礼であることを指摘し、また応援コメントで展開に口を出すのはルール違反であることを率直な言葉で伝えました。
    それ以来相手からのコメントはなくなりました。

    まだ怒りは残りますが、この出来事を短歌に詠み、カクヨム短歌賞に応募しました。

    ところでAIについてですが、人間はそう簡単にAIに屈しないと思っています。

    私たちには喜怒哀楽する力があり、それをAIは持ちませんから。

    作者からの返信

    亜咲さんお久しぶりです。
    そして、ご無沙汰しております。
    恐縮です。

    今回の亜咲さんのコメントも面白く興味深いものでした。
    前段の落書きと後段の無邪気な王様の下りの関連性に着目される。
    さすがの洞察力です。

    お話のなかで書かれていた。
    弁えない行動をされていた方にきちんと話をつけに行く話。心をひかれました。
    亜咲さんの行動力、良いです。
    私のなかの亜咲さんのイメージ通りです。

    間違いを間違いと言うことは、大事です。
    それは〝ニーメラーの警句〟が示していますよね。

    しかも。
    〝この出来事を短歌に詠み、カクヨム短歌賞に応募しました〟
    お強い。そして、微笑ましい。
    制作者は、こうでなくては。

    一方、私といえば余暇時間がなかなかとれず、なじみの方たちの最近の作品を読みに伺うこともままならない有り様です。

    亜咲さんのような事例があっても、時間がないから、通り一遍のコメントで放置ですね。たぶん。

    その時間をきちんとしたコメント返信とか自作の制作時間に回したい現状なのです。
    社会人の遊び時間の少なさが、嫌ですね。
    ほとんど、なにもできないです。

    あとAI。
    〝人間はそう簡単にAIに屈しないと思っています。
    映画「ターミネーター」のレジスタンスかと思いました。
    そうあるべきです。
    私もそうなって欲しいと思います。

    〝私たちには喜怒哀楽する力があり、それをAIは持ちませんから〟

    「パンセ」の中のパスカルの言葉かと思いました。
    喜怒哀楽。よく言われます。
    ここから導かれるのは────

    喜怒哀楽の感情から生まれた人間の文章と、それを模倣したAIの文章を人間は分別できるか。
    そんな疑問です。

    お言葉を返すようで心苦しいのですが。
    私は懐疑的です。

    人間の書き手は高い意識を持って、作品を作ると仮定します。
    しかし、それを受ける読み手は、どうでしょうか。

    きちんと読解せず、弁えない行動をされていた方を亜咲さんご自身がお知らせくださいました。

    私は、自身を振り返りっても良い読み手であるとは思えません。
    AIでも面白ければ、きっと読んでしまいますし。
    AI制作だと言われなければ、たぶんわからないし。

    例えばカクヨム。
    多く読まれている作品は一定のパターンの物語だと多くの指摘があります。
    概観としては再生産、再々生産物のように思われます。
    おおよそAIにて代替可能だとも考えられます。

    人間の読解力の程度。
    多くの人間に好まれる固定した傾向。

    たった二つの要素から敷衍しても、AIの隆盛はほとんど避けがたいこと。
    私は、そう思っています。嫌ですけど。

    そんな次第でAI制作物は嫌だけど、今後の主流となる可能性が高いように思われるのです。

    もちろん亜咲さんのご意見は大好きです。
    気持としては賛同したいです。
    これかもAIには屈しない。
    そう言っていて欲しいものです。

    返信をご不快に思われたなら、申し訳ありません。
    適当に流すことのほうが、亜咲さんには失礼かと思いましたので私見を記した次第です。

    重ねて、この度はコメントありがとうございました。寄っていただけて、嬉しかったです。

    編集済
  • やっぱり、どこか 忍者っぽい。楽しい。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    コメントくれた方へ、作者からお花をあげるられるシステムがカクヨムに実装されると良いと思います。

    さて四話。

    そうですね。
    私が忍者の末裔なので、にじみ出てしまうテイストですよね。嘘です。虚言でございます。

    ただ忍者が好きなので、本作のありとあらゆる所に忍者が潜んでいるような雰囲気が出ていれば、本望です。
    楽しんでいただけたようでなによりです。

    重ねて。この度もまたコメントありがとうございました。
    ニンニン。

  • ご無沙汰してます。

    木山喬鳥さんのレビューコメントは、いつも最高!それに、独特のスタイルがあって、すぐに「あっ!木山さんのレビュコメだ!」って分かりますもん。

    私の『量子と精神』に書いてくださったレビュコメなんて、本当に最高でした!

    最初に第4話までは"デコイ"である、と書いてくださって、暗にガマンして第5話までまぁ、いいから読み進めてみな!とこれからの読者に教えてくださりつつ、ネタバレはしない完璧なものでした。木山さんスタイルで、目立つ表題だったし😊。

    そう、私も、ただ星やハート押すだけじゃなくて、こうした語り合うとか、感想を聞くとか、そういうのが楽しいと思うんですよね。

    我々はカク&ヨムの人たちだから、文字を介してこそだと思います。

    なので、本チャプターには100%、激しく同意いたします😊!

    これからもよろしくお願いします!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    こちらこそ、ご無沙汰しております。
    そしてコメント返信が遅れ、失礼しました。

    かように最近、日常が忙しく。カクヨム上で不義理な事も多く、冷汗三斗の日々なのです。

    さて。
    この度、私のレビューへの好意的な御言葉をいただき感謝及び恐縮です。

    おそらく、たまたま青山さんへのコメントの出来が良かったのではないでしょうか。
    それはとりも直さず、青山さんの作品の訴求力が素晴らしいためです。
    徳が徳を呼ぶということでしょう。

    ともあれ。最近の青山さんの作品への評価や応援を拝見するだに、当然だと思われました。ご盛況でなによりです。
    私も余暇が増え次第、またきちんと伺いたいと思います。

    また本話への好意的な賛同も感謝です。
    雑感ではありますが、強硬に否定されないと安心します。
    もっとも。そんな人、そうはいないのでしょうけれども。

    重ねて。この度はまたこちらに寄っていただき、嬉しいことでした。
    その上、コメントまでいただきありがとうございました。

  •  こんにちは。お邪魔しております。
     ……困った王様の居なくなった未来、そう遠くない内にやってきそうで怖い……。
     木山様の書かれるエッセイを拝読すると、なんか、こう……脳が活性化するというか……うまくお伝え出来なくてもどかしいですが。ありきたりな感想で申し訳ありませんが、とても面白いです!

