an ignominious heart

「京。私帰りたい」


ソファに座って、ビールを飲みながら、さっき冷蔵庫から持って行ったチーズを機嫌良く食べている京に向かって、ぼそって呟く。

ビールが入っている綺麗なグラスを片手で持ちながら、目を大きくしてこっちに振り向いた。


恐ろしい早さで振り向いた京に気まずくて、思わず目を逸らした。

待っててくれたのにごめんね。


でも、どうしてもここにいたくない。

これ以上醜くなる前に帰りたい。この場から消えていなくなりたい。


「どうして? なにか用事できた?」


朝に書き置きしておいたメモで見たんだろう京が、首をかしげて問いかけてくる。


「ごめん、私の勝手で」


ぶんぶんと首を振って、キッチンの横に置いてあった鞄をサッとつかんで玄関の方へ歩き出す。


馬鹿。

こんなところにのこのこやってきて馬鹿みたい。


料理を作るって言ったら喜んだ京を見て、もしかしてあんまり手料理とか食べた事ないのかななんて考えたりして。

そんなわけない。

ほんと、馬鹿だ。


「ちょっと待って」


後ろから追いかけてきた京に腕を掴まれて、振り返ると、もう片方の手にはさっきのグラスが握られたままだった。


「ビール持ったままだよ」

「急いでたから。帰っちゃうと思って」

「ごめんね。料理作るとか言ってたのに、帰るって言って」

「理由だけ教えて」


今持っているグラスと同じくらい綺麗な瞳で真剣に見つめてくる京に、溜息を吐く。

この人は欲求には忠実で、気まぐれなくせに変なところで頑固だ。


「理由……。他にも女の子が料理作りに来たりするの?」

「たまに作りに来るけど。それが嫌だった?」


ストレートに聞いてくる京に、素直にうんと頷く事ができない。


「ん。他に嫌な事は?」


返事をしない私にも、京は屈みこんで手をぎゅっと握って優しく話しかけてくれる。


「女の子が置いて行ったものいっぱいあるね。なんか……喜んで浮かれて料理作りに来て馬鹿みたい……だね。悔しい」


そう言って、うつむいてしまった私の両手をぎゅうっと力を込めて握ってくる。


京が怒っているのか呆れているのか、言葉を発しないのにビクビクして顔をチラッと窺い見る。

それは、予想していたものとは違うものだった。

呆れているか、怒っているかのどっちかだと思ったのに、両方違った。


ただ、ただ、真剣な表情でこっちを見ていて、私と目が合うと泣きそうな顔で笑ってみせた。


……その顔はどういう顔?



「キスしてもいい?」


また場違いな時に確認してくる京に、首をかしげて困った顔をしていると、手をすっと離された。


京にいきなり離された手は、宙から腰の横にぶらんと滑り落ちて、ぷらぷらと反動をつけながらじっと止まってしまった。


京は手を離した瞬間に、リビングに入って行ってしまい、リビングと廊下を遮る扉をバンと閉めてしまった。

これは帰れって事だろうか。


機嫌を取りにきてくれた京をかたくなに拒んだ私を見捨てたのかもしれない。

それとも京には見当違いの不満を言った私に呆れたのかもしれない。


そうだよね、彼女でもないのに。知り合ってたった二日なのにわがままを言いすぎた。私には手に負えない男性ってことだ。

たった二日でここまで嫉妬心を剥き出しにするなら、京と会うのはむいてない。


とりあえず帰ろう。

そう思って、扉を開けてエレベーターの場所まで歩いて行っても京は部屋から出てこなかった。

一階に停まっていたエレベーターが最上階のこの階に到着したのを確認して開いた扉に乗り込む。


その瞬間、京の部屋から京が走ってくるのが目に入った。


思わず、開くのボタンを押して、京の様子をじっと眺めていると、京はエレベーターの中に乗り込んで一階を押して扉を閉めた。



なに?

送ってくれるの?


息を少し荒くしているせいで上下している京の背中をじっと見つめていたけど、一階につくまで京は何も喋らなかった。

手には大きなゴミ袋を持っていて、一階に着いて扉が開くと、私の手を引いて歩きだした。


どこ行くの?


「京? なに? 帰る方向こっちじゃないけど」


エントランスとは反対の方へ歩いて行く京に、戸惑いが隠せなくて、ついつい焦って声をかけてしまう。


「京?」


何度も京の名前を呼ぶのに、京はうん。としか声を出さなくて、連れて行かれたのはマンションの裏手のゴミ捨て場だった。


マンション専用のゴミ捨て場の鉄格子の扉をガラガラと開いて、持っていたゴミ袋をその中に放り投げた。


「多分全部捨てた。まだ部屋にあったら、勝手に捨ててくれていい。佐希の好きにしてくれたらいい」


そう言って、私の手を引いてまたエレベーターに戻って行く京を呆然と眺めた。


そんな……。


どうして。


「もう帰らない?」


背の低い私の顔を覗き込んでくる京に曖昧に頷くと、にこっと笑って手を離してくれた。

心臓がドクドクと音を立てて、おかしいくらいに何も考えられない。


……ただ、最低な事をしたのは確かだった。

ああやって不満を口にすれば、素直な京は解決しようとしてくれるに違いないのに。こうやって醜くなるんだ。

京と付き合うと、こうやってどんどん醜くなっていく。


美佳の『京に本気になったら地獄を見る』って言葉を思い出して、目眩がしそうだった。

地獄を見るのは、自分の心の醜さにだ。

こんなにも醜いと思い知る。


「ごめんなさい。高いものもあったのに。京が捨てたって知ったら女の子は傷付くし、京を責めるかもしれないのに」

「佐希は気にしないでいい。帰って親子丼が食べたい」


エレベーターの中、自分のしでかしてしまった事に焦っている私を尻目に、京は素知らぬ顔でそう呟いた。


「……ごめんなさい。親子丼作るね」


あんまり暗くいちゃ京に悪いと思って、無理やり作った笑顔で京をじっと見る。


「うん。………キスしてもいい?」


また場違いだよと思いながら、さすがに何度も断るのも申し訳なくて、こくっと頷くと京は目をキラキラさせて私の手を握った。


「やっと許してくれた。可愛いな」


後頭部を掴まれて、顔を傾けて近づいてくる京を視界で捉えて、目をつぶった。

今日初めて重なった唇は、涙が出そうなほど幸せだった。じわっと痺れるように吐息が漏れた。



この人が好きだ。

もうここまで来たら認めるしかない。

目の前の人が焼けるほど愛しい。


京がたまらなく欲しい。

好きで好きでたまらない。

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