家族というものが、未だに分からない
わからないからこそ
不完全な家族の物語ばかり幾つも書いている私ですが
おそらく
完全な家族があったとしても、
何処かに「繕う目的」を探してしまうのかもしれません
それでも無ければ、自ら壊してしまうのかも────
この家族も
傍から見ればかなりの不完全さを内包している家族
でも、その営みは
かなり家族の本質近いのではないかと思うのです
お互いに、できることを持ち寄って
でき得ることを成していく
それを他人がとやかく言う権利など無い
少なくとも
この家族を嘲笑う者などよりも
ずっと真っ当な生き方をしていると私は思う
振り返ってみて、それが幸せだったと
そこに幸せはあったんだと思える日が
この家族に訪れてくれることを
願ってやまない
この作品に滲み出る覚悟の意味を知る人が、今の日本にどれだけいるだろう。
自らのことを横に投げやり、ひたすらに娘の未来を見据え、孤独に闘う母の覚悟は、如何なるものだっただろう。
幸せが無いわけではない。
むしろこれで幸せなのだ。
そう言い聞かせながらも、苦悩するのが人間である。
きっとこの物語に登場する母親も、語り尽くせぬほど様々な苦悩を通っただろう。
安い同情は毒になる。
ゆえにあえて語らない。
他者からの優しささえも、覚悟を溶かす毒になる。
ゆえに娘だけでいい。
縛らず、手放さず、ただ柔く手を握り、娘の方から手を離す日が来るその時まで……
許されるならば、その手に籠められた絶妙な力加減と、優しさ強さ、そして覚悟に、物語の向こう淵遠くから賛辞とエールを贈りたい。
非常に素晴らしい作品でした。