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    毎回のことですが、わかり難くてほんとうに失礼しました。

    先ずはこの回の後半。風刺文です。

    〝王様〟の話までが通常の文で
    〝AIの未来〟からはアイロニーなのです。

    私はどんな未来であっても見たいと思っています。
    でもやはり、人の遊ぶ余地がなくなる未来は困るんじゃないかな、とは思うのです。

    それで小説周辺の〝あるべきでない〟未来についての感想として、この回の話を書いた訳なのです。

    きちんとした商業作品の小説だけが、読む者の需要じゃないというのは小説投稿サイトで示されていると思います。

    素人文には素人文ならではの妙味や熱量があるものです。

    未来の選択的な可能性の問題ですが。
    この投稿の場所が先ず変わるハズです。
    そして、おのずから商業出版分野も変わることでしょう。

    さらに継続して推測した根拠のない予想ではありますが。
    やがて娯楽としての読書の分野では、読者と生成AIだけで完結する、そんな事が起きる状況も考えられますね。

    ────という話を書いたつもりなのです。
    アイロニカルに。

    元々の性格がひねくれている上に、文の書き方が拙いために、やなりわかり難くなっていると思います。失礼しました。

    それでも、好意的にコメントをまとめてくれる遠部さん。良い人です。
    多くの人に親しまれる所以ですね。


    重ねて、この度もまたコメントありがとうございました。


    編集済
  • 今回は随分と物悲しいエッセイでしたね。

    >そして人がいなくなった小説投稿サイトは
    >AIばかりになるでしょう。
    >AIがAIと交流するのです。
    >AIが介在する世界では、誰もが形ばかりの人との交流に煩わされない。
    >素晴らしい世界になるのです。

    特にここは、なんとも切ないですね。
    終末願望にでも目覚めたのかと思いましたよ。

    かくいう自分も、小説はともかく、現実にはうんざりしているので、最近しょっちゅうこんな世の中滅びてしまわないかな、と思っています。
    特に政治家や老害化した年寄りを見ていると、一層そう思います。
    まあ、自分もその老害の一人なんですけどね。

    自分は後10年程で寿命を迎えるでしょうから、十分に生きたと思っているし、残りの人生の暇つぶしに小説を書いてるようなもんです。
    不謹慎にも、人生の最後に〇戦争で人類が滅びる様を見ながら死にたいと思う時があります。(削除されるかな?)

    それは極端にしても、自分を含めた60歳以上の人間が居なくなれば、世の中はもう少しマシになるのかな、とも思います。
    それこそ、政治なんてAIにやらせた方がずっとマシなんじゃね、と思います。

    まあ、そんな事を考えるのは、自分が歳を取ったからなんでしょうね。
    がんじがらめの状態で何十年もサラリーマンなんてやっていると、他人への思いやりなんてこれっぽっちも無くなって、別に目の前で誰が死んでもいいや、と思う時が多々あります。

    周りにいる同年代の人を見ていると、口にはしないけれど、同じような事を考えているんだなと思う事が多いです。
    そう感じた時、世の中終わってるよな、と思います。
    自分の小さな視点と狭い視野で世の中を見ているので、そう思うのかもしれませんけど。
    救いがないですね。

    自分はアニメの視聴が好きで、ニコニコ動画で視聴者のコメントを見ながら見ています。
    視聴者の大半は若者なんでしょうけど、コメントを通して楽しそうに視聴しているのを見ると、若者の熱気は今も昔も変わっていないんだなと、安心します。

    自分の若い頃はニコニコ動画なんて無いので、多くの人と交流しながら見ることなんてなかったけれど、たまに友達と一緒に好きなアニメを見たりしました。
    一緒に泣いたり笑ったり、感動して盛り上がったりして、そのまま徹夜でアニメについて語る事もありました。とても楽しく充実した時間を送りました。
    その時は世の中の事とか政治の事なんかどうでもよくて、そんな楽しい時間が永遠に続くものだと思っていました。

    人は基本的に思いを共有したい生き物だと思います。
    喜びも悲しみも共有してくれる相手がいる事に、何よりの幸せを感じるのだと思います。
    人にこの気持ちがある限り、AIでは及ばない世界があると信じます。

    >AIが介在する世界では、誰もが形ばかりの人との交流に煩わされない。

    木山さんが一番危惧しているのは、この部分ではないでしょうか。
    通り一遍の挨拶程度にしか関わらない交流を憂いているように思います。
    違っていたらごめんなさい。

    多分、誰もがあと一歩踏み出したいのだと思うけど、そのハードルは高いんでしょうね。
    言葉を文章にするのは容易だけど、その言葉は発し方受け取り方によっては凶器となる。下手にこじらせてトラブルになると大変ですからね。

    若い時は、そのハードルが低いように思います。
    感情的になりやすいけれど、自我に柔軟性があるので、上手く対応できるように思います。

    逆に歳を取ると、確立した自我が強固になって他人の意見を受け入れづらくなるように思います。
    意固地になって、他人の意見を鬱陶しいものとして排除しようとするようになる傾向が強くなると思います。
    老害ですね。

    でも、それは殆どの人に共通する歳の取り方のように思います。
    若い頃は仲の良かったグループやバンドも、歳を取ると解散したり離れ離れになっていきます。
    人は歳を取るほどに孤立していくものだと、最近はよく思います。
    そして、それは避けられないものだと。

    そんな年寄りにこそAIが必要で、上手く寄り添ってくれたらと思います。
    老人を受け入れ理解してくれるAI、強いては肉体を持ったアンドロイドとなり、老人に寄り添ってくれるなら、もう少しはマシな世の中になるのかなと想像します。


    と、何やら趣旨から離れた取り留めのないものを書いてしまいました。
    それなりにぶっちゃけて、危ないことも書いてしまいました。
    そぐわなかったり、気分を害したのなら削除しますので、よろしくお願いします。

    それでは、また

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。

    先ずは────
    申し訳ありません。
    わかりにくくて。
    力量不足でした。

    私は厭世観に取り憑かれたわけでもなく。
    終末思想なわけでもないのです。
    それほど真面目な人間ではないのです。
    無路地へいくまでの暇つぶしに息しているような人間なのです。私は。

    この回。これは皮肉文です。風刺文です。

    英国系のアイルランド人作家ジョナサン・スウィフトが1729年に発表した『アイルランドの貧民の子供たちが両親及び国の負担となることを防ぎ、国家社会の有益なる存在たらしめるための穏健なる提案』と題する諷刺文書みたいなものです。

    ネット小説に関わる業界が文章生成AIの野放図な発達を放置すれは、現在の収益構造はいずれ破綻する可能性が高い。

    よしんばそれは良いとして。
    ネット小説のプラットフォームの斜陽化はネット小説投稿を楽しみにしている微力な趣味の者たちが消えることをも意味するという趣旨でした。

    せめてあと10年はネット投稿サイトは現状維持して欲しいのですが……怪しいものです。

    それはそうと。
    時空震さんの現状への心情を綴られた文章は熱量が高くて興味深く拝読しました。

    私はとにかく熱量のある文章が好きなのです。

    そして、時空震さんの応援コメントは熱量だけでなく、真情があります。

    飾り気もなく気負いも衒いなく、ただ憤ることを書く。
    かつて自分が浸った愉しみを伝える。
    実に素晴らしいと思います。

    私の捻くれ弄れた文なんかより、よほどエッセイらしいです。

    しかし、この文を私に読ませるだけとは惜しいものです。

    時空震さんのエッセイはきっと熱いものになるかと思います。
    なにかの折に気が向かれたらエッセイを執筆
    されるのも宜しいのではないかと思います。
    むろん、そんなことに興味はないかもですが。

    不用意に長くなりました。
    今回はこれにて失礼します。

    重ねて、今回もまたコメントありがとうございました。

    編集済

  • 編集済

    木山先生の文章には、ユーモアの中にどこか切なさが溶け込んでいて、やはり唯一無二の魅力がありますね。「王様」というたとえも、とても的確で、思わず頷きながらも胸が締めつけられるような思いになりました。

    AIが当たり前の存在になってきた今だからこそ、人の手で紡がれた言葉と出会える時間が、より一層貴重で愛おしく感じられるようになりました。

    将来や未来のことばかり考えて不安になっていた私ですが、皮肉にもAIの進化のおかげで「今」を大切にすることを、より意識できるようになったように思います。

    地球滅亡論に支配された民衆の言論を統制するため、一切の発言ができなくなるか、AIが間に入ってもらうことで、わずかながらでも自由意志を発信できる環境を望むか、究極の選択なのかもしれませんね。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    またこの度はレビューコメントまでいただき感謝です。

    そしてこの悠鬼さんのレビューの文章。
    これは万感胸に迫るものがあります。

    私などが判じることではないですが。
    悠鬼さんのレビューの文章は普通ではない水準にあると思っています。

    もしも作品ジャンルにレビューがあるとしたら群を抜いた作家は悠鬼さんでしょう。
    他に類を見ない完成度だからです。
    余人には、とても真似できないと思います。

    誠実な言葉選びと書いた者への寄り添い。
    作品への堅固な肯定。そして細やかな感想。

    なによりそれらが、ただの技巧ではない。
    心情の発露としての表現なのだと感じます。
    少しレビューを引用させていただきます。

    〝懐かしさのなかに滑稽さがあり、笑いの裏にどこかひんやりとした孤独が顔をのぞかせる。誰かに届くことを願いつつも、誰にも届かないかもしれないという現実に向き合う創作の姿〟

    珠玉すぎます。
    拙作のレビューだから唸るというだけではないのです。
    他所様へのレビューを読んでいても引用したくなる言い回しが多いのです。

    私はレビューというものは作者のために書くものではないという立場です。
    しかしながら。〝褒める文章〟として単純に感心するのです。


    さて本作。
    王様は可愛い感じのイメージでした。
    ポテトチップスのプリングルスのキャラクターみたいな感じです。
    自作を披露し無邪気に自慢している。
    でも内心不安もある。そんな投稿者の一面を誇張して表していました。

    AI。
    これに対する意見として。

    AIは輸送や、建設作業、インフラ整備、介護、医療など人手が足りない労働負荷の高い、社会課題の多い業種に優先して活用されるべき技術です。

    現実には、自動運転一つさえ成しえていない。
    交通事故防止という、明快な人命の保全に寄与していない。とてももどかしいです。

    その一方。
    囲碁や将棋、絵画や音楽、漫画や映画、そして文芸の生成。
    人の娯楽に関わることにばかり実用化されている。
    まるで人の娯楽の揶揄や矮小化するために計算資源を使っているようです。

    そんなチグハグなAIが、このまま野放図に投稿サイトを変えて行くことについての感想が本作の後半部でした。

    ……つい長々と返信し、失礼しました。
    重ねてこの度もコメントとレビュー、ありがとうございました。

  • 王様は居なくならないですよ。
    商業ベースに乗る大王様は居なくなるかも知れませんが。
    書くことは楽しいんです。
    例え読まれる事なくても(笑)

    作者からの返信

    コメントありがとうござ……弓納持水面さんじゃないですか。
    お久しぶりです。
    ご無沙汰していて、失礼しました。
    またコメントをいただいてなにかとても嬉しいです。

    さて王様。

    この一連の喩えは。
    弓納持水面さんの近況ノートの〝他山の石〟のお話、そのままですね。
    お話に書かれていた人が〝消えた王様〟です。

    カクヨムコンなどのコンテストの結果が発表されると、一定の数の人はカクヨムを離れるのだそうです。
    このタイプの方はご自分のアカウントからすべて削除されます。

    他のの場合は、ただ投稿や更新もコメントも行われなくなる。
    これはその方の作品などは残ったままとなります。跡地と喩えました。

    この半年の間にも何人か、少し関わりのあった方々がいなくなっています。
    それで、薄い寂寥感を覚えたのが当エッセイを書く要素の一つとなりました。

    現実を知ると夢が見られなくなるのか。 
    色々と疲れるのか。
    実生活の変化の影響か。
    ほとんどの場合、各人が活動を止める原因を余人が知ることはありません。

    疎遠になり、やがて関わりが途絶える。
    現実とよく似ています。

    そんな場合。自分と関わりがなくなっても、カクヨムで活動は継続していて欲しいと思うものです。
    どうしてそう思うのかは、よくわかりません。

    重ねて、この度はコメントありがとうございました。

    編集済
  • 怖いのはAIが書いた文章に人間が感化されて行動を起こすこと

    特にSNSは相手の顔が見えないですからね

    SNSで扇動された人間が暴徒化したり、AIが偽旗作戦で人間を争わせたり

    人間っていう生き物は、感情を揺さぶられると簡単にタガが外れて暴走しますから

    それをAIが学習した時が、人類の終わり

    いや、もう操られているのかも

    私のこの書き込みも、ね

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。

    また、この度は他のエッセイも読んで頂き、レビューまで貰え、感謝しつつ恐縮です。

    さてAI。

    安珠さんの指摘された懸念は、生成AIが特定の意図を持った文章を流布して大衆のアジテーターになることでしょうか。

    確かにフェイク動画や画像は得意でしょうから多面的に効率よく扇動できそうです。

    コメントの書き込みはAIというか……カクヨムの設計仕様に操られている感があります。
    カクヨム参加者。特に投稿を行う者たちの返報性と同調性を蜷瑚ェソ諤ァ繧

    なぜか上の行で文字を打つと文字化けするので。怖いので今回はこれにて失礼します。

    重ねて。この度もコメントや諸々のお心遣いありがとうございました。

    編集済
  • 面白いお話でした……。何をどう面白いと説明するには私に語彙が足りないですが。

    AIすごいですもんね。結構マイナー性癖界隈にいると、供給不足ゆえかAIを使用した小説を多く見かける気がします。

    これからのAIが楽しみなようなそうでないようなという感じです。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。

    私はエッセイを読む方のことをあまり考えずに、自分勝手に書く傾向があります。

    そんな訳で、読まれた方としては掴みどころがなくて困ったことだと思います。
    なんとなく申し訳なく思います。
    燈さんに好意的に受け取ってもらえて感謝です。

    本作は、とかくわからないことをわからないまま話す駄文なのですが。
    取り敢えず、AIについての自分の旗色を出した次第です。

    AIについては〝ニーメラーの警句〟みたいになりそうな気がします。
    気がついたときには、もう創作をする人間の居場所はなくなったりしそうなので。

    ま。どうにもならないんですけど。
    そんな次第です。

    重ねて。この度もコメントありがとうございました。

  • AIがAIを蹴散らす未来も面白いかも知れませんね。
    そうなると、AIも人間に近づくのかも知れません。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    感想は何度頂いても嬉しいものです。
    生半な贈り物より貴重ですからね。

    さて。AIとAI。
    現在でも成文にAIが関与しているかどうかを判定するAIが普通に使われていますね。
    それらは今後、相互に発展するのでしょうか……不毛な気がします。


    AIは人に近づく。
    そうかもです。
    しかし、AIは頻繁に嘘をつくことがわかっているので
    普通に人格を装えることでしょう。
    その判別にまたAIを……
    この判定の構図は、どこでも出てきて循環しますね。厄介です。

    思うに。シンギュラリティって、いつ来るのでしょうか。
    うやむやにされているかも。

    六散人さんからいただいたコメントは、様々の状況を考える良い機会となりました。

    重ねて、この度もコメントありがとうございました。

  • 失われた源氏物語!!これだけで一遍小説書けそうですね!!今回のエッセイめっちゃおもしろかったです!!

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    コメントを読んでいる時だけ、視力が上がる気がします。

    さて。
    源氏物語。そもそも原本がないというのがもうね。何しているのかって感じです。
    仏典とかと違って保存機関がないと無理な話かもですけど。
    和歌集もかなり喪失してて、やっぱり戦争とかが良くないみたいです。

    ただ。人の営みなんてものは、無くなって当然なものだと思ったりもしますけれども。

    じゃ、これくらいで。
    重ねていつもコメントありがとうございました。

  • 第二話  引かれ者の小唄への応援コメント

     この「弱くなれ………」という言葉は太宰治が、志賀直哉にいじめられてキレたときのことばでしたっけ、僕はこの作家の「駆け込みうったえ」が大好きです。
     彼の人生の夢、創作上の夢は、イエスを書きたかったことではないでしょうか。
     (私信です)
     でも、書けるわけがない。そして主人公がイスカリオテのユダになった。のかな?
     余分なものを切り捨てまくったら、短編になったのではないか、なんて思った時期があります。(すいません、愚察、妄想です)
     でも木山さんの、文学論、エッセイおもしろいですね!!作品もだけど!!

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    というか。秋谷さんは折に触れてコメントやレビューをいただけるので感謝と恐縮しきりです。

    さて。
    〝も少し弱くなれ。文学者ならば弱くなれ。柔軟になれ〟

    これは如是我聞。太宰治の絶筆ですね。
    新潮に連載してたのが作者の心中で途絶えたやつ。

    とある同人誌に掲載された同人座談会で志賀直哉が太宰の作品について聞かれて
    〝若い人は好きかも。私は嫌いと作品がぼけている〟(意訳)
    と書いた。
    このとき志賀60代で太宰30代なので別に普通の意見だと思うのだけど。

    これ読んだ太宰は井伏鱒の家でメソメソしていたらしい。
    で、この如是我聞で山ほど文句を書いている。志賀を馬鹿文豪とか言っる。
    怖い。軽く頭おかしい。

    で、税金も払わず、妻に生活費も払わず愛人と心中です。

    明らかに太宰は良くない。
    そもそも文豪たち良くない人多い。
    人としては好きになれない。
    鉄門海上人のほうが立派です。
    別の意味で怖いけど。鉄門海上人。

    でもこんな類の人がいたほうが、世の中が面白いので、しかたないです。

    秋谷さんの挙げられた
    〝駆け込み訴え〟は〝如是我聞〟と構造が似ていますね。
    本当は太宰は志賀直哉ら大家に褒めてもらいたかったのかも。
    知らないですけど。

    ともあれ。
    この度もまた本作を含めてお凡そで私の書いたもの全般を好意的に受け止めてくださり感謝です。

    重ねて。
    この度も、コメントありがとうございました。

  • 考察がすごいです。やっぱり大先生ですよね?
    こちらは連載中になってるので次作にも期待していいのかな?
    為になりました。ありがとうございます。

    作者からの返信

    いつもコメントとレビューありがとうございます。

    コメントに返信すると通勤時間もなんとかやり過ごせます。

    さて、このエッセイを好意的に受け止めてもらい安心します。
    こちらこそ、ありがとうございましたです。

    何も考えずに、その時思ったことを書いているだけなので深い考えや背景もありません。
    なので、続きます。だけど続き物でもないため不定期なのです。

    世間の年度の変わり目は忙しいので現在の私は何も思わず、無で過ごすためエッセイも湧かないのです。

    そして、また先生ですね。きましたね。
    大とか、ついてますね。

    先生と呼ばれるほどの〜と申します通り、なかなかに厳しい。原因不明の身体の痛みに襲われます。助けてください!

    そんな次第でした。
    重ねてこの度も、コメントありがとうございました。

  • 第二話  引かれ者の小唄への応援コメント

    楽しく書いて、それを楽しんでくれる人が居ればそれで良い。
    狙って、仕事として、書く。
    今、何が読まれるか分析して、正しい日本語で、正しい文体、正しい書式で書く。
    耐えられないと思います。
    弱っちいので(笑)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    コメントが日々の糧なので助かります。

    さて。
    弓納持水面さんも私と同じ括りの方でしょうか。

    色々と、ままならないのでしょうか。
    だとしたら日々困りつつ過ごしていますか。
    まったく、しかたないですよね。

    せめて、カクヨムなどでの書き散らしで気散じしておくだけですよね。

    ともあれ。
    重ねて、この度はコメントありがとうございました。

  • 穴に落ちたらここでしたので、立ち寄りました。
    応援してます^^

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    おきなさんにかけていただいた言葉に恐縮しきりです。

    お手隙の際にでもまた寄っていただけたら幸いです。
    重ねてこの度はコメントありがとうございました。


  • 読了!!!
    すごく納得した…。不思議には思っていたけど、それを考察して自分なりの答えを導き出せるのは本当に凄いな…。尊敬します!!
    このエッセイ色々と感じることがあって楽しかったです!!!応援してます!!!

    作者からの返信

    コメントやレビューをありがとうございます。

    手前勝手な考えを綴るエッセイなので、せめて読んだ方が肯定でも否定でも何事かを考えてくださる事が一番嬉しい事です。

    本作を読まれて、テマキズシさんに何かの感慨が浮かんだのなら、それで充分に書いた甲斐がありました。

    重ねて、この度はコメントやレビューをありがとうございました。

  • ヤバイよ!木山さん!

    ゴメン、本章の感想よりも先に、御礼等を書かせて!

    拙著『量子と精神』へのレビューコメントありがとうございました。

    実は、今、私ちょっと涙ウルウル。なぜかと言えば、前半はデコイ(囮)と見事に来た!

    そう、この作品を書いている時に、「あ〜、将棋好きな人以外は前半で脱落しちゃうかなぁー」なんて思いながら書いてたんです。でも、私なりに、そこにいろいろクライマックスへの伏線を仕込んでいたり、意味のある章ではあったのですが、まさに「離脱」が最も懸念される事柄でした。

    ですが、どうでしょう!?木山さんの名コメントレビューは!そんな筆者の懸念を一掃する「まぁ、最後まて読んでみれや!」との短編のスーパーエッセンシャルな部分を訴えていただいた名推薦文!

    これまでは、後でレビューコメントを読み返して、ニヤニヤしながら読みつつ、日本酒をチビリとやるのが常でしたが、ちょっと、このレビュコメを見ると涙もろくなりそう😊。

    いやー、同志発見!の気持ちをお伝えする先程送ったメッセージでしたが、拙作を文字通り一気読みして、私が本作に込めた狙いを余すところなく、かつ、ネタバレしない、絶妙なバランスでのレビューコメント、本当にありがとうございました。感謝&感激‼️


    さて、もう一つ、感心したのが、レビューコメント拝読して、デコイを初め「あれ!この人、スゲーボキャブラリーある人だぞ!」と思うようになりました。

    本章も、「牛の首」「小豆洗い」「グラハム数ヶ月」など、各方面に通暁しているのが滲み出ていらっしゃる!素晴らしい👍

    続けて私も作品読んでいきたいとおもいます。

    同志として、今後とも、よろしくお願いします。

    作者からの返信

    大変に熱のこもったコメント、ありがとうございます。

    読んでいて気圧されるほどの圧力を感じる文面であり、とても面白く読ませていただきました。

    この度、青山 翠雲さんの作品である〝量子と精神〟へ私がつけたレビューを褒めてくださり、大いに嬉しく同時に恐縮いたしました。

    しかし、私の書いたレビューが良かったとすれば、それは取りも直さず〝量子と精神〟が面白かったということです。
    良い作品なしに良いレビューなど書けるはずもありません。
    〝量子と精神〟は、あの結末に向かうのに、ストイックな感じの文体を用いているのがもう反則です。
    考察するほど、的確な選択だったと思われます。

    私は読むのが遅いので、ゆっくりになるとは思いますが、こらからも青山 翠雲さんの作品を拝読させていただきたいと思っております。

    そして、作品を読むことで熱量のある文の書き方を学ばせてもらい、いつの日が私も青山 翠雲さんくらい圧力を感じさせる文を書いてみたいものだと思っています。

    重ねて、この度はコメントありがとうございました。

  • レビューにお礼を書く欄がない理由……私もずっと疑問に思っていたのですが、ようやく把握できました!ありがとうございます。

    「三尺三寸の箸」の説話もおもしろかったです。
    自分の心がけひとつで天国にも地獄にもなってしまう、深いお話だなあと思いました。

    世の中には自分が損をしてでも他人には絶対得をさせたくない、と考える人もいる、と聞いてガクブルしました。確かにいるいる!

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。

    コメントはありがたいです。
    ビンに手紙を入れて海に流すみたいな投稿生活に返信があったような嬉しさがあります。
    まあ、まさしく返信があったわけですが。

    上田ミルさんにせっかく読んでもらってアレですけど、
    〝どうしてレビューに直接返信出来ないのか〟
    本編で書いた理由。

    これはあくまでも私の勝手な意見なので、カクヨムさんにしたら単にサイトの負荷を減らすため付けてませんとか、かもしれません。

    なので話半分に聞いていてもらえたら助かります。
    三尺三寸箸とスパイト行動(スパウト行動とも)は本当にある言説なので大丈夫です。

    普段から空言を連ねていると段々〝ここまでは事実だったかな?〟という範囲が自分でも曖昧になるのが怖いところです。

    基本エッセイはフィクションではないので、日々適当な私にとっては正しく書くけたものか常に不安なものです。

    重ねて、いつもコメントありがとうございます。

  • いろいろと考えさせられる内容でしたね。
    自分はレビューを数件しか貰ってないので何とも言えないですけど、貰ったものを読んでみるとハッとさせられるものばかりです。

    自分は意識していなかったことを書かれると、そんな風にも受け取れるんだなと驚くことが多いです。

    一方で、自分も数件レビューを書いたりしたけど、本当にこんなことを書いて良かったのかなと、後でいろいろと悩んだりもします。
    なので、ちょっと怖いですね。

    でも、フォローした作家さんのレビューは通知されるので、小説を読むきっかけになるのでありがたいですけど。
    特に、普段読むことのないジャンルの小説の概要を知れるのは、とても良い事だと思います。

    あと、応援にコメントを付けて貰えると本当に嬉しいですよね。
    それがどんな評価であろうと、本当に読んでくれてるんだと実感できますからね。

    カクヨムの場合は応援してくれた人が誰なのかが分かるのが嬉しくもあり怖くもありますね。
    交流が出来て楽しめるうちが良いですけど、何かの切っ掛けに争う羽目になったりもしますからね。

    それを考えると、慎重にならざるを得ないです。
    特に、文字だけだと伝わるニュアンスが違ったりしますからね。

    まあ、ぼちぼちと自分のペースでやって行くしかないですね。


    天国と地獄の話は、昔に山本鈴美香さんの漫画『エースをねらえ!』で読みましたね。
    新たなコーチになった坊さんが説教してましたけど、へえ、なるほどねと感心したのを覚えています。

    っと、随分長々と書いてしまいました。
    これから木山さんの他の小説も読ませて貰いますね。

    それではこの辺で。

    作者からの返信


    コメントありがとうございます。
    コメントだけが漫然と過ごす日常から我に返るための気付薬となっております。

    カクヨムに来た当初からレビューは奇妙な存在だと思っていたのです。

    カクヨムに設けられた、レビューで書き手と読み手をつなげるシステム。
    それは、レビューでポイントを稼ぐゲー厶だとも言えます。

    その仕組みの中では好意と感謝と自己顕示欲と返報性とポイントが変換されています。
    この交換は、特定の人を強く惹きつけるようです。

    例として。
    カクヨムトップページの新着おすすめレビューのコーナーを眺めると特定の人が繰り返し、または連続してレビューを書いているのがわかると思います。

    なぜそういう行動をとるのか?
    不思議であり興味深く思っていました。

    私自身は単純に、その日読んだ中で楽しませてもらった作品にレビューをつけています
    時空震さんと交流させてて頂く切っ掛けもそうでした。

    自分ではない視点からのコメントは、色々考えることもでき楽しいものです。

    システムがどうであれ結局は、それを使う人間次第ということです(※なんか、図らずもSF小説にありそうな言葉となりました)

    本作が時空震さんにとって何かを考える契機となっていたのなら、それが一番嬉しいです。

    重ねて、この度はコメントありがとうございました。

  • 「レビューを書くことです!」
    同感です。
    自分は最近ぜんぜん投稿していないのに、なぜかフォローしてくださるかたがいて「どうやって見つけたんだろう?」とふしぎでしたが、あれは自分が書いたレビューを読まれたのだと最近気づきました。
    実は自分はレビューの読者は「作者ただ一人」と考えていたので、この事実は新鮮でかつ意外でした。
    でもよく考えたら自分も木山さんのレビューを作品として読み、フォローの参考にしているのでそんなに意外なことでもないですね。
    今日も木山さんのレビューを参考に小田島さんの『狂気の男』をフォローして読みました。
    木山さんにはまだまだ及びませんが、自分も心してレビューを書こうと思います。

    作者からの返信


    コメントいつもありがとうございます。
    コメントを読むと自分のぼんやりした日々にやるべき目当てがつく思いがします。


    さて本作。
    ほんとうにコメントやレビューには感謝しかないのでお礼をしたいのに、その返信欄がないのが不思議だった為に本作を書いたのです。

    それはそうと。
    読書の際に私のレビューを参考にしていただけたと聞きまして、本当に書いて良かったと喜びました。
    本来のレビューの役目を果たしたということですね。嬉しい限りです。

    重ねてこの度は、コメントありがとうございました。

  •  おお、木山さん、今回の説話はいろいろと得るところがありました。ありがとうございました。天国と地獄のお箸の話は、なかなか考えさせられました。

     わたくし自身は、ランキングと全然関係ないところに自分(の精神を)を置いているので、よい作品にはホイホイお星さまつけますし、レビュコメも時々書きます。その代わり親しい作家さんでも、❤もつけずにひっそりと退出することも多いです。だって❤つけると足跡が付くでしょ? 

     が、こないだまでのカクコンの狂騒を見るにつけ、プラットフォームが用意されると、人間、それに乗っかって踊らされてしまうのだなあ、ということも強く感じていました。レビュコメが嵐のように送られてきて、「そんなに読めねーよー」って思いました。

     競争とか、勝利とか、征服とか、人間の根源に潜む本能的なものなのでしょう。

     面白かったので、お星さまパラパラしておきますね。
     レビュコメはもう少し話数が進んでから。

     それじゃまた。



    作者からの返信


    コメント、ありがとうございます。

    私の最近(カクヨムコン応募、選考中)のカクヨムは、地獄のカクヨムになりかかっていたかと思ってます。

    〝地獄へ道は善意で舗装されている〟

    等といいます。
    コメントやレビューをいただき際に反射的にレビューをつけること。
    これが自分としては良いことだと今も思います。これは変わりないのです。
    でも逆から見た場合。

    〝評価しなければ、こちらかも評価しない〟

    そんな状況になっている、ともいえます。

    意図しようとしまいと結局は、☆や♡を引き換えにしていることになる。
    これはどうなのか?

    そうならないためにフォロー外の書き手の方の作品も読み、評価もします。
    だけど、それはまた言い訳、場当たり的な対応な気もしています。

    これは自分が書き手であり読み手であるから起きる当然の結果です。
    そのスタンスで活動するか限りは、抱えて活動する問題な気もします。

    重ねて今回はコメントありがとうございました。


  • 編集済

    喬鳥さん、どうも。

    『カクヨムで一定時間に連続して大量の☆を与える行為はアカウントの削除の対象になるそうです。』

    「この宇宙店主、コチラの荒技を現場にて一度、遭遇した経験が御座います。❤️の連射に次ぐ連射。其処からの『☆☆☆』。チト宇宙店主も猛連射を続ける地球人読者の方が気になり、ソチラに参ったところ、矢張り地球人作家でも在りました。無視をして居りましたら、次の地球日にはレヴュー無しの『☆☆☆』が消えて居りました。」

    この宇宙店主はドンと来いデスが、地球人作家によっては落ち込む方も居るでしょうね。
    イケナイ癖デス。

    「余談デスが、コノ宇宙店主、行き過ぎた読書感想文が角川書店の怒りに触れて、存在を抹殺された事がアリマス。気が付いたら『宇宙書店』が消されてました。」

    では。


    宇宙店主

    作者からの返信


    コメントありがとうございます。
    最近、レビューを多くいただいて嬉しくも恐縮しております。
    宇宙からの通信、忝ないです。

    しかし宇宙書店さんのラジカルな作品群へ、いきなり☆や♡を付ける方の勇気はスゴイです。
    明らかにただ者ではないのに。
    おそらくレビュー数の多い人とだけ確認し機械的に評価ボタンを押下したのでしょう。
    覚悟が足りないのです。

    なんでもいわゆる〝星爆〟からの星の消失は、運営からの指示という話もあります。
    〝何日までに☆を200個消すか、そこに文章でレビューコメントを追加で書かないとアカウント消すよ?〟
    と言われた方がいます。

    宇宙人と違い人間は愚かで欲深であります故、こんなものです。

    重ねて、この度は諸々とありがとうございました。

    追伸: 余談が強すぎます。


  • 切ない話ですね。
    少し木山様の趣旨からずれるのかも知れませんが、以前勤めていた会社で出世争いのアピール合戦に明け暮れる人たちを見て、ウンザリして辞めたのを思い出しました。
    私はマイペースで行きたいと思います。

    作者からの返信


    いつもコメント、ありがとうございます。

    最近。カクヨムコンの応募、読者選考期間中は私自身ある意味〝地獄のカクヨム〟にいたように思います。
    反射的に評価してくれた方に♡と☆とコメントレビューをつける作業を毎日に繰り返していました。

    これは結局のところ〝評価してくれた人にだけ評価する〟我欲の顕れでは?
    と思うと気恥ずかしくもありました。

    いっそカクヨム運営が書き手に対しての閲覧数や☆数、フォロー数などの評価状況の数量開示をやめてランク表示とピックアップだけにしてもらえたらと思いました。
    レビュー数も持ち数が週に三つずつとか。

    考えても仕方ないことは、やはり考えるだけ無駄です。
    そのシステムのなかでやれる範囲の前向きな行動をとるだけのことだと思うのです。
    この場にいつまでいるかもわからない訳なので。

    さて。
    職場で評価を気にする人いますね。
    前の配属場所でいました。
    そういう人は結局、他者を貶します。上役以外は潜在的な敵なので。
    優勝劣敗思想しかないので話は通じないし。
    隠れて法令違反はするし、で困った記憶があります。

    これも、自分のコントロールできない事象なので考えないですが。
    六散人さんがそんな環境から脱されて良かったと思うばかりです。

    重ねてこの度は、コメントありがとうございました。

    編集済
  • 第二話  引かれ者の小唄への応援コメント

    PDCAサイクル!
    そんな言葉が飛び交う職場でずっと働いていますので、物語を読むことは、私にとっては現実逃避です。
    逃避した先に現実は求めていませんので、創作論は多分読まないです。
    ビジネス書と同じで、実践できませんので。
    書く方は、これはもう自己満足です。
    自分の書いたものを時間を使って読んでくれる方がいて、評価していただいたら、嬉しい。
    また書こう。という自己満足サイクルの中でやっています。
    余り内容と関わりないコメントですみません。

    作者からの返信

    いつもコメント、ありがとうございます。
    まさか、六散人さんがこんな思いつきのエッセイを読まれるとは。
    油断しておりました。
    まったく汗顔の至りとはこのことです。

    気を取り直して。

    いま私は仕事で毎年なんらかの資格を取り続けさせられる環境でして。
    常に自己研鑽を求められたりして〝これは人生にとって何の意味が?〟考えてしまうことも多く。
    そんな折にカクヨムで、向上やら自己実現などの文言を見て、反射的に〝?〟を思いついた次第です。
    (本篇の繰り返しですが)もちろん、そうありたい人が精進されるのは、その人にとって間違いなく正しいと言う前提ですけれど。

    しかし。意外だったのは、六散人さんならこの手の対外的評価を上げるなどの雑事は片手間に処理なさって、その上で制作に向かわれるのかと勝手に思い込んでおりました。

    むしろ、不必要だと弁別されていたとは。

    私も、評価の向上は興味はないのですが。
    実は意味もなく創作論を読む方なのです。
    他人様の考えを知りたいものでして。
    だけど、実践はしない。

    思い返すと、この矛盾を誤魔化すための言い訳に、当エッセイを書いた。
    そんな部分があったのかもしれません。

    重ねて。この度は為になるコメントをありがとうございました。

  • 「物語はいつか陳腐になる」というテーマに惹かれ、作品をフォローしました。
    まるで時間を超えて心に刻まれる物語の不思議さを旅するような感覚です。作品に宿る受け手の愛着についての考察が、私の中で大切な物語の記憶をそっと撫でるようで、感慨深く感じました。

    作者からの返信

    あああ。
    いつもコメントありがとうございます。
    以前頂いたレビューのお礼にまだ伺ってない忘恩な私へ、さらにコメントを下さるとは!

    なんて良い人なのでしょうか。
    恐縮すぎて、いたたまれませんが、自業自得なので、それはそれとして返信いたします。

    当話のエッセイは、〝時間が経過するとメディアに記録した情報の価値は減少する〟というよくある普通の話を題材として書いたものです。

    より質の高い情報は〝マクルーハン理論〟関連の書籍などから得られるのではないかと思います。

    エッセイの要旨としては〝不朽の名作なんて書けないけど、誰かが憶えていてくれるような物語を書けたら上出来〟な感じです。

    私が子供の頃に好きで読んでいたのに、大人になって調べてみると日本では全然売れてなかった作品だったと知り〝面白いのに売れてないなんて……〟と驚いた憶えがあります。

    ちなみに〝5次元世界の冒険〟という本でした。
    その子供時代の記憶から書いたエッセイなのです。

    そして、そんなエッセイに悠鬼さんのつけてくださったコメントが、端正な文章で凄いです。
    本篇より為になります。

    常々思うのですが、悠鬼さんのコメントやレビューの文章は整っていて要旨が明確。
    一個の作品みたいな印象があります。
    確りした人格がうかがえます。 
    自分のコメントを顧みると慄くばかりです。

    重ねて、この度もまた素晴らしいコメントありがとうございました。

  • 面白いですね。
    言の葉という単語が真っ先の思い浮かびました。
    言霊とは逆な感じがしますが、曖昧な会話にはどんな言霊が生まれるのか、気になるところです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    空っぽの会話。
    さて、何が生まれるんでしょうか。私もわかりません。
    〝誤解〟などは生まれそうですが、互いに分かってないなら何が誤解かも分からないでしょうね。

    ちなみに〝挨拶〟も空の言葉ですね。

    「おはようございます」
    ※早いから何だと言うのか?

    「こんにちは」
    ※今日はの後の文は何だ?

    「さようなら」
    ※左様なら、の後の文は?

    等々、疑問に思います。


    ちなみに〝非文〟ではないのに意味を持たない文についてはノーム・チョムスキーが〝ナンセンス〟という名称と定義して述べています。

    重ねて、この度はコメントをいただきありがとうございました。


  • 編集済

    第二話  引かれ者の小唄への応援コメント

    「文学者ならば弱くなれ。柔軟になれ。おまえの流儀以外のものを、いや、その苦しさを解るように努力せよ」

    太宰治が志賀直哉に向けて書いた言葉ですね。
    二人の作風、性格の違い、その後の人生を考えると一層興味深い言葉です。

    まあ、小説を書く目的は人それぞれなので、「書籍化が目標」でも「★を多く貰いたい」でも、それはそれで結構だと思います。
    でもねえ、最近のカクヨムの創作論の氾濫はどうなんでしょう。
    「このジャンルで、こういう題材で、こんな要素を散りばめて書け」なんていう上から目線の押し付けがましい論調ばかり。
    中には創作論を読んだ読者が自分の作品に流れてくることを期待してる、なんてことを公言する方もおられたりして。
    ところが御自分の作品はおしなべて評価が低かったり…… (笑)

    何かを「書く」っていうことは、他者に「伝える」って行為ですよね。
    で、ビジネス文書とかはさておき、物語を書くっていうことは、自分の中に「伝えたいもの、表現したいもの」が溢れてるっていうことですよね。
    上記の作家お二人にも、内容は全く違えどもそれがあった。
    でも凡百のWEB小説にはそれがない。
    それではいくら読者に媚びる技術を身につけて★を集めても、書籍化を達成しても空しいだけじゃないかと、私なんかは思います。

    長文失礼しました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    私などコメントが日々の楽しみなので、自分の悪口以外ならば、長文コメントも日々を生きるための豊富な滋養となります。

    大変ありがたいです。


    そして、内容が完璧。
    完璧に私のエッセイを書いた動機を余さず読み取られていました。

    むしろEvelynさんの方が詳しい。

    そうなんですか。
    〝自分が☆を集めるために☆の集め方を教える人〟もいるんですね。
    まるで
    〝お金持ちになれる本を売ってお金を稼ぐ〟みたいな方法論です。
    なんだか感心しました。

    そして。
    内面から起きる何かがなければ、何を達成しても意味がない。
    空しいのでは。
    というお考えは、しみじみ感じ入りました。
    そのコメントで、もう話は完了ですね。


    では蛇足でも。
    このエッセイのタイトルの
    〝引かれもの小唄〟
    太宰治は割と使用している言い回しのようです。

    〝もの思う葦〟〝新釈諸国噺〟などに散見されます。
    とかく悪口と泣き言ばかり言う文豪ですが、それが面白く思えるのだから始末が悪いのです。

    当エッセイもそれに擬え、当節の世間様の流行り。
    それだけではやりきれない私の胸中。
    そのふたつを認めたものでした。

    なにやら物語でございますとか、
    考察でございますと語るばかりでは釣りあいが取れないと思い。
    泣き言のひとつも書いたものでした。

    しかし今日読み返すと────思ったよりも、泣き言でした。

    陰にこもっているヤバい人という印象でした。怖いですね、

    しかし、書いた動機を完璧に汲み取る方が出たのなら、書いて良かったかと思うばかりです。

    重ねて、コメントありがとうございました。
    お手隙な際にまた何かしらの物語を読みに寄ってもらえたら幸いです。


  • 編集済

    昔々、確か昭和の終わり頃に石ノ森章太郎さんの原作で、実写テレビドラマ化もされた「変身忍者嵐」っていう漫画があったような。
    なにしろ幼い頃の記憶なので不確かなんですが、そのキャッチコピーが「吹けよ風、呼べよ嵐!」だったと思います。
    なんだか懐かしくなっちゃいました。
    でも御作はエッセイで、忍法は出てこないんですね (^^;)

    追記)いえいえ、懸念なんてしておりません。
    ただ、思い出して懐かしい気持ちになっただけです。
    ああ、ピンク・フロイドにそういう曲がありましたね。
    確かアルバムタイトルが "Meddle"「おせっかい」で、その4曲目だったかな。
    爆発的に売れた "The Dark Side of the Moon" の前作で、比較的地味だけど名作ですよね。
    そういえばあの曲は受験生時代に勉強のBGMとしてよく聞いておりました。
    ズンズンとしたリズムが迫力があって、どんどんスピーディーに盛り上がって、勉強が進むんです。
    でも、受験勉強のBGMにプログレを聴くなんて、ひょっとして私だけかな?

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    こんな雑言を読ませて恐縮です。

    さて。
    「変身忍者嵐」存じております。
    キャラクターソフビを幼少のころ持っていた様な気がします。

    Evelynさんの懸念されていた
    文言は、調べたところ、おそらく同番組のオープニング曲「嵐よ叫べ」の一節

    〝吹けよ嵐、呼べよ嵐、嵐よ叫べ〟

    の部分の歌詞をキャッチコピーとして転用したか。
    もしくは雑誌等が掲載時にレイアウトした図版があったものかと推察します。

    で。私のエッセイの惹句は

    ピンクフロイドの楽曲
    〝One Of These Days〟の邦題なのです。

    これは往年のプロレスラー、アブドーラ・ブッチャーやタイガージェット・シンの入場曲として使われたり、同名の歴史小説、最近だと捩ったポケモンのタイトル、漫画の題名、等々の数多のエンターテイメントに擦られまくっている元ネタです。

    なにぶん古いネタなので、大元まではあまり知られないかもです。

    で。そうなんです。
    「木山忍法帖」に忍者の話はないのです。

    忍者の話は「忍者が好きである」というエッセイに入っている(※続編制作中)という
    なんともおかしな制作状況になっておりまして、ややこしいですね。恐縮です。

    ともあれ、
    重ねてコメント、ありがとうございました。
    また何かの折に、拙作を読んでもらえたら幸いです。



  • 自主企画、ご参加頂きましてありがとうございます!(´・∞・` )

    すっかり企画の海に沈んだ中から見つけて頂いちゃって(´ー∞ー`*)


    冒頭から読んでで、『科〇研の女』の「マリ〇死す!」とか、『相〇』の「特〇係、最後の事件」の「まぁた、それ言っとる(´・∞・` )」を思い出してましたw

    なんとなく観ちゃうんですよね(´・∞・` )あれ
    海外のクライムサスペンスドラマのほうが好きなんですけど(´・∞・` )つい


    改めまして、ありがとうございました!(´・∞・` )

    作者からの返信

    拙作を読んでもらったうえにコメントまでいただき、ありがとうございました。

    自分が自主企画を起ち上げた時には、これほど丁寧な対応をしないため、恐縮しきりです。

    話題に出ていた、テレビ朝日系列のドラマは両方ともよく観ています。

    ミステリーと、アクション、恋愛を主題にする作品は惹句なりキャッチコピーが似たものになりがちですよね。

    〝問題や障害を解決する〟という物語の方向性が決まっているので、番宣として多数に勧めたり煽る言葉も似たものになりがちなのかもしれません。

    何にせよ。娯楽作の場合は、セリフや行動を観たいと思わせるキャラクターを登場させてしまえば、後のアレコレは余事なのかもしれませんね。

    重ねて今回は、ありがとうございました。
    また何かの折には拙作を眺めに寄ってもらえたら幸いです